全く可愛いな、リラ
うっとりとプリシラはその姿に見惚れた。
外の日光を反射して艶やかな黒髪が光っている。天使の輪を作り出し、紅色の双眸は優しく細められている。
すらりとした体躯は騎士の様な姿で依然見たときよりもずっと楽な服装だ。
帯剣して立っているだけで、誰からも見惚れられる色男。そんな男性がプリシラに親しげに微笑みかけている。ああなんて素敵なのかしら、とプリシラはただただ思った。
「こちらにも事情があってな。このような遠回りをさせてしまった。……そちらもご苦労だった。下がってよいぞ」
「は」
案内人が一礼し、姿を消した頃になって漸くプリシラは我に返った。
慌てて陛下へ頭を下げる。
「陛下。この度はわたくしをお誘いいただきまして真にありがとう存じ……」
「よい、やめてくれ。私はリラと話したいのだ。今の私は陛下ではなく、リラの文通相手であるシャイだ」
片手を振る陛下の姿―――いや、シャイの姿にプリシラは呆気にとられた。後ろからも戸惑いの気配が伝わる。
「先程も言ったであろう? リラ、と。私も時折は……自分の時間を愛らしい令嬢との逢瀬に使おうと思うのは駄目だろうか」
悲しげに瞼が伏せられることに罪悪感を刺激されたプリシラは焦りを覚えて手を振った。
「あ、いえ! そんな! 陛下の時間をどうお使いになろうと……」
「シャイだ、リラ」
プリシラは言葉を詰まらせて、じっと見つめてくる麗しい顔を見上げた。
「シャイ、と名で呼んでくれ。リラ」
この方にしか許可をしていない名前で呼ばれ、プリシラはまるで呪いにでもかかったかのように「はい、シャイ様……」と答えることしか出来なかった。
これほどプリシラが心奪われる姿、雰囲気。
全てを持つ御方に対して反抗することなど出来るはずもない。
シャイはプリシラが名を呼んだことに満足げに口元を和らげ、つ、と彼女の後ろに視線を投げた。何かあるのかと振り向くと、
「その花が気になるのか」
と、疑問を投げかけられて慌てて再び振り向く。少々戸惑いながらも、プリシラは頷いた。
「見たことのない、ものだったものですから」
ふ、と息を吐いて悪戯気味にシャイの目が光った。
「お前の愛しの弟にその話をするためか?」
「ええ、ベルはとても……喜んでくれるでしょうから」
弟ベルフェゴールを思い出しながらプリシラは言う。
シャイとの手紙のやり取り内で、勿論プリシラは盛大にベルフェゴールの事について書いていた。
その内容は数十枚にも及び、シャイもまたベルフェゴールについて詳しく知っている事はプリシラもよく分かっている。
「相変わらず、リラは弟の事が好きだな」
くつくつと笑う文通相手に、この場に来てから止まっていた足を動かして側へと向う。
見上げなければならないほどに近くまで来てから、微笑む。
「勿論ですわ。シャイ様。私は弟のことになると、どうにも口が止まりませんの」
「口だけではなく、手もだろう。私もあの手紙の内容の多さには驚いた。しかし、あれ程家族を愛している女性もそうはいないだろうな」
「シャイ様について書けと言われても同じだけになりますわ」
「ほう、それは嬉しい事だ。一度お願いしてもいいかもしれないな」
面白そうだと首を傾げるシャイにプリシラは頬を緩めてから、つんとした表情を意識して作る。
「どのようなところを愛しているかなど、その本人に知られることほど無粋で羞恥の煽るものはございませんよ。シャイ様のことは別の方にお話しておりますから、お願いされても書きませんわ」
「どんな話をされているのやら。私も気になるものだ―――ところで、随分と綺麗になったな、リラ。以前とは違う装いだがそちらの方が私好みだ」
見つめたまま言われて、プリシラは喜びと恥ずかしさに俯く。
なんとも甘い言葉だ。
艶然としたシャイの甘い言葉に、まだ幼いプリシラは太刀打ち出来るものではない。
装飾塗れの豪華な装いとは違う姿を密かに不安に思っていたプリシラはシャイの手放し、いやそれ以上の褒め言葉を本当に嬉しく思う。プリシラは顔を上げて、はにかみながら微笑んだ。
「ありがとうございます、シャイ様。本日はお招き頂きありがとうございます。誘われてからずっと楽しみにしていましたの。この服もシャイ様に見て頂きたくて用意したのですわ」
プリシラは新しい装いの服の裾をつまむ。
「……以前とは違う種類の服でしたのでシャイ様が気に入って頂けるか不安だったのですけれど、そのように仰られるともう以前のような装いは出来ませんわね」
ふふ、と恥ずかしさを誤魔化す為に笑えば、シャイは「とんでもない」と目を細めた。
「こちらこそ、誘いに乗って頂けて嬉しかった。それに以前のものも似合っていたのだから、リラの好きなようにするといい」
一拍置いたシャイは、その声に苦笑を滲ませながら甘さを増やさせていた。うっとりとプリシラはその甘さに酔う。
「つまるところ、私の好みなだけだ。気にする事はない―――ああ、立ち話が長くなってしまったな。どうにもお前と話していると時間を忘れる……今回が始めてとも言えるが……手紙を読んでいても時間を忘れるのでな。時々、怒られてしまうのだ。……そろそろ私のお茶に呼ばれてもらいたいのだが」
シャイの後ろに佇んでいた一人が―――護衛か何かだろう―――こほん、と咳払いをしたことにより、苦笑を滲ませて誘われる。素敵な誘いにプリシラは表情を綻ばせて、了承の返事を返した。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
花や木が生えている場所はシャイの隠れ家の一つなのだ、と教えてもらったプリシラは漸くあれ程密やかに案内されてきたのだと納得することになった。
木々に囲まれた露天において開かれたお茶会は、快晴であり、気候も穏やかな本日、なんの文句のつけようもない程に素晴らしい。
目の前に座る方は見目麗しい高貴な御仁であり、近くには信頼も親愛も感じる侍従。ベルフェゴールへ教えられる植物に囲まれ、ここでしか食べられないだろう美味しいお茶とお菓子をお供にするお茶会はプリシラの胸の内は、幸福という想いでいっぱいだった。
「それにしても、素敵な隠れ家。落ち着く場所で、風も気持ちの良い場所ですわね」
「私も気に入っているものの一つだ。そう言えば、招待したのはお前が始めてだ」
「まあ、それは光栄ですけれど……王妃様は?」
「……王妃か」
プリシラが尋ねると、シャイは不自然な間を空けた。不思議に思い、言葉を重ねようとしたプリシラだったがそれが言葉として口から出ていく前に爽やかな笑みが視界に広がった。
「あやつの話は止めよう、リラ。私は陛下ではない」
笑みに気を取られていたプリシラは顔の近くにシャイの手が迫っている事に気づかなかった。そのまま、ふに、と唇に人差し指が置かれる。驚きに目を大きく見開く。
「―――何度言えば、この可愛らしい唇は間違えないでくれるのだろうか。シャイには王妃などいない」
「は、はい! 申し訳ありませんわ! シャイ様!」
色気にあてられて顔が熱くなるのを自覚しながら、プリシラは思いっきり首を縦に振った。
「全く可愛いな、リラは」
くつくつと笑うシャイは大人の男であり、プリシラが逆立ちしても絶対に掌で転がされてしまうことがはっきりと分かる。
憧れの大人の女性ならば、このような事で動揺したり困惑したり赤くなったり、あまつさえ、くつくつと笑う笑顔にきゅんとなったりなどしないのだろう。
このようなことで赤くなるなどまだまだ未熟者だ、とプリシラは口元を引き締めた。でもキュンキュンするのはしょうがない。
「漸く、君とこのようなお茶会を出来て私も嬉しい。何度か会おうとしたのだが、いい機会が得られなくてな」
シャイからの告白にプリシラは驚きに目を瞬かせた。
「シャイ様も私とお会いになりたかったのですの?」
「ほう。お前も私と会いたかったのか? それは嬉しい告白だな」
目の前にいるシャイは楽しげな笑いを口元に称えている。プリシラは素直に頷いた。
「はい、シャイ様。私はシャイ様とお会いしたくてお会いしたくして仕方がありませんでしたわ。それはもう! だから、本当に本日のお茶会を楽しみにしていたのですわ。お誘いがあった日など、兄のカクタスに『お忙しい方だからあまり喜ぶな』と諌められたほどですの。もしかたら、急な用事が入ってしまうかもしれないと不安で」
そのような事はなかったので本当に良かったですわ、と微笑んでからプリシラはお茶を口にする。
父に許可をされてからのプリシラの喜びようは相当で、兄からは諌められるし、ベルフェゴールはあまりにプリシラが陛下陛下言うために拗ねてしまうし、ミューは更にどんよりとするし、父は何故か『あまり近寄るな』などという事を言われ、母からは『頑張ってきなさい』と応援され、他の使用人達からは呆れたような笑いを貰った。
前日どころか数日前から肌の手入れもかかさず、服も最後まで選び抜き、化粧もグレイスによくよく丁寧にしてもらったのだ。それもこれも全てシャイに褒めてもらい、シャイの目を喜ばせ、何よりシャイとのお茶会のためだ。
―――と言う様なことをプリシラは熱心に語った。
「そ、そうか」
「はい!」
「それは……男冥利に尽きるな」
照れたような笑いを浮かべられたシャイにプリシラはまたしても心臓を打ち抜かれる。
本当に彼のお方は素敵な容姿をしている。
プリシラは、悶え死ぬかもしれないなどとその笑みをうっとりと眺めた。
「―――本当に。このように美しい令嬢にそこまで思われるなんて。わたくしに秘密にしてまでお会いになることだけありますね」
プリシラとシャイとの逢瀬に柔らかい声が加わった。
若く鈴のような声で、何処にも咎めるようなものも冷たいものも感じない声を発したのは、少女のような可憐な女性だった。
零れ落ちそうな大きな翡翠色の瞳と桃色の唇はふっくらとしているのに背丈はプリシラよりも低く、若干下がったような形の眉とたれ眼のためにプリシラから見ても庇護欲をそそる。
燦燦と降り注ぐ陽の光は彼女に微笑みかけているように降りそそぎ、彼女を照らしている様子は神々しく、何者にも侵しがたい領域を作り出していた。
一見、プリシラと同年代の少女のようにも見えたのだがシャイの漏らした一言によってそうではないことがプリシラは分かった。
艶のある声をしている陛下はこう、呟いたのだ。
―――アリエル、と。
ついに、王妃様登場。