【陛下となら幸せになれるわ】
愛する夫の顔は俯き、膝に乗せられた掌は固く握られていた。
「―――貴方、ごめんなさい」
苦渋の決断をした夫の様子に謝るしかない。掌にそっと手を重ねてもいつものようにさっと手を握り返してくれないことが悲しい。
「……なぜ」
咽喉の奥から搾り出すような声に胸が苦しくなる。
お願い、そんなに悲しまないで。
「あの子に幸せになってもらいたいのよ」
それだけを願っている。
口にした願いを聞いた夫は勢いよく顔をあげて、叫んだ。
「陛下とお茶会に行く事がかっ!? ポリマー! 二人っきりでお茶会など、バレた時、口さがない連中が何を言うかわからん! 陛下が馬鹿にされるのはどうでもいい! 王族など女関係が乱れている事など些細な問題だ! だが、プリシラは? プリシラは何を言われるか、どういう目で見られるか……! 今ならまだ殿下と婚約をしていると思っている連中が多いからいいが、婚約破棄されていたと分かった時が問題だ! 殿下と婚約していたのに、次はその父親! 何を言われるか、ポリマー、想像がつくだろう?!」
父親の顔をしていう夫の頬に手を添えた。はっとした顔をして「すまない」と怒鳴った事を後悔する優しい夫に首を振る。
「いいえ。貴方は正しいわ」
彼はいつだって正しい。
例え、世間がこの人をどれほど正しくないと断じようとも私は絶対にこの人の言い分が正しいと言い切れる。そんな彼だから、プリシラが陛下とお茶会に行く事がどれほどの危険を、あの子への醜聞に繋がる可能性があるのかを理解しているのだ。そして、この人は私がそれを理解できないほど愚かだと思っていない。
理解できないという顔をして見つめてくる夫に、私はそれでも、と言葉を続けた。
「―――もう、あんな思いはさせたくないの」
大きく開かれた眼と震える唇を見つめながら、思い返す。
急に変わった娘の態度の変化に対応が上手く出来なかった。あれ程好意を持っていた殿下との婚約破棄を陛下に頼むなど無礼だと切って捨てられてもいいことをした娘の心情が分からなかった。いつも真っ直ぐで分かり易い娘だったのに。不器用な愛をベルフェに向けていたプリシィは、全く弟への愛を隠さなくなった。
困惑したのは彼女の性格が変わらなかったことだ。謝る、使用人達に労いの言葉をかけるなど、他の者達が当たり前に出来ていることをするようになっただけで、プリシィ本来の気丈な性格や誇り高いところは変わっていなかったのだ。
何があったのか、と考えていたある日。
突然、部屋の扉が開き、ベルフェの手を握ったプリシィが飛び込んできた。呆気にとられる中、あの子は言った。
『お母様! 悪いのはあいつです! あいつが全ての元凶です! あいつ、あいつ……! ベルを傷つけたのよ、お母様! ベルがあんなに一生懸命育てていた木を枯れさせたのよ! なのにあの男、全く反省してないなんて男どころか人間として終わってるわ!』
ぼろぼろと大きな瞳から涙を流すプリシィに驚いて見つめ続けた。
『お母様、私、あいつに愛されてるなんて言われた事なんてないのよ! 『俺が気に入った奴が出来るまでの繋ぎ』だと言われてたんだから! あんな、あんな男に、ほ、れてた、なん、て、さいっあく、だわ! ベルをきずつけるやつなんて滅びちゃえばいいのよ! 肉体どころか精神から崩壊してしまえ!!』
殿下に対して呪いの言葉を吐き続けるプリシィ。そして、その横で大きく目を見開いて姉を見上げるベルフェ。
私の側にいた侍女や使用人達も、信じられない光景に何も言えなかった。私はこの時まで、殿下と婚約を破棄したのは何か理由があってのことだろうと考えていたことに気づいた。それが全くの勘違いだったことも。プリシィはただ、殿下を見限っただけだったようだ。
更に足を踏み鳴らして、プリシィは以前こう言われた、ああ言われたと殿下に言われた言葉をいい連ねていく。それらの言葉は幼い娘にはあまりにも酷な言葉たちばかりで、私は自分の不甲斐なさにただ涙を流すしかなかった。
どれほど、プリシィが苦しんでいたか。
どれほど、プリシィが悲しんでいたか。
どれほど、プリシィが泣きたかったか。
どれほど……私達に相談したかっただろうか、と。
私達が毎度「どうだった? 楽しかった?」と聞くものだから、あの子は遠慮してしまったのだ。期待をかけすぎたのだ。殿下は完璧な御仁に見えていたのに。以前、陛下の前で見せたあの殿下こそ、本物だったのだ。
私は衝撃と共に心から憤った。
殿下に対しては勿論だが―――一番は、私に対して。
何も知らなかったこと。
何も気づけなかったこと。
本性を見抜けなかったこと。
ちゃんと二人の様子を見ていなかったこと。
殿下だからと安心してしまったこと。
私は誓った。
もう二度と、あの子をあんな風に泣かせない、と。
その思いを胸に、夫を見つめる。この人だって同じ思いであることは知っているのだから。
「陛下となら幸せになれるわ。陛下ならプリシィを幸せにしてくれるでしょう」
「……あいつに、プリシラをやれるか……ッ」
「殿下を好きだと言った時にも同じことを言ってたじゃありませんか」
「年齢も一回り以上違う! 陛下の評判にも傷が……」
娘をとられたくないからと様々な理由をつけようとする夫は可愛いが、今回は譲れない。
「陛下のことを話すあの子は幸せそうじゃありませんか。……殿下のことを話すときと違って」
今のあの子を見ていると、分かる。あの頃「楽しかったですわ、お母様」と笑っていたプリシィが嘘をついていた事が。陛下のことを話すときのプリシィは頬を紅潮させ、瞳を輝かせて話す。
「だから貴方。いいじゃありませんの。あの子が幸せそうなら、陛下の妻になっても。側室になっても頷いてあげましょう。嫌な言葉はあの子の耳にいれないよう、私達が守ってやりましょう。王妃様は……アリエルはあの子を可愛がってくれるでしょう。陛下の側室になっても、他国の王族達や過去の王達のように泥沼の戦いは起こりませんよ」
「…………………………アリエルか」
アリエルは現王妃だ。
側室のいない陛下のただ一人の后であり、正室であり、陛下の幼馴染であり、私の親友だ。プリシィが産まれてからあまり会える機会は減ったが、今でも手紙の交換は行っている。
少し天然なところもある見た目と同じ可愛らしい、いつまでたっても少女のような女性だ。男性だけではなく女性でも彼女を見ると、微笑ましくなってしまうような子なのに彼は何故かアリエルのことを話すと何とも言えない顔になって、私を見つめる。
「そうか、アリエルがいたな……」
疲れた様な顔になった夫に首を傾げる。
「……陛下がプリシラを側室にすることはないだろう」
そして突然、確信を持って言う夫に驚いた。陛下の側室にならないのであれば、息子と同じくらいの年齢になる婿に対して複雑な心情を持つことがなくなるので嬉しいが、何故これほど急に取り乱していた夫が普段のかっこいい毅然とした様子に戻ったのかは分からない。
「本心は後で聞く事にするがな……」
その一言を最後に、彼はもう陛下とプリシィのお茶会に関して反対する言葉を言う事はなくなった。
第五弾他者視点はお母様。
娘と婚約者のことに気づけなった事を大変悔いていらっしゃいます。
でも、プリシィの陛下への思いは恋愛じゃないよ(現在)。