愛はお金で買えますわ
お菓子は大変に美味しかった。
プリシラは心からその菓子を褒め、子爵もご満悦のように見える。
他国のお菓子を輸入したのだという彼に流石は乙女ゲーム攻略者の父であり商人、という思いを抱く。
「時に、プリシラ様。オール子爵など、実に他人行儀ですな。名前で呼んでは頂けませぬか」
「構いませんわ、ジャード様。母もそう呼んでいらっしゃいましたし、これでいかがかしら」
にっこりと答えると、ジャードはプリシラの顔をまじまじと見つめた。何か?と尋ねると、苦笑したような表情になった。
「……いやいや、中々。私は子爵家だから、名を呼べとお願いするなど無礼者と言われると思っておりましたよ。若しくは、お父上と交流するな、なんて」
「父と母のご友人に身分など。そのような下らないことは申しませんわ」
プリシラは鼻で笑って、お菓子をまた一つ口にした。甘い香りと味が口いっぱいに広がる。
「そもそも、生まれはどうにもならないことですわ。前世の善行が今の地位だと申しましたら、それまでですけれど、前世の事など覚えている方が珍しいですもの。まあそれも、前世などがございましたらのお話ですけれど」
前世を思い出したプリシラが特別なだけだ。
「父達がジャード様をご友人だと申されるのは、そのお人柄や能力を見てのことでしょう。それは当世のお力ですものね。ならば、わたくしも貴方様を名で呼ぶ事に抵抗などございませんわ」
プリシラからしたら当然の事だ。
父と母が友人だという彼に対して、敬意を表することなど当たり前の感情だ。
もし、ジャードに敬意を表しなかった場合、それはジャードと友人である父と母を蔑ろにし、侮辱していることと同じだ。
プリシラには出来ない相談である。
仮に彼らが友人だとスラム街の住人を連れてきたとしても、プリシラは敬意を表しただろう。
要するに、プリシラにとって重要なのは『父と母に有益な人物』であるという点だ。
お金、地位だけではない。心の支えとなる人であっても、プリシラはきちんと有益な人物として評価する。
友人だといえるような人物がそれに当てあまらないはずがない。
「―――ふふふ、ハハハハハ……ッ!!」
きょとん、とプリシラは突然笑い出したジャードを見る。何故急に笑い出したのだ、とプリシラが訝しく思うのと同時に彼は首を振って言った。
「随分、噂とは違うようだ」
「噂なんて所詮口に端に上っただけの空想論ですわ。利用する駒とはなりますけれど、人物に関する噂ほど当てにならないものはありませんわよ」
プリシラがお茶を口に含んだ時、ジャードは腹を抱えて笑っていた。
流石に人の屋敷内。
口を押さえて、笑い声は押し殺しているものの、笑うのは我慢していない。
「ふ、すまないな。わし……私の息子では力不足だと痛感しましたよ。息子には荷が重すぎる女性のようですな」
その言い方にプリシラは眉を上げて悪戯っぽく微笑んだ。
「まぁ、ジャード様。嫌ですわ。わたくし程、落としやすい女性も手のかからない女性もおりませんのに」
心外だと表情と身振りで示せば、ジャードはまた笑い出す。プリシラもその楽しげな笑い声に笑みを零す。冗談だと受け取ってくれたようだ。
だが、プリシラはそれなりに真実を口にしたつもりだ。
挙式も何もかも恐らく公爵家が取り仕切ることになるのだから、これほど夫側からすると楽な事はないという意味で。
乳母や家も公爵家が用意するだろうし、その他のお手伝いなども右に同じ。
更に言えば、たとえ権力闘争の末の愛のない結婚であってもプリシラは家にいれば満足なので、どうぞ愛人を作って自分の事は放っておいて構いません、とも言える。
愛人作り放題。
妻は何も言わず実家で悠々自適。
公爵家からの支援も受け放題。
夫にとって大変素敵な環境だとプリシラは思う。
ルシファーとの結婚が嫌なのは、アレは愛人が出来たとしたら、間違いなくプリシラを侮辱しに来るだろうからだ。
放っておいてくれるのであれば、家の為になる結婚であったら喜んでとは行かずとも頷けるだけの覚悟はある。もしのっぴきならない状況なら血を吐く思いでアレの元へ嫁ぐ程の覚悟だ。
「いやいや、まさか。貴方はポリマーのように純真無垢な容姿をしていながら、中身はネラと同じ様に頑固で情熱的なようですな」
優しげな表情で口にしたジャードの言葉に、そういえば、とプリシラは思い出した。
「ジャード様。宜しければ……両親の馴れ初めをご存知でしたら教えてくださいません? 聞き出そうとしてもはぐらかされてしまって」
「ポリマーなら教えてくれるのでは?」
「母は真っ赤になるだけで肝心の中身は母の頭の中だけで展開されてしまうのですわ。わたくしにはさっぱりですのよ」
人づてに聞きだすのはマナー違反だと分かっているものの、父は綺麗にはぐらかし、母は思い出に浸ってしまって分からない。
「ああ、成程。いいですよ、教えて差し上げましょう」
だからプリシラはジャードが嬉々とした様子で頷いてくれて、歓喜した。
恋物語、それも両親の恋物語はプリシラの興味を大いに惹くところであった。
それにジャード自身が格別話の上手い人だったのもプリシラにとってよかった。
両親の恋物語からジャードの身の上話、彼の他国で聞いたお話や他国で行った商談話などにも話が飛んでいく。
商人として身を立てているのは伊達や酔狂ではなく、その身一つで身を立てたのも納得できた。
ある程度話し終えて、ジャードはプリシラをじっと見つめた。
「プリシラ様、一つお聞きしたいことが」
「何でしょう?」
「―――お金で買えないものは存在すると思いますかな? 例えば、愛などはどうでしょう」
プリシラは唖然とした。
先程聞いていた様々な話ぶりや印象からすると、商人の持ち主だと感じていたジャードからの、突然の初恋の少女のような問いだ。誰だって驚く。
(そう言えば、ジャード様の息子って……とっても乙女チックな思考をしている人だったわね)
愛はお金で買えない、と思いたがっているマモン。
今発せられた問いはその息子の考えに非常に良く似ている。息子が息子なら父も同じだと言うことだろうか。むしろ、父親の影響で息子はあんな乙女チックな考えになったのだろうか。
そう思うものの、プリシラは真摯に答える事にした。
両親の旧友という点でも、両親の馴れ初めや彼の貴重な話を聞いたことに対しても、無碍には出来ない。
プリシラは紅茶を口に含んだ。
「そうですわね……」
老紳士の目を見て、微笑った。
「―――愛はお金で買えますわ」
「……ッ、な、なぜ……そう思われるのですかな」
「何故、など……。そもそもお金で買えないものなど基本存在しないでしょう。神様を買うなどという荒唐無稽なことを申されるならまた違いますが」
一旦、プリシラは言葉を切り、お茶を口にした。そしてもう一度口を開く。
「……愛もそうですわ。貴族の婚姻など、お金を出して愛せというようなもの。それを”偽りの愛”と言う者がいようと、それもまた愛の形の一つ。ジャード様もそうでしょう? ネックレスやお菓子を愛の象徴として売られることもございますでしょう?」
夢のない話だといわれるかもしれない。
それでもプリシラはそう思う。
ルシファーとの婚約もある意味、そういう売買に近いものがある。愛ではなく、権力や血筋、その歴史などの目に見えないものであるが。
利益と利益での結びつきだ。
利益が違えれば、簡単に終わる程度のもの。
愛がお金で買えないのであれば貴族での愛人は一体何なのか。側室とはなんなのか。そういう問題になってくる。
勿論、買えない愛がないとは言いきれない。母の愛はそう簡単に折れないこともある。これも人それぞれあるが。
だがそれは買える愛がないという意味ではないだろう。
買えるか買えないかという議題において愛は買う事が出来る代物だというだけだ。存在するか、しないかが議論ではないのなら、プリシラの答えは『愛は買える』である。
「では……プリシラ様はお金で買えないものはないはないとお考えということですかな」
渇いた笑みを浮かべつつ、ジャードが言うのをプリシラは慈愛の笑みを浮かべて首を振った。
「まさか。そのようなこと、わたくしは思いませんわ。ただ愛はお金で買える場合もあるということを言っただけですもの」
「ではプリシラ様はどんなものがお金で買えないとお考えで……?」
プリシラは少し考える素振りを見せた。
プリシラの考えは様々にあるし、別に教えても差し支えはないのだが、なぜこのジャードにそのようなことを一々教えなければならないのかとふと思う。
隣で眉を寄せて《シィが絆されかけてるの……! これは由々しき事態なの! どうしてこういう時に限ってカクタスお兄様もベルお兄様もいないの! 役立たずなのよ!》とぶつぶつ呟いているミューの意図を汲んでも構わないだろう。
「わたくしばかり答えていてつまらないですわ。ジャード様のお考えも教えてくださらないかしら」
口端をあげてプリシラはジャードを覗き込む。ね、と促せば彼は溜息をついた。
「―――……私個人の考えでは、一概に買えないものだ、とは申し上げられませんがね。根は商売人ですから」
「そうですの? そのようなこと仰っては奥様が悲しみに沈んでしまいますわ」
「買えない愛もありますよ。私はそういう愛を持って息子を愛しています」
「あら、奥様は?」
からかうつもりで言った答えは、ふ、という息と共に吐かれた。
「妻には毎日、恋をしておりますからな」
「ッ、まぁ……」
愛情の深さを感じる微笑は静かにジャードの顔に広がる。プリシラが思わず赤面してしまう様な笑みと科白だった。
キザだがその真摯な瞳がその科白が本気だと窺い知れる。プリシラはまた一組、彼女の理想の夫婦像を見つけ出した事を悟った。最上は勿論両親だ。それは変わらない。
「素敵、だわ。そのようなこと、誰もが言えるわけじゃありませんもの」
感嘆の溜息と共に憧れの眼差しをジャードに向ける。
「……少し恥ずかしい事を申しましたかな」
憮然とした顔付きが照れを隠しただけだろう。プリシラは気にすることなく、いいえ、と横に首を振る。
「私もそんな恋をしてみたいわ。深い愛情をお持ちなのは伝わってくるもの。素敵だわ、ジャード様」
「そのように言われると、私も嬉しいですが……今の言葉は妻には内密に。それから、ネラ達にも言わないでもらえますかな。恥ずかしいですし、からかわれるのも嫌ですからな」
はは、と頭を描きながら照れるジャードにプリシラは陛下とはまた違う胸の高鳴りを覚える。このようなしっかりとしたおじ様が奥様への愛を語って照れているというのも本当に何か趣を感じる。
「―――はい! 勿論ですわ、ジャード様。父達に言うような無粋な真似は致しませんわ。ですからこれからも、奥様について教えていただけたら嬉しいですわ」
「それが交換条件とは……私を羞恥心で殺す気ですかな」
「まさか! 私はジャード様とずっと仲良くしたいと思っていますのに。そのようなこと致しませんわ」
にっこりと笑って、プリシラはジャード様の手を取った。
しっかりと握って憧れと羨望の眼差しを贈る。
「私もジャード様のような素敵な殿方にお会いできるかしら。奥様にその秘訣をお聞きしたいわ」
「……つ、妻にですかな。会って頂けるなら、嬉しいですが……し、しかし」
「どのようなところでお会いになったの?」
「は」
「奥様とはどのような場所でお会いになったのですの? きっと素敵な出会いだったのでしょうね」
「ああいや、それほどは。まあ、洞窟で……」
「洞窟! 素敵だわ。物語に出てくるみたいね。夜ですの?」
「夜ではあったな……い、いや」
それからプリシラは父と母がベルフェゴールと兄を連れてくるまで延々と手を握ったまま、ジャードと現奥様との馴れ初めや恋模様を根掘り葉掘り聞きだした。
家族が来た時、ジャードは天の助けとばかりに目に涙を溜めながら輝かせ、それは嬉しそうに「ネラ! ポリマー!」と叫んだ。
帰宅する際のジャードは大層ぐったりした様子で、父は清々しい笑顔で「よくやった、プリシラ」と褒めた。プリシラは父が嬉しそうな理由はよくわからなかったものの、喜んでくれるなら別に良いかと何故嬉しそうなのかと聞くことはしなかった。
ベルフェゴールの様子を見に行っていて、プリシラとジャードの様子を知らないグレイスがプリシラに何があったのかと尋ねたところ。
「―――もう少しお聞きしたかったわ。素敵なお話だったのよ? 月光の中、洞窟で出会ったんですって。一晩そこで協力して過ごして屋敷へ戻ると、奥様との再会を果たしたんだそうよ。素敵よね、本当に。それで今でも毎日恋をなさっていて、愛情を注いでいらっしゃるんだそうよ。またお会いしたいわ」
不服そうにプリシラは唇を尖らせながら言う。だが、その頬は紅潮し楽しかったのはグレイスから見てもよく分かった。
《だから言ったの! シィは完全に絆されちゃったのよ! ミュミュはすっごくお冠なの! いやぁな男だったのよ! シィが興味を惹く話ばっかりして! ……ま、まあ、面白くなかったなんて言わないし、むしろ上手だったと褒めてやってもいいけど……だ、だからってミュミュのシィを誑かすやつなんで駄目駄目の駄目なのよ!》
そしてそんなプリシラの横で《ミュミュはぷんすこなのよー!》と怒っているのはプリシラの精霊天使だ。ソレルは「五分五分ってとこかな」などと訳の分からないことを言っていた。そんな三者三様の有様を見回したグレイスは一先ず、ジャードを敵認定することにしたようで、ミューに真顔で「敵ですね。分かります」と言って、ミューを大変喜ばせていた。
返り討ち!