ベルと一緒にお昼寝する会
ミューが家族に加わってわちゃわちゃと楽しい日々を過ごしていたある日。
「お客様にお会いして欲しいの」
期待に目を輝かせながら母は言い切った。
その力強い言い方は、プリシラが断る事など全く想定していない。
「お客様?」
プリシラは、突然部屋に乗り込んできた母の一言にきょとんと目を瞬かせた。
「ええ、そうよ。プリシィ、素敵な方よ。私も大好きだし、エビネラン様と私の古くからの友人で、とてもお世話になった方なのよ。カクタスは会ったことがあるけど、貴方とベルフェはお会いした事がないでしょう? 今度、その方が来るからお会いして欲しいのよ。実は以前お手紙を頂いていたんだけど、プリシィは少し旅行に出ていたでしょう? だから、言えなくて。駄目かしら、今度の週末に」
口早に言い募る母に必死さを感じる。
期待していたのはそのお客様に会える事だったようだ。プリシラは断るかもしれないと考えてはいたらしい。だが、プリシラの答えは言わずもがな。愛する家族の母が会わせたいと言っている人に、どうして会わないという選択肢が彼女にあるだろうか。
プリシラは微笑を浮かべた。
「勿論よ、お母様。私もお父様とお母様のお友達にお会いしてみたいわ」
二人の馴れ初めを聞けるかもしれない、と年頃の女の子に相応しい噂好きを発揮しつつ、プリシラは快く母のお願いに頷いた。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
廊下を進みながら、プリシラは侍従へ、ここ最近ずっと考えていた疑問を口にした。
「どんな方かしら、お父様とお母様の旧友って」
父に聞くと口元を引き攣らせ強張った笑顔で「毒牙にかかるな、プリシラ」と謎の言葉を貰った。
母と違い、どうも父はその旧友によい想いを抱いていないようだ、と思ったプリシラは母の言っていた印象とは違う、ともう一度母にその旧友の事を聞きに行った。
その結果、母には「本当に素敵な男性よ。エビネラン様がいらっしゃらなかったら、きっとあの方に恋をしていただろうって思うくらいに」と何とも衝撃的な告白をされた。
その時の母は頬を紅潮させ、たいへんに可愛らしかった、とプリシラは侍従に語る。
「旦那様達の馴れ初めをお尋ね出来る様な方だとよろしいですね、プリシラ様」
グレイスはプリシラの意を汲んで和やかに笑う。
《そうなの! 今日もとってもシィが可愛いから世界は今日も平和なの》
「素敵な褒め言葉ありがとう、ミュー。貴方の可愛らしさも天元突破。本物の天使も貴方の可愛らしさの前では恥ずかしがって隠れてしまうわね」
《ふ、ふにゅぅ~、シィのせりふはすごーく一直線で物凄く照れるの……ミュミュもシィを照れさせてみたいの!》
「本当のことなんだから照れる必要なんてないじゃないの」
《にゅぅぅぅ!!》
プシュゥ、と湯気が立つような顔になったミューはプリシラの頭の上で手足をバタバタさせた。
一緒に羽根もぱたぱた動かしている。
「……いや、その脈絡のない会話っぷりに突っ込みましょうよ。ミュミュ様のお嬢様好きも磨きがかかってきましたね……これもカクタス様の影響か……」
ソレルは呆れたような風で瞳に怯えを走らせるという器用なことをしている。
それを横目に再びプリシラは「どんな方かしら」と呟く。
「もう後数分でお会いするんですから、別にいいじゃないですか」
「それもそうね。ミューは出てきちゃ駄目よ? 他の人に貴方の愛らしい姿を見せる必要なんてないわ」
《分かってるの! ミュミュは出てこないの!》
頷く天使精霊を確認する。
話し合いの末に家族となることになったミューではあるが他人に言えるかというと彼女が降って沸いたようなものであるからして、そうおおっぴらには出来ない。
そして、プリシラ自身まだミューを他の誰かに紹介するつもりなど毛頭なかった。
その存在を知られたくなかったし、何より一番の理由とするとミューを誰か他人に見せた場合、ミューとの時間を割かれるのではないかと危惧したのだ。
そういうわけで、ミューは限られた人にだけ見える姿でプリシラの側にいる。
出来る限り、人間に見えるようにと歩いて移動するようにしている彼女だったが、まだ慣れないらしく時々面倒だということを漏らしていた。
ぴょこぴょこ歩く姿に胸を打たれながら、プリシラは自然体で部屋へ足を踏み入れた。
部屋の中央に父ともう一人―――壮年の男性がいた。
白髪を後ろに撫で付けた紳士だ。
柔和な顔つきには皺が刻み込まれているものの、す、と伸びた背筋は父と同じだと聞いていた年齢よりもずっと若いように見える。表情にあった柔らかな雰囲気はこちらの緊張を解す作用があるようだった。
小さな丸眼鏡から見える双眸がプリシラに向き、笑みを描いた。
「―――おや、これは」
「……ぐっ、プリシラ……」
「はい、お父様。今参りました」
父が酷く悔しげな顔になっているのを不思議に思いながら、プリシラは優雅にお辞儀した。先程まで随分和やかな会話をしているようだったのに。
「初めまして。プリシラ・シャマーラと申します。貴方様は父と母のご友人、でしょうか」
顔を上げて尋ねれば、その男性は目を細めてお辞儀を返した。
「初めまして、プリシラ様。私はジャード・オールと申します。貴方のお父上やお母上とは確かに旧知の仲ではございますが……私はつい最近子爵家となったばかり。公爵家のプリシラ様に敬意を払っていただくような身分ではございませんよ」
恥ずかしそうに笑う彼にプリシラは好感を持つ。この様子なら父と母の馴れ初めも聞き出せるかもしれない、とプリシラは期待した。
父と母、二人の友人と言うからには元々嫌な先入観は持っていなかったプリシラだったが、子爵家になったばかりと聞かされ、驚いた。
大概の子爵家の者達など、プリシラと関わるのもゴメンとばかりに遠巻きにしているか、もしくは公爵家と繋ぎをとろうと近づいてくる者達か、だ。
それなのに両親は友人と呼べる関係を子爵という身分のものと築いているとは。
(あら、待って……?)
子爵にもつい最近ということはそれ以下の身分だったというとだ。
そのことに思い当たり、更にプリシラは驚く。
そこまで父と母は交流が広いのか、と両親への畏敬の念を強める。平民と繋がり、友人という関係を築くなど、嫌われているプリシラでは無理な話だ。さすがお父様とお母様だわ、とプリシラは思う。
オール子爵が、プリシラの前で父を立てたため、交流を持ってもよいとプリシラは思った。ので、プリシラは微笑んだ。
「とんでもございません、オール子爵。母から父の旧友とお聞きしておりますわ。母とも友人だと。両親、双方の旧友であるのなら私にとっても尊敬できるお方ですわ」
オール子爵は驚いた顔になっている。
何か変な事を言ったかしら、とプリシラが父を見ると苦虫を潰したような顔になっている父と眼が合った。
父は何か葛藤する顔つきになり――それも数瞬のことだ――無理に笑顔を浮かべた。酷く笑顔が歪んでいる。
「ジャードは、そう、だな、まぁ、アレだ。それなりに、だな。ともだ、仲が……付き合いがある奴ではある」
父はどうしても彼と仲がいいと娘に言いたくないようだ。
プリシラは父の苦悶の表情からそれを読み取った。それに対して、オール子爵は何も反論することはなかった。彼も父には複雑な気持ちでも持っているのだろうかと思うが読み取れない。
すると、プリシラが観察している様子を笑みで受け止めていたオール子爵が何かに気づいた顔をした。
「ああ、そうでした。……プリシラ嬢には以前、息子がお世話になったそうですな。あの馬鹿息子が申し訳ない。まだまだ未熟者でして」
眉を下げ申し訳なさそうに口にされた言葉にプリシラは自然、首を傾げる事になった。
老紳士の息子など彼女に思い当たるものなどいない。
「ご子息、ですか? 私には子爵家の者に知り合いなどおりませんが……失礼ですが、勘違いではございませんかしら?」
プリシラと繋ぎを取りたいと思っている者など大勢いる。
そういう中で、同年代の者達がプリシラと仲がいいのだと偽って親に報告する事も多くあった。
基本人と関わらないプリシラはその言を申す愚か者達は選別などすることなく、切り捨てていた。だから勘違いや誤解は起こらない。
父達の友人だというこの紳士は、その優しさ故に息子の言葉を素直に信じてしまったのだろうとプリシラは僅かに気の毒に思いながら、答えた。父と母の友人に間違いを指摘する事が心苦しい。
「ふ、私の息子をご存じないと?」
だがオール子爵は別段気分を害した様子はなく、それどころか失笑した。ぴくぴくと口の端が動いている。
「マーモナス・オール、お聞き覚えは? 以前、お会いしたと本人から聞いていたのですが、もしや私は嘘をつかれていたのですかな」
「マーモナス・オール……」
呟いて思い出そうと右手を頬に持ってくる。
この紳士と似た同年代の異性を見たことがあっただろうか、と目の前のオール子爵を観察する。こざっぱりとした服装が均整のとれた身体に非常に似合っている。
子爵家だというがとても趣味のよい御仁だ。こんなよい趣味を持っている同年代男子をプリシラは全く思いつかなかった。しいていうのなら、陛下だが流石にそれはない。
つんつん、とプリシラの服の裾を引っ張るものがいた。そちらへ自然な様子で視線を向けると、ミューが《伝言なの》と口パクで伝えてくる。テレパシー能力を使えばいいのに、それを思いつかないミューってば本当に可愛いわぁ、とプリシラは微笑ましく思う。
《ソレルとグレイスからなの。―――『強欲』のマモンのことじゃないのかって言ってたの。シィは意味が分かるのよ?》
「ああ!」
自分の分からない人物の話が出たからだろう、少し拗ねたような表情を見せたミューの言った内容に手を叩いた。
「思い出しましたわ。わたくしにとって実に急務の大切な用事がございましたのにお引止めになったり、趣味の悪い飾りを見せられたり。あの時はとても不愉快な想いを致しましたわ。確かにあの方のお父上はわたくしの父と旧友だと聞き及んでいましたけれど……オール子爵様のような紳士と全く結びつきませんでしたの。申し訳ありませんわ」
「いやいや。私を紳士だなど―――身に余る光栄というべきでしょう。それに息子はあのような見目ですから、少しは女性に関する苦労をした方がよろしいのですよ」
悪戯っぽく片目を瞑ったオール子爵にプリシラもまた失笑してしまう。
和やかな空気が二人の間に流れた時、そこにぼそりと小さく怨みの詰まった声がした。
「誰が紳士だ。こんっの詐欺師が!」
「はは。人聞きの悪い事を言わないでくれ、ネラ」
「おい、やめろ。その話し方、気持ちの悪い。虫唾が走るぞ。妻だけじゃなく娘まで誑かそうとするなら、息子を引っ張り出して真っ向から受けて立つ」
いつも穏やかな父が珍しいほどに苛立っている。プリシラは困惑して服の裾を掴んでくれているミューを見た。ミューもまたプリシラを見上げて声を送ってくる。
《この男、なんだか嫌な感じがするの。シィは近づいちゃ駄目なのよ! ミュミュはこの男嫌いなのよ!》
《お父様とお母様の旧友よ? 邪険に出来ないわ》
《でもミュミュはシィに近づいて欲しくないの!》
駄々を捏ねるように言い始めたミューに更にプリシラは困惑した。
見た感じ、変な人ではなさそうだ。
むしろ、とても紳士的で楽しそうな方だと思う。そして父の新たな一面を見れることも評価点として高い。
それなのにプリシラの大好きな人の内、二人が大きく嫌悪している事態は理解しがたいことだ。
「―――ジャード様!」
そこに明るい朗らかな声が響いた。
母、ポリマーが頬を紅潮させて部屋に入ってきた。
飛び込んでくるような幼い真似はしなかったものの、彼女の足は早足だ。
プリシラは母の少女である部分を垣間見る事が出来て更に得をした気分になる。父だけではなく、母の新たな一面を見れたことが嬉しい。これだけでも、プリシラからオール子爵への評価はうなぎ登りだ。
オール子爵の下へ駆け寄るようにして辿り着いた母は、僅かに乱れた息を整えてプリシラよりも更に優雅な礼を笑顔と共に行った。
「ポリマー! 元気そうだね」
「ええ、ジャード様こそ。相変わらず素敵で……娘との自己紹介は終わられましたか? 申し訳ありません、娘をご覧にいれるのが遅くなってしまって」
「いやいや。こちらこそ、忙しくてね。こちらに来る機会も取る事が出来なかったのだよ。貴方に似て美しいお嬢さんだね」
「まぁ、ありがとうございますわ」
頬を染めて照れ笑いする母を見ながら、父が警戒心を露に母の腰を抱いた。
それに気づいた母もまたしょうがない人ね、というような笑みを浮かべている。
凄く露骨な嫉妬心にプリシラは感動した。
三人の子供がいようとも母への愛を忘れぬ父とその愛を受け入れる母。こういう二人のような夫婦関係はプリシラにとって理想の一つだ。
「それで……君のもう一人の息子さんは?」
「ベルフェゴールは鍛錬をしていますわ。最近、更にのめりこむ様になっていて……心配しているのですけど」
憂慮の情を滲ませて母が溜息を吐く。
後ろのグレイスに目配せをすると心得たと一礼をして部屋を出て行った。
《何したのよ? シィ、今何したのよ??》
《グレイスにベルの様子を見に行ってって言ったのよ。最近、ベルって何だか凄く頑張りすぎてるのよね。どうしてかしら。それに大好きな魔法の研究も植物の研究もあまりしていないみたいだし……》
ベルフェゴールが剣の鍛錬に打ち込んでいることはプリシラも知っている。
ただ、あまりにもそちらに意識を裂きすぎている気もしていた。
植物や魔法の研究を疎かにし始めているのだ。だがプリシラとのお茶会やお話の時間は確保してくれているため、あまり強く言えないでいた。お茶会やお話の時間は減らしたくない。
《シィ、ミュミュすっごい良い提案思いついたの!》
《あら、なあに?》
《ベルと一緒にお昼寝する会を開けばいいの! そうすれば、シィはベルと一緒にいられて、ミュミュもシィと一緒にいられて、ベルもシィと一緒にいられて、ベルはちゃーんと寝られるの!》
プリシラはあまりに天才的なミューの提案に言葉を失った。
《どう? どう? ミュミュの考え、すごい??》
完璧な計画だ。
一石で二鳥も三鳥どころか倍以上の利益がある。主にプリシラに。
プリシラは即座にその考えを採用する事にした。
《最高だわ、ミュー。その計画、明日にでも実行に移すわよ。ご褒美に好きなだけ、今夜はフルートを弾くわ》
《わーい、なの!》
足の周りをくるくると飛び跳ねるミューを下目にプリシラは先程から微笑したまま大人達の話を聞いていた。
話し合いが終わり、プリシラは暫くオール子爵と話をする事になった。
どうしてそういう会話の流れになったのかは大切なベルフェゴールへの完璧お昼寝計画を精霊天使なミューと話していたプリシラは全く聞いていなかった。
「じゃあ、先ずは……私の持ってきたお菓子でも食べながら話をしましょう」
オール子爵の言葉にプリシラは「楽しみですわ」と答えた。




