ミュミュはシィのこと好きなの
屋敷に帰ってから、プリシラはミューを膝に乗せて椅子へ座った。絹のような手触りの髪を触りながら尋ねる。すり抜けることなく、触れる事のをみると実体はあるようだ。
「それで。ミュー。貴女って……何が出来るの?」
《んー。ミュミュは凄い精霊なの。だからミュミュは大体何でも出来るの。シィが力をくれたら、ミュミュは大抵のことは何でも出来るの》
えっへん!と胸をはる彼女にグレイスがなんともいえない顔で見ている。あれは笑うのを我慢している顔だ。桃色の天使は、どう見ても愛らしく可愛らしく頬を緩ませる生き物だ。顔が崩れるのを我慢するのは並大抵のことではない。ただ、今考えるべきことは別だ。
「どうやってお父様達に説明しようかしら」
そこが問題だ。
言わないという選択肢はプリシラには無い。何でも相談するという約束を父としたのである。
勿論、精霊の事も相談するつもりだ。
そもそもミューと契約しようと決めたのは、精霊と契約したなどという歴史的に名を刻むだろう偉業を成し遂げたのなら、家へ帰れるとふんだからだ。家族へ相談するという名目が立つ。しかし、ミューの説明や今後の事を考えるとプリシラとしては精霊と契約していることも、精霊が存在することも、隠しておきたい。どうせヒロインが来れば皆が知ることになるのだから、今プリシラが悪目立ちすることはない。それはヒロインの役目だ。
その後にでも、プリシラが精霊契約をしたと発表してもいいだろう。一人目より二人目の方が悪目立ちしないのは確実だ。何事も一人目が一番辛い役目になるのだから、プリシラがする必要はない。
だが、そこも含めてきちんと幾つかの案を考えてから説明しなければ、ただの馬鹿だ。
プリシラは精霊の存在を知っていたが、父達は存在することもあまり信じていないのだから、寝耳に水どころか、驚きに顎が外れるかもしれない。
「……俺に一つ、案がありますけど」
「あら素敵。さすがソレルだわ。ならそれにしましょう。お父様に言うことはソレルが考えてくれるから、グレイス、貴女は今すぐ出立の準備をなさい。帰るわよ」
プリシラはミューを抱えて、立ち上がった。ミューは《どこか別のところに行くのっ!? ミュミュ、楽しみっ!》とにこにこしている。この土地から離れる事に忌避感はないようで安心した。駄々を捏ねられたら置いていかなければならなくなったところだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! まだ提案の内容を全く言ってませんよっ!?」
「いいのよ。案さえあれば。貴方が言ったんだから、それなりにいい案なのでしょうし。信頼してるから―――それに私、早くベル達に会いたいのよ。もう限界」
ソレルがプリシラへ提案する事でくだらないことを口にする訳がない。その信頼に任せて言い切れば、ソレルは呆れたと言わんばかりに苦笑した。
「……はぁ、お嬢様……最後のが本音でしょう……」
「全部本音よ」
はっきりと言えば、抱いていたミューが瞳を輝かせた。
《シィ、かっこいいっ!》
「ありがとう、ミュー。貴女はとても可愛らしいわ」
《きゃー! ありがとーなのっ!》
真っ赤になって嬉しそうに笑う天使。さすが天使、とプリシラは心で呟いた。行う動作全てが愛くるしい。
「……あの、その提案の件で精霊様にお聞きしておきたい事がありまして……」
遠慮がちに腕にいるミューをちらちらと見ながら、ソレルが言った。
「え? 何を聞きたいのよ」
「出来ればお嬢様、精霊様と二人だけにして頂けませんか」
真剣な表情に何か大事な確認なのだろう、と当たりをつける。
《むぅ……ミュミュはシィの音楽が聴きたいの……お腹すいたの……》
頬を膨らませて唇を尖らせるミューにプリシラは、よくベルフェゴールにするように額へ口づけた。
「後でたっぷりあげるわ。だから今は私の従者の話を聞いてあげてちょうだい」
《―――ッ、し、仕方ないの! ミュミュはシィのこと好きなの。だから、シィのために聞いてあげるの。こいつのためじゃないの! シィは勘違いしちゃ駄目なの!》
ツンツンしているのか、それともデレられているのか、よく分からないその科白が、全てにおいて可愛らしいことは間違いない。
「いいわ。私はグレイスが荷物を片付けているのを見てるから、ここにいていいわよ。じゃあ、話が終わったら呼びにきてちょうだい」
二人を部屋に残してグレイスの元へと足を運んだ。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
《シィー! 話は終わったの!》
「おかえりなさい、ミュー」
《シィの従者はなかなかの奴なの。ミュミュは認めてあげたの》
むふふーとプリシラのお腹へ突撃したミューを受け止めて、その後に入ってきたソレルへ視線をやる。すぐに彼は気がつき、苦笑をして軽く頷いた。どうやら話し合いは上手くいったらしい。その内容を尋ねる事はない。二人が話してくれる気になったら、教えてもらえばいい。
「で、そっちは……殆ど終わったようですね……」
荷造りを手伝おうとして部屋を見回したソレルは、途中で口を閉じた。
「数日前から準備しておりましたので」
彼女の得意技、女の直感という奴である。大変重宝している能力はプリシラの出立を早める事となった。
屋敷の方へは帰る旨を書いた手紙を、先に送った。
明日の朝、それも早くに出立する事になり、そのことを屋敷の者達に伝えたところ、今夜は夜通し屋敷の周りの者達を巻き込んでのパーティーとなった。ミューは美味しい音楽がいっぱい食べられる、とそれはもう大喜びしている。
「洞窟の中から出なかったのね」
不思議に思ったプリシラが尋ねれば、ミューはこくんと頷いた。
《ミューはあそこから出られなかったの。そういう決まりだったの。音楽は聴こえるけど、直接力に出来るのは、それだとちょこっとだけなの。直接力を貰うには、あの洞窟で弾いてもらわないと駄目だったの》
だからお腹いっぱいになれなかったの、と悲しそうに言うミューをプリシラは哀れに思った。お腹がずっと空きっぱなしは辛い事だ。
「なら今日は遠慮せず、沢山食べたらいいわ。私もミューのために頑張って弾くわね」
《ホントッ!? シィが一番ミュミュの力になるの! シィの食べたら、ミュミュはすごーく力を貰えるの!》
部屋をぱたぱたと羽根を動かした天使が喜んでいるのをプリシラは微笑ましく見守った。ソレルに指示を出し、フルートを受け取る。ミューがこてんとそれを見て、首をかしげた。
《? 夜ご飯がお祭りじゃなかったのよ? ミュミュ、そう聞いたの》
「一先ず、夕飯前にお腹に少し入れておくってことで、ミューは私の演奏を味わいなさい」
《―――ッ! シィ大好きーー!》
「当然ね」
そんなやり取りの後、プリシラはミューのための演奏を開始した。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
夕飯時のお祭り―――お別れパーティ―――は、盛況の内に幕を閉じた。他の者達にミューが見えないようにしておいて、ミューは歌い声や拍手などの音の間を、羽根を使って飛び回り、飛食しながら楽しんでいた。
ここで『下手』の基準をミューが教えてくれた事によって、一つの謎が解明される事になる。
ここにいる彼らの上手い下手の基準についての謎だ。彼らはミューに影響されているためか、音の力(もしくは想い)を感じているらしい。
音楽が好きであれば、彼らは下手でも一向に構わない。彼らが音楽から味わっているのは『音』ではなく『想い』のようなものだからだ。
好きという感情はどんなものでも心地よい。しかし、逆に嫌いだと思って奏でられるとそれは不快になる。
殺された吟遊詩人の話をミューにしたところ、彼女は納得顔で頷いた。
《その人は覚えてるの。前の契約者と同じ、ぎんゆーしじんだったの。演奏は上手だったの。でも、凄く音楽を嫌ってたの。ミュミュは文芸の精霊だから分かるの。あれは憎んでいたの。でも生活のために演奏していたの。だからとても不快だったの》
つまり、とプリシラは耳を押さえながら「へーたーくそがー!」とろれつの回っていないおじ様達が赤ら顔で叫んでいる相手―――音痴なのに大音量歌っている―――を見た。彼はとても楽しそうに歌う。音楽が好き、というのが全身で出ている。ここにいる人達はそういう思いを感じて、下手だろうと気にならないということか。プリシラ達と違って、音を音と感じずにそれに宿る思いを感じるから不快ではない、と。
プリシラは精霊の力の凄さを思う。ここにいる者達は普通の人間だ。その普通の人間達にそんな特殊能力を存在するだけで与えるとは。
ふと、プリシラは思った。
―――私がミューをここから連れ出して……ここに影響は無いのかしら……?
存在するだけでこんな力を人間達に与える精霊だ。その精霊を連れ出して、ここに変な影響がないのだろうか。
ちょっと嫌な想像をしてしまったプリシラは、頭を振ってその考えを振り払った。
仕方がない。
ミュミュが選んだのはプリシラであって、ここに住む者達ではない。深い事は屋敷に帰って、ベル不足、お兄様不足を解消してからお父様かお母様の膝の上で相談しながら考える事にしよう。
プリシラは精霊の影響について考える事を放棄した。
翌日の早朝。
家族が待っている屋敷へ走らせる馬車の中で―――プリシラは兎のぬいぐるみを抱いて眠った。
はい。またここで、とりあえず完結します。
お付き合いくださって本当にありがとうございます。
新たな仲間ミュミュを加えて、プリシラは家族の元に急ぎます。
まだ学園に入らない。
陛下との絡みがこの後待っていますからね。
それが終われば漸く学園入学予定です。




