プリシラ様可愛い!
家族との触れ合いがなく、苛々していたプリシラは祈祷師が言った『別荘に行けば邪気が少しは祓われる』という言葉が全くの無意味だった事を知って荒れた。
他の攻略対象者にこれ以上会わないようにお祓いしてもらって、邪気を払う為と言われてここに来たのに、結局プリシラは『憤怒』のサタンに出会ったのだ。これが憤らなくていつ憤るのよ、とプリシラはパン生地をまな板に叩きつけた。
怒りが収まらないプリシラにグレイスが見つけてくれたストレス発散方法だ。パンの生地を作った際に空気を抜く時にまな板に叩きつける。美味しいパンも出来て、ストレスも発散出来て、一石二鳥です、とグレイスは言っていた。確かに運動にはなる。だが、それと同時に胸にこみ上げてくるものがプリシラの眼を直撃した。
「……うぅ……う~~……」
プリシラは涙が溢れてきたのを拭った。
声をあげてしゃくり泣く。
「お嬢様っ!」
「プリシラ様っ!」
「ソレルぅ~、グレイスぅ~……」
二人は、パン生地を抱えて床に座り込み、突然泣き出したプリシラの背をおろおろしながら撫でてくれる。
プリシラは自分がどうして泣いているのかよく分からない。
なんだか寂しくて家族が恋しくて堪らなくなったのだ。
自分のためを思って家族がここにプリシラを置いていったのだから、と思って我慢していた。それなのに、それが全くの無意味だった事を知って、プリシラの中の何かがぷつりと切れてしまった。
我慢していて発散出来ず、燻っていた感情がパン作りの中で解放されて涙として外に現れ出た。
「お嬢様、大丈夫ですよ。元々別に呪われてなんていませんから!」
「そうです! プリシラ様っ! プリシラ様は皆を率いる女神様です! それより楽しいことを考えましょう! 帰ったら何をしますか? カクタス様に何をして頂きましょうかっ!!」
「そうですよ、お嬢様! ベルフェゴール様にもお願いしてみることを考えてください!」
「ベルとお兄様にお願いする事……」
次々と出てくる涙を拭いながら、プリシラは二人の言葉を繰り返した。そうです、と二人が口を揃えて言うのを聞いて、プリシラは声を出した。
「…………お、お兄様に」
プリシラは大好きな兄を思い浮かべる。
あったかくて優しい兄。青灰色の瞳はお父様と同じで、一見冷たくも見えるのにプリシラに注がれる視線はいつだって優しく甘い。視線で愛されているのだと感じるから、プリシラはあの瞳が好きだった。兄の瞳にプリシラが映るのを間近で見るのが好きだから、抱き上げられるのが大好きだ。
「添い寝してもらいたい……一緒に、ベルも」
13歳までなって幼すぎると思うが、今プリシラはとても甘えたかった。
ベルフェゴールを抱き枕に眠りたい。ベルフェゴールの匂いがプリシラは好きだった。兄や父、母の匂いも大好きだが、皆安心する匂いだった。ベルフェゴールの匂いはプリシラ好みなのだ。ずっと嗅いでいても飽きない匂い。安心する匂いと好みの匂いは違うのだ、とプリシラはベルフェゴールから学んだ。
「大丈夫です! カクタス様ならきっとして下さいます!」
「ベルフェゴール様もお嬢様のお願いなら聞いてくれるでしょうから、帰ったらお願いしましょう」
「お兄様に、ぎゅーってしてもらって……ベルを私がぎゅーってして……三人で寝るの」
川の字だ。兄弟サンドでプリシラは具だ。具になって、大好きなパンに挟まれて寝る。
安心する匂いに包まれて、大好きな匂いを吸い込んでプリシラは夢の世界へ旅立ちたい。
「素敵です! プリシラ様可愛い! きっと楽しいですよ!」
「……お母様とお父様とも一緒に寝たいわ」
「旦那様も奥様もプリシラ様がお願いすれば大抵の事は叶えてくれると思いますから、それも問題ないでしょう」
何を言っても肯定してくれる二人に、プリシラはもう一つ『お願い』を口にした。
「ソレルとグレイスと一緒に街にお買い物に行きたい。主従じゃなくて……友達として」
「「え」」
二人して止まった肯定にプリシラは勢いよく立ち上がった。二人が立ち上がったプリシラを見上げる。涙で濡れた瞳で恥ずかしさを誤魔化すためにプリシラは二人を睨みつけた。
「二人と一緒に街でお買い物するの! いろいろな所に買い食いとか、冷やかしとかして遊ぶの!」
「う、いや、でも……お嬢様、それは」
「やりたいこと言えって言ったわ!」
「『それはそうですけど、プリシラ様それはその』」
おろおろと言葉を紡ぐ二人を見せられたプリシラは再び目の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じて、唇を噛んだ。
「何よ! 嫌なわけ!?」
「「いえそんなことないです!!」」
「じゃ、じゃあ、いいじゃない! 私からお父様にお願いするわ!」
ええ!と声を上げるのをプリシラは耳を塞いで「聞かない!」とアピールする。プリシラは二人と主従なく、話してみたかったのだ。敬語ではなく、タメ口を試してみたいと思っていた。
友達のいないプリシラは、少しだけ『友達』関係に憧れがあった。気に入らない友人は必要ないが、やったことのないことに憧れるのはプリシラのせいではない。自然の摂理だ。
二人が呆れたような苦笑を零したのを見て、プリシラは耳を離して言った。
「楽しみだわ!」
何時の間にか涙は流れていなかった。ソレルとグレイスが「そう嬉しそうな笑顔で言われると……」と零していたのを聞いて、プリシラは自分が笑っている事を自覚した。