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これはある意味新種の生き物

 乗馬と音楽。

 それがここに来てから、プリシラの日課に組み込まれた。一週間以上が過ぎれば人前で演奏する忌避感も随分と無くなるものだ。毎日数時間、請われて弾かされることになるのだから、慣れる。

 好んでいるのは、乗馬で行った湖の前で演奏する事だ。風に乗って家族の下へプリシラの音が届く事を願って吹く。そうすれば彼女の家族を恋しがる気持ちは慰められる。

 今日もまた、フルートを弾くためにプリシラは従者と侍女を従えて湖まで来ていた。


「……」


 プリシラは踵を返す。


「お嬢様、あの」

「黙りなさい、ソレル」

「プリシラ様、あの」

「黙りなさい、グレイス。帰るわよ」

「いやでも流石に子供を見捨てるのはちょっと!」

「何でもないの! 湖の側でマント羽織って倒れてる子供なんていないのよ! 私達には見えない!」

「見えてるじゃないですかっ!」


 見なかった事にしたかったのだ。

 ソレルの叫びに、プリシラは、ぐぅ、と湖の縁に倒れている物を見た。子供だ。それも、マントを羽織る子供。どう考えても厄介なことに巻き込まれるフラグにしか思えない。


「……死体かもしれないじゃない」

「さっき動くところ見ましたよね?」


 指先が動くのを見ていたのか、とプリシラはソレルを見る。ソレルもプリシラを見る。風が悲しげに吹いた。お互いに見つめあい、最終的にプリシラが溜息をついた。プリシラの負けだ。だから。


「人道的に間違った道を歩もうとしているのは否定しないけど。こんなところで倒れているこんな面倒そうな子供、私は関わり合いになりたくないわ。帰るのが賢明よ」


 真面目に議論を始める事にした。問答無用で帰ろうとしたのは失敗だった。人を説得するのは、強引にではなく論理的に合理的に解くべきだったのだ。


「プリシラ様、その態度、いっそ潔いです」

「ありがとう、グレイス」

「褒めてないですからねっ!? じゃあ、こうしましょう。どうせお腹がすいて動かないのが原因なので、サンドウィッチをあげて立ち去る、これでどうですか?」

「サンドウィッチだとっ!?」


 ソレルの提案を否定する前に子供が跳び起きて叫んだ。プリシラは顔を顰め、ソレルとグレイスは驚きに口を開けた。厄介な事になった、とプリシラはグレイスに聞かずとも直感する。グレイスが助けたほうがいいですよ、と言わなかったのだから、プリシラ達が見捨てても子供は元気に生き延びたに違いないというのに。その証拠に彼は元気に叫んでいる。


「我にサンドウィッチをくれると言うたのだな! おぬし! 我は聞いたぞ!」

「ソレル、グレイス。やっぱり帰るわよ。今日は屋敷でゆっくりしたい気分になったの」

「おい! ちょ、ま――――待てっ、ちょ、待ってって、待つのだ――――! な、なんでもするぞっ!」

「えっ? 何でもするの? 嬉しいわ。何してもらおうかしら。二人も考えたらいいわよ。命令するのって楽しいから」


 子供の『なんでもする』発言にプリシラは笑顔で振り向いた。


「悪魔か!」


 子供に叫ばれる。失礼な奴だ。

 兄にはよく「天使より天使だな」と言われてプリシラの天使、ベルフェゴールもそれに賛同してくれるというのに、悪魔だなんて、とプリシラは子供を見下した。ちょうどベルフェゴールと同じくらいの年齢に見える。髪も目も紫の変な子供だ。


「ふ、そ、それで……我にサンドウィッチを献上したいそうだな、おぬしら」

「いいえ? あげないわ。貴方にサンドウィッチをあげて、グレイスとソレルのお腹が午後に空いたらどうするのよ」


 立ち上がり仁王立ちで腕を組んだ子供にプリシラは首を振った。見も知らぬ元気そうな子供と、グレイスとソレルでは勿論、後者に軍配が上がる。そして、この子供ではプリシラにサンドウィッチをあげた見返りをくれそうにない。プリシラには、彼にサンドウィッチをタダでくれてやるつもりなど毛頭ない。


「自分のをあげる気は全くないところがお嬢様らしいですね」

「ありがとう、ソレル」

「それは褒めておるのかっ!?」

「煩いわ、子供」

「我は子供ではない! おぬしこそ子供であろう!」

「そうよ。私は子供よ。だから何。……それで? ここで何をしていたの? サンドウィッチが欲しいの? お腹が空いてるの? どこかに行くつもりなの?」

「ええい! 次々と言うでないぞ! サンドウィッチは欲しい! 我はお腹が空いておるのだ!」

「……はぁ、仕方ないわね、グレイス。ソレルのサンドウィッチを一つ上げなさい」

「かしこまりました」


 きゃんきゃん吼える犬のようだ、とプリシラは思いながらソレルが敷いた敷布の上へ座った。屋敷へ帰ることはこの謎の子供の話を聞いてからだ。ソレルがお腹を空かせるのはプリシラからすると問題だが、一つくらいならソレルの意思を組んであげてやってもいい。

ソレルは自分のサンドウィッチが一つ無くなるのを黙ってみていた。言いだしっぺの法則はこちらでも当てはまる。彼はそれをしっかりと自覚しているのだ。


「ほら、食べなさいな。子供」

「ぐ……ッ! 我は子供などではないっ! 偉大なる者であるぞ!」


 あっ……察し。

 胸を張って子供が言った科白に、


「……まぁ、そうなの……じゃあ、その、偉大なる者の貴方には、わたくしが憐れみ、ではなくて、どうじょ、でもなくて……敬意を表してこのサンドウィッチを差し上げますわ」


 プリシラは同情と憐れみを持って答えた。どうやら、彼はこの歳で既に別世界で言うところの一生治らない病になってしまっているらしい。初めて見た、とプリシラは思い、これはある意味新種の生き物としてベルフェゴールや兄に話せるのではないか、と生温い気持ちになる。

 喜んでくれるかは微妙だ。


「な、なんだ……っ!? 素直にサンドウィッチをくれたのに、その腹の立つ眼は……!」


 中々に察しのよい子供である。


「サンドウィッチをくれた相手に腹が立つなんてどういう神経してるのよ」

「ぐっ……!」


 プリシラの正論に反論出来ず、悔しそうな顔をした彼は、グレイスの手からサンドウィッチを引ったくり、がつがつと食べ始めた。プリシラはその横で優雅にお昼を済ませる。

 一つしかあげていないので、子供は直ぐに食べ終わった。バスケットから覗いている残りのサンドウィッチを、子供は凝視し始めたがプリシラは敢えて無視する。


「それで? 何であんなところに倒れてたのよ」

「その前にもっと我にサンドウィッチを与えるのだ! 残っている物は全て我が食べてやろうぞ。その方が、そのサンドウィッチも嬉しいに決まっておろう。寄越すのだ!」


 妙に尊大な態度の子供に嫌な予感が拭えない。どこかの王族とかではないわよね、とプリシラは疑いつつ、胡乱な眼を向けた。

 知っているような気がするが、こんな子供をプリシラが知っているとは思えない。公爵令嬢プリシラの世界はかなり狭いのだ。


「殿下に似てますね、威張りっぷりが」


 ソレルの呟きにプリシラは「ああ」とある種納得した。確かに、殿下の威張りっぷりに似ているといえる。特に、プリシラを見下してくるところが。だが、とプリシラは可哀想な眼を再び向けた。


「でも、これほど『残念な匂い』は殿下からはしないわ」

「プリシラ様ひどい」

「事実よ」


 妙に憎めない残念臭を漂わせる子供にプリシラは溜息をついて、バスケットから四つサンドウィッチを取り出した。

 それに気づいた子供は瞳を輝かせて、ちらちらとこちらへ視線を寄越す。プリシラはにっこり笑って、グレイスとソレルにそれぞれ二つずつ渡した。

 途端に子供は、絶望の色にその紫色の瞳を染め上げた。それが見れたことに満足して、プリシラはバスケットを子供へ渡した。子供は眼を見開いて、その手の中にあるバスケットとプリシラとを見比べている。

 ふぅ、と一息ついてプリシラは微笑んだ。


「あげるわ。残りのサンドウィッチ全部。お腹空いてるのは可哀想だから」


 プリシラはこの子供の残念臭や一生治らない病気を患っていることに哀れを感じてしまい、別にこれくらいいいだろう、という思いが湧き上がったのだ。なんとなく、放っておけない。何故か分からないが。


「な、なにっ!? 我にこれを全てくれるのかっ!?」

「これもあげるわ」


 プリシラは別のバスケットからプリンも取り出した。


「こ、これはなんだっ!? 我が見た事のないものだぞ……!?」


 黄金色の食べ物はプリシラもソレルもグレイスも大好きなプリンだ。普通ならあげようなど考えない。だが、今は何だか違った。あげてもいっか、と思ってしまったのだ。プリシラが差し出した事により、何か言いたげな視線を感じるものの、口に出して彼らが言う事はなかった。たぶん、プリンをあげるなんて勿体無い、とかだろう。

 スプーンも貸す。

 綺麗な少女然とした顔をした子供は始めて見る食べ物に興味津々、恐る恐る掬い取る。子供はスプーンを口にいれた瞬間に、目をカッと見開いた。銀の虹彩がキラリと輝いたのを、プリシラは、珍しい瞳ね、と見つめた。

 子供は顔を紅潮させ、がつがつとプリンを完食した彼は大きく叫んだ。


「我は感服したぞ! 長く生きておるがこれほど美味い物は食べた事がない! これはなんという食べ物なのだっ!?」

「『プリン』よ」

「ぷりん、ぷりんか……素晴らしい。我の知らぬ食べ物が未だこの世にあったとは」

「大げさね」


 呆れて漏らせば、子供はむっとした顔で此方を見た。


「大げさではないぞ。我は永遠に生きる。……我の目的が果たされるまで。その中で我が驚くことはそうないのだぞ。我が執着するものが見つかることもそうないのだ」

「目的って何よ」


 思った以上に真剣な顔と声音で子供は口にした。事情のありそうな科白に興味を惹かれて聞く。ぱちっと子供の眼がプリシラを貫く。


「———復讐だ」


 深い、暗い、底なし沼へ落ちてしまいそうな音だった。

 ゾッと背筋が凍り、周りの色も音も何もかもが覆われる。たった五つの音は全てが憎しみに塗られ、周りの物全てを巻き込んでいく程の暗闇を潜ませている。

 目の前にいる子供が、急に得体のしれないものになった。さっきまで残念臭を身体から撒き散らしていた子供はそこにはいない。いるのは、老成した理解出来ないナニカ。プリシラは息を詰めて子供を見つめる。


「我の全ては怒りで構成されておる。怒りが我を突き動かすのだ。我を追い出した者達に復讐するまで———我は死なぬ。何があろうとも」


 暗闇の中でその瞳だけがギラついていた。肉食獣のように、復讐の牙を尖らせている。


「だから我はおぬしに感嘆したのだぞ。この『ぷりん』は素晴らしい! そしてサンドウィッチもだ。下々の物の分を全てを与えることなく、確保してから我に献上したその心意気もな。我はおぬしが気に入った。そして、我は我の命の危機にサンドウィッチとプリンを貰い、助けられたこの恩を忘れぬ。おぬしが困った時、いついかなる時も我はおぬしの味方になろうぞ!」


 叫ぶ子供に視線が吸い寄せられる。陛下の時以上のその威圧感に圧倒される。子供とは思えない、いや、人間とは思えない畏怖を抱かせる。

 知らず、プリシラは喉を鳴らす。


「我の名を覚えておくといい———我の名はサタン! この世の始まりを作りし神、我を追い出した数多の神に復讐を誓ったサタン! 人の子よ、何れまた会おうぞっっ!!」


 子供———サタンは瞬きの内に黒い大きな獣に変化した。唖然とするプリシラ達は身じろぎも出来ない。

 プリシラの鼻先で匂いを嗅ぎ、獣は軽やかに森の中へとその身を踊らせた。


 暫く、プリシラ達三人は呆然とその場に佇んでいた。


 ふわり、と風に髪が巻き上がったことにプリシラが気がつき、瞬きを数回する。現実に帰ってきたような心地だったプリシラはさっきまでの、ほんのついさっきまでの出来事を思い返して、あまりの衝動に身体が小刻みに震え出した。


「ぷ、りしら様……『さ、っきの……子供……』」

「おじょう……さま」


 二人が怯えたような声を出すのを聞きながら、プリシラは顔を歪ませて、拳を地面に叩きつけた。


「———あの詐欺祈祷師! ぜんっぜん! 効果がないじゃないのよーーーーッッ!!!!!」


 コロン、と空になったバスケットが転がった。


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