音楽好きの精霊
「ソレルー! グレイスー! 遅いわよー!」
「お嬢様、もうちょっとゆっくり! じゃないと、はぐれますからっ!」
「プリシラ様! 『待ってくださいませ!』」
二人の声を後ろにして、プリシラは速度を上げる。約束どおり、彼女は二人と遠乗りへと繰り出していた。本当に邪気などがあるかは分からないが、今日はベルフェゴールや兄との話のネタを探すことに専念しようとプリシラは馬を駆けさせる。
近くの湖まで、と二人と約束をしていたのもあり、湖が見えてきたところで速度を落とし、近くにある木に馬を繋いだ。
すぐに二人とも追いついてきたのを確認して、湖へと駆け出す。
「お嬢様っ!?」
ソレルの驚く声が聞こえるがプリシラは聞こえない振りをした。
陽光に輝く水面を見つめ、その周辺を歩く。
珍しい植物はないかと見て回るも、目ぼしいものはなさそうだった。多くの植物はベルフェゴールが取り寄せ、育てている。当然といえば当然だった。
プリシラは残念に思いながら、その場に腰を下ろした。湖を渡って風がプリシラに吹く。囁かれているような気分になって、プリシラはその囁きに耳を棲ませるために自分の膝へ顔を埋めて眼を瞑る。どれくらいの時間が経ったのか。
「……プリシラ様。お昼にしましょう」
「グレイス」
プリシラの心を乱さないように静かに声をかけられて、振り向いた。プリシラが気づかぬうちに、グレイス達が敷布を敷いてお昼の準備をしていた。
「あまり勝手に歩き回らないで下さいよ。私達は護衛も兼ねてるんですからね」
ソレルが眉を寄せて苦言を漏らす。プリシラはその苦言に声を上げて笑った。
「ソレルってば。こんなところで何が起こるっていうのよ」
「何か起こってからじゃ意味ないんですよ」
「お昼、食べるわ。ちょうだい」
ソレルのお小言を聞き流してグレイスへ手を伸ばすと、彼女はすぐに食事を渡してきた。
「ちゃんと聞いてくださいよ!」
「大丈夫よ。二人とも信頼してるわ。ちゃんと追いつくって分かってるから、私は勝手が出来るの。二人とも大好きよ」
にっこりとプリシラは言って、ソレルが注いでくれていたお茶を飲んだ。心地よい風が吹き、プリシラの頬を撫でる。ソレルは一瞬口を噤み、頭を抱えて蹲った。
「あ゛~~~! 意識してないところがマジでタチ悪ぃ……」
それを横目で見つつ、お昼を食べる。グレイスが苦笑してソレルの背を擦ってあげているのを、プリシラは内心で「いちゃついてるのかしら」と二人の関係を推測しながら見ていた。
別荘なだけあって、美しく長閑なところだ。森や湖、屋敷の大きさも申し分ない。
だからプリシラはとても残念に思う。
―――お兄様やベルと一緒がよかったわ……
父と母は、そうそう屋敷から離れられないから元々考えていない。兄もそう簡単に仕事を休めない。だからせめて、ベルフェゴールと一緒にこの屋敷にいられたらこの世界はもっと綺麗なものになっただろう、とプリシラは思う。
マシなのはグレイスとソレルと一緒ということだ。だけど、二人と見た景色がこれだけ素晴らしいのだから、兄と弟とも一緒だったらもっと素晴らしいのは間違いないのに。
「そういえば、面白い話を聞いたんですよ。お嬢様」
「面白い話?」
プリシラへこれ以上何か言うのは諦めたらしい。普段どおりの顔になったソレルが「ええ」と頷いた。グレイスも興味深そうにソレルを見た。
「いや、なんか……ここら辺、精霊が昔棲んでた場所だったらしいです」
思いがけない内容に眼を丸くした。
「へぇ、そうなの。精霊が」
「精霊契約してた人間がここに住んでたらしくって。音楽好きな精霊だったらしいですよ。ここら辺の異様さに、漸く、それ聞いてなるほどって納得しましたよ」
皆が音楽が好きだというのは屋敷に来て、強くプリシラ達は感じていた。
彼らは本当に音楽を愛しているのだ。
近くの街では、少し近くに行くだけで音が街から溢れ出しているし、農家の人達も農業の休み時間には歌を歌ったり、手作りの楽器を鳴らしたり、屋敷の使用人達は仕事の合間に鼻歌や口笛が普通。とにかく、音楽で溢れている地域だとは思っていたがそんな話があったとは。精霊の力は強大なため、地域信仰に関わっている場合も多い。
ソレルが聞いた昔話から察するに、精霊信仰として色濃く残っているのだろう。
「でもそれって、かなり昔の話よね。精霊なんてもういないって言われてるぐらいなんだから」
だからこそ、ヒロインは大騒動になり、相応の地位を与えられるのだ。プリシラも、別世界知識がなければ精霊の存在など信じていないだろう。
「どうでしょうね。実際、精霊が視えるってことを隠してたって人もいたみたいですし……伝説みたく残っている話も、つい数十年前ってこともありますから」
「精霊って曖昧よね。でもまあ、音楽があるからか、ここの雰囲気が凄くいいのは素敵だと思うわ」
若干警戒心はあるようだったが、急な訪問だったにも関わらず、始めから彼らは快く対応してくれた。ソレルが話を聞きだす能力―――コミュ力と別世界ではいうらしいが―――が非常に優れているのを考えずとも、彼らの朗らかで陽気な雰囲気はプリシラの落ち込んでいた心を開かせるのに一役買ってくれた。
到着した翌日の夜、歓迎会という名目で行われた別荘でのパーティーは盛大に明るく楽しいものだった。
何より、プリシラがフルートを吹いた時など彼らの盛り上がりは最高潮に達し、盛大な拍手をして口々に喜んでくれて褒めちぎってくれた。
その後、彼らのプリシラの受け入れっぷりには、目を瞠るものがあった。
彼らが言うには、音楽が素晴らしいものに悪い人はいない、らしい。
実際、ソレルが屋敷周辺の人物に話を聞く時にはプリシラが一曲フルートを奏でた後と前では天と地ほどの差があった。
そんなことを考えていると、フルートが吹きたくなる。
何かあってはいけない―――ここでは音楽さえあれば基本何でも許されるような風潮がある―――ので、ソレルに持ってきてもらったのだ。
「ソレル、フルートを貸して。吹くわ」
「わぁ! プリシラ様のフルート好きだから嬉しいです!」
グレイスが笑顔になって言ってくれる。
「お嬢様のフルートが聴けるだけでも、ここに来た甲斐がありますよね」
ソレルまでそんなことを言ってくれるものだから、照れてしまって顔が熱くなる。
まだまだ始めたばかりのため、プリシラはあまり人前で吹きたくない、と思っていた。それほどの腕ではないのだ。
そもそもフルートを始めたのは、音楽が植物に良いと別世界知識が教えてくれたためだ。
ベルフェゴールの植物達が元気になる助けになれば、とプリシラは音楽を始めた。
だから基本、音楽の先生とベルフェゴール、そして彼の育てている植物達くらいしか観客はいない。
練習も植物達の前でやるので、普段側に居る事の多いグレイスはともかく、護衛訓練などでいないことも多いソレルはプリシラのフルートを聴く機会は相当少なかった。
だからこその言葉なのだが、そんなことを言ってくれるのなら、もう少し人前で演奏する事を恥ずかしく思わないようにしようか、とプリシラは思う。
この別荘に来て、プリシラはあまり人前で演奏する事を厭わなくなった。ここの人達は本当に心から褒めてくれるのだ。プリシラの演奏に涙まで流して喜んでくれるので、プリシラ自身人前で吹くことへの忌避感がなくなってきているのを感じていた。
「じゃあ、メヌエットにするわ」
出されたフルートを構えて吹き始める。
フルートの演奏を始めると周りの様子がよく感じられるようになる。吹き渡る風に乗るようにフルートの音を奏でる。湖の上を渡り、空へと飛び上がって、ベルフェゴールを想い、兄を想い、父を、母を、ソレルを、グレイスを想って弾いていく。
間違えないように気をつけながら、自分の音に酔い始めれば―――後は何も考える事はない。音楽を習う時の様に先生に止められることもなければ、批判される心配も無い。グレイスもソレルもどれだけ失敗しても下手でも褒めてくれるのだから。
―――だから、大丈夫。
曲が終わり、眼を開く。
「……ふぅ」
グレイスとソレルを見れば二人とも目を瞑っていた。身体を固くして二人の瞼が開くのを待つ。開いた眼はこちらを見て笑顔になり、彼らは大きな拍手を贈ってくれた。
「すっごいです! 上手です! プリシラ様の演奏、大好きですっ!」
「お嬢様の演奏は、なんか心に響きますよね」
褒めてくれたことにホッとして身体の力を抜いた。プリシラはそんな自分に苦笑して「帰るわ」とフルートを仕舞った。




