女王様って言いたいなら、お呼びなさい
ベルフェゴールとのお茶会。今日は珍しく兄も一緒のお茶会だったのに。昨日作った蜂蜜アイスクリームを一緒に食べるはずだったのに、とプリシラは隣で話をする少年を見る。
「そうですね、シャマーラ公爵令嬢様はこういったものをお好みでは?」
などと言って、プリシラに様々な貴金属を見せてくる。髪飾りや耳飾り、首飾りにバックや小物に靴。ちら、と目をやるもプリシラは冷たい目で答えた。
「いらないわ」
「困りましたね……では一体どのような物がお好みなのでしょうか」
酷く困惑した顔で相手は眉を下げた。そういう顔をされると背筋がぞっとする。
「煩いわよ。いらないの。そういうものは間に合ってるわ。それより、貴方ってここまで来てその喋り方? 疲れないの?」
公の場所でないのに着飾った物言いなど、プリシラは面倒で嫌だ。それを続ける少年に呆れて視線を向ければ彼は、僅かに口元を引き攣らせた。じとっと見つめていると、彼の碧眼がキラリと眼鏡が反射して見えなくなる。
「それは、そうですね……」
呟かれた言葉と共に顔があげられる。眼鏡に隠れていた碧眼が現れた。先程と同じにこやかな笑みを浮かべられ、口が開かれた。
「うるせぇんだよ。アンタ。アンタこそ、ちったぁ、噂どおりに綺麗な物に目を眩ませやがれ」
「―――っ、おい、お前」
思いもしなかった汚い言葉遣いに目を見開く。
笑顔は綺麗なままだというのが厭らしい。遠くから見ると先程と同じ様な態度に見える。ここでこちらが手を出せば、どうなることかとデバガメ根性で覗いている方達の非難の的になる事だろう。
だからこそ、ソレルが声をあげかけたのを、プリシラは片手を挙げて止めた。グレイスは無言で腕を振り上げていたので、目で制した。ハッとした様子で降ろしている。もしかして、無意識だったのかもしれないが……。
でもグレイス、その腕に持っている石像はどこから持ってきたの。元の場所に返してきなさい。
彼女は少年の後ろ側にいたため、彼は気づかなかったようだ。グレイスはデバガメしている方達に見えない死角で振り上げていたから、プリシラが止めなければ誰がやったのか分からないまま、少年が倒れる事になっただろう。
「ハッ! 驚いたかよ? あぁ? やっぱアンタも所詮はお嬢ちゃんってことかね?」
馬鹿にしたような色を瞳に乗せながらの科白は、先程と違って下品なはずなのに随分と彼に似合っている。知らぬが仏。幸せなことだ。ふ、とプリシラは口元を和らげた。
「当たり前じゃない。私はシャマーラ公爵令嬢、プリシラ・シャマーラよ。お嬢様以外の何だと言うの? ああ、女王様って言いたいなら、お呼びなさい。許可してあげるわよ?」
「……ッッ?! チッ、あんま堪えてないのかよ……。俺様が本性を現すと大抵のオンナはドン退くんだがな。むしろ、さっきより親しげじゃねぇーの? ……今の俺様の方が好みか?」
にやにやとした笑みで言われた内容にプリシラは迷い無く頷いた。
「ええ。私はそっちの方がいいわ。だってさっきまでの貴方って気持ち悪かったもの。私、あの貴方嫌いよ。あの貴方の時は、これからも話しかけないでちょうだい」
にやにやした笑みは引き攣った物に変わる。だがプリシラは事実を言っただけなので悪いなど全く思わない。
「ア、ンタ……はっきり言うねぇ。親父がかなりの金かけたこの俺様のお披露目会にも全く興味をしめさねぇし、渡した贈りもんも従者に放り投げて、今だってどの宝石を見せても興味を見せねぇときた。しゃーねぇから、俺様の本性でも見せてアンタが驚いたところで畳み掛けるかって思ってたんだがな。ちっとも驚きゃしねぇ。俺様の計画は完全に狂っちまったぜ」
「計画?」
また考え直さなきゃなんねぇ、と眉間に皺を寄せる彼にプリシラは聞き返した。
「ん? ああ。アンタの婚約者に納まるっていう計画さ」
「何であんたが知ってるんですか!?」
ソレルが突然叫んだ。
それを見て少年は笑う。形のいい眉をあげて口の端をあげる笑みはどう見ても金髪碧眼似非皇子というより、顔のいい海賊の頭という雰囲気だ。
「俺様は商人だぜ? そのくらいの情報入ってくんだよ」
ソレルの迂闊さにプリシラは溜息を吐いた。
15歳までプリシラに婚約者が現在存在していない事は秘密だというのに、それでは完全にばらしている。適当に誤魔化しておけばいいというのに。
この少年はカマをかけただけだ。
ソレルもそこに気づいたのか、息を飲む気配がする。グレイスの顔は般若となって、ソレルを睨みつけている。いくらソレルに向っているとはいえ、この殺気を感じないとは金髪碧眼は案外鈍いのかもしれない。
「お、お嬢様」
「別に良いわよ、ソレル。大した情報じゃないから」
顔を青ざめさせているだろうソレルに言う。
「へー? 大した情報じゃねぇ、ね? 俺様みたいなんからしたら、こういうのって超大切な情報なんですけどね? お・じょ・う・さ・ま」
確かに、と腹が立つ嫌な笑顔を浮かべる少年に眉を寄せながらプリシラは頷いた。プリシラの婚約者の地位を狙う輩は大勢いる。掴んでいると先行することが出来て有利だといえる。今のこの男のように。
「それにしては私のことよく分かっていなかったみたいね。その趣味の悪い飾りを仕舞ってくれる? とてつもなく目障り」
広げてある飾り達を指して、プリシラは言った。全くプリシラの好みじゃないデザインと宝石だ。悔しそうな顔で彼はそれを仕舞い、言い訳がましく口を開いた。
「アンタが殿下の婚約者じゃないっていうのは半信半疑だったんだぜ? アンタんとこの迂闊な従者が今漏らしてくれた事で、確実になったんだがな? ただアンタは……数年前から社交界にも出なくなったし、公爵家は守りが堅くってよ」
三年経てば、誰かが嗅ぎつけても別におかしい事はない。殿下が家に来る事もプリシラが会いに行く事もあれ以来一度もないのだから、それは変だと思うのは当然だろう。むしろ、よく三年間、誰にも尻尾を掴ませなかったものだ。さすがはお父様と陛下、とプリシラは心の中で拍手した。
陛下との文のやり取りは三年続いている。その為、よく王宮の使者が公爵家に手紙を届けに来ることを知った者達がプリシラは殿下と文通をしているのではないか、と言われていると兄から聞いていた。
この三年の間で、陛下とはペンネームまで決める程になった。お互い本名だと不都合が生じることもあるだろうから、と陛下が言い出したのだ。
プリシラはリラ。陛下はシャイ。
秘密の呼び名は、毎回プリシラの心を躍らせている。
目の前の少年の様子を見るに、彼はその事情までは知らないようだ。
どこまで掴んでいるのか知らないが、大したことは知らないらしい。特に今警戒する必要はない。
とにかく。彼と彼の父親は商人として充分な情報がないにも関わらず、勝負に出たという点は間違いないため、
「負け犬の遠吠えね。醜いわ」
「うぐ……ッ」
プリシラから言えるのはこれだけだった。
「アンタ、こういうの前は好きだっただろうがよ! 後、俺様みたいに顔のいい奴も!」
「自分で言うの?」
「事実だろうがよ」
プリシラは呆れながら、否定はしなかった。
先程の広間での女性達の集まりはそれを証明しているといえるし、プリシラの審美眼からしても極上といっていい容姿をしている。一見して、学者系優男であり、こんな乱暴な本性とは思えない。演技力は素直に評価する。
「貴方って馬鹿なのね」
「な!?」
「情報は最新のものじゃないと。前の私はそうだったけど、今の私は違うわ。情報を元に推測してもいいけど、憶測は無意味。勉強になってよかったわね。……貴方にとっては有益な時間だったけど、私にとってはとても無駄な時間だわ。……早く帰りたい。ねぇ、まだ私帰らせてもらえないの? 早くしてよ」
はぁ、と暗い溜息をつくと、彼は顔を歪めて腕を組んだ。
「アンタ、本気で自己中だな。その哀れみの目、腹立つぜ」
哀れんでいるのは自分自身にだ、とプリシラは思いながら眉を寄せた。
「本当、本気と書いてマジと読みなさいよ。それと、腹が立つっていうのもムカつくって言い直して」
このキャラで丁寧な言い方をしていると違和感がある。
「はぁ?」
「『マジで自分勝手』『その哀れみの目、ムカつく』ほら、言ってみなさいよ。簡単でしょ」
「いや、マジでどうでもいい……おお、マジいいなコレ」
「でしょ」
別世界の言い方を気に入ってくれたらしい少年に頷いて、プリシラは立ち上がった。
充分彼と話をする時間をあげたし、彼は非常に有益な時間を持つことが出来たのだ。これ以上、プリシラの時間を彼のために裂く理由はない。
「マジで帰るつもりかよ!?」
もう完璧に使いこなしている。感心するが、こうも簡単に使いこなすなど腹の立つ男だ、とプリシラはベンチに座る彼を見下ろす。
「当たり前よ。私、大事な用事があるのよ。早く帰らなくちゃ」
お茶会の時間が迫っている。
グレイスとソレルはそれを知っている為、プリシラの支度を整え始めた。ぱし、と手首が取られる。見れば、まっすぐに翡翠色がこちらを覗き込んできた。
「どんな用事だよ? 俺様より重要な用事なのかよ?」
プリシラは首を傾げた。
「貴方より大事なものがこの世に在り過ぎて、返答にとても困る質問だわ」
「……」
「離してよ。希望通り、お話してあげたのに何が不満なのよ」
「よし、分かった。金やる! 好きなだけやるから、もうちょっとここにいろ! どんな欲しいものでも俺様の家の金なら買えるからよ!」
命でも絶つような苦悶の表情で叫ばれた。プリシラはその顔を見つめて口を開いた。
「ソレル、グレイス。仕度は整った?」
「はい、プリシラ様」
「問題ありません、お嬢様」
「無視すんじゃねえっての!!」
「世迷言を言っている馬鹿と話す気はないのよ」
プリシラはハイヒールで彼の足の甲を踏み抜き、自分の手を救出した。
「いっ……!」
「お金なんかいらないわよ。馬鹿馬鹿しい。そんなものより、私の用事の方が急務だわ。そうよね? グレイス、ソレル」
グレイスから渡されたハンカチで触られたところを拭きながら、二人に確認する。
「まあ……お嬢様にとってはそうですね」
「通常運転です、プリシラ様」
神妙な顔と晴れ晴れした笑顔。双方、満足のいく答えだ。
プリシラは痛みで蹲って何もいえないオール子爵子息へ、にっこりと笑った。
「公爵令嬢に対する数々の無礼行為は黙認して差し上げますから、わたくしはこれで失礼致しますわ。―――出来ればもう呼ばないで頂けると、わたくしの貴方に対する株も上がりますわよ」
他人に対してはズケズケ言うということが、お分かり頂けたでしょうか。




