アイスクリームの時期
13歳になりました。
10歳からの日課はベルフェゴールが育てている植物達を見る事だった。13となった今もそれは変わらない。
勝手に手を出して枯らすことはしないよう、プリシラは決してベルフェゴールが側にいない時に植物を触る事はしない。
三年間で随分と薬草に詳しくなったプリシラだが、ベルフェゴールはそれ以上に薬草や植物について詳しくなっていた。王宮の学者でもこれほど詳しいかは疑問が残る程だ。
今では温室の中だけではなく、外にまでベルフェゴールの花壇や畑が広がり、多くの植物達が季節によって様々な種類を彼の手で開花させられていく。日々、楽しみにしている。
温室の植物達は、昼に見る事も出来るが、今日は朝早くに訪れた。
花達を見るのがとても楽しみだというのもあるが、今の時期、朝方にいけば昼頃など熱帯のような暑さを誇る温室でも快適に過ごせる季節になった事をプリシラが実体験として知っていたのも大きな理由だ。
「おはようございます、姉上」
「おはよう、ベル。暑くなってきたわね」
「はい、確かに。朝はまだ大丈夫ですが」
去年くらいから、ベルフェゴールはプリシラを『ねぇさま』と呼ばなくなった。
始めてそう呼ばれた時は衝撃で何も返せなかったプリシラだが、時々は『姉様』と呼ぶという条件を翌日、ベルフェゴールに取り付けた。
「……そろそろ、アイスクリームの時期ね」
ぼそっと言った言葉は数人しかいない温室にはよく響く。
ベルフェゴールが昔のまま「えっ! 本当ですが、姉上!」と顔を輝かせたのを見てプリシラは頬を緩めた。
「一緒に作る時間があるなら今日にでも作りましょ?」
「やったっ! 姉上から許可が出たっ! じゃあ、ミントも摘んでおきますか?」
「ええ、ミントも摘んで」
お菓子作りに必要な植物もベルフェゴールに頼み、幾つか育ててもらっている。ミントもその一つで、アイスクリームの上に乗せることが一番多い。
初めてアイスクリームを作った際、公爵家はお祭り騒ぎになった。
料理人達も味見させた際には感動して呆然とアイスクリームを見つめていたし、プリシラは狙い通り、頬を染めて目を潤ませて喜ぶベルフェゴールの笑顔を見る事が出来、兄からは抱き上げられてキスをされ、父と母からも沢山褒め言葉を貰った。言うならば「余は満足じゃ」とでも言いたかった。
だが、彼らは初めてのアイスクリームに遠慮なく大量にそれを食し、プリシラ以外がお腹を壊した。一応、プリシラも止めようとしたのだが幸せそうな顔に強く言う事が出来ず、悲劇を生んでしまったのだ。
そんなことがあったからか、プリシラが「アイスクリームを食べよう」と言い出すまではアイスクリーム禁止という暗黙のルールが何故か公爵家で出来ていた。
プリシラからすれば、量の調節をしてくれるのなら別にプリシラが許可を出さずともいいのだが。
使用人達もプリシラ達が食べる時にアイスクリームを少しお零れが貰えるらしく、グレイスから聞いたところによると『特別なご馳走』と呼んで楽しみにしているらしい。
近くにいたソレルが「……終にこの時が来たのか……」と漏らしたのを聞いて、咽喉の奥で笑う。
料理人達も今はアイスクリームを全員が作れる。だが、彼らが氷魔法を修得するまでの間、アイスクリーム製造はソレルに一任されていた。
味見してもらうための料理人分のアイスクリームから、ベルフェゴールとのお茶会の分、それから家族の夕飯時のデザート分をそれから毎日作り続けていた彼はプリシラも可哀想に思う程、疲労困憊だった。
途中から、父と兄も使えるのだから、と材料を混ぜたものを持ってきて、その場で凍らせてもらうことを思いついたのだが、それまでソレル一人に負担がかかっていた頃がトラウマなのか、彼は『アイスクリーム許可宣言』をすると途端に影を背負うのだ。
既に料理人達の殆どが氷魔法を使う事が出来るようになっていて、彼がアイスクリームを作る回数は少なくなってきているのに、だ。重症である。
彼はアイスクリーム製造によって、格段に氷魔法の精度を伸ばし、兄から「それほど使いこなせるものはそうはいないよ」と言われるほどの実力者になった。
さすが私の従者、とプリシラは思っているし、本人にも伝えた。
ベルフェゴールが嬉しそうに、楽しみです、と言っているのを見て、さてシャンツァイに『アイスクリーム宣言』をしておこう、とプリシラは思っていた。
―――けれど、その日。プリシラは『ベルフェゴールとアイスクリーム作り』を先延ばしにしなければならなくなった。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
コルセットが邪魔だ。
動きにくくて仕方が無い。苛々する。ここまで締め付ける必要がどこにあるのだ、とプリシラは恨めしく思う。乗馬やダンス、剣術などを積極的に行い始めていて、筋肉ばかりがついている。つまり、コルセットなしでも充分見れる身体だ。
膨らみ始めた胸はまだまだ目標とする大きさには足りない。だからこそ、コルセットの意味はないだろうとプリシラは思って、そう伝えるが聞いて貰えた試しはない。
プリシラの目標とする胸の大きさは母だ。
母のポリシーは巨乳である。女性として申し分の無い大きさ、形。たぶん、柔らかさ。そのスタイルも衰えておらず、プリシラはとかく母のような女性になることを目指している。身体的な面でも精神的な面でも、だ。
彼女はいつだって穏やかで貞淑な淑女なのだ。
「ねぇ、まだ?」
「お嬢様、それ一分間に十回は確実に聞かれてますよ」
「ねぇ、まだ?」
「……お嬢様。……もう少しですから」
呆れたようにソレルに言われ、チッと舌打ちをした。
「プリシラ様、お行儀が悪いです」
「これほどの時間の無駄が、ある? 今私が抜け出したって、誰が気にするのよ。見なさいよ、あれ」
プリシラの視線の先には大勢の令嬢に囲まれた少年がいた。
歳の頃は同じくらい。金髪碧眼。周りに清涼感溢れる風でも吹きそうなほど、うさんくさい笑顔で令嬢を魅了している。
令嬢達は全員、真新しい髪飾りや首飾りなどをつけている。
来てくれた御礼として彼に渡されたものだ。
プリシラは現在着ているドレスによく似合うごてごてした宝石のついた耳飾りを貰った。
すぐにソレルへ渡し、着ける事はしていない。私の最高の文通相手のセンスを見習ってもらいたい、とその贈り物を見てプリシラは溜息をついた。売って、自分の小遣いにするつもりだ。
今回プリシラが暇を持て余す原因だ。憎憎しく睨んでも罰は当たるまい。
周りではプリシラと同年代の者達が手と腰を取り合って、談笑し、ダンスを申し込んでいる。立食の形式を取っているのは、まだプリシラ達が堅苦しい場に相応しくない年齢だからだろう。
この会の主催は、オンナ達にうっとりされている彼の親だ。
家名はオール。
初めに自己紹介をされるも、プリシラは別のことが気になっていて右から左へと通り抜けた。簡単にいえば、興味が全くなかった。
人当たりのよいソレルが周りに聞き及んだところ、彼の実家は元々有力な商人であり、稼いだお金で子爵家の地位を買ったそうだ。
男爵を飛ばし、子爵の地位を買えたところに彼らの財産が伺える。
更に言えば、プリシラを招待できる人脈を考えれば社交界の花形になるのにそう時間はかからないだろう、とプリシラは思った。
そういう者と関わりあえることはプリシラにとっても有用なことだと思う。
思うが、プリシラは今回彼と仲良くするつもりは毛頭ない。
成り上がり貴族と言うものは、血筋を重んじる傾向にある者達にとって、蔑みの対象になることが多い。
恐らくオール家は、この会で人脈を広げる気なのだろう。
会場を見渡すだけで、相当数の有力な貴族子女が招待されている。
自分の息子の顔の良さと人当たりの良さに少女達が釣られる事を熟知しているとしか思えない。先ずは子供同士を仲良くさせ、そこから有力な伝手を確保していく気概が見えて、プリシラはその商魂逞しさにいっそ賛美を贈りたい。
その賛美には思いっきり毒を含ませたいが。
「プリシラ様、嫌いですか? 成り上がり貴族のような方」
グレイスが首を傾げた。
どう見てもプリシラがそれを気にするようには見えないといった風だ。
三年の間に、グレイスは敬語をかなりマスターした。時折間違える事があるが、日常生活においてそれ程心配な言葉遣いではない。
プリシラ自身、彼女の母国語だけではなく、他の国の言葉も日常会話で談笑出来るくらいにはなった。この成果は、プリシラ自身が家族に褒められたいという自身の素直な欲求のために頑張った為でもあるが、学園に行く必要がないと言われたいというプリシラの切実な願いも手伝っていた。
「それはどうでもいいわ。私達に迷惑がかからなければ」
実力がなければ廃れ、実力があれば貴族として血が残っていく。それだけだ。100年経てば、成り上がりかどうかなど曖昧になる程度の物なのだから。
「じゃあ、何が問題なんです? そんなに不機嫌そうにしていては誰も声をかけてくれませんよ」
「声をかけてもらいたくないのよ。大体、女子の方が男子よりも倍近くいるんだから、私が壁の花でなんの問題があるというの」
公爵家と知り合える機会は少ない。会場に来てから、何度もこちらへ伺うような視線を貰うが、彼女は全て無視していた。苛つきで更に睨みつけながら、プリシラは吐き捨てた。
「ベルとアイスクリームを作るって今日、約束したのに……遅れたらどうするのよ!」
ベルフェゴールと約束したその日の朝。
プリシラはこの会の招待を父から聞き、準備に奔走させられることになった。
出来る限り社交界へ出る機会を回避していたのだが、今回は断る事が出来ないのだと父が言うから仕方ないと諦めたのだ。どうやら多大な借りがあるらしい。
その為、プリシラはアイスクリームを作る時間が無くなった。
料理人達にアイスクリームを作ってもらいはしたのだが、ベルフェゴールが「姉上と一緒に作りたいです」と言ってくれたその願い、プリシラが無下に出来るわけがない。この会が終わった後に絶対一緒に作ろうとベルフェゴールと約束したのである。会から抜け出せれば、半日はベルフェゴールと一緒に居られると言うのに。
プリシラとベルフェゴールはお菓子作りだけではなく、料理もある程度作れるようになってきている。
料理作りは二人のコミュニケーションツールの大切な一つだ。料理人達とも随分会話が弾むようになって、多くの別世界の料理を再現してもらった。
以前、その話をグレイスにした時には「お料理だけではなく、薬草を育てるのも研究するのも魔法の考察も、最近は乗馬もベルフェゴール様との『こみゅにけしょんつーる』では?」と呆れられた。
その通りなので「そうよ。日常全てがベルとの対話に繋がるの」と返して呆れたような視線を向けられたのは、記憶に新しい。
「通常運転ですか、プリシラ様」
「お嬢様、アイスクリームは絶対お作りになるのですから急がずとも宜しいのでは……」
「私が今重要視しているのはベルとの触れあい期間が足りないってことであって、アイスクリームが食べられるかどうか、作れるかどうかではないの。ベル不足で私が発狂したらどうするのよ」
「ちょっと笑えない冗談ですね」
真顔でのソレルの突っ込みに対応も出来ない。
ここ数週間、プリシラはベルフェゴールとゆっくりした時間を取れていない。アイスクリーム問題よりも、それがプリシラにとって一番重要な問題だった。
この場に一定時間はいなければならないという決まりがもどかしい。
オール家は充分貴族令嬢と仲良くなっているのだから、プリシラとしては既にここにいる役目は果たしたと思っている。彼女は仲良くする気が一切ないので、今帰ろうと後で帰ろうと同じだろう。プリシラは本気でそう思っている。留まっているのは、偏に父のためである。
「プリシラ様。お時間になりました」
「帰るわよ!」
グレイスが告げた科白に壁に寄りかかっていた背を勢いよく離し、颯爽と歩き出す。後ろから着いてくる二人から、疲れた様な笑いが漏れた。
「物凄く嬉しそうですね、お嬢様」
「嬉しいから当然ね」
頭の中はベルフェゴールの笑顔一色だ。
「お忘れではないでしょうが、オール子爵令息様にお帰りのお話をしてください、プリシラ様」
すっかり忘れていた。ぴたりと入り口に向っていた足を止め、忠言をしたグレイスをそろりと見る。
「……面倒だわ。言伝じゃ駄目かしら」
「なりません」
「はぁ。いいわ、すぐに終わるし」
適当に挨拶して早く馬車に乗って、ベルフェゴールとアイスクリーム作りを楽しもう。そして、今夜の兄達の笑顔を味わうのだ。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
「―――シャマーラ公爵令嬢様」
プリシラが歩いて行くと周りにいた令嬢達は伺うような視線でその道を開けた。
その中心にいた人物は、さも今気づきましたといわんばかりにプリシラの名を呼び、気持ち悪い笑顔を見せる。
「わざわざ貴女の様な高貴な方が……用事がおありでしたら私が自ら馳せ参じましたのに」
「オール子爵令息様。わたくし、帰らせて頂きますわ。その旨を伝えに参りましたのよ。残念な事に用事がございますの。お料理も美味しく頂きましたし、皆様とのお喋りもたいへん楽しかったですわ。もし機会がございましたら、また呼んでいただきたいものですわね。それでは失礼致しますわ」
真っ赤な嘘である。
ここに来てから咽喉を潤すための飲み物しか口にしていない。コルセットの締め付けでお腹が空かなかったからだ。
また、始終壁の花に徹していたプリシラが誰かと話すことなど全くしていない。
そして、機会があっても、もう一度呼んでもらいたくない。
最初から最後まで全てが真っ赤な嘘を笑顔で言い切った。
辛うじて『ベルフェゴールとアイスクリーム作り』という重要な急務があることだけが事実だ。
それから完璧な礼をして相手の返事を聞くことなく、踵を返した。
プリシラの方が立場は上なのでこれでいい。
というか、何も言わず会場を立ち去ったからと誰かに見咎められる心配はなかった。
子爵家が何か粗相をしたのではないか、と悪評がたつだけで。
普段ならそうする。普通の子爵家だったら、プリシラは挨拶して数分でその場を立ち去っていた。
だが今回は、父が借りのある人物なのでそんなこと出来なかった、というのがプリシラの本音である。
いつものプリシラなら「つまらない」と思った瞬間、すぐに退室する。許される身分だからだ。公爵家で良かったとその時は心からプリシラは感じる。だからこそ、先程も挨拶する必要があることを忘れていたのである。
馬車に揺られながら、プリシラの頭の中はベルフェゴールのこと以外は無くなっていた。
ベルフェゴールとのアイスクリーム作りはとても楽しい時間としてプリシラの心を潤した。お茶の時間にも間に合い、きちんとベルフェゴールとの約束も守ることが出来たのだ。プリシラの機嫌も急上昇だ。
どうだった、と夕飯の最中に父から聞かれた時、プリシラは満面の笑みで答えた。
「ベルと一緒に春に作っておいたジャムを入れたのは正解だったわ。ベルが作った果物はどこよりも負けない美味しいものだったから当然だけど。苺ジャムアイスが私は好き。ベルは紅茶味が好きなんですって。今度は『はちみつ』を入れたものを作ってみようと思うの。『はちみつ』って身体に良いそうだから、きっとお父様の仕事の疲れを取ることが出来るかもしれないわ。楽しみにしていてちょうだいね、お父様」
と、初めて『アイスクリーム』に別の味をつける工夫をしたことを嬉々として説明し、家族がどのアイスを好きだったかをリサーチした。
―――プリシラが、父は昼間の会の事を聞きたかったのだと気づいたのは、眠りに入る直前の事だった。