【そういうのって『萌え』って言うらしいですよー! 】
「さっさとやりやがれ! 何をもたもたしてんだッ!」
カクタス様が怒鳴り声を上げて、騎士達を叱咤している。
俺はその様子を横目に全員の観察を行い、気づいたことを全て書き出していく。
俺の仕事はカクタス様の補佐なので、カクタス様に扱かれる事が少ないのは非常にありがたい。汗だくで半泣きの男達を見ると本当に俺はカクタス様の従者でよかったと思う。
が、それもうず高く積まれた書類を見るまでだが。
つまり、毎日よかったと思い、毎日カクタス様の従者じゃなかったらと思う。
「後、10周追加ぁぁぁぁあああ!!!」
「「「「ええええっ!?」」」」
鬼畜!隊長鬼畜!と叫んでいる奴らを見ながら、しみじみ思う。
「……ホント俺、従者でよかった……」
カクタス様は鬼畜だ。
それが、騎士達共通の想いだろう。
訓練時のカクタス様の鬼っぷりは本当に騎士じゃなくて良かったと思うが、だからといって騎士連中に嫌われているわけではない。普段のカクタス様は非常に親しみやすく、冗談も通じる人だからだ。騎士なんて平民上がりが大半だ。それから、爵位の継げない次男や三男達。凄いものなら、六男、十男もいる。そんな中で貴族的な縛りを感じさせないカクタス様が人気なのは分かる。
出かけ先などで部下には娼婦を買うなという貴族もいる中、カクタス様は逆に彼らにお金を出してあげるということもやっている。
次男などの貴族の色に染まっている者達の中にはカクタス様の庶民さに反発するものもいるが、だいたいこの娼婦の金を出すことで態度が変わる。人気が出ないわけがない。
「あ、もうすぐ昼か……」
空を見上げて時間を計る。
食堂はいつだって戦場だ。美味い物はすぐに無くなる。早めに訓練が終われば早い者勝ちの食堂料理を食べられるが、この状況では今日もまた一番遅くに食堂へ着く事になるだろう、とぼんやりとカクタス様を見ていた。
「気合いれていけ―――」
カクタス様の怒鳴り声が途中で止んだ。どうしたんだ、と思っていると。
「……もっと気合をいれなければ駄目だろう、お前たち! さあ、もっと早く走れ! お昼の時間に間に合わなくなるぞ!」
「「「「「「!?!?!?!?」」」」」」
隊員達が声にならない悲鳴をあげた。そして先頭にいた騎士が足を止めたために皆がひっかかってもんどりうって転んだ。
俺も思わず立ち上がってカクタス様を凝視する。
突然、声が柔らかくなって話し方が変わった。顔つきは訓練時の厳しいものだし、雰囲気も変わっていないが、訓練時のカクタス様しか見た事のない彼らからすれば驚きの変貌だ。ただし、幼い頃からカクタス様の従者だった俺には覚えのある話し方だった。訓練時のカクタス様ではない。これではまるで――――
「ジャスパー!」
「……お、じょうさま……!?」
元凶来たーーーー!
あんぐりと口を開いて、凝視する。
とことことやってくる少女。薄黄色のウエーブのかかった髪を珍しく頭の上で高く結い上げて、普段のドレスとは違い、非常に動き易い格好をしている。騎士訓練場にいてもあまり違和感がない。大きく開けた瞳は瑠璃色。遠くからでも美少女だと誰にでも分かる。近づいてくる少女の瞳は猫を連想させる吊り目で……ハイ、どうみてもウチのお嬢様っスね。シャマーラ公爵令嬢、プリシラお嬢様っスね。
なんでこんなとこに来てるんスか、お嬢様―――!?
「ジャスパー!」
「な、何してるんスか!? いや、ホント何してるんスか!? 抜け出してきたんスかっ!?」
「ふふふっ、もう少しでお昼よね? お兄様はこっちだって聞いたわ」
「質問に答えてくださいっス! って、えっ……べ、ベルフェゴール様までっ!?」
可愛らしく小首をかしげて笑う彼女の後ろで会釈をされたのは、どう見てもベルフェゴール様だ。ちょっと不安そうなところに好感が持てる。お嬢様はもっと遠慮ってものを持ってくださいっス。
何、やってんスか。
「お嬢様、もう少し後にしましょう。邪魔になりますから、ね?」
顔を青ざめさせたソレルがチラチラとこちらを伺いながら勧める言葉にお嬢様は「どうして? もう終わるじゃない。ジャスパーとなら話していいって言われたでしょ?」と答えられている。誰に言われたのか教えてもらいたいっスね。
と、その前に。
「……お嬢様、ソレルとちょーーーっと話があるのですが。いいでしょうか?」
にーーーーっこり笑って、逃げ出そうとしていたソレルの首根っこを捕まえた。
お嬢様は「構わないわ」と頷く。
くれぐれもここからは動かないで下さい、邪魔になるんで!と伝えれば、真剣に了承の返事を頂く。俺の言葉を素直に聞くお嬢様に、本当に変わられたなーと思いつつ、俺はソレルを訓練場の隅へと連れて行って、襟を持って壁に押し付けた。ちょうどお嬢様達には見えない位置だ。
「……ッ、ちょ、せ、せんぱい」
「おいこらソレル、テメェ何お嬢様をこんなとこに連れてきてんだ? あ゛ぁあ゛ん?」
「いや、マジ勘弁してください。お嬢様が言い出したことでですね……!」
「意味不明な言語を使って誤魔化そうとすんじゃねぇよ? 未婚の令嬢が騎士に会う意味分かってて、んなこと言ってやがんなら本気で叩き斬んぞテメェ」
令嬢が騎士と会うということは、密通していると噂が立っても可笑しくない。
現在、お嬢様は殿下との婚約が取り消されていることを公にしてはいないが、いつかはばれる。その時に不名誉な噂を流されたら、お嬢様は傷つく。そうすると、カクタス様が怒り狂う。そんな柔なお嬢様じゃないと俺は思うが、そこはそれだ。
「ちゃんと旦那様からも許可貰ってますから!」
「あぁ? ……旦那様からも?」
少しばかり首を絞めていた手を緩める。
「そうですよ! じゃなきゃ、いくら俺達が一緒だからって入れてもらえる訳ありませんって!」
必死に叫ばれて、それもそうか、と手を離した。だが、行かせないようにするのが従者の基本。後で再教育だな、と思いつつ、ごほごほと息をしているソレルへ尋ねる。
「で。お嬢様はなんでこんなとこに来たんだよ」
「カクタス様とお弁当を食べる為です」
「あ〝?」
「なんでそんな睨むんですかっ!? いや、マジでお弁当を食べる為にですね……!」
「さっきから言ってる、そのマジっていうのはなんだよ」
「本気っていう意味ですよ。会話のリズムが良くなるので、普段では使いやすくって」
「つーことは、マジかよ……ってこう使うのか」
「上手いですね。そういうことです。お嬢様、マジで来ちゃったよ、騎士訓練場って、今俺は思ってます……」
疲れた様な顔をするソレルに俺は同情しつつ、ある事に気づいて踵を返して走り出した。後ろから「先輩!?」と叫ぶ声が聞こえるが、構ってはいられない。
最近のお嬢様はそれこそマジで本気でマジで!……これ使いやすいな……お嬢様は真面目にカクタス様を殺しにかかっている。止めをさしに来ている。まさか騎士訓練場まで乗り込んでくるとは思っていなかった。屋敷内ではどれだけ刃物を持ってもらってもいいが、ここは不味い。
「『お兄様とお昼を食べたくてお弁当を作ってきたの』とか言われたら、マジでカクタス様一殺される……!」
ズザザッ!と音をさせて、さっきお嬢様を待たせていた場所に―――あぁあああ!!
「私の為に……お弁当を?」
「ええ、そうよ! お兄様に食べて貰いたくて作ったの! 今日はベルも一緒に頑張ったのよ。ねっ、ベル!」
「はい! 僕も一緒に作りました」
「前みたいに簡単なものばかりだけど、今日はデザートも作ってきたの。だから、お兄様も楽しみにしてて!」
さすがお嬢様だ。
この数秒でどれほどカクタス様の心臓に刃を突きつけたかしれない。そろそろ、あの人血を吐くかもしれない。
どうか崩れていませんように、と願って恐る恐る見たカクタス様のお顔は―――
(完全に崩れてるっスね、ありがとうございます!)
満面の笑みだ。
刈り上げが真面目っぽくて青灰の目がクールで素敵、と女性達に騒がれていたシャマーラ公爵跡取りはいない。いるのは、ただの妹馬鹿一人だ。デロッデロの笑みを浮かべている。カクタス様、貴方の笑顔に驚愕した奴らが完全に訓練やってませんっスよ! 注意すべきっス!
「ほら、お前ら! ちゃんとやれっ!」
一応副隊長が声をかけているが、その副隊長もこちらに視線を向けている。俺に気づいて、目で問われる。間違いない。まさかあれがか、と言っている。俺は、まさかのアレっス、という意味を込めて頷いた。
カクタス様が重度の妹馬鹿だと知っているのは屋敷の者達だけではない。
カクタス様を酔い潰した経験がある騎士―――つまり、同僚や先輩方―――はよく知っている。カクタス様はそれなりにお酒を嗜まれるが、若干酔いが回ってきたくらいならまだいい。だから、嗜まれるのは誰も禁止していない。しかし、中酔いになってくると―――酔いだけではなく、カクタス様の舌も一緒にまわり始める。カクタス様の『俺の妹が可愛すぎて生きていくのがツライけどイキル』談議が始まる。そうなったら止まらない。意識を失うまで、延々とお嬢様の可愛さを語られる。
慣れているので俺は引かないが、他の者達からするとドン引きものだ。
更に言うなら、俺はお嬢様の可愛さに幾らか納得するところもあるので理解できる部分が多いということも大きい。
だが、それを聞かされた者達は『カクタスって危ないんじゃねぇーの』というところまで話が飛んだらしい。要するに、同僚や先輩達にはカクタス様の重度の妹馬鹿っぷりは周知の事実であり、女にそう興味を示さないカクタス様が蕩ける笑顔を向けている年下の少女はどう考えてもその妹本人ではないか、と思い当たるのも無理はない。そして、好奇心を働かせるのも無理はない。
「……カクタス様、今は訓練中なので戻ってください。お嬢様達はこちらで見学でもなさってください」
そんな中、俺が動くしかなかったのは当然だった。お嬢様はきょとんとしてから、首をかしげた。
「ソレルはどうしたの? ジャスパー」
「もうすぐ来ると思います」
本気で走ったからまだ追いついていないだろう。行く行くは、カクタス様に追いつけるくらいには鍛えるつもりだ。カクタス様から、ソレルの訓練に手を抜いたら給料減らすと言われているのでこちらも身が入る。お嬢様関連の事は全部あの人本気だから。
「ああ、そうだわ。ジャスパーも一緒にお昼を食べてね」
「えっ!? いや、私のことはお気になさらないで下さい。兄弟水入らずで……」
その中に入ったら俺が場違いで、居た堪れないではないか、と断ろうとする。だが、お嬢様の方が上手だった。
「何故断るのよ。……ああ、大丈夫よ。ジャスパーの分も作ってるから、私達の分がなくなるなんてことはないわ」
「ジャスパー? せっかくプリシラが俺と一緒に食べたいからと作ってくれた弁当を食べられないと言うのかい?」
目が笑ってないんスけど! カクタス様!
つーか絶対、なんでお前もとか思ってるっスよねっ?!
実際、カクタス様とお弁当を食べたいから作ったというお嬢様は色々考えて従者の俺とカクタス様を離せる訳にはいかないとか考えたのかもしれないが、そんな気を使う必要は全く無かった。騎士なんてばらばらで食べるの普通っスからね。従者が四六時中いたら息が詰まるじゃないっスか。そもそも、カクタス様を襲って傷を負わせられる奴なんてそういませんし!
「ねぇさま。ジャスパーにも用事があるのではないですか」
「えっ……あ、そうよね。ジャスパーだって用事があるわよね。ごめんなさい、無理を言ったわ」
「……。いや、ご一緒させて頂きます……」
10歳の美少女と7歳の美少年二人がしゅんとする姿に心打たれないものがいたら出て来い。無理無理。この二人、本当に顔がいいから。確かにお嬢様の眼は吊り目で性格も合わさってきつめの印象も与えがちだが、猫を連想させる吊り目が可愛くない訳がない。ここはカクタス様と同意見だ。ベルフェゴール様も儚げ美少年。碧眼が陰を作って落ち込んだ顔は本当に心を抉る。罪悪感が凄い。
「なら、お昼にすることにしようか。……お前たち! 訓練は終わりだ! 昼の時間だ!」
妹可愛さに我慢できず、カクタス様が暴走した。
ノルマ達成前の訓練きり上げに暫く呆然としていた騎士達が喜びに沸いた。それをお嬢様の見えない角度で睨みつけて、さっさと行きやがれテメェら!と裏の声が背景から聞こえてきた。
「よろしかったの? お兄様。私達、最後まで待っていても良かったのよ?」
「問題ないよ。実は昼の時間より早めに休めと上からも言われていてね。普段はどうも上手く時間を切り上げられなかったから、お前達のおかげで私は上司に怒られずに済むよ」
衝撃の事実。
その上司からの苦言をまるっと無視して訓練させようとしていたカクタス様はさすがだ。別にサボった訳ではない。ただ、時間ぴったりに終わったというだけのことだ。ノルマ達成まで絶対に休ませなかったのが、今回は違った。お嬢様が来たからだ。カクタス様のブレのなさに、いっそ感心する。
「では、移動しようか」
カクタス様の言葉に、お嬢様は嬉々とした様子でカクタス様の右手を握った。お嬢様の右手はベルフェゴール様が手を繋いでいる。そして三人仲良く、歩き出した。カクタス様の心境を思うと、怖ろしい。本当にいつか血を吐くのではないかと思う。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
「お兄様! これがそのデザート! プリンなのよ!」
ジャジャーン、と効果音をご自分で言って、お嬢様が初めて見る食べ物を出された。
「……プリシラが作ったのかい?」
あっ……悶えてる。
俺はカクタス様の心情を推察する。恐らく、効果音を自分で言ってることに悶えてるんだろう。俺も同じだからよく分かる。
なんなんっスか。ジャジャーンとか。可愛いしか言えないじゃないっスか。
お嬢様、マジでカクタス様をあの世に何度連れていきたいんスか。何度連れて行けば満足して下さるんスか。
笑顔が引きつってることは、俺にしか分からない程度だ。カクタス様の対お嬢様用仮面は相変わらず素晴らしく機能している。
「そうなの。ベルに美味しいお菓子を一緒に食べれたらなって思って作ったのよ。美味しく出来たから、お兄様とも一緒に食べれたらなって」
「ねぇさまが考えたお菓子なんです。すごく美味しいですよ、兄上」
ベルフェゴール様の褒め言葉に、お嬢様はちょっと頬を染めて照れられた。
だんだんカクタス様並みに褒め言葉を口にしてくるようになったベルフェゴール様が怖い。いつかカクタス様並みにお嬢様を好きになるのでは……姉馬鹿になるのではないかと危惧している。
「ねぇさま、はい。あーん」
流れる動作で、そのデザートをベルフェゴール様がお嬢様に食べさせた。お嬢様は破顔しつつ、普通に口を開ける。
どう見てもこれが通常っスね。
……もう手遅れかもしれない。
「プリシラ、私はお前に食べさせて欲しいな」
「あっ、えっと、ええ! も、勿論よ。お兄様。でも、先に食べて感想を聞かせて欲しいのよ。だって、不味かったら困るもの」
カクタス様が内心をダダ漏れさせて、お嬢様に強請っている。慌てた様子でお嬢様が答えているが……隣にいるソレルを肘で小突いた。
「いつの間に新たな菓子なんか作ったんだ」
「お嬢様が作る、と言い出しまして。本当に美味しいので、ジャスパー先輩も食べてお嬢様に感想を言ってあげてください。喜ぶので」
俺がスプーンを口に入れたと同時くらいに、カクタス様もこの未知の菓子を口に入れた。
驚いて目を見開いた。
甘い。
口の中で蕩けてすぐに無くなる。つるっとした食感は始めての感覚だ。柔らかい菓子など始めてだ。
皿の下に何か黒いものがある。チラと見るとそれと一緒に食べるらしいので、俺も同じようにした。
「うっま……なんだこれ」
濃厚な甘さが口に広がる。
これは幾らでも食べられる。美味しい。焼き菓子とは違う。この濃密なコクと甘さ。
「ジャスパーは気に入ってくれたみたいね。お兄様も好きみたいでよかったわ」
お嬢様がホッとしたように笑った。
「……いや、これ本当にうま……美味しいよ、プリシラ。これをお前が作ったなんて、お前は天才だな」
「そんなことないわ。私、優秀だけど天才じゃないもの。……お兄様が喜んでくれるように作ったから、私嬉しい。ドキドキしてたの、甘いものが嫌いだったらどうしようって」
甘いものが嫌いだったら、お嬢様との間に流れる空気なんて耐えられないっスよ。
心の中で突っ込んだことでちょっと我に返った。その間も、スプーンはこの魅惑のデザートを俺の口に運んでいる。
マジうま。
「私の可愛いプリシラが作ったものを喜ばない訳がないだろう」
真面目な顔をして……いやデレデレの顔でカクタス様が言う。
あんたのじゃないと思うんっスよ……いつも思うんスけど。
「僕のために作ったプリンだもの。ねぇさまが僕のために作ったプリンが美味しくないわけないよ」
「———ッ?!?」
ねっ?と首を傾げてベルフェゴール様が言った。
驚き過ぎて、つい隣にいるソレルに肘鉄をかました。
「っ?! な、何するんですかっ?!」
「あれはどういうことだ。なんでベルフェゴール様がカクタス様化してるんだよ」
どう見てもお嬢様の取り合いをしている。以前までは、お嬢様と一緒にいたくないといった感じだったのに。仲良くなったからといっても、カクタス様化までとは思っていなかった。あの目は、俺がよく見る目だ。
「え……ジャスパー先輩、知らなかったんでしたっけ? あー、そういえばベルフェゴール様と一緒の時ってなかったですもんね」
納得顏なのに腹が立って、もう一度肘鉄した。涙目で「なんで……」と言ってくるのを無視して、どういうことだ、と問う。
「お嬢様はベルフェゴール様を貶してるようで、大好きだったじゃないですか。元々」
「ああ……あの訳の分からない好意な」
口で嫌い嫌いと言いながら、お嬢様はさすがはカクタス様の妹君。ベルフェゴール様を大好きだった。が、どうもその好意を現せない。そこら辺はやはり、騎士の中で揉まれたカクタス様とは違った。
「でも変わった後って、かなり素直になってるんですよね、お嬢様」
「そうだな」
カクタス様を一日一殺どころか五十殺してるくらいだしな。
「それで、ベルフェゴール様に対応されたので……」
ベルフェゴール様に笑顔を向けるお嬢様を見る。頬は緩み、眼にはベルフェゴール様への愛情以外に感じない。全体的に「大好き!」オーラが出まくっている。猫を連想させる釣り上がり気味の目も若干下がっているため、普段キツめの顏が愛らしさ全開の笑顔である。見ているだけで微笑ましい。
あれを向けられれば誰だって絆されるかもしれないな、と遠い目をした。
最近はよく見るようになったお嬢様の家族仕様顏だ。屋敷のメイドの一人が「お嬢様の家族相手の笑顔が本当に可愛らしくて、あれを向けられる旦那様達に嫉妬してしまうんです!」と言っていた意味がよく分かる。
ちょっと羨ましい。
「プリシラがベルフェのために作ったデザートなら、美味いに決まってるね。今日はそれに私への愛も入ってるんだから、極上の味だよ。天国でも味わえないだろうね」
甘々な笑顔で言ってのけたカクタス様。
「……さすがカクタス様。まだベルフェゴール様が勝つのは無理ですね」
横でソレルが呆れたような感心したような声音で呟いた科白は、真実だった。ベルフェゴール様は悔しそうな顔になっている。勝ち負けの勝因は、年の功か、それとも愛の深さか。
普通の女性なら、というか、誰が聞いても頬を赤らめるくらいはしそうな科白だったが、お嬢様は不服そうだ。
これは……カクタス様がお嬢様に殺される前兆では。
案の定、お嬢様は唇を尖らせて口を開いた。
「天国なんて……大丈夫よ、お兄様が天国に行くなら、私も行くわ! ちゃんと天国でもお兄様に『プリン』作ってあげるんだから! だから、お兄様は天国でもこの味が楽しめるわ」
心配しないでね、とカクタス様に身を乗り出して、身体の前で両手で拳を作って言っている。
「あ……カクタス様死んだな」
確信して呟いた。
青灰の瞳が潤んでいる。
「……プリシラ……」
その後の言葉が続いていない。絶句してるな、アレ。
あっ。抱きしめた。二人の世界作ってる。
ちょ、カクタス様、ここでキスは……あー……。
お嬢様は慣れ過ぎていて、嬉しそうにキスを受け止めるだけで拒否していない。
これはもう間違いない。
カクタス様の現在の内心を俺は後で聞かされるんだろうな、とウンザリして溜息をついた。書類仕事しながら妹馬鹿の話を聞くのは辛いなんてものじゃない。
「……兄上! 早く食べないと訓練が始まりますよ!」
嫉妬っスか、ベルフェゴール様。
ギュウっとお嬢様の右手を抱き込むようにして取っているのを見て、お嬢様が本当に幸せそうだ。
それを見て、カクタス様の笑みが深まる。どうせ、頭の中は「可愛い」の単語が乱舞しているに違いない。
甘い。空気が甘い。
「ベル可愛い。ベルのこと大好きよ」
カクタス様の悪影響がここにも。
俺は空を振り仰ぐ。
ベルフェゴール様に自然とキスをするお嬢様に俺は眩暈を覚えた。
将来、他の男性にカクタス様の前でやりそう。そんなことになったら、騎士達の血の雨が降りそう。
それにしても。
「……凄いな、お嬢様……」
俺はお嬢様のキスシーンを始めて見たが、ちょっと感動した。
全く危なくない。怪しくない。
カクタス様がお嬢様と触れ合っていると、どうにも見てるこっちは見てはならない気分にさせられる。それは本当に兄妹愛なのか、と問いたくなる。兄妹愛以上はないと言いきれる従者の俺でさえ、時々微妙な気持ちになる。他の人からしたら、信じられないだろう。兄妹愛だと。
カクタス様は兄妹愛がいき過ぎちゃっているだけだ。それ以上のものはない。
しかし、お嬢様がベルフェゴール様に向けるものは全く不安にならない。幸せそうで、見てると微笑ましくなる。この違いは一体なんなんっスかね……と思って、一つ気づいた。
「年齢か……」
年齢が離れていることが原因かもしれない。犯罪臭がする。10いくつ離れている少女と真面目げな騎士。犯罪臭がする。
それから、容姿。
カクタス様の見た目は騎士というより、軍人だ。カクタス様をよく知らない者達は、禁欲的で自分に厳しく欲望に流されないような方だと思っているが、そんなことはない。いや、普段はそれで間違っていないが、ことお嬢様に関してはカクタス様は欲望に忠実だ。
大の男が純真無垢な少女を手篭めにしようとしている感が漂う。お兄様、と呼ばせるところも問題なのかもしれない。本当の兄妹なのに。
「お兄様が食べてくれて良かったわ。ジャスパーもありがとう。また今度、プリンを持ってくるわね」
「えっ!? マジっスかっ!?」
お嬢様の言葉に本気で喜んだ。あれは美味い。プリンはマジで美味い。もっと食べたい、と、思っていたところだ。
なぜかお嬢様は驚いた顔をしている。
「マジって……」
「私が教えました、お嬢様」
「ソレル。……そうなの。完璧な使い方、さすがお兄様の従者でソレルの先輩だわ」
物凄く真っ直ぐに褒められた。力強い言葉に、本気でそう思ってることが伺いしれる。かなり嬉しい。嘘が全くないと分かるからこそ、自分の能力を認められる喜びもひとしおだ。
感動していたら、カクタス様が眉をあげて、断れ、と口パクしてきた。仕方なく、物凄く惜しみながら遠慮することにした。
「い、や……でも、やっぱりお嬢様にご迷惑をおかけするのは……」
「ジャスパーはいつもお兄様のお世話をしてくれてるんだもの。私がやりたいのよ。恩に着せるわけじゃないから、気にしないで」
マジっスか、お嬢様!?
それって、俺には材料費なんかを請求しない、普通のお礼ってことっスよねっ?!
やっぱ、下さいっス!
プリン、また食べたいんでっ!!
「ふふっ! 良かったわ。そんなに喜んでくれるならジャスパーの分も作ってきた甲斐があったわ。お兄様とベルと一緒にお昼なんて今日はとっても素敵なお昼ね!」
それ、お嬢様じゃなくてカクタス様が一番感じてることだと思うっスよ。
本当に嬉しそうに笑うお嬢様に言葉に出さずに呟く。お嬢様はあまりにもカクタス様を知らない。というか、カクタス様の隠し技術が凄いだけっていったらそれまでっスけど。もう少し、裏の顔を疑うべきだと俺は思うんスよ。
お嬢様が立ち上がった。ベルフェゴール様も一緒に立ち上がる。侍女のグレイスが既に片づけを終わらせていた。首を傾げたところで、騎士達が戻ってきている音がする。昼の時間の終わりだ、と気づいた。
いつもより随分ゆっくりと食べたはずなのに、この時間が惜しく感じる。
「お兄様。今日は私の我儘に付き合ってくれてありがとう。とても楽しかったわ」
「兄上、また稽古をつけてください」
カクタス様がお嬢様に苦笑する。
カクタス様曰く「変わってから、プリシラはなーんか凄く遠慮するとこがあんだよなー」と言っていたのを思い出した。遠慮とは違う気がするも、カクタス様からしたら最愛の妹と可愛がっている弟と弁当を、それも妹の手作り弁当を一緒に食べる事は全く我儘ではない。
土下座したら毎日作るってお嬢様が言ったら、間違いなくカクタス様は土下座くらいするっスよ。ついでに逆立ちもしてくれるに違いないっス。
「プリシラ。ベルフェ。今日は私もとても楽しい時間を過ごさせてもらったよ。それにプリンもとても美味しかった。プリシラの名前が入ってるお菓子なんて、まるでプリシラを食べてるみたいだな」
ちょっと待てカクタス様っ!? なに言ってんですかーーーー!?!?
それは完全に危ない発言ですよーーーーー!!?!?!
帰ってきていた騎士達は隊長の問題発言に硬直している。俺も硬直している。ただの冗談を言ってると分かっているが、それにしても超問題発言じゃないっスか、カクタス様。今後の隊長の権威的に困るんスけど!
ベルフェゴール様など「確かに、ねぇさまの名前が入ってますね。僕、ねぇさま食べちゃったんですか?」と続けている。まだ幼い彼には、兄の不味い発言に眉を顰めるほどの知識がない。仕方が無い事だが、それでも俺は言いたい。
誰か突っ込んで下さいっス! ベルフェゴール様もマズイ発言してるって誰かツッこんで下さいっス! 俺には無理っ! 無理だからっ!
「お兄様とベルの一部になれるなら、私はお兄様にもベルにも食べてもらっても構わないわ」
ちょっと照れた様子でお嬢様も普通に返される。これはどう考えてもカクタス様達の教育の賜物。悪影響。
ここはドン引く場面っスよ、お嬢様っ! そんな可愛らしい返答するところじゃないっスよ!!?
俺の内心の動揺をこの三兄弟は気づくことなく、最後の挨拶が始まった。
「では兄上。訓練、頑張ってください」
「ああ、ベルフェ。プリシラをよろしくな」
ベルフェゴール様の頭を撫で、カクタス様は兄らしく笑った。崩れていない笑顔だ。ベルフェゴール様も「勿論です、兄上」と真剣に頷いている。
先程のやり取りさえなければ微笑ましいともいえる光景だ。
凍り付いている騎士訓練場に気づくことなく、カクタス様は「プリシラも、またプリンを作って欲しい」などと言っている。お嬢様も「勿論よ! お兄様!」と笑顔で頷いた。さっきのやり取りさえなければ微笑ましいのに、さっきのやり取りのせいで、物凄く危ない兄妹になってるっスからねっ?!
そしてお嬢様は―――最後の最後でやらかしてくれた。
お嬢様と目を合わせるためにカクタス様は屈んで話していたのだが、そのカクタス様の首にお嬢様が飛びついたのだ。びしり、とカクタス様が固まるのが後ろからでも分かった。驚愕に目を見開いているに違いない。
俺も声なき声で叫んだ。
―――何やってくれちゃってんスかおじょうさまーーー!!
「お兄様。あのね、騎士様達を叱咤するお兄様、すごーく格好良かったわ。ちょっとときめいちゃったのよ。お兄様に惚れ直したわ。お兄様、大好き」
ちょうどお嬢様の表情が良く見える位置にいたため、俺はそれを見た。
お嬢様は顔中を真っ赤にして、若干瑠璃色が潤んでいる。可愛い。それを見て、理解した。普段から素直な言葉を投げるお嬢様だが、わざわざカクタス様に抱きついたのは本当に恥ずかしくて言いづらかったからだ、と。
お嬢様の羞恥するところがさっぱり分からないんスけどーーーー!!!
人前でのあーんも、人前でのキスの応酬も恥ずかしげなくやっていたのに、何故そこで照れるっ!?
「じゃ、じゃあ、行くわ。あの、怪我しちゃ駄目っていうのは無理かもしれないから……あまり、怪我しないように気をつけてね、お兄様。頑張ってっ!」
羞恥に堪えられなかったらしく、パッ!とカクタス様から離れた彼女はベルフェゴール様の手を取って走り去った。グレイスとソレルが慌てて、一礼をして後を追いかける。残された俺はなんともいえない気持ちでそれを見送った。
「―――……ジャスパー」
「……はいっス」
屈んだ姿勢のまま、動かなかったカクタス様が嫌に静かな声で俺の名を呼ぶ。その後に続く言葉を予想して遠い目をして耳を両手で塞いだ。カクタス様は、息を大きく吸った。
「なにあれえええええええええええ!?!?!?!? 天使じゃね!? 俺の妹天使じゃねっ!?!? 俺の妹ホント天使だよ天使すぎて怖い怖すぎる俺と昼食べたいからってお弁当作ってくれるとかどういうことなのベルフェのためにお菓子を発案して天才だって褒めたのに謙遜するとか姉として妹として完璧だろそんな人間いねぇよそうかやっぱ天使だったんだわプリシラ俺の妹やっぱ天使……いやむしろ妖精!? 俺の妹って妖精!? もしかして伝説の生き物だったりしたのか!? 容姿からして儚いもんなっ!? いつか消えんのっ!? まぁあれだけ可愛いプリシラが人間なはずなかったっていうねっ! いうねっ!? しかもなんだあの美味過ぎる食べ物! それを謙遜っ! つーか、もう色々可愛すぎると思わねぇ!!? 吐血するかと思った! あまりの可愛さに城100周しようかと思ったわ! 地面をごろごろしたかったんですけどっ!! あーんする時、一々ちょっと照れる顔が可愛すぎる!笑顔が一々可愛い!しかも今日のプリシラ、髪あげてたのが動く度に尻尾みたいに揺れて更に可愛かった今度プリシラの髪結うな他の女性にやり方教わって俺好みの女の子にするわしかも俺が天国行くなら私も一緒に行くからとか俺がお前を死なせる訳ないだろっ!!!乗り出して両手握ってとかあざといさすが妖精あざといっ!!! しかもなんだ、あのプリン出す時とかなんなの? 俺を殺したいの? じゃじゃーんとか…………可愛すぎるだろっ!!!! なんだこれなんなのこれ俺死ぬかもしんないこの気持ちに名前がつけなきゃ俺死ぬ!妹に悶え殺されるけどでもこれからもこんな幸せな事って待ってると思うから俺やっぱこれからも生きるわ。つかジャスパー聞いた? 聞いたよな? お兄様凄くかっこいいって言ったよなっ?!ときめいたって言ったよなっ!? 騎士の野郎どもを訓練する姿が格好いいっていったよなっ!? しかも惚れ直すとか言ってなかったっ!?!!? あの我儘デート以上に幸せな事ってないって思ってたけど俺間違ってたわあんときも死んでいいかもしんないけどやっぱこれからのプリシラを目に焼き付けるために生きるって思った俺間違って無かったわさすが俺じゃね、これからもプリシラからのご褒美を貰うために俺仕事頑張る………ッッ!!」
はぁ、はぁ、と息を吐くのを確認して俺は両手を外した。いつも思うがよくそれだけの長文を殆ど一息で言えるものだ。これもお嬢様への愛がなせる業か。
「たいちょー! そういうのって『萌え』って言うらしいですよー! なんか心を鷲掴みにされるというか、掻き毟りたくなるというか、なにかに対しての一方的な強い愛着心とか好意とかのことらしいです!」
「萌え……」
騎士の一人が叫んだ。それに対して、カクタス様は天命を受けたように呟く。俺は何余計な事を言ってんだ、とその騎士に向って怒鳴った。
「おいこらテメェ何言ってんだ!!!」
そいつは「いやでも困ってたみたいだったんで」と悪びれていない。後で練習倍にしてもらうから覚悟しておけや!と言えば顔を青ざめさせている。
カクタス様がゆっくりと立ち上がった。
「成程……俺はプリシラに萌えていた、と」
「なるほどじゃないっスよ!!?」
天命を受けたかのような顔で、しみじみと呟いたのに突っ込みを入れた。
「いや、ジャスパー。お前、俺がどれだけこの苦しい思いを言葉に出来ないか知ってただろ? 萌え。これに尽きる。俺は今、なんだかすっきりしてる。まさに今、俺は天命を受けたんだよ。そうか……この気持ちは『萌え』と言うのか……」
なんか悟っちゃってるんスけど……。
俺はもう諦めた。妙にすっきりした顔で口端を上げるカクタス様を置いて俺は立ち去る事にした。
「俺、情報整理をするために部屋戻りますんでー」
執務室に戻る後ろで、カクタス様が「プリシラの為に、これからお前らをもっと鍛えてやる!」と宣言しているのを「マジ同情するっス……」と騎士達の悲鳴をと共につぶやく事になった。
他者視点、第三弾はお兄様の従者兼右腕兼幼馴染兼ツッコミ役のジャスパー君です。
皆さんから感想で沢山お兄様大好きって頂いたので、書きました。
ジャスパー君も、プリシラに関すること、結構カクタスお兄様に影響を受けてますよね。……若干、洗脳っぽい。