さすがよ!ソレル!
翌日。プリンを作ろうとしたのだが、準備段階でプリシラの知らなかった事実が発覚した。
「『冷蔵庫』も『オーブン』もないですって!?」
材料は簡単だった。
砂糖、卵、牛乳。
公爵家の厨房にない訳がない食材達だ。
しかし、その後にプリシラが尋ねた質問に皆が揃って首を傾げた。冷蔵庫とオーブンの場所である。
「はァ……お嬢様? 私達にはよくわからないですかいね。どういったもんですかいね?」
「あ、そ、そうよ。名前が違うかもしれないわね」
それらは別世界での名前だった、とプリシラは反省し、その用途を彼らに伝えた。
そうするとシャンツァイが「それならこっちですかいね」と教えてくれたのはプリシラが思っていたものとは随分違うものだった。
「つまり……火魔法が得意な者がここで火の調節をして、水魔法や風魔法で冷やすの? 氷はないの?」
別世界で機械が行なっていたこと全ては魔法でそれらを担っていた。
考えてみれば当然である。
別世界のように面倒な方法を使い、火を起こす必要はない。
魔力がなくなったなどの緊急事態でもなければ、火種は初級魔法。
誰だって出来る。それなら、その火魔法が得意な者が料理を焼いてくれれば当然、繊細な火加減で美味しい料理が作れるだろう。料理知識は全て別世界のものである為に、そちらの常識に引きずられていた。
「氷は上級になりますかいね……才能がいります」
冷やす事は水魔法や風魔法で出来るらしい。
水を作り、それを冷やす事は可能。
だが、それを凍らせるまでにすることは別だという。かなり魔法の才に長けた者か、もしくは修練を積んだ根性のある者でないと駄目だと教えられる。
水を冷やすまでは出来るのに、凍らせるのは別の系統の魔法。
そこの何が違うのかは今のプリシラには判別できない。だが、そんなことはどうでもいい。そうだ。それよりも。
「……ということは、凍らせた食べ物はないのね」
「凍らせることなど出来ませんですかいね! それに、凍らせたら冷たくて固くて食べられませんかいね!」
まさかそんな、という調子で首を振るシャンツァイ。
ならアイスクリームもないわね、とプリシラは目を輝かせた。
家族に褒めてもらい、家族皆が楽しんでくれる料理の中に『プリン』以外に『アイスクリーム』が予定として組み込まれる。
異世界の料理人達万歳。
ありがとう、私のために素晴らしい料理を生み出してくれて!とプリシラは別世界の偉人達に感謝の祈りを捧げた。
「氷魔法が出来る者はいないの? 私は氷が生みだせる者が今すぐ欲しいわ」
『アイスクリーム』はまた今度だ。
プリンなら水魔法でいいので、今回は別にいらないが将来を見据えて氷魔法が出来る者を知っておきたい。
シャンツァイは苦笑を浮かべて首を振った。
「私達の中にはいませんかいね……水魔法じゃ……」
「なら練習しなさい。修練次第で出来るんでしょう? 公爵家の料理人なら、それくらいの根性を見せなさい。水より氷の方が料理人としての幅も広がるんだから、氷魔法専用の者を教育しなさいよね」
プリシラも『アイスクリーム』のために、氷魔法を修得するとここに誓う。
魔法は一度感覚を掴めば、それ以後はすんなりと行くという。ただ、氷魔法は氷を想像出来ないために、その一度に到達するまでが長いのだ、とシャンツァイに言われる。今度の授業で氷魔法について教えてもらおうと、プリシラは頭に書き込んだ。
料理人達を見ると、氷魔法についてあまりピンと来ていないようだった。
氷魔法の有用性は実感でもしないと修得しようと努力しないのかもしれない。
「……お嬢様」
「何、ソレル。貴方、氷魔法が出来る者を知ってるの?」
側に控えていたソレルがプリシラを呼んだ。
ソレルの顔は広い。彼はすぐに誰とでも仲良くなり、情報網の輪を広げていく。その彼なら確かに氷魔法を出来るものを知っているかもしれないわね、とプリシラは期待に振り向いた。
「私、使えますよ。氷魔法」
「え」
「だから……使えますけど、氷魔法」
僅かに視線をそらせながらソレルが言う。
ほら、と呪文を唱えて掌から氷の結晶が現れたのを見て、プリシラは漸く頭にその内容を入れて―――ソレルに抱きついた。
「う、わ……っ、ちょ……ッ!?」
「さすがよ! ソレル! やっぱり貴方はただの私の優秀な護衛兼従者じゃなかったのね! 魔法の才能があったなんて早く言いなさいよ!」
ソレルはプリシラに身を振り回され、驚きに顔を固くしながら言った。
「い、いや、才能って程じゃ……頑張れば誰でも出来ることですし……」
「はぁ?! 貴方馬鹿じゃないの!?」
謙遜するソレルにプリシラは叫ぶ。顔を覗き込み、その瞳にプリシラの顔が映り込んだ。
「氷魔法が欲しいのは今なの。私が今、氷魔法を使える者が欲しいって言ったのよ! その今、この時に氷魔法が使えるのは貴方しかいない現状で『誰でも出来る』訳がないじゃない。今、この時! 氷魔法は『誰でも出来る』んじゃなくて、ソレル、貴方しか出来ない事なのよ! だいたい、根性なんて言うのは簡単だけど、誰もが出来ないんだからそれも才能じゃないの」
まったく……それを『誰にも出来る』なんて馬鹿なことを言わないでよね!とプリシラは腕を組んだ。ソレルは何をそんなに驚いたのかと言うくらいにプリシラをじろじろと見ている。
「そもそも、今欲しいのに出来ないってことは、私にとって無能ってことよ! 必要ない人材ってこと。そして、私が欲しい時にソレルは氷魔法を使えるんだから、貴方は私の期待に答えられたってことじゃない」
氷魔法を手に入れたのなら、さっそく『プリン』作り再開だ。
ベルフェゴールは今、勉強を頑張っている。
その息抜きに『プリン』を差し入れとして一緒に食べる事が出来れば、ベルフェゴールの笑顔も元気もプリシラのものに違いない。それを思うだけで、プリシラは気合が入る。鼻歌だって出てしまう。
「プリシラ様!」
「なに? グレイス」
「もし、ソレルが氷魔法出来なかったら、私達、無能、です? 必要ない、人材、です?」
「はぁ?」
グレイスにプリシラは眉間に皺を寄せた。ついで、プリシラは黙って右手を上にあげ、グレイスの額に向けて手とうを下ろした。いわゆる、チョップだ。
「っ?!」
「馬鹿なこと言ってないで、早く『プリン』を作るわよ」
「プ、リシラ様ぁ」
涙目で睨んでくるグレイスに溜息をつく。可愛いからって何でも許される訳じゃないのだ。
「あのね、グレイス。貴女って本当馬鹿ね。『家族』はその範疇に含まないに決まってるじゃないの」
「えっ」
「何よ?」
グレイスの驚き顔はプリシラを不満にさせた。睨みつければ、グレイスは胸の前で両手を振った。
「あっ、い、いえ、その」
「……俺らも家族なんですか」
横からソレルが口を出してきた。
グレイスにもう一発、と思っていたプリシラは何を言っているのかとソレルを見た。
いつも笑みを浮かべている顔は表情を無くしている。それなのに、その視線が迷子のように揺れているのにプリシラは虚をつかれることになった。
「あ、当たり前でしょ。公爵家にいるのよ? 貴方達は私の家族だわ」
「じゃあ、お嬢様は……俺達がここを辞めさせられたらもう家族じゃないって事ですか」
淡々と言葉を紡ぐソレルが怖い。プリシラは背筋に這い上がってくる怖さに負けないよう、彼を睨みつけた。
「何が言いたいのよ、ソレル。お父様が選んだのに簡単にやめられる訳ないじゃないの。だいたい、私がソレルを辞めさせると思ってるの? 貴方、何年私と一緒だと思ってるのよ! 物心ついた時からソレルは一緒なんだから、これからもずっと一緒に決まってるでしょ! そもそも、私が一人で生きていけると思ってるっていうのが大間違いよ。私は命令するってこと以外なんにも出来ないんだから、私の身の回りの世話をするグレイスやソレルがいないと死んじゃうじゃないの!」
プリシラ好みのお茶も様々なタイミングも全て知り尽くしている二人だから、プリシラは日々をなんの憂いなく過ごしているのである。仕事だ何だといわれようとプリシラにとって二人は家族だ。
「貴方達が家族じゃないって言っても構わないけど、私にとって貴方達は家族よ! 大切で大好きで敬愛する存在! 無能なの?って言う事はしても断言する事はないわよ。私の家族が無能なはずないもの!」
ソレルもグレイスも何が言いたいのかさっぱり分からない、とプリシラは揃えられていた材料の中から卵を取り、ボールへと割りいれた。
これ以上議論しても『プリン』作りは全く進まない、とプリシラははっきりと分かったのだ。
早くしなければベルフェゴールとのお茶の時間までにプリンが出来上がらないかもしれない。
それは困る。
せっかく冷蔵庫が手に入ったのだ。それもプリシラの冷蔵庫だ。歩く冷蔵庫。それを活用せず一体如何するのだ、とプリシラは牛乳と砂糖も適当にボールの中に放り込んでかき混ぜる。
近くで固まっていた料理人に素早く容器の説明を行って生地を流し込む型を持ってこさせれば、プリンの元は完成だ。
ここまでは料理初心者のプリシラでも簡単に出来た。
そこから蒸し器を用意するのが、また大変だった。
なぜか滂沱の涙を流しているシャンツァイの脛を蹴り飛ばし、正気に返らせて、火にかけても大丈夫な器を持ってこさせた。
驚く事に『蒸す』調理法がなかったのだ。
シャンツァイに説明すると、周りの料理人達も一緒になって興味深そうにしていたので献立に新しい物が近いうちに増えるかもしれないとプリシラはちょっと期待している。
大きな器にプリン型を入れ、熱湯を入れて蓋をしてから火にかける。
火魔法は料理人全員が得意だそうで―――そうでなければ、プロの料理人とは言えないらしい―――今回は探す必要なく、蒸すことが出来た。
たったこれだけの作業までにどれだけの時間を経っているのか、とそこまでの作業を終わらせてからプリシラは呆れる。
すぐに出来るはずだったのに。
蒸す時間は20分くらいかかる。
それまで、またクッキーでも作ろうとプリシラは周りに指示を出した。
*・*・*・*・*・*・*・*・*
「ねぇさまっ! これ、美味しいですっ」
「ふふっ、ベル。ついてるわよ」
唇の端にプリンが少しついているのを指先でとってやりながら、プリシラは内心大いに満足していた。
最終的に完成したプリンはすだつこともなく、ソレルの力のおかげで冷えるのも早く、こうしてベルフェゴールとのお茶の時間にテーブルへと乗る事が出来ている。
プリシラの手作りお菓子だと説明を受けたベルフェゴールはプリンにスプーンを差し入れ、その感触に驚きながら口に入れて瞳を輝かせて、愛らしい笑顔をプリシラに見せてくれたのだった。
「ベル、これも美味しいわよ」
「……お嬢様はベルフェゴール様には食べさせてあげないんですね」
プリシラが自分のプリンを勧めると、ソレルがそんなことを言い出した。ベルフェゴールとのお茶会をどれだけプリシラが大切にしているか知っているソレルとグレイスは、邪魔にならないように口を出すことはしない。そんな彼の始めての暴挙にどうしたのか、とプリシラは振り向いた。
ソレルの顔からは何も読み取れない。
「……食べさせるってどういうこと? ソレル」
仕方なく、顔を前に戻したところで、ベルフェゴールが声を硬くして尋ねた。
「……はい。先日、カクタス様とお昼をお嬢様がお召し上がりになった際には……お嬢様自らの手でカクタス様のお口にお食事を運んでいらっしゃったので不思議に思いまして」
「ねぇさま、それ本当?」
ベルフェゴールの声が怖い。
プリシラは「え、ええ」と頷いた。プリシラは兄に「はい、あーん」して貰うのも、ベルフェゴールに「はい、あーん」して貰うのも好きだが、ベルフェゴールはちょうど嫌がる時期に差し掛かるのではないか、と遠慮したのだ。本心では是非「はい、あーん」はしてあげたい。絶対可愛い。クッキーの時にして貰ったので、是非やってあげたい。
「僕も……ねぇさまに食べさせてもらいたい。兄上だけ、ずるいよ」
唇を尖らせて拗ねたベルフェゴールを見て、プリシラは直様スプーンでプリンを掬い取った。
「……ベル、はい、あーん」
「……っ、う、うん。あーん……美味しい!」
カラメルと混ぜたプリンをスプーンに乗せてベルフェゴールへ差し出せば、頬を染めて照れながらも嬉しそうに笑って食べてくれた。プリシラもその様子に嬉しくなって微笑む。
「ソースをつけると美味しいでしょう?」
「うんっ! これ、この間ねぇさまが言ってたお菓子? 僕が知ってるお菓子とは随分違うね……柔らかいし、つるっとしてる」
普段食べている物は焼き菓子が多く、生菓子に近いプリンは確かに食べた事がなかった。日本ではないため、茶碗蒸しもない。味わったことのない食感だったかもしれない。プリシラもプリンは非常に気に入った。
料理人達も試食して喜んでいたので、これからは時々お菓子に出るのではないかと期待している。プロが作る方が断然美味いし、工夫もしてもらえる。
「そうよ、『プリン』っていうの。ベルはプリン、嫌い?」
「ううんっ! 凄く美味しいよ。僕、好きだな。ぷりん」
「ソレルが助けてくれたのよ。氷魔法を使えるから、随分早く冷やす事が出来たわ。さすが、ソレルだと思わない?」
「えっ、ソレルが……氷魔法を……」
「ちゃんと勉強して、根気良く頑張る必要があるらしいのに凄いわよね。使い勝手が良さそうだから、私は氷魔法を使えるように努力するわ」
「僕も頑張って氷魔法が使えるようになるよ、ねぇさま」
にこっと可愛らしく笑って「そしたら今度は、僕が最初から最後まで作った『ぷりん』を作ってあげるね! ねぇさま」と言われたのなら、誰だってすぐに抱きしめて頬にキスしてしまうのは当然だったと、プリシラは優秀で信頼を寄せる侍女にその夜、語った。