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『色欲』のアスモデウス

 グレイスが超能力者だったと知って、数日後。


 家庭教師から出された宿題を自室で行っていたプリシラは、何か忘れていると唐突に思った。宿題は今やっている。ダンスの練習も終わらせた。ベルとの楽しい団欒も忘れていない。


「―――あ」

「お嬢様? どうかしましたか?」

「プリシラ様、ご休憩です、か?」


 新しい花を花瓶に生けていたソレルと休憩の時間を取らせようと待ち構えていたグレイスが、プリシラの呟きにすぐさま反応した。

 最近、グレイスはプリシラに休憩をさせようとあの手この手をソレルと共謀してくる。

 集中が切れたところを見計らってお茶を運んでくる彼女の手腕は、危機回避直感が無くとも元々冴えていたのではとプリシラに思わせた。


「……まぁ、そうね。休憩するわ」


 手を止め、立ち上がる。


「グレイス、お茶を用意して。ソレル、お菓子も一緒にお願い。今日はテラスで食べるわ」

「「かしこまりました」」


 一礼をして二人ともそれぞれの仕事をするために動き出した。


 二人が戻ってくるまで、プリシラはテラスで読みかけの本を読み始めた。



 数分後、準備が整い、テラスにお茶の用意がされたのを見計らって、プリシラは告げた。


「椅子を持ってきて、二人も一緒に休憩してちょうだい」

「「えっ!?」」

「二人に話すことがあるのよ。私は温かいお茶を飲みたいの、早くして」


 驚いて辞退の言葉を言おうとするのを遮る。


 その為に、今言ったのだ。

 これ以上押し問答をすれば紅茶が冷える。プリシラは冷えた紅茶は嫌いだ。

 それを分かっていて、更にプリシラが意見を曲げることをしないと知っている二人は、一緒のテーブルに着くことを受け入れるしかない。


「「失礼致します……」」

「ええ、そう。私と一緒に食事できる事を喜びなさい。……っと、そんなことを言っている場合じゃないわね」

「お話だったら私達も聞きますけど、でも立ったままでも良かったんじゃないんですか?」

「話が長くなりそうなのよ、後ろに立ってたら話しづらいじゃない。あ、ちゃんと仕事はしてちょうだい。お茶のおかわりまで自分でやる気はないから。ああ、お茶もお菓子も食べていいわよ」


 食い下がろうとするソレルの横で「そうだ!」と言いたげに首を上下に揺さぶるグレイスの意見など聞く理由がない。二人が顔を見合わせたのを確認して、さて、とプリシラはグレイスの淹れてくれたお茶を一口飲んで口を開いた。


「―――この間の『悲劇の少女』事件の原因だけど、攻略対象者だったわ」


 あの騒ぎの途中に気づいたけど、すっかり忘れていたのよね、と続けて、お菓子を頂く。

 さっくりとしたクッキーが美味しい。

 相変わらずの素晴らしいコックの手腕にうっとりする。ん?と顔をあげると、グレイスとソレルが目を見開いて固まっている。プリシラは眉を顰めた。


「二人とも何か聞くことないの? アレやベルの時は色々聞いてきたじゃない」


 アレとは勿論、殿下の事である。


「……いや、あの……って、そんな大事な事、どうして忘れてたんですかっ!?」

「だって、言う機会がなかったじゃない。グレイスの話とパイをどうやって作ったかって言う方がずっと重要だったし、楽しかったんだもの」


 パイの作り方はグレイスの話が終わった後に二人から教えてもらった。


『パイ投げ』の際に使用された特製パイは、公爵家の厨房で作成されたもので、材料は食在庫の片付けのためにと二人が様々なところから貰って来たもので作ったそうだ。


 色鮮やかにするアイデアはソレルのもので、プリシラが彼に贈ったペースト状になったあのパイは二人が色々作った後に考え出した共作だ、と楽しそうに語ってくれた。


 グレイスは、色鮮やかにするために香辛料を大量に手に入れていたり、とりあえず身体につくと悪そうなものを生地に混ぜ込んだり、材料にしたという。


 例えば、あの赤いパイには腐ったトマトだけではなく、唐辛子の粉も大量に入っていたらしい。更に魔力を与える事によって育つ魔力植物の液もいれた、と聞いて少し色魔に同情したくなった。しないけれども。魔力植物の液は魔力の相性によっては酷いかゆみやデキモノが出来る。治すには他の魔力への拒否反応が自然になくなるまで放置しておく必要がある。そのために、かゆみがあっても掻いてはならず、痛みがあっても触ってはならず。延々と苦しむのだ。なんとむごい。……よくやったわ、二人とも!とプリシラは絶賛した。

 二人がパイを制作する時は、直に手で触れないように気をつけたという。グレイスが提案した香辛料よりも、この魔力植物の液体を乾燥させ粉にしたものを混ぜたほうが発色した色になったことを報告してくれた。液体には魔力の数によって様々な色が存在する。そのため、多色のパイが出来上がったということだった。


 それであんなに苦しんでいたのか、と納得した。今頃はかゆみやデキモノに苦しんでいたらいいとプリシラは心の中で祈る。前日の夜に作ったのもあって一晩経ったら腐って異臭を放っていたので隠すのが大変だったんですよ~、とはソレルの弁だ。


 そんな楽しい話をしていたのに、どうでもよい色魔を思い出すことがなかったのは当然だと思う。


「じゃあ、あの……あの人、どういう役、です?」


 グレイスが戸惑いながら尋ねてくれるのを「色欲」と短く答えた。


「うっわぁ……やったことまんまかよ……」


 ドン引きしたソレルの言葉は正に真を突いている。


「最低男……」


 ぼそりと呟いたグライスに「そんなの分かりきってたことじゃない」と答えてから、プリシラは知っている知識を披露した。


 *・*・*・*・*・*・*・*・*


 あの最低男はアスモデウス・ゴート。ゴート侯爵家の長男で皇太子の未来の我が国の宰相よ。さっきも言った通り、『色欲』のアスモデウスね。


 え? ああ、護衛じゃないのかって、そうよ? 剣も出来るっていう話だったけど、ゲームの中では、アレの参謀役だったわね。頭脳労働の方が向いてるんですって。


 全然気づかなかったわ。名前なんてルシファー様のことばっかりで覚えてなかったし、興味が無かったから。護衛、とか、石像とかで充分通じたし。


 あと、ゲームの中ではかなりのチャラ男だったのよね。チャラ男っていうのは、チャラチャラした男っていう意味よ。え? ああ、別世界だって宰相のイメージはお堅いのよ。『女? そんなものより、陛下の方が大切です』っていう感じの。でもこのゲームでは違うのよね。なんか凄い女好きで、髪も下ろしてたし。

 オールバックなんてんじゃなくて、若者らしい髪型で。確かに顔は同じだったけど、そんなんで思い出すわけないじゃない。

 そもそも、二人だって名前を覚えてるんなら私が言った時に言えばよかったのに。


 え? 結びつかなかった? そんなことが言い訳になると思うの? 誰もゴート家の嫡男なんかに興味がなかっただけでしょ。


 ええっと、なんだったかしら。


 あ、そうそう。

 色欲っていうのは、とにかく女好きって設定なのよ。

 可愛い女の子は口説かないと失礼とかなんとか言ってたわよ。というか、彼の場合は男も大丈夫らしいわ。なんかそういう科白があって、一部の人達に話題になってたから。


 彼のルートに入ると、まず初めの挨拶の時に掌にキス、壁に押し付けられて頬キスから始まるのよ。それで身体だけの関係を迫られるのよね。ヒロインは拒否するんだけど、それが新鮮で意地になって追い掛け回すうちに恋が芽生えるんだったわ。主従共々、女に振られた事がないなんて腹の立つことよね。しかも、女に振られた事でヒロインに興味を持つんだもの、似たもの主従だわ。


 お兄様が特殊な家系だからって言ってたけど、その理由も分かったのよ。


 ゴート家って、相当性欲が強いんですって。それもアスモデウスは通常より性欲が強い家系において、突出して性欲が強くて、我慢しすぎると正気を失って誰彼構わず襲うとかなんとかヒロインに語ってたわ。呪いなんだ、って言って涙を流してたけど。


 気持ち悪いわよね。


 そもそも同い年の、それも気になってる女の子に言う言葉? それで口説いてるつもりなら、一昨日きがやれ!って蹴られ飛ばされても仕方ないと思うわ。

 まあ、ヒロインはそんなことしないで、同情して、何故か自分が実験台になってあいつの性欲を我慢させようとするんだけど。


「なんでだよっ!! なんでそうなるんですっ!? 異性って言ってるんだからヒロインの事も押し倒したいって思ってるって言ってるんですよねっ!? それなのに、なんで実験台してるんですかっ!?」


 すごい勢いでソレルにツッコミを受けた。


「知らないわよ。私に聞かないで。そもそも別世界の話よ」

「そ、それは……そうですけど」

「超展開っていうのも乙女ゲームの特徴なのよ。自分を監禁してる男のところから隙を見て逃げ出したのになぜか戻って大人しく監禁場所で男を待ってる、とか。泣いている女の子に突然キスして、俺はこれしか涙の止め方を知らないんだ、とか言われてそいつとくっつく、とか。……ソレル、いい? よく覚えておきなさい。よく分からないのが乙女心なの。なぜ、じゃないのよ。そういうのはね、理屈じゃないのよ。考えるな、感じろ!の世界なのよ」


 じゃあ、話を続けるわよ。

 王家にしても、ゴート家は性欲以外は相当に優秀だから女とみれば口説いて片っ端から食っていくのをある程度、許容してるところがあるんですって。ゴート家の者達が身体を動かす物を好むのも、性欲発散のためらしいわ。身体を動かせば余計な事を考えずにすむんですってよ。後は、歴代のゴート家の者達も、一人の相手を見つければ、浮気なんてしないという話だからっていうのもあるんでしょうけど。


 そう言えば、アスモデウスはかなり忍耐力が強いっていう話もあったわね。


 普通は10の頃から色々我慢できなくなるらしいけど、彼は13まで頑張ったとかなんとか。13の時に爆発ね。それまでは護衛の訓練で発散してたんですって。ちょうど今が10だから、まだ自分の衝動と戦ってるところくらいじゃない? ヒロインに、一度味わったら我慢できなくなったとか語ってたわ。気持ち悪いわよね。


 実際、彼の性格は今の真面目で実直の方らしいわよ? 性欲を発散させるのに効率がいいからってチャラ男に変えたんですって。……今は実直な真面目のはずなのに、なんで今回私にあんなことしたのかしら。謎だわ。


 はぁ……本当にどうでもいい男の未来の知識を知ってるって凄く不毛。こんなの誰かに話して笑ってないとやってられないわよ。


 別世界の乙女達はこいつが好きだったみたいだけど、意味が分からないわよね? 迫られてときめくらしいけど、私にはその感覚がさっぱり分からないわ。


 だって、いつ手を出されるか分からない奴とニコニコ笑ってるなんて怖すぎない? 貴族社会は性交渉を行っていないのもステータスなのに。


 でも、別世界の人達の名前の付け方は素晴らしいと思うわ。だって、モチーフの【色欲】って呼ばないで【歩く18禁】とか【歩く猥褻物】とか【寄るな触るな孕むだろ!】とか【喋るな、耳が孕む】とか【チャラ宰相】とか言ってたのよ。大喝采だわ。


 ……いいじゃない、これくらいの言葉。


 もう、分かったわよ。言わないわ。言わないってば。はいはい、グレイスってば煩いのよ。二人の前だけにするわ。


 あーあー何も聞えなーい!


 二人だって、上手い!って思ったでしょ? え? 思わなかった? なんでよ?


 *・*・*・*・*・*・*・*・*


「いや、だって……そんな人には見えなくてですね……」

「ベルフェゴール様と同じ、です。まだ我慢してる時期、です。全然違い、ます」


 二人の意見に、それもそうか、と頷いた。

 あまりに今と見目も性格も違うし【色欲】と結びつかない雰囲気を発していたから、プリシラも気づかなかったのだ。気づいたのはキスされかけたあの時。そのために逃げるのが遅れてしまったのである。不覚だった。


 ゴート家は全員が真面目で能力も総じて高い為、性欲の強さに物凄く悩むらしい。あの色魔もヒロインに「俺は、化け物なんだよ」とか言っていた。


 非常に、果てしなくどうでもいい情報だ。


 プリシラには関係がないから、輪をかけて更にどうでもいい。


 別世界の知識のせいで、彼らの性欲を抑える方法も知っているが、そういうのはヒロインの役目である。聞かれた時に、プリシラの気分次第なら答えることもあるかもしれない。


「まあ、もうどうでもいいわ。おかげで学園に行く歳の15歳まで屋敷から出なくても済みそうだし。結果的には良かったってことで」


 アスモデウスが襲いかけてくれたおかげで、プリシラは舞踏会や披露宴に出る事は出来る限り少なくしていいというお達しを父から受けた。


 アスモデウスは皇太子の護衛の任を解かれたなどと言っていたがそんなことを王家も彼の実家も許している訳ではなく、プリシラを口説きにいったようだということで纏まったらしい。

 現在、ルシファーの婚約者(と思われている)プリシラを口説いた護衛として噂になっているらしいが、面白くないのは彼の家のことが知れ渡っている点だ。性欲うんぬんは別にして、彼の家が代々女好きであることは有名。更に言えば殿下がプリシラに興味がないのも皆が知っていて、ゴート家にとって普通は醜聞として貴族に居られなくなるはずなのに大して問題ではないらしい。

 だが、そんな噂の中にプリシラがいる必要はない、と家族が思ってくれたのは幸いだと言える。


 皇太子とも未来の宰相とも会いたくない為、これから王家が主催するパーティーなどは何とか理由をつけて断ろうと考えていた手間が省けたのだから。


 ただ、プリシラにとって問題が幾つか持ち上がっていた。


「ダンスくらい別にどうってことないし、他の習い事も早く再開したいわ……。これじゃあ、身体が鈍っちゃうわよ」


 プリシラはここ最近の不満を零した。


 父だけではなく、兄や母までも、まだ暫く心を休めるべきと言い聞かされた。家族が妙に過保護になったのだ。


 その代わりにと言っては可笑しいが、何故かベルフェゴールが剣だけではなく体術も習い始めた。

 他にもまだプリシラでさえ習っていない多くの勉強を始めたという。


 そういうのはもっと身体が出来てからではないのか、と羨ましさも手伝って抗議すれば、身体に響かない程度にやっているという答えが返ってきた。


「そもそも私、男性不審になんてなってないわよ!」


 中でも、使用人達からの同情される視線と供に聞えてくるあり得ない推測が、プリシラを苛立たせた。

 あんな色情魔に迫られたくらいで、5年間ルシファーに虐げられてきたのを耐え忍んだプリシラが傷つく訳がない。

 もし、キスやその他の事をされていたら報復する為にすぐにでも動いただろう。


「……私達もちょっとやりすぎたかもしれない、とは思ってます」

「あれくらい、ちょうどいい、です。プリシラ様、大丈夫、です。安静、少しの間、です。すぐ解け、ます」


 ソレルは反省しているようだが、グレイスはそんなことないようだ。『私達』と使ったのに、完全否定されたソレルが恨めしげにグレイスを見ている。

 家族の態度の原因は大半があの名演技のせいではあるが、おかげで、母とベルだけではなく、他の使用人達も、父に、二人を罰しないようにと嘆願し、彼らは罰を受けることなく、プリシラの側にいるのだから良かったのは良かったのだろう。


 ただ、その嘆願の必要はなかった。その場で父は、最初から罰するつもりはなかった、と男前っぷりを発揮したそうだ。


「思う存分、我儘言って困らせたいわ。私の命令に皆が右往左往して困惑するのよ」

「何、突然怖い事言ってるんです?」

「ストレスが溜まっちゃって」


 想像するだけでも少しは気がまぎれる。

 楽しい想像じゃない、とプリシラは軽やかに言った。ソレルは恐れ戦いている。


 勉強も減らされただけだから、まだマシだ。これで読書も駄目だったら、ちょっと窓から逃げ出すくらいは挑戦していた気がする。


 殆ど一日中、部屋に篭っていなければならない為、グレイスとの他言語レッスンは随分と成果が上がっている。日常会話は大丈夫になってくるまでになった。

 グレイスも物覚えが早く、敬語もあまりつっかえずに使えるようになって来ている。


 他の勉学は、もう少ししたらやらせてもらえる見込みがある。魔法も、だ。


 運動は気分転換になるとでも言えばやらせてもらえるだろう、とプリシラは考えているが、それまでは長く自室に篭ることになるに違いない。


 心の傷が癒えたと判断するのは自分ではなく他人の意見を聞かなければならないのが面倒だわ、とプリシラは首を振った。


「プリシラ様、朗報、です。『今、来ますよ』」

「朗報?」


 何かを察知したグレイスが立ち上がり、プリシラの横に立つ。それに反応したソレルもまた同じ様にした。


 グレイスの視線を辿れば扉に行き渡る。何もないじゃない、と口にしようとした瞬間、彼女の言うとおり、朗報が飛び込んできた。


「―――プリシラ、私を殴れ!」


 扉が開くと同時に、華麗でスタイリッシュなジャンピング土下座をやってのけたお兄様ろうほうが。

次回、お兄様視点。

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