困ったお父様だわ
ベルフェゴールとお菓子を食べる事は叶わなかった。彼はプリシラに会う為に使用人達を無理やり突破してきたからである。当然、すぐに連れ戻されてしまった。
その時のベルフェゴールは何度も振り返っていた。謹慎が解けたら思う存分構い倒して遊ぼう、とプリシラはそれを見送りながら決意する。
数時間後、プリシラは父に呼び出された。
部屋に入ると父は疲れた顔で「なぜ呼び出されたか、分かってるだろう? プリシラ」と言った。
「分かるわ。お父様、私は修道女? それとも隣国に謹慎? あ、もしかして追放かしら。斬首ってことも……」
「やめなさい!! 誰がそんな話をしろと言った!!!」
いつも父の穏やかな面しか見た事がなかったプリシラは怒鳴り声をあげられて、びくりと身体を竦ませた。すまない、と父は静かに言い、何度か深呼吸をして再び口を開いた。
「プリシラ、そんなことを考える必要はない。殿下はお前が謝れば許すと言ったが……」
「嫌よ!」
今度はプリシラが叫ぶ番だった。
「嫌よ! 嫌! 絶対、嫌! なぜ私が謝らなくちゃならないの!? 謝るべきは向こうだし、二度と会いたくないって言ったのよ!? それはあいつらの謝罪を受けるつもりがないってこと! あいつらを許す事はないってことよ! 嫌! お父様が何を言おうと私は絶対にあいつらに謝ったりしない! 絶対、嫌!!」
「……プリシラ、ならこの家のことはどうするつもりだ? これはお前だけの問題ではない。王家に歯向かえば反逆罪として、私達は殺されるのだぞ」
「そんなはずないわ」
「プリシラ、お前は幼い。だから、分からんかもしれんが……」
「お父様は軍隊の隊長よ。今までだって数々の功績を挙げてきたわ。そんな逸材をみすみすあのサタン陛下が手放すはずないし、もしそうなったらこの国は内乱になるわ。お父様は軍の兵士達にとても信頼があるから、多くの者達はお父様の味方になる。それを陛下は望まない。お兄様だって、将来を期待されてる優秀な軍人よ。お父様と同じ理由で、殺されるとは思えない」
この三ヶ月、プリシラが何より先に詳しくなろうと勉強したのは家族についてだった。調べるにつれて、家族への尊敬の念を強め、以前より更に誇りに思うようになっていった。彼らに恥じない自分になる、と決意して後、皇太子と問題を起こしたのは仕方ない。
「お母様は王家の血が入ってるわ。他の親戚達がそんなお母様を殺そうと動くとはあまり思えない。貴族の奥様方にも人気があるのよ。それに、お母様は現王妃様と親しい関係を築いているのでしょう? 王妃様は慈悲深い方だと聞くから、殺されるにしても王妃様は嘆願する可能性が高い。ベルフェゴールは幼すぎるし、次兄として残して置かなければならないわ。そもそも、私自身が責任は私にあると主張するし―――何より、私はまだ子供として認められる年齢よ。意地の張り合いとして終わらせる事が出来るわ」
父は黙って見下ろすだけで何も言わなかった。プリシラは父を見上げ、睨みつけるようにして父の表情を探ろうとする。父はこちらをジッと見ているだけで、何を感じているのか分からない。プリシラは腹に力を入れた。
「もし、それでも反逆罪として捕まえられそうになるなら……私が責任を取る! 私の命を捧げるわ! 謝るなんて、嫌!」
「プリシラああああ!!!」
「―――……ッッ!」
腹の底からの怒りの叫びにプリシラは恐怖で息を呑んだ。
「そんな事を言うな! お前は私の娘だ! それなのに、何故命を捨てるなど……っ、お前は、私に娘を殺させるつもりか……ッッ!!」
悲しみに引きつるような言葉にプリシラは口元を押さえた。
「……あっ、お、お父様……」
お父様を悲しませるつもりなんてなかったのだ、と、プリシラはどうしていいか分からずに顔を歪ませた。
プリシラは家族を愛している。
その愛は深く激しく胸のうちでいつだって熱く、熱く燃えている。だから、本当に家族の為に命を捨てろと言われれば迷いなくそれを行う事が出来ると断言する。一瞬も迷わない。
―――それでも、プリシラは、殿下に謝る、とは言えなかった。
プライドもある。意地だってある。
だがそれ以上に、プリシラは自分の信じる信念、正義を曲げる事を自分に許せなかった。弟のベルフェゴールを傷つけたのだ。
そしてあいつは、全くそれを悪いと思っていないのだ。なぜそれをプリシラが頭を下げなければならない。
それはプリシラの触れてはならない禁忌だった。許す事など出来ない。
でも、とプリシラは目元を押さえて肩を震わせる父を見上げた。
自身の命を簡単に捨てるというべきではなかった。少なくとも、お父様の前では。
雄大でどんな時もどっしりと構えていると漠然と思っていた彼の泣く様子はプリシラの胸を打った。軽はずみに命を捨てるとは言うべきではなかった、と深く反省した。
「お、お父様……ご、ごめんなさい。べ、別の道を探すから……」
「殿下に謝るのは……」
「無理。嫌。絶対駄目。……あっ……その、ごめんなさい、お父様……だって」
打てば響くように否定の言葉を返したプリシラは、はっと口を噤み、それからそろりと父を見上げて謝った。
「それほどまで許せないのか」
プリシラは視線を下げて言った。
「もし、今時間が巻き戻ったとして……それがもう植物が枯れてしまった後だったら」
その時の怒りも一緒に思い出して唇を噛み締める。
「―――私はフェイントをかけて護衛を切り抜けてあいつを殴るわ!」
高らかに答えた。
プリシラは父から何を言われるかと眼を瞑った。殴られるかもしれない。頬をぶたれるかもしれない。
それでもプリシラは絶対に前言撤回などしない。それがプリシラの誇りで正義だ。
簡単に覆すものなど偽者だとプリシラは考えている。
「ふ―――くっ、ははははははは」
「……は?」
笑い声が降ってきて、プリシラは顔を上げた。
父が笑っている。
それも、大笑いで目元に涙まで溜めて笑っている。睨みつけて見続けていると、相当の時間の後に彼はプリシラの様子に気づき「すまんな」と謝った。そんなもので許されるものではない。
「お、とうさま……もしや、私を騙したのですか?」
怒りがこみ上げながら尋ねれば、父は真面目な顔になって首を振った。
「プリシラ。私はお前の命を盾に嘘をつくようなことはしない。お前が私に娘を殺せと言ったことに、私の愛する娘の命を簡単に捨てると言った事に怒ったのは嘘ではない」
そのことについては反省しているので、目線を逸らす。
「笑ったのは―――くく……ッ」
「お父様!」
「プリシラ。殿下の事は問題ない。公爵家としては反逆罪だと言われるまでの騒ぎになったかもしれない案件だったが―――サタン様とアリエル様が双方、問題ないとされた。子供達のいさかいである、と」
プリシラは少し厳しい顔をして言い聞かせる父の言葉を頭にいれるのに時を要した。
「……陛下、と……アリエル様が……?」
アリエル様とはサタン陛下のただ一人の后、王妃である。二人が不問にすると言ったのなら誰も問題に出来ないということだ。
なんという素晴らしき方か。
自分の子供に味方せず、公正な判断が出来るとは。
プリシラの中のサタン陛下の株は天元突破で留まることをしらない。アリエル王妃とは1度も会ったことがないのに彼女の株も急上昇である。
「公爵家当主としてお前に言う事は、これからもっと気をつけなければならないということだ。何事も足元を掬われぬよう慎重に、どんな手を使っても相手を黙らせなければならない。分かったね?」
「は、はい」
確かによく考えて行動していれば温室にあのような男を連れて行くことをせずに済んだだろう。
プリシラは頷いた。
その様子を見ていた父は間を置いてから言葉を続けた。プリシラも何かまだあるのだろうと父の目を見つめる。
急にプリシラの目の前が真っ暗になり、頭に重力がかかった。
父が手を頭の上に置いたのだと気づく。
「……プリシラ、私はあいつがお前に冷たく当たっていることは感づいていた」
「―――っ」
「すまない、プリシラ」
頭に置かれた手の隙間から伺えば、父の顔は泣くのを堪えて歪んでいた。プリシラは乗っている父の手を掴んだ。
「……なら、どうして放っておいたのよ」
数拍の間をおいて、溜息を父は吐いた。
「……お前が恋をしていたからだ。私とポリマーのように愛し合ってもらいたいとお前の願いを聞き入れたが……間違いだったようだ。邪魔になるだろうとその場にいなかったのがアダになったな」
父は悔いているのだ、とプリシラは察した。
娘の恋する相手を婚約者にしたものの、上手くいっていないことに気づき、たぶんだが、色々してくれたのだろうと思う。
賄賂染みた贈り物も多くしていたはずだ。思い返せばそういう節が多くあった。娘に恥をかかされても、フォローをしてくれていたからこそ、まだプリシラは社交界の集まりに出ることが出来ていたのだ。
プリシラは今までかけたお金や父の想いを思って頭を下げた。
「……急に婚約破棄なんて言い出してごめんなさい、お父様。私、もう我慢できなかったの。今まであいつのために使ったお金は返せないけど、これからは家のために尽くすわ」
「プリシラ」
「お父様に相談するべきだったと思う。それか、お母様に。……言うべきだったわ。でも言えなかったの。だって凄く恥ずかしい事だし、悲しいことだったし、屈辱だったから……。だけど、あの時、陛下に直接言えば誰にも反論できないと思ったのよ。この国の最高権力者はサタン様だから」
「プリシラ。そんなことを気にする必要はない。お前はまだ子供で、色々学ぶ必要ある。それだけだ。お前はまだ私達大人の保護下にある。私達の責任だ」
「お父様」
「……なんだい」
「抱っこして」
「は」
「抱きあげて、早く」
呆けた顔になった父にもう一度、要求を言う。10になったプリシラはそれなりに成長しているが軍隊長の父からすれば大した重さではないと彼女は知っていた。
戸惑っているのが分かるも、黙って両手を挙げていたら、プリシラは父の腕に抱き上げられた。
逞しい腕はいつだって安心感を与えてくれる。
同じ目線になってから、プリシラは両手で父の頬を挟んだ。
「お父様……私はまだ子供。だからって、やっていいことと悪いことはあるし、悪いことだってある程度なら分かるわ、お父様。公爵令嬢として皇太子に歯向かったことはやってはいけないことだったわ。でも、ベルフェゴールの姉として、やったことは間違っていないと私は思うの。……ねぇ、お父様。私は間違ってる?」
「いや」
父は挟まれたまま、短く答えた。プリシラは少しだけ、目線を下げた。
もし同じことが起こったとして、プリシラはきっと自分の信念や誇りを優先する。それを思って申し訳なくなった。
「……私は立場より、自分を優先してしまうわ。大きくなっても変わらないと思うのよ。だって、大きくなっても国より家族が私にとって大切なのは間違いないんだもの」
「そうか」
「でも、出来るだけ令嬢としてこの家に迷惑が被らないように精神力と忍耐力を鍛えることにするわ。そして知識と力を蓄える。次にもし我慢出来ないことがあったら、私の全戦力をかけて表にならないよう報復するわ」
「……素晴らしいな」
「報復に賛同してくれるなら、お父様も協力して。賛同出来ないなら、傍観か全面戦争よ。私を勘当してくれてもいいわ。それで、真っ向から己の信じる正義をかけて戦って。頼って欲しいならそれくらいする覚悟がなくちゃ駄目よ」
短い返事しか返さない父に、本当に分かっているのかと疑問が湧いて眉間に皺が寄る。
プリシラは大きく深呼吸をした。
「つまりね、お父様! これからも迷惑いっぱいかけるから、今回私があいつに5年ばかり傷つけられてたからって自分を責めないでってことよ。婚約者選びに失敗したのは、私の男を見る目がなかったとか、だからって周りに八つ当たりしてたら駄目だとか、他にも色々あるから私は別にお父様達を恨んでないし、罪悪感なんて全然感じなくていいんだけどそれじゃ、お父様達は納得しないんでしょ?」
困ったお父様達だわ、と、むに、とプリシラが頬をつねって言うと、父の目が丸くなった。その後、形のいい眉が下がる。これは苦笑というものな気がする。
「……私の娘はいつの間にそんなに大人になったんだろうな」
ちょっと嬉しそうに、でもどことなく酷く寂しさを感じているような笑顔で微笑まれた。
どこを見て大人になったと思っているのか分からないが、そう感じた時の寂しさと嬉しさは、この間のベルフェゴールを思えば想像出来る。だから、プリシラはそんな可愛い心配をしている父を鼻で笑った。
「何言ってるのよ。どれだけ大人になったって、お父様の前では娘でしかないわよ」
———返事は顔中に降りかかる程のキスと心底嬉しそうな蕩けた笑顔だった。
あらすじ通り、ファミリーラブコメディ。