プロローグ
山本ヤマネ様の『辺境の街にて』より櫛八玉(名前のみですが)をお借りしています。
平成27年11月7日、加筆・修正しました。
──アキバの街中を、緋色の巫女服に身を包んだ一人の〈神祇官〉の女性が歩いていた。
女性の濡れる様な美しい腰までの長い黒髪は、水引と呼ばれる髪を結ぶ物でポニーテイル状に結い上げられ…それが、歩く度に尻尾の様にゆらゆらと揺れている。
しかし、深い藤紫色の瞳をした顔には幼さなさ等微塵の欠片もなく、整った面差しと歩く佇まいから凛とした雰囲気を醸し出している。
──彼女の名は、朝霧。
〈天照の巫女〉の二つ名を持つ、〈エルダー・テイル〉のオープンβ時代から20年間、ほぼ休まずプレイを続けている廃人プレイヤーである。
◇◇◇
人混みを縫う様に歩く朝霧は現在、待ち合わせ場所に向けて移動中なのである。
しばらく歩いていた朝霧のプレイヤーのヘッドホンから、メール着信時に鳴る音が聞こえてきた。
メニュー画面を呼び出してみると…そこには、かつて所属していた日本最大手の戦闘系ギルド〈D.D.D〉の後輩だった『櫛八玉』の名前が表示されていた。
早速、届いたメッセージに目を通して見ると…
『この様な形で、お別れを申し上げるのは心苦しいのですが…私、櫛八玉は…本日を以て、〈エルダー・テイル〉を去りたいと思います。
朝霧先輩には、先輩が〈D.D.D〉に居られた頃に何かと面倒を見て下さった御恩もあり…本来ならば、直接話してお別れを述べるべきだとは思いますが…先輩と言葉を交わすと、折角の決意が揺らいでしまうと考え…この様な形を取らせていただきました。
先輩、長い間…色々と御世話になりました。』
(…そうか…
遂に、櫛も去っていってしまうのか…)
櫛八玉から届いたメッセージを読み、朝霧はまた一人…見知った者が〈エルダー・テイル〉を去ってしまうという事実に一抹の寂しさを感じていた…
◇◇◇
──しばらく歩き続けた朝霧は、待ち合わせ場所の〈銀葉の大樹〉の根元へと辿り着いた。
待ち合わせ場所には既に、待ち合わせ相手である青い鎧を身に纏った〈守護戦士〉の男性が立ったままの状態で腕を組んで待っていた。
「クラスティ、すまない。
もしかして、待たせてしまったか?」
朝霧の問い掛けに、男性─クラスティは組んでいた腕を解き、朝霧へとゆっくりと歩み寄った。
「…いいえ。私も、先程こちらに到着したばかりです」
クラスティのその言葉を聞き、長々と待たせていた訳ではなかったとわかると、朝霧はホッと一安心をした。
「…で?わざわざ呼び出してまで、私に話したい事とは何だ?」
早速、自分を呼び出した本題を尋ねてきた朝霧に、クラスティは苦笑を浮かべつつ話し始めた。
──曰く、三ヶ月程前に〈D.D.D〉を辞めた三羽烏─〈Drei=Klauen〉の一人であった櫛八玉に、〈D.D.D〉へと戻ってくる様に説得して欲しい…という旨だった。
「……説得って。
確かに、私が〈D.D.D〉に在籍していた頃、櫛は私の直接の後輩で、次期三羽烏候補として育てていた経緯はあるけれど…私が説得した程度で、簡単に考え直すとは思えないよ?」
「…それはわかってはいます。
…しかし、『必ず説得してもらう』という言質を戴けないと…高山女史からの『クシ君が〈D.D.D〉にとって、どれだけ必要なのか』…という、説明という名の精神攻撃を長々と受け続ける事になりかねません」
げんなりとした声音で、そう言葉を口にするクラスティに…朝霧は、躊躇いがちに尋ねた。
「……え…えっと……
精神攻撃は、如何程…?」
「…クシ君が辞めてから、三ヶ月間。ログイン中に、何時間も延々と…恨みの念を込めた様な声音で、ずっと呟き続けるのです。
流石に、大規模戦闘中には行ってきませんが…私としては、もうそろそろ我慢の限界が近いです…」
──どこか…疲れきった感じのクラスティの声音に、流石に『いや、櫛は〈エルダー・テイル〉をやめるから、説得自体無理』という事実を突き付けるのは、余りに酷だと思い…
「…わかった。
必ず、成功するとは限らないけれど…櫛を説得してみるな?」
クラスティが余りに不憫すぎて…朝霧は、そう答えるしかなかった。
◇◇◇
「…それで、御前のこれからの予定は?」
朝霧から言質が貰えた事で、少し心の余裕を取り戻せたクラスティは、朝霧の今後の予定を尋ねた。
──ちなみに…クラスティが今、朝霧の事を呼んだ『御前』とは…朝霧が、複数持つ二つ名の一つである〈緋巫女御前〉から取られた呼び方で…朝霧が、在籍していた頃の〈D.D.D〉の幹部メンバーと〈緋巫女御前〉の二つ名を知っている者は皆、畏敬と尊敬の念を込めて彼女の事をこの呼び方で呼んでいるのだ。
クラスティからの問い掛けに、朝霧は少し考えながら答えた。
「…そうだな。取り敢えずこの後は、大手生産系の三大ギルドの〈海洋機構〉、〈ロデリック商会〉、〈第8商店街〉に頼まれたアイテムの納品だな。
その後は…アキバの街中を歩きながら、新拡張パック〈ノウアスフィアの開墾〉の導入まで時間を潰そうかと思っている。
…クラスティの方の予定は?」
「…私は、この後はギルドキャッスルに戻って、今後の会議ですね。
新拡張パック導入後には、新たに導入されたであろう大規模戦闘クエストやフィールドの調査を行う事になるでしょう。
…御前、何か真新しい情報を入手した時には、我ら〈D.D.D〉に必ず一報をください」
クラスティの問い掛けに対する答えの後の頼み事に、朝霧はこう答えた。
「…確約は出来ないが、約束はしよう」
朝霧の答えに、クラスティは納得したのか…それ以上の言葉を口にはしなかった。
「…では。御前、私はこれで失礼しますね」
「…ああ、またな」
立ち去るクラスティを朝霧は見送ると…次の待ち合わせ相手の待つ生産系ギルド街へと歩き出した。
◇◇◇
「…確かに、頼んでおいた素材アイテムだ」
「…こちらも、頼んでおいたレシピに間違い御座いません」
「…こっちも、頼んでおいたアイテムに間違いないね。
…流石は、御前率いる〈放蕩者の記録〉だね」
「…だな。御前に頼めば、間違いなく納品してくれるからな」
「こちらも、安心して納品を頼む事が出来ますからね」
生産系ギルド街で〈海洋機構〉総支配人のミチタカ、〈ロデリック商会〉ギルドマスターのロデリック、〈第8商店街〉ギルドマスターのカラシン達に頼まれていたアイテムの納品を済ませ…代金を受け取った朝霧は、生産系ギルド街を後にすると…そのまま、〈ブリッジ・オールエイジス〉のあるアキバの南側へと歩き始めた。
(…折角だから、新拡張パック導入までの時間潰しにアキバ近辺で、調理用の素材アイテムを採取するか。
素材アイテムが増えれば、天音も喜ぶだろうしな)
そう考えがまとまると、朝霧は急ぎ足で〈ブリッジ・オールエイジス〉へと向かった。
◇◇◇
〈ブリッジ・オールエイジス〉へと辿り着くと、そこには見知った白いローブマントを身に纏った青年がいた。
「…おや?シロエじゃないか?
こんな所で、何をしているのだ?」
朝霧の問い掛けに、青年─シロエは苦笑を浮かべた。
「…御前。それは、こちらの科白です。
僕は、今は待ち合わせ中です。
待ち合わせ相手が来たら、フィールドに出掛けてモンスターとしばらく戦闘ですね」
「私は今から、アキバ近辺で調理用の素材アイテム採取だ」
シロエの答えを聞き、朝霧も答えを返した。
「……そうなんですか。
では、お気を付けて」
「……ああ。シロエも気を付けてな」
シロエと挨拶を済ませると、朝霧は素材アイテム採取の為に〈シンジュク御苑の森〉へと向かった。
◇◇◇
〈シンジュク御苑の森〉は朝霧以外の冒険者の姿は無く、約一時間程の戦闘で…朝霧の〈魔法の鞄〉の半分程を占める量の調理用の素材アイテムを手に入れる事ができた。
(ん?もうそろそろ、新拡張パック導入の時間が近いな)
朝霧の愛用するパソコンの脇に置いてあるデジタル時計の時刻は、『PM11:55』と表示されていた。
(…天音から、『新拡張パック導入は、皆で共にアキバの街で迎えようね』と言われているからな…急ぎ、戻るとするか)
そう思い…朝霧は、自分よりレベルの低いモンスターを寄せ付けない秘宝級アイテム〈古代竜の宝珠〉を使用すると、駆け足でアキバの街を目指した。
◇◇◇
しばらく駆け…朝霧がようやくアキバの街近くへと戻って来た時、デジタル時計の時刻は『PM11:59』を表示していた。
「…何とか、間に合いそうだな」
朝霧がそう呟き、〈ブリッジ・オールエイジス〉を渡ってアキバの街へと足を踏み入れようとした瞬間…世界は暗転した。
──こうして…朝霧もまた、多くの冒険者達同様に〈大災害〉へと巻き込まれてしまう事となったのだ……
名前:朝霧
種族:人間
職業:神祇官LV90
サブ:戦姫LV90
所属:放蕩者の記録
本作の主人公。
〈放蕩者の記録〉のギルドマスターであり、元〈D.D.D〉の初代から櫛八玉に代替わりするまでの数代の間、三羽烏の一翼を担っており……駆け出しの頃のクラスティの相棒でもある。
プレイ歴20年の超一流のプレイヤーで……日本で数少ない、大隊規模戦闘の指揮経験者。
また、幅広い交友関係を持ち……日本サーバーだけに留まらず、海外サーバーにも多くの友人が存在する。
多くの二つ名を持ち、〈天照の巫女〉〈緋巫女御前〉の他に……〈大隊規模戦闘の女王〉〈戦場のコーディネーター〉〈PvPの鬼姫〉〈アキバの女帝〉がある《※尚、本人は〈アキバの女帝〉という二つ名は嫌っており……呼ばれる事自体を激しく拒否している》。
アキバの街の多くのギルドと深い繋がりがあり、その影響力はとてつもなく強いのだが……本人は、それを利用しようとは露にも考えていない。
辞めてしまってはいるが…今現在でも、〈D.D.D〉 とクラスティの事を常に気にかけている。