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「どうしたの、唯人? 食欲ないの?」
炊き立てのご飯を前にぼんやりとしていた僕に、母が声をかける。僕はその声に弾かれたように、右手を動かして箸を持つ。
「そんなことないよ。いただきます」
いつものように頭の中で命令する。動け、動け……だけど今日は、指先が上手く動いてくれない。
ご飯をたくさん食べなくちゃ。おいしそうに食べなくちゃ。
学校で嫌なことがあっても、公園で嫌なことがあっても、何にもなかったふりをして、楽しそうに食べなくちゃ。
そうしないとまた、母に哀しい顔をさせてしまう。
「唯人……」
左手を無理やり動かして茶碗を持つ。箸の動きはぎこちないけど、何とか口の中にご飯を押し込む。
「唯人!」
母の声を聞きながら、もっとご飯を口に入れる。味なんかわからないし、炊き立ての匂いも気持ちが悪い。
でもこんな僕なんかより、シオのほうが、もっともっとつらいはずだから。
「唯人! もういいから……もうやめて!」
母の叫ぶような声が聞こえる。何でそんな声を出すのかわからない。
だけど気がつくと、僕は食べたものを全部戻していた。
せっかく母が僕のために作ってくれた食事が、僕の汚物でぐしゃぐしゃになる。
「なんで……」
吐いたものと一緒に、鼻水と涙が出てきた。
泣くつもりなんてなかったのに。絶対泣きたくなんてなかったのに。
「なんで……」
自分で自分がわからなくて、その言葉だけを繰り返す。そんな僕の体を、母がそっと抱きしめてくれた。
「唯人……無理しなくていいのよ」
母のブラウスが汚れている。だめだ、だめだよ……僕なんか抱きしめたら汚れちゃうよ……。
「いいの。お願いだから、もう無理しないで……」
無理なんかしていない。僕がそうしたいからしてるだけ。
だけどその想いは声にならなくて……僕は母の胸の中で、子供みたいに声を上げて泣いていた。
「唯人……ごめんね? 悪いのは全部お母さんだよね?」
違う、違う。泣きながら首を横に振る僕を、母がもっと強く抱きしめる。
母にこんなふうに抱きしめられるなんて、小さな子供の頃以来で、ものすごく恥ずかしかったけれど……でもその胸はとても温かくて、僕はすがりつくようにいつまでも泣いていた。