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僕は嘘つきだ。
楽しくもないのに、楽しいふりをする。
おいしくもないのに、おいしいふりをする。
泣きたいくせに、笑ってみせる。
嘘は嘘を呼んで、どんどん膨らむ。
それがばれてしまうのが怖くて、僕はまた嘘をつく。
そして僕はもっと嘘つきになる。
***
夕暮れの街に、青信号の灯りがぼんやりと灯る。
重たい足を引きずるように、僕は横断歩道を渡る。
はしゃぎながらすれ違う小学生たち。目の前に見えるのは、もうあまり人の住んでいない、五階建ての古い団地。
横断歩道を渡り終え、建物の間の道を進んで行くと、小さな公園が見えてくる。
ひと気のない、ひっそりとした公園のブランコに、今日もあの子は座っていた。
カンカンと音を響かせ、錆びついたアパートの階段を上る。
二階の一番奥の部屋は鍵が開いていて、焼き魚の匂いが漂っていた。
「……ただいま」
「お帰り! 唯人」
扉を開けると、エプロン姿の母親が、笑顔で僕を迎えてくれる。
「今日は仕事早く終わったの。お腹すいたでしょう? 今すぐ、ご飯作るからね」
「うん」
ご飯の炊ける匂いを嗅ぎながら、台所を抜けて四畳半の和室に入る。制服の上着を脱いでいると、母の声が聞こえてきた。
「どう? 新しい学校はもう慣れた?」
上着をハンガーにかけてから、もう一度台所に戻る。そして意識して明るい表情を作って、僕は答える。
「慣れたよ」
「バスケ部は楽しい? お友達はできた?」
「うん、もちろん」
椅子に座ると同時に、大盛りに盛られたご飯が僕の前に差し出される。
「いっぱい食べてね。運動したから、お腹すいたでしょう?」
湯気の立ち昇る真っ白いご飯を、僕は睨み付けるように見た。
動け動けと両手に命令して、右手で箸を持ち、左手で茶碗を持つ。
「いただきます」
「あとで体操着、出しておいてね。洗濯しちゃうから」
母の声を聞きながら、ご飯を口の中に入れる。一口、二口……食べたくもないご飯を、無理やり口の中に押し込める。
「お魚も焼けたわよ」
「おいしい?」
「おかわりあるからね」
母の前でこくんとうなずく。僕の前で笑顔を見せてくれるようになった母に、余計な心配はかけたくなかった。
賑やかな笑い声が響く教室の中で、僕は今日も一人だった。
転校生の僕に、クラスの仲間が次々と話しかけてくれたのは、最初の何日間だけ。
少し人見知りしてしまう僕の態度が、クラスの中心的人物だったやつに、そっけなく見えたらしくて、どうやらそれが気に入らなかったみたいだ。
やがて僕に近寄ってくる生徒はいなくなって、入ろうと思っていたバスケ部にも入りそびれた。
僕は教室の中で、空気のような存在になってしまったのだ。
「新しい学校でも、バスケ続けるんでしょ?」
そう言って笑った母の顔を曇らせたくなくて、僕は部活の終わる時間まで時間をつぶした。
誰もいない教室でぼんやりしたり、駅前の本屋で立ち読みしたりして、意味のない時間を過ごす。
そしてほんの少し汚した体操着を洗濯機に入れて、お腹がすいたふりをするのだ。
バスケなんてやってないのに。ご飯なんて食べたくないのに。
いつものように立ち読みをして、本屋を出たら空が真っ暗だった。
少し歩くと雨がぱらぱらと落ちてきて、すぐに本降りになった。
僕は鞄の中から折り畳みの傘を出し、あっという間に溜まった水たまりを踏みつけながら歩く。
雨のせいで街はぼんやりとかすんでいて、空気はひんやりと冷たかった。
「あ……」
いつもの横断歩道を渡り、団地の間を抜けた時、僕は小さく声を上げて立ち止った。
あの子が今日もブランコに座っていたからだ。雨の中、傘もささずに……。
気がつくと僕は公園の中に入り、ブランコの脇に駆け寄っていた。
「濡れるよ」
どうして声なんてかけたのか、自分でもよくわからない。
どちらかというと人見知りの僕が、知らない人に自分から声をかけるなんて、めったにないはずなのに。
だけどもしかしたら、毎日彼女を見ていた僕の中で、この子はもう、「知らない人」ではなくなっていたのかもしれない。
ブランコに座って、うつむいていた女の子がゆっくりと顔を上げる。彼女の髪も、着ている制服も、雨でびしょびしょに濡れていた。
「濡れるよ」
同じセリフをもう一度言って、僕は傘を彼女に差し掛ける。するとその子が少し笑って僕に言った。
「あたしはいいの。もうびしょ濡れだもん」
そしてブランコから立ち上がり、折り畳みの傘を僕の方へ傾ける。
確かに彼女はもう手遅れなほど濡れていたし、僕のこんなに小さな傘では、二人が入ることなんて無理だろう。
僕が何も言わずに傘を閉じると、女の子は驚いた顔をして僕を見た。
「どうして? 濡れちゃうよ?」
「いいんだ。別に」
僕はそのままもう一つのブランコに座った。そんな僕を見下ろしていた彼女も、ゆっくりと隣のブランコに腰かけた。
雨が僕たちの身体を濡らしていく。少し冷たかったけど、少し気持ちがいい。
「ねぇ、いつも夕方、この道を歩いてる人だよね?」
僕の隣で彼女が言った。僕は少し驚いて隣を見る。
「知ってるの? 僕のこと」
こくんとうなずいて、彼女はほんの少し微笑む。
僕も知っていた。
毎日君が、このブランコに座っていたこと。
僕と同じ中学の制服を着ていたこと。
君がいつもうつむいて、寂しそうな顔をしていたこと。
「何年生?」
彼女が聞いたから、僕は「二年」と答える。
「あたしは一年生。あんまり学校、行ってないけど」
そんなことを言いながら、いたずらっぽく笑った彼女が、ブランコを揺らす。
雨の降る中、キイキイと錆びついた音が、誰もいない公園に響く。
「名前、なんていうの?」
今度は僕が聞いた。
「シオ」
「シオ?」
「センパイは? 何ていうんですか?」
急に敬語になって「先輩」なんて言うから、なんだか急に調子が狂う。
「唯人」
「ユイト、センパイ?」
「先輩とかつけなくていいよ」
「ユイトくん!」
そう言ってシオが、僕の前でにこっと笑う。びしょ濡れの彼女の笑顔に、雨の滴が光っている。
そしてそれが僕とシオの、短い物語の始まりだった。