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読み切り 9

「…何を言ったんです?」

武道館わき。

正面を見れば、距離をおいて正門が見える、そんな位置。

壁に背中を預け、遠巻きに校庭のサッカーゴールなんかを見ているようで何も見ていないそんな目に、佐野は話しかけた。

その目は一度閉じられて、ゆっくりと開いた。見つめる先は、サッカーゴールではなく野球フィールド。

「はい? 何ですか? あぁ、確かにここら辺は雑草の手入れが行き届いていますね」

「……」

やっぱり聞いていなかった。

「本当に…掴みどころのない人です」

「そうですか? これなんかとても抜きやすそうな感じがしますけれど」

「いえ…掴めはするのでしょうが、それを引っ張ることができない」

「あれなんか、表面がツルツルしているんですよね。確かに滑ってしまいます」

「下手すると自分が傷ついてしまいますから厄介ですよ」

「葉っぱの先が鋭そうですからね。これは軍手をした方がいいでしょう」

全く噛み合っていない会話がばかばかしくなり始めた頃。

「…あなたに、それを言う必要がありますか?」

口調をがらりと変えて、塚本は言った。

急な話題変換に一瞬訳が分からなくなりながらも、何とか言葉を紡ぐ佐野。

「いえ。…ありません。私にそれを言う必要は、一切ありませんよ」

「ならばそれでいいのではないですか? 別に、こちら側の情報を言ったわけではないのですから。耳打ちは最適な伝言法です」

平然と塚本は言ってのける。

数分前、自分が未成年相手にどんなことをしたのかなどきれいさっぱり忘れているに違いない、あっさりとした答えだった。

「――…私が言っているのはそのことじゃありません」

「違うんですか? それ以外に、あなたから問われるような話はしていないはずですけれど」

「……。気づきませんでした?」

塚本は本当に見当つかないといった風に首を――かしげずに、ため息をついた。

「あの抱き枕さんが予想以上に被虐趣味であることは分かりました」

「分かってません」

大の大人が(しかも女性が。…いや、男性だったらもっと描写的に恐ろしいけれど)突然抱きついてきたら、そりゃ困るだろう。

「私、縄抜けは幼い頃から得意でしたので」

「今更そんなとこ自己主張しないで下さい。リアルにそういうキャラ付けになっちゃいますよ」

「…で。何に気づいたのですか? あなたは」

「…………」

いざ問われると黙ってしまう佐野に、塚本は訝しげな目を向ける。

「…あの抱き枕は渡しませんよ?」

「だから! なんでそっち方向に話が行くんですか!」

「いえ、なんか狙ってそうな目で見ていたので。それは結構です」

「私は全うな社会人ですからね。あなたとは違うんですよ」

「それは男尊女卑と見ていいんですか?」

「一般論です!」

もう付き合ってられない、あー署に戻りたいとぼやきながら、佐野は閉話休題する。

「…様子がおかしかったでしょう」

「と言いますと?」

「私が戻ってくる前に、あなた彼に何か気に障るようなこと言ったんじゃないですか?」

「…気に障ること…」

復唱して考える素振りを見せる塚本。…白々しい。

「“抱き枕”しかないでしょ!」

「あー」

「逆に、その他に何があるっていうんですか…」

「特に不思議なことは言ってないなー…」

「怪しいですね…あなたのことだから、何を言い出すか分かったもんじゃない」

「でも、…それくらいしかないです。ていうか、私的にはそれも許容範囲ですし」

「…念のため。あくまで念のためですが、一部始終を話していただけませんか」

「あれ? もしかして佐野氏、興味あるんですか?」

「ないですよ!」

「ならいいでしょう」

「…場合によっては、あなたを告発しなくてはならないかもしれませんからね」

「恐いこと言いますね。私を脅しているつもりですか?」

「とにかく話してください」

「えー…」

なおも渋る塚本。

ずっと野球フィールドに向けていた目線を、ふと佐野に送った。

切れ長の瞳が意地悪く光る。

「ん?」

佐野は塚本の目を二度見する。

たしか、この人の目は丸型だったはず――。

刹那、耳元で妙に響いた、金属音。

視界の隅に映る、鎖。

「え?」

「気づくのが遅すぎですよ――刑事さん」


「さーりーんー。居るんなら出てきてくれよー」

探し始めてまだ10分しかたっていないのに、僕は気持ちにかなり焦りが出始めていた。

みんなが散り散りになっている間に、犯人が動きを見せる可能性も高い。いや、むしろこの機会を狙っていたのかも知れない。

今の状況じゃ、一人いなくなっても、誰も気づかない。

目撃者がいないのだから。

「…そういえば、最初にいなくなった人って誰だっけ?」


「何やってんだよテメェは」

安藤は目の前でうずくまっている人物に絶対零度も甚だしい冷たい目を向けた。

「や…だ…て…い…今……てか…さっき…ふ…二人…」

「意味分かんねぇから順番に喋れ。まずテメェは誰で何人だ」

「ひひひ酷いやつだな、佐藤の名を忘れたのか? ににに日本人に決まってるだろう」

「で、何やってんだよこんなとこで」

「…見たんだ……見たんだよ…」

「何を」

短い応酬。安藤もテンポの悪さに苛立ちを覚え始めた。

しかし、次に続く言葉によって、どや?顔になりかけていた表情が驚きに変わることになる。

「…塚本刑事が……二人いたんだよ!!」


「…というわけです」

俺は簡潔に話した。

「分かりました? 俺が犯人っていうことは、有り得ないんですよ」

「納得できない」

鴻巣先輩は俺が苦労して並べ立てた論理をぶち壊した。

あぁ…俺の防御壁が…。

「自らが自らの説明をするなんて怪しすぎ。あなたは今、私の中で最重要犯人候補だから」

「それはあなた個人としての見解でしかないでしょ。いくらこんな事態だからといって、何でもかんでも疑えばいいってわけじゃないんです」

「簡単な話」

俺が決定打を放つと、鴻巣先輩はそれを打ち返してきた。

「みんな疑って、みんな消してしまえば、その中に犯人は必ずいる。消去法ほど便利な人探しはないの」

…デッドボール。

鋭い一撃だ。

「だからって…むやみやたらと疑ってばかりいるのは、よくないと思いますよ。根拠があるわけでもないんだし」

「疑うことに根拠なんかいらない。疑うだけなら――自分の内部の動きに過ぎないから」

「そういう問題じゃありません。それを言うなら…俺だって条件は同じです。あなただって疑うし先輩方だって疑うし佐藤先生も疑います。自分自身だって信用できなくなるでしょう。でも、それじゃあ単なる悪循環じゃないですか」

「…悪循環。失礼な物言いね。私は私なりの理念と概念を持って行動しているの。最重要容疑者候補のあなたに言われたくない」

「言いますよ。俺は自分が犯人じゃなことを知っています。犯人のはずないじゃないですか。俺は人なんか殺せません」

「どうだか。あなただって、虫の一匹や二匹、駆除したことはあるでしょ」

「そりゃ、虫くらい…」

「虫くらい? へぇ、あなたは虫と人間を差別するの。虫の命と人間の命を比べられるんだ。虫の方が人間よりも劣っていると、生きている価値がないと、そう言うのね」

「…………」

「否定できないよね? だってあなたは虫を殺したことがあるんだもの」

「……それは、先輩だって」

「私はない」

よく通る声で。

妙によく通る、伸びのいい声でそう言われた。

「虫を殺したことなんか一度もない。魚だって鳥だって――殺したことなんか一回もないわ」

「…それこそどうだか、ですね」

「あなたに言われたくないわ。虫を殺したことのあるあなたに」

「…別に、訳もなくムシャクシャして八つ当たり目的で殺したとか、そんな利己的な理由からじゃないですよ。そこまで見下してません」

「ほら。今のは少なからず虫を見下していると見ていいのよね。おめでたいよね本当…虫より自分が優れている保証なんてどこにも存在し得ないのに、よくそんなにいきがれるものね」

「一般論じゃないんですか? 誰も、自分と虫を比べたことなんてないでしょう」

「比べるまでもない、か…最低だね。人間やり直した方がいいよ」

「…そこまで言いますか。あなたの方がよっぽどあんまりな物言いだと思いますけどね。大体、さっきから虫と人間について執着しているようですが、逆にあなたに何が言えるって言うんです? あなただって、人間であることに変わりはない」

「…私は、命の重さを知っているから。あなた、虫が死ぬ瞬間、見たことある? 無様にひっくり返って痙攣しながら息絶えていくその姿を、あなたは見たことがあるの? 私はある。目の前で虫が死んでいた。いや…殺されていた。俗に言う殺虫剤、ってやつを使って、薬品を噴射して。あの虫はなんだったのかな。分からない。それは私にも分からないよ。でも、何の虫が殺されていたかなんて、なに人が殺されていたのかと同じくらいどうでもいいことだと思わない? 虫も殺せないような、なんて比喩があるけど、それってすごく失礼なんだよ。虫の命をまるで軽んじている。人間の命なんて、歴史上の一握りの才能の寄せ集めで現状維持を保っている人間共の命なんて、ここにいるダンゴムシの命と比べればゴミ同然。塵同然。屑同然。人間は屑共の集まりだ。屑の寄せ集めで地球が成り立つわけがない。成り立っているとしたら…それは、地球そのものが屑なだけ。そんなところに虫が長居する理由はない。無能で低能な塵屑共を置き去りにして、更なる高度な文明を築き上げていく。虫は人間よりも賢いんだよ。人間の脳なんて脂質とたんぱく質の一固体でしかないんだから」

…この人は。

まるで、本当に虫になったことでもあるかのような口調で言った。

虫は人間よりも賢い。

本当のところ、どうなんだろうな…。

「あなたを疑う理由が、もう一つ増えた」

鴻巣先輩は、相変わらずの微笑をたたえた表情で俺を見た。

「あなたは虫を殺したことがあるから…人間だって、殺したことがあるんじゃない?」

「でたらめだ」

即答した。

「そんな論理が成り立つはずがない。それを言うなら、みんな虫くらい殺したことがあるに決まってる。そんな根も葉もないことを言い出したら、俺はおろか、事件関係者全員…それどころじゃない、地球規模で容疑者候補が生まれてしまう」

「屁理屈が得意なのね。それじゃあこんなのはどう? あなたは私の中で一番の危険人物だから。あなたは一番怪しいから」

「…付き合ってられません」

なんなんだこの人は。

要はただの因縁、疑心暗鬼の成れの果てってことか。

くだらない。

こんな人と話す時間をもっと有効に使いたい。

「待ってよ」

鴻巣先輩が背中越しに言った。

無論、俺は振り返らない。

振り返る理由がない。

「ねぇ」

しつこかった。

でも、ここで振り向いたら、また根拠のない疑いをかけられることは間違いなかった。

自分で自分の首を絞めるような行為は、したくない。

「ねぇったら――」

瞬間。

風が吹いた。

と同時に、強く押さえつけられて。

地面に背中を強く打って、一瞬息ができなくなる。

「逃がすとでも思ってる?」

思って…いなかった。

このまま何事もなく立ち去れるわけがない。

だって俺は――。

鴻巣先輩の中での、最重要容疑者候補なのだから。

「いっそこの手で…殺しちゃおうか?」

彼女は馬乗りになった姿勢で、懐から先程の包丁を取り出す。

しまった。

没収するのを、忘れていた。

「ばいばい――次に生まれ変わるときは、虫にでもなったら?」


「…茶凛……ちゃん……?」


何やってるんだよ。

こんなところで――。


「何…やってんだよ…」


茶凛ちゃんが片手に握っているものが何なのかは、すぐに分かった。

茶凛ちゃんが片手に握っているもので何をしようとしたのかは…。

すぐに――分かった。


「先輩」

こんな状況で。

包丁で刺し殺される一刹那前という、この状況で。

なんということもなく。

平然と。

おそろしいくらい平然と。

あいつは言ってのけた。


「ヘルプミーです…殺されそうなんですけど」




「え…っと。つまり、さ」

僕はまとめるように、どうにもまとめられない話をまとめる。

「それぞれにそれぞれ…いろいろ、あったってわけ?」

グループ分けしてみよう。

グループその1――安藤サイド。

佐藤と合流。

『塚本さんが二人いた』疑惑。

グループのそ2――相原サイド。

塚本に引き止められる。

開放される。

茶凛と遭遇。

殺されかける。

グループその3――杉由サイド。

殺されかけている相原を目撃。

塚本を呼ぶ。

そしてグループ…その、4?

「が、小沢さんが見たという…」

「あの下種刑事だ」

言うまでもなく佐野のことである。

小沢によると――佐野が階段を上っていく姿を見たのだそうだ。

階段というのはB校舎の非常階段のことで、その先にはサポートルームがあり、佐野はそこに入って…ノートパソコンを立ち上げた。

不審に思った小沢があとを追いかけようとしたところで、佐野が階段を下りてきた。

佐野は無言で小沢を通り過ぎ、武道館へと向かっていった。

サポートルームを見てみると、ノートパソコンは陰も形もなくなっていた。

…らしい。

「簡潔に言うとこりゃあ」

まずい。

杉由が『簡潔に言う』時は、大抵バッサリ切り捨てる。

「だから? …って話じゃね?」

「そうとは言い切れん。やつはもとから怪しかったではないか。現に、分かれてから1時間は経ったというのに、やつだけ戻ってきていない」

そうなのだった。

茶凛が相原を殺そうとしたところを杉由が目撃し、かけよったところを安藤が止め、包丁が振り下ろされる寸前のところを佐藤が押さえつけ、万事に至ったところを呑気に僕が通りかかった、10分後。

塚本は何事もなかったかのように戻ってきた。

しかし佐野の姿は見当たらず、塚本に聞いてみたところ、

「…さぁ。私には皆目見当つきませんね」

棒読みで返された。

「これは…怪しいですね」

10分前の喧騒などなかったかのような立ち振る舞いの相原が思案顔になる。

「第三の被害者は佐野刑事、ですか…」

「ちょ。え? 何、死んだの佐野さん? 犯人に殺されたの佐野さん?」

「分かりませんけど、多分そうなんじゃないですか? そろそろ来るかなーとは思ってましたし、タイミング的に佐野さんはストライクしてますから。しかし問題は…うーん…」

「価値観の違いは十人十色だから目をつぶるとして…他に、何か特筆すべき問題でも?」

「ありますよ。まず、なぜ“刑事”の佐野刑事が死…亡くなったのか」

「意味同じなんですけど。前に“い”つければすむ問題ですしねそれ」

「刑事だからって部外者でもないんだろ? なら、別に殺されたって不思議はねぇと思うけどな。案外、生前にいじってたノートパソコンが鍵握ってるかもしんねぇけど…」

「あ」

そうだ。

ノートパソコンをいじった後に消息を絶っているというのならば、俄然ノートパソコンに秘密があるに決まっている。

犯人はきっと…ノートパソコンごと、佐野を消すことにしたんだろう。

「塚本さん」

「はい?」

話の焦点に自分が向けられ、少し戸惑った様子の塚本さん。

「なんでしょう?」

「佐野さんって、ノートパソコンとか持ち歩く主義ですか?」

「…。いえ」

「じゃあ、今回の事情聴取では?」

「使っていないと…思います」

まぁそうだろうな。

あの人、なんとなく機械ダメそうだし。

…というのは、あくまで僕個人としての見解でしかないが。わりとメカニックだったらどうしよう。どうしようもないか。

「あれ」

そこでもう一つの些細な疑問に気づく。

「塚本さんは、佐野さんがいなくなったとき不思議に思いませんでした?」

「…いえ……その…」

「おい」

塚本の煮え切らない態度に愛想を尽かしたかのごとく、安藤が彼女に言い放つ。

「テメェ、さっきから様子がおかしくねぇか? なんか隠してんじゃねぇのか?」

「…そんなことは」

「ていうか、テメェ本当にあの刑事か? このヘタレの話によると、塚本は二人いるらしいじゃねぇか。…おい佐藤、それってどういうことだ?」

「話が三々五々散りすぎですよ安藤さん…」

しかし安藤の言うことは正しい。

ここにいる塚本が…本物の塚本刑事である保証は、何もないのだから。

「あぁ。そういえば、佐藤先生の話をまともに訊いていませんでしたね」

「…それなんだが…」

佐藤も歯切れの悪い応答をする。

「もしかしたら…気のせい、かも知れない…」

「ぁあ? 気のせいだぁ?」

急転直下。

佐藤教諭がパチこきました。

「どーゆうことだよそりゃ。分かりやすく説明しろよ、テメェ」

「安藤さん落ち着いて。…佐藤先生からは『塚本刑事が二人いた』ということしか聞いていないので、判断の仕様がないんですが…今一度、詳しく説明して頂けますか?」

「あぁ、それは…それは、説明はするよ。何の根拠もなしに言ったわけでもないし」

そう前置きして、佐藤はぽつぽつと話し始めた。

「最初から説明すると…あ、一応確認を取っておきたいんだが」

「なんです?」

「俺達が体育館へ向かったとき――確かに、武道館前に塚本刑事はいたんだよな?」

なんだか含みのありそうな確認。

僕は少し考えてから、うなずく。

「――はい。確かに、いましたよ」

「じゃあ…やっぱり、塚本刑事は二人いるんだ…」

「あの、佐藤先生? こちらに通じるように話して頂けると…」

「あ、あぁすまない。それから、俺達が体育館に向かっている途中…いたんだよ」

「どこに?」

「…A棟とB棟の、間の庭園だ。そこに…確かにいたんだ、塚本刑事が」

「見間違いってことは」

「この期に及んで俺を疑うのか。――そんなことはない。どう見ても、あれは塚本刑事だった」

「そのときに、武道館前は見たんですか?」

「……見てない」

ずっこけた。

何やってんだこの人は。

武道館前に塚本刑事がいなかったら、単なる高速移動じゃないか。

「だから、確証はないんだよ。…でも…塚本刑事だと思ったんだけどなぁ…」

しかもうろ覚えかよ。

年をとるのってやだなぁ。

「…塚本さん」

ふいに、脈絡もなく杉由が塚本に訊いた。

「あなたは俺達が移動していたとき――どこにいましたか?」

その質問は、効果があるようで効果がなかった。

もし目の前にいるのが本物の塚本だとすれば素直に武道館前と答えるのだろうが。

偽者の塚本だとしても、怪しまれないように嘘をついて武道館前と答えるだろう。

また、仮に本物の塚本さんが庭園にいたとしても。

偽者の塚本さんだって、庭園にいたと答えるだろう。

「私は…武道館前にいました」

答えは前者だった。

…怪しい、と言わざるを得なかった。

もしこの人が偽者だとしたら…本物の塚本はどこにいるのだろう。

――待てよ、そもそも。

「もし塚本さんが二人いたとして…だから、何なんですか?」

「…………」

「…………」

「…………」

あれ。

何でそこで黙るんだ?

「お前…分かんないのか?」

「偽者の刑事がいたとしたら、本物と成り代わってる可能性があんだろ!」

「あぁ、そうか。…え、でも。それってつまり…」

やっと察した。

馬鹿だ。

僕はどうやら馬鹿だったらしい。

それは…塚本の“可能性”が、一気に広まるということ。

アリバイだって。

証言だって。

同一人物が二人存在するのなら――何とでも言える。

一卵性の双子が事件を起こしているようなものだ。

そして何よりも…この事実により、塚本は最重要容疑者となるだろう。

まさにこれこそ、急転直下だった。

「今ここにいる塚本刑事も…“信用できない”。そういうことですよ啓先輩」

相原がまとめた。

なぜか、この人は“信用できない”って言葉がよく似合う。いや、多分これは褒め言葉の類じゃないんだろうけど。

「最悪…偽者の塚本刑事が今回の事件を引き起こしていた――なんて結末に終わるかも知れませんね。突発的にも程があるってもんですよ」

何にしても、佐藤の証言によって、塚本さんの立場が一気に悪くなった。

実はこの中に隠れている真犯人が『犯人は偽者の塚本刑事です』と言ってしまえば、全ての責任を彼女に負わせることができるのだから。

濡れ衣を着せる。

相手はもちろん…本物の、塚本刑事。

「あ、じゃあもしかしたら」

杉由は閃いたように人差し指を立てる。

「偽者の塚本さんが、佐野さんをどっかにやった…って考え方も、できるんじゃね?」

あぁ…馬鹿かお前は。

馬鹿なのかよお前は!

今、この状況でそんなこと言ったら…!

「理由は、佐野さんがいじっていたっていうノートパソコンが犯人にとって都合の悪いものだったから。な、悪くねぇだろ」

「それを言うのなら、爆弾騒ぎを起こしたのも偽者の塚本刑事ってことになるぞ」

「そもそも名倉を殺したのが、その偽者かもしれねぇ」


「――この事件の犯人は、偽者の塚本刑事なのか?」


「皆さん」

僕は危ういところで止めた。

否…止められなかった。

僕が地の文で予想した事態を悪びれもなく想起しやがって、杉由め。

「何の根拠もないのに、憶測だけで物を言うのは僕たちの判断力を鈍らせます」

「……」

分からないでもない。

今日一日、さまざまな意見が起こっている中で、犯人がこの中にいるにもかかわらず、犯人の目星がつかないというジレンマ。

人間は分からないことが嫌いだ。

解決できないことが嫌いだ。

だから――他人に責任を押しつけたがる。

そうすることで自分を正当化したがる。

「ノートパソコンは佐野さんが持っているでしょう」

僕の意見に、真っ先に異議を唱えたのが佐藤。

「しかし…ノートパソコンは、佐野刑事と一緒に処分されたのでは」

「多分、それはないと思います。…これは僕個人としての見解でしかないんですけど、犯人はノートパソコンをそれほど重要視していないと思うんですよ。――仮に、仮にです。偽者の塚本さんが犯人だったとして、佐野さんがそれに気づいたとしましょう。そしたら佐野さんは持っているノートパソコンで――まず、何をしますか?」

「……何を、って…」

…やっぱりな。

さっきのは完全なる憶測に過ぎなかったってわけだ。

こういう細かいところまで完璧に立証できてこそ推理。

骨組みから違う。

「そりゃ、…警察に連絡するだろうな」

やがて杉由が言った。

冴えてるなこいつ。

「そう。まずはその事実を警察側に連絡するでしょう。とすると佐野さんは、警察側に連絡するために、人目につかないサポートルームへ行ったんだと思います。方法はおそらくEメール。案外、犯人を割り出し次第、秘密裏に密告する手段として持ってきていたのかもしれません。…まぁそれはいいとして、さて問題はここで生じます。佐野さんが犯人を知った。ノートパソコンからEメールを送って警察側に知らせた――この行為の中で、どちらか一つでも、犯人が知り得ることのできる情報がありますか?」

僕の言葉の意味が一瞬分からなかったらしく、一同は目をパチクリとさせる。

…その仕草は、少なくとも佐藤には似合わなかった。

「一つ目、佐野さんが犯人を知ったという点は、あくまで佐野さんの中での考えに過ぎません。まぁそれなりの理由があったとしても、まさか公の場で犯人の名前を口に出すわけにはいかないでしょう。つまり、佐野さんが犯人を知ったという事実を、犯人が知るはずがない。…これは、分かりますか?」

うなずく一同。

一人、思案顔の学級委員長がいるがそいつは置いていく。

「二つ目、佐野さんが犯人をノートパソコンを使って警察側に通知した点ですが…これは考えではなく行動ですよね。すなわち犯人にも“行動”それ自体は視認できるわけです。でもそれが、Eメールを使って犯人を警察側に知らせようとしていることまでは分かりません。犯人は佐野さんが犯人を知っていることを、知らないんですから」

「ん…待て。ややこしくなってきた」

小沢リタイア。

「仮に犯人がそれに気づいていたとしても…ここで小沢さん、あなたの証言が出てきます」

小沢は、佐野がノートパソコンを持って階段を下りていく姿を目撃している。

階段を下りた――サポートルームを出たということは、Eメールを送信し終わっていたということ。

少なくともEメールを送信し終わるまで、佐野は無事であったということ。

ノートパソコンには、送信履歴こそ残るものの、直接犯人を示唆する情報はない。

処分してもしなくても、ノートパソコンにはもう何も犯人の危険を脅かすような情報は残っていないのだ。

なら、犯人にとってノートパソコンは、佐野を消してまで処分するほど重大なものではないとうことになる。

現に、佐野がその足で武道館前に向かっていくのを、小沢が目撃している。

「…というわけです。理解できました?」

「…分からん」

「…今の何語だ?」

「分かりやすく話せっつったろーが…」

いや、あんたらには期待してないから。

僕が事細かに説明したのは、塚本の反応を見るためだ。

「…こういう考え方もできません?」

はたして塚本は言った。

「そんなややこしいことは考えずに…犯人は、ただ単純に、佐野氏の存在が邪魔だったから消した」

「……」

「理由なんていくらでも思いつきますよ。…おそらく、あの人でしょう」

「あの人?」

「あ。何でもありません、独り言です。とにかく、佐野氏は多分無事ですよ。この件はおそらく、事件とは何の関係もありません」

「はぁ…」

「気にするだけ無駄ですよ。後で私からきつく言っておきますから」

塚本は何か心当たりがあるらしく、憎々しげに言った。

彼女がそう言うんならと、僕らももうこの話題には触れない。

「…………」

途切れた。

あれ? 今、何の話してたっけ的な沈黙が生まれる。

……。

えーと。

小沢さんが、サポートルームでノートパソコンをいじくっている佐野さんを見た、という話…だったか。

それならもう解決したし…。

いや。

解決したわけじゃなかった。

「小沢さんの、佐野さん目撃情報。そこで話が脱線しました」

「でも、それは偽者の犯行ってことで片付いてるんじゃないのか?」

「いえ。さっきの説明の中では、否定のためにそう仮定しただけで、実際のところなぜ佐野さんがあのような行動をしたのかとか、今現在佐野さんはどこにいるのかとか、そういう具体的なことは何も分っていないんです。犯人だって知らないでしょうし」

「だからそれは塚本刑事が心配ないって…」

「場所を教えてもらったわけではないですよね? それに、重要なのはむしろ――その前の行動」

ノートパソコンを使って、何をしたのか。

いかん、仮説と現実がごっちゃになって、よく分からなくなってきた。

「皆さん、ここは一旦、仮説のことは忘れてください。あれは『偽者の塚本さんが犯人であった場合』での、ノートパソコンの重要性についての批判でしかありません。分りやすいようにセッティングしただけです。偽塚本さんが犯人である可能性は――」

待てよ?

そもそも、犯人って何だ?

「偽者の塚本刑事とかノートパソコンとか、いろいろ混ざっちゃってまとまらないんですけど…」

「俺もだ。頭の中で電子機器がバタフライしてる」

混乱しているのは僕だけじゃないらしい。

「じゃ…まとめましょう。今のところ分かっている事実を言います。僕らが体育館へ行った後に、佐野さんがサポートルームでノートパソコンをいじっていたこと。塚本さんを二人発見したこと。今現在佐野さんがいないこと――この3つです」

たったの3つだ。

いかん、僕の勝手な仮設のせいで、みんなを狂わせてしまったことになる。

偽塚本が犯人という前提もおかしいし、佐野がそれを知っているなんてことは、それこそ有り得ない。あの人が犯人に気づくはずがないじゃないか。

勝手な言い分だけど。

「なるほど…これこそ、先程小沢先輩が言った『レッドヘリング』というやつですね」

一つ大きな事件が起きた後に次の事件が起これば、自然と二つの事件が結びついているように考えてしまう――。

今の状態は、まさにそうだ。

全てがつながっていると考えるには、都合がよすぎる。

「…ここは、あれですよ」

相原が声をひそめて言った。

おのずと静まり返る一同。

「そんなに深く考えることないんじゃないですか? 偶然も偶然、小沢先輩も佐藤先生も偶然見かけちゃっただけなんですよ。行為そのものに意味なんかきっとないんです」

破棄した――!!

なんてご都合主義なんだ。偶然にしちゃ度が過ぎるってもんだろこれは!

「お、おい待て一年坊主。それじゃあ、あんな怪しいタイミングでノートパソコンをいじっていた佐野の説明は…」

「んなもん、ネトゲでもやってたんじゃないですかー? 佐野刑事も、事件が一向に進まないから退屈になったんですよ」

「じゃあ塚本さんについては」

「あるわけないっしょ同じ人物が二人なんて。見間違いですよ見間違い」

「佐野さんがいないことは?」

「さっきの伊達っぽい刑事さんが言ってた、白昼堂々の無差別連続殺人だかの方に行ったんじゃないですか?」

適当すぎる…。

何でこのタイミングで佐野がネトゲやらなくちゃならないんだ!

ふざけてるのか!

「……まぁ。まぁまぁ。まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁ、まぁですよ。相原くんの言っていることも一理あります。一理ですけどね。もしかしたら本当に、この3つの新事実は事件に何の関係もない、サブ現象なのかもしれません。てか、それでいいじゃないですか。そうしましょうよもう」

僕も自棄になった。

考えるだけ無駄と思えてきた。

佐野の安否については塚本が保証したんだから、その前にどんな行動をとっていたかなんて知る由もない。

そろそろ手を引かなくてはまずいことになる。

いい加減日が暮れてしまう。

「…もう6時を大分過ぎていますし。空もこの通り、太陽は完全に沈んだようですね」

辺りはすでに薄暗いの域を超えて夜に近づいてきていた。

「つーかよー。いくら事件関係者だからって、こんな時間まで現場待機とかなくねー? 一応高校生だぜ俺達。家に連絡すんのも禁止されてるし」

あー腹へったわー、と愚痴をこぼす杉由。

その気持ちには同感だ。あれから3時間ほどしかたっていないにしても、ここまで徹底的に関係者を見張る必要がどこにあるんだろう。挙句には調査を進めるべき刑事さんまでもが容疑者候補として疑われる始末だ。

…そろそろ、帰ってもいいんじゃないか?

「全くだ。大体、俺らは直接この事件に関わったわけじゃねぇしな」

「今日はいろいろ疲れたんで。家に帰って休みたいですよ」

「それはなりません」

きっぱりと言う塚本。

久しぶりにこの人の刑事らしさを見た。

「…といっても、こんな時間ですからね。上に連絡をとってみます」

その場で携帯電話を取り出す。

…ストラップの体積が携帯電話本体を越していた。

どうでもいいことだが、この人多分20代後半だと思うんだけど、なんでこんなにも子供っぽい一面があるんだろう。あの小さいマスコットとか、今巷で有名な≪ラブリーズ≫とかいう黄緑色のウサギのキャラクターではないか。たしかなんかのブランドだった気がする。…それほど詳しく知っているわけではない。

「――……こちら警視庁一課、塚本です。……はい。…いえ、それはまだ……。――それなんですが、そろそろ時間的にも……、え? あの、ちょっとそれは――…はい。…………――はい。…分かりました」

では、と言って電話を切ると、塚本は一同に向かって言った。

「えー…と。ですね…申し上げにくいのですが、警視庁の方から、今日のところはやっぱり家に帰すことはできないそうです」

「――…はい?」

聞き間違えかな?

「あの、家には、帰れる…ん、ですよね?」

「いえだから帰れません。みなさんには、今夜この学校に、俗に言うお泊りをして頂くことになりました」

きっぱりと。

悲しいくらいにきっぱりと、塚本は言った。

ちょっと待ってくれ。

お泊りって、その、つまり……ここに? 泊まれと?

「なっ……ちょっと! おかしいでしょその展開は! 何でそこまでして…」

「それは…私にもさっぱり。でも、一度別れると、犯人の目星が一気につきにくくなるのは分かりますよね。その関係だから…じゃ、ないでしょうか」

はっきりしない答えだった。

いやいやいやいや、予想外の展開になってしまったぞ。ここにお泊り? いつどこで爆発が起こるか分からない、この校内で……。

「あれ」

僕はふと、校舎を隅々まで見渡してみた。

「どうした高井?」

「――そういえばさっきから爆発してないな…と思ってさ」

いつからだろう。忙しくて気がつかなかったが、いつの間にか爆発がやんでいた。

「…校舎内で、爆発の被害に遭っていない建物はありますか?」

気を取り直したように塚本が言う。

うーん、どうだろう。あんだけ派手に爆発してたからな、それぞれがそれぞれ、被害は受けているはずだと思うけど。

「C棟は立ち入り禁止だし…あと、他にはもうないんじゃないか?」

「あ」

そこで僕は思い立った。

あったじゃないか。

爆発の被害を受けていない建物が――1つだけ。

「武道館。あそこは、たしか無傷だったと思いますよ」

「あぁ。そこがありましたか。じゃ、みなさん、とりあえず武道館へ行きましょう。今夜はそこで過ごすことになるでしょうから」


 塚本刑事にはそっくりさんがいます。

 詳しくは次の次で。

 佐野刑事はどうなったのか。

 詳しくは次の次で。

 

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