表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

読み切り 8

「……あの……」

「――何です?」

「…………いや、何ですじゃなくて」

「言いたいことがあるのなら、はっきり言ってください」

「……………………」

 よく言われる。

 私は成人女性の中では、身長が高い方らしい。

 今時、170cmの女性なんてわりとよく見かけるものだとは思うけれど、それは私の職場内での見解に過ぎないのかもしれない。現に、今一度外へ出てみれば、ここにいる女子生徒のほとんどは私より身長が低い。男子は…まぁ、高校生の3年間は中学生に次いで成長期だから、大体は見上げる形。特に安藤氏は校内でも長身の部類に入ると思う。私より少なくとも10cmは天に近いあのパンチパーマは、伸ばしたらオタク風になるのを懸念しての防止策なのだろうか。それなら坊主にした方がさっぱりしてるし、ていうかそもそも髪そのものが無くなるわけだからさっぱりも何もないんだろうけれど、それでも変に残しておくよりはいっそ刈り上げた方がかっこいいと思うのは私だけ? あの生え方は、将来絶対薄毛に悩むタイプの頭皮だと踏んでいるのは私だけ?

 安藤氏はともかく。

 基本的に私より長身のこの学校の男子生徒。でも、今回の事件に関わった生徒のほとんどは私より背が低い。安藤氏と小沢氏は高3だし元から長身だとしても、高井氏や松川氏のあれは何なんだろう。決してチビとは言わない。全国的に見てそんなこと私が言える立場でもない。でも何だろうあの身長は。これから伸び盛りだとしたら相当晩成だ。本人は気づいていないかも知れないけれど、心を鬼にして言い放つとしたら低すぎ。低い。低い低い。最低。いろんな意味で計測してみたい。170cmは少なくとも越えていないと逆に恥ずかしいのでは? 女子高生のレベルにまで落ち込んで、いい年して『かわいい~★』とか言われる男子ってかわいそうだなぁと思う。私の事前調査に間違いがなければ、彼らは今年で17歳のはずなのだけれど。

 それに比べて。

「……俺…一応、未成年なんですけど」

「見れば分かります」

「あなた…も…、えっと…大人ですよね?」

「見て分かりません?」

「血族オチとかないですよね」

「もちろん」

 この人物は。

 身長は、私より少し低いくらい。おそらく160cm後半、と言ったところ。うん、高校1年生としてはギリギリ合格ライン。この体勢じゃ、さすがに体重は分からない。でも、身長のわりに案外身軽そうだ。血液型は…あー、何でこの人物、サポートルームに来なかったんだろう。あの時、無理矢理にでも引きずっていけばよかったのかな。でも、具合悪いみたいだったからしょうがないか。…そうね、全体的に見てAはない。有り得ない。A型を侮辱してる。じゃあ、Bかな? B型かなこの人物は。なんだか当てはまる。OでもABでもないとしたら、この人物にはB型が合う。

「あなた名前は?」

「…………は?」

「名前は? と聞いているのです。あなたの正式名称は何ですか?」

「……人を複雑機器みたいに言わないで下さいよ…ていうか、警察ってそういうの、事前調査とかしないんですか?」

「しないんです」

「…はぁ」

 なんて名前なんだろう。こればっかりは星の数ほどある。まずは苗字だな。雰囲気からして、“田”で終わる感じじゃない。“村”もなさそう。“川”とか“木”ってわけでもないと思う。“本”“井”“沢”…どれもないな。なら…“原”? あ…しっくりくる。じゃあこの人物、『●原』って苗字なんだ。前に来るのは何だろう。“野”? 違う。“松”? それもない。うーん…さすがに、名前を当てるのは難しいな。

「…名前」

「…………」

「教えて、ほしいのですが」

「何の…ためですか?」

「調査のためです。あなただけサポートルームに来なかったので、事情聴取を受けていません。よって警察側にはあなたの基礎的なパーソナルデータが欠けています。なのでまずお名前から、という理屈です」

 “川”“里”“杉”“風”“豊”……いろいろ考えてみたけど、なにかこの人物のイメージに当てはまるものがない。

 もしかして前提から違うのかな。『●原』ではないのかも知れない。そもそも、こんな単純な感じの組み合わせじゃないのかも知れない。もっと複雑な、日本特有の読み方の…。

 五十嵐?

 …………五十嵐。五十嵐……なんだか、こっちもしっくりくる。この人物の苗字が『五十嵐』でも、特に違和感はない。

「五十嵐」

「……」

「…もしかして、あなたの姓は五十嵐ですか?」

「俺の性は男です」

「性別のことを言っているのではありません。姓と名前。苗字の意ですよ」

「…………」

「どうです?」

 これで当たっていたら、私の洞察力もなかなか腕が上がってきたと言うべきなのだろう。何の物的証拠もなしに苗字を当てる。並大抵の人間ができることじゃない。もしかして私はサイコキネシスでも持ち合わせているのかもしれない。それはそれで、人生に新たな面白みが加わるのだからかまわないけれど。

 退屈な人生。

 一度きりで十分な人生。

 一つくらい、常任離れした力があるくらいが、面白いんじゃない?

 …なんていうのは、単なる見解。

 絵空事。

「……………………」

「え? …もしかして、当たりですか?」

「正確には、まぁハズレですけど。俺は相原です」

「……」

 やっぱり最初ので合っていたみたい。

 もったいないことしたなぁ。

「漢字変換は藍色の原ですか?」

「違います、相手の原です」

「木目に原ですか」

「そうとも言いますね」

「では名前は?」

「あの、…それよりも」

 続いて訊こうとしたけれど、遮られてしまった。

 そうか、この人物は相原というのか。

 下の名前は…? …分からないな。

 もう、名前当てはやめよう。そもそも当たる可能性なんてないに決まってる。ないない。

「…そろそろ……離してくれませんか…」

 ん?

 あぁ…忘れていた。あまりにソフトな感触だったから、すっかり忘れていた。

 私、相原氏に抱きついてたんだっけ。

「…あなた、…刑事ですよね? 刑事なんですよね?」

「ハイそうですが。それが何か?」

「…どこにパパラッチが潜んでいるか分かりませんよ」

「いざとなったら、それこそ血族オチで突き通せば問題ありません」

 高井氏が皆さんを体育館へ促したとき。

 何となく目に移った相原氏を見て。

 ――抱きついたら、気持ちよさそうだなー…。

 と思った。

 後に続いていく相原氏の腕をつかんで。

 引っ張って。

 …それから、どうなったんだっけ…。

「戻りたい、とか言っちゃダメですか?」

「言論の自由は国が認めていますよ」

「それを行動に移したりは」

「公務執行妨害です」

「……これ、公務なんですか?」

「もちろん」

 そうそう。

 抱いてみたんだ。

 …あの時は、何だかどうしようもなく、人肌が恋しかったんだ。

 なんだか記憶もおぼろげ。佐野氏と他愛もないお喋りをしているうちに…気がついたら、御用状態。失神癖でもついちゃったのかな。それはそれで、……困る。

「相原氏、あなた……」

「?」

「柔らかいです」

「…???」

「まるでクッションみたいです」

「……?????」

「雲みたいに柔らかくてふわふわしてて…とても、心地いい」

 そう、それはまるで。

 ずっと抱きしめていたい抱き枕のように。

 ずっとそばにいてほしい抱き枕のように。

 ずっと一緒に寝ていたい抱き枕のように。

 …抱き枕だった。

「あなたは抱き枕です」

「は?」

「抱く、枕です」

「いやそれは知ってますけど。どんな隠喩ですかそれ」

「だから、ずっとこうしていていいですか?」

 いいのかなぁ。

 悪いのかなぁ。

 私としては、どっちでもいい気がする。

 困るのは、…相原氏だけ。

 私は何も困らない。

 満たされる。

「俺、そんな贅肉あります?」

「そういう問題ではありません」

「人並みに運動はしてるんですけど、やっぱあれが原因かな…」

 あれ?

 何だろう。

 相原氏の言う言葉の一つ一つが気になってしょうがない。

 …だって、抱き枕が喋ることなんて、絶対に有り得ないもの。

「遼兄がいないと、つまらないからな…」

 ふぅん。

 …遼兄。お兄さんかな?

 その人が原因って、どういうことだろう。

「遼兄、とは誰ですか?」

「某友達の兄です。…滅多に帰ってこなくて、今月はまだ一度も……」

 毎月会っている仲らしい。

 “兄”って付ける以上は、年上であって男なのだろう。

 男…か。

「わッ…!」

 抱き締めてみた。

 ぎゅううぅ、と音がなるくらい抱き締めてみた。

 やっぱり相原氏は抱き枕だ。

 どんなに強く抱き締めても壊れない。

 なくなったりしない。

 …あの時も、こんな抱き枕があれば。

 耐えられたのかもしれないな…。

「いッ……い、いきなり……何ですかもう…」

「抱き枕は黙ってください」

「だから俺抱き枕じゃ…――。……」

「?」

「…………」

 どうかしたのかな?

 …ぁ。

「……未成年にまで手を出すのは外道ですよ、塚本刑事」

「そうですか? 子供好きな刑事っていうのも、なかなかよいと思いません?」

「ショタコン刑事の間違いじゃないですか?」

「ショ……!?」

「それならあなただって、さっきさりげなくあの女子高生に触れませんでしたか? その歳であのプレイこそ外道だと思いますよ」

「……どんな会話してんだこの人たち…」

「何事にもレディーファーストです。全くあなたは、ちょっと目を離したすきにそういう後ろめたいことをするのはやめて頂きたいんですがね。警察ですよ私たち。国の治安を左右する職に就いているんですよ私たち。その第一線を担うあなたが…」

「相原氏」

「はい?」

「抱き枕役、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」

「…………ぃぇ」

「お礼にいいことを教えてあげましょう」

「いいこと?」

 私は小さく呟くと、相原氏を再び抱き寄せた。

 耳元で、そーっとささやいてみる。

 とたんに、相原氏の顔色が変わった。珍しく余裕のない表情に早変わり。今の彼を抱き締めたら、どこか壊れてしまいそう。

「……ぁ、…」

「私の名前は塚本です」

「…塚本刑事……それって…」

「覚えておいて下さいね――抱き枕さん」

 トン、と背中を押す。

 ふらふらした足取りが、今度は羊雲を連想させた。

 たまには、積乱雲みたく迫力を出したらいいのに。

 たまには…。

 雨を降らしてもいいのに。

 大気中の汚れを、抱えきれなくなったら――雨にして。

 地上に降り注げば、少しは気が晴れるかもしれないのに。

「何を言ったんです?」

 うるさい下種兼罪人刑事が私を例のじっとりした目で見てきたので。

 それを無視して、相原氏の後姿を見つめる。

「…どう出るのかなぁ、あの抱き枕」


 体育館。

 を、英語に直すとジムネージアムとなるらしい。

 僕たちはそこに集合していた。

 …と言っても、中に入ったわけではない。体育館は、二発目の起爆装置により爆発したため、ほぼ全壊してしまっているのだ。下手に近づくと逆に危ない。いつ瓦礫が崩れるか分らないほどに陥落しているのは火を見るよりも明らかと言うやつだ。

「――みんないますか?」

 と確認はとるものの、距離的にはほんの30m。はぐれる方がおかしい話だが、ここから先は誰一人欠けてはならない。

 すでに一人…犠牲者が出てしまったのだから。

「…あれ」

 杉由が近辺を見回す。

 嫌な予感。

「あいつまたいなくなりやがって…わり、ちょっと探してくるわ」

 口調から考えて、いなくなったのは相原だろう。

 …確認もとってみるもんだなぁ。

 ま、他にはいないだろう。杉由もすぐに帰ってくるだろうし、ここは少しばかり様子を見て――。

「…あれ」

 安藤が近辺を見回す。

 嫌な予感。

「あの先公いるか?」

 先生がいなくなった。

 あぁもう、勘弁してくれよ。とりあえず、今は一番頼れる存在なんだから。

「しゃあねぇ、引っ張ってくる」

「頼みます」

 だるそうにその場を後にする安藤に、僕は内心手を合わせた。

 あの準ヘタレ先生を今まで生かしてくれてありがとう。

「…あれ」

 小沢が近辺を見回す。

 嫌な予感。

「あの女子はどこに行った? 見当たらないが…」

 茶凛――…。

 ったく、これは何かの連鎖反応なのだろうか。半数近くがいなくなったのに気づかない僕も僕だけど。

「茶凛は僕が探してきます」

 じゃ、と一応小沢に向かって軽く会釈して立ち去る。

 え…っと。どこに行ったのかなあの子は。


「あのヘタレ野郎…見つけたら半殺しにしてやるか」

 ザス、ザス――。

 なんとなく渡り廊下付近をぶらぶらしながら、安藤は悪態をついていた。

 心なしか足取りも重い。

 安藤は佐藤の様な人間が気にくわない。

 弱者のくせに強がる、虚勢を張っていきがり、目上の者にはヘコヘコと頭を下げる。そうやって、うまく人間関係を築いているみたいな態度をするやつらを見ると、手当たり次第に殴り飛ばしたくなる。

 学校なんてその権化だ。くだらない上下関係にくだらない師弟関係、くだらない人間関係にくだらない罵詈雑言。全てがくだらない。くだらなすぎて笑えてくるほどに学校という建造物はくだらなさに満ちていた。

 よってこんなところにいる意味はない。

 そう折り合いをつけ、サボり始めたのは入学直後。中学までは義務教育だからと、それはそれで自分なりに割り切ってくだらない9年間をくだらない教室の中過ごしてやったが、高校にまで行く必要はやはり皆無だった。もとから周りに合わせる性格ではなかったこともあり、大分孤立した存在だった安藤も、周囲の人間――先生や両親なんかにまで受験だとか入試だとか面接だとか騒がれ、仕方なく受けてやった高校受験。合否なんて心底どうでもよかったが、いざ合格となるとさすがに落胆を隠せなかった。さらに3年間、あのくだらない空間で時間を無駄にすることになってしまった…私立じゃないだけマシか。

 そう思っていた高校一年生の春。

 面白いやつと出会った。

 始まりはもちろんガン飛ばし。見るからにチャラそうな不良、というのが第一印象。当時今ほど荒れていなかった安藤は、そいつを“見る価値いる価値共になし”と格付けして関わらない様にしていた――はずなのだが、廊下を歩いていたら突然絡んできた。

「安藤隆二(りゅうじ)ってのはテメェか? ぁあ?」

 第一声がこれ。

 誓って言うが、あちらから一方的に絡んできたのだ。

 プライドが捨てきれない安藤は断るわけにもいかず、堂々と廊下でやり合った。中央廊下ワンフロア分の大規模な乱闘となり、教師が止めに入る様子など眼中にないほど、夢中になっていた。ガチンコバトルで夢中なんて言葉を使うのは邪道だとは思うが。

 蹴りがついたのは場所を移して非常階段。共倒れだった。両者傷だらけ痣だらけといった状態。大の字に仰向けになって、屋根越しに空を見た。驚くほど単調な、橙色の空。

 ふいに、笑った。

 止まらなくなって、大笑いした。

 自然に笑う機会なんてここ数年無かったもので、リミッター解除したかのように豪快に爆笑した。

 つられて――おそらく、安藤の馬鹿笑いにつられて、相手も笑った。小さく、それも乾いたようなしけった笑い声だったが、時がたつにつれて両者共に競い合うかのような大音量で笑った。叫んだと言った方が正確なほどに。

「…おっもしれぇやつ」

「テメェもな」

 殴り合って生まれる友情と言うやつだ。

 そいつは意外なことに安藤と同じ高校一年生だった。クラスこそ違ったものの、そんな壁を乗り越えて、自然とつるむようになった。

 その名を、名倉啓介。

 安藤は名倉に、自分の見解を話してみた。学校のくだらなさ、価値のなさ。教師共にはうんざりしていること――。

 不思議と名倉とは気が合った。自分と同意見であることに親近感を覚えた安藤は、たまに二人で語り合うようにもなった。

 あいつと会ったのは、そんな夏真っ盛りの頃。

 ムカつくほどの熱気の中、校舎内を宛てもなくうろついていた二人。廊下の突き当たり、外側を歩いていた安藤の肩と何者かのそれがぶつかった。

「ぉいテメ…」

 ガンつけようと振り返ったときには、ぶつかった人物は中央廊下を駆け抜けていた。

「おいテメェエエエ!!!」

 叫び直して全力疾走する安藤の後を、名倉はだるそうに追う。

 さすがに気づいたのか、その人物は足を止め、振り返って言い放った。

「校内で馬鹿でかい声を出すな、やかましい」

 そして再び前を向いて廊下を駆け出す。

「テメェェエエエエ!!」

 安藤も叫んだ。

 足を止めようともしないその人物を追いかける。

 そこで、角を曲がりかけたその人物が声を張り上げて言った。

「廊下は走っちゃいけねぇんだぞォオオオオ!!!」

 ――静まり返る中央廊下。

 しばらくして、名倉と安藤が同時に爆笑した。

「おま、廊下走るなって、そんなもん今時守るやつ、いんのかよおい!!」

「馬鹿かテメェ!! 言ってるそばから思いっきり走ってんじゃねぇか自分が!!」

「おっもしれぇやつ!!」

「貴様らもな!!」

 エンターテイナー性を見抜いた二人は、そいつも交えて三人でつるむようになった。

 その名を、小沢俊則(としのり)

 安藤たちはしばらく、三人で行動を共にしていた。この頃からゲーセンで遊ぶようになった。名倉はレーシング系統のゲームにハマり、安藤はシューティング系統を主にいろいろと、意外にも小沢はUFOキャッチャーの達人で、合流するたびに何かしら景品を手に持っていた。

 そんなこんなで高校生活一年目を――と言っても、実際に学校で過ごした時間はごくわずかだが――終えて、二年生になった。

 だが相変わらず、三人は学校をサボっていろいろなところに出回っていた。

 あいつと初めて会ったのも、例によって学校をサボり、鬱蒼と木が生い茂る月夜森で暇をつぶしていた時だった。

 その日は今にも雨が降り出しそうな、不安定な天気だった。森に行けば雨が降ってもしのげるだろうという小沢の提案で、森の奥深くにある広場に、三人で適当に携帯ゲームなどをいじっていた。

 ポツ――。

 空から降ってきた雨粒が、ゲーム画面を濡らした。

「やべぇ、降ってきやがった!!」

 あっという間に勢いを増したそれは、風も加わって軽い嵐のように地面を叩きつける。

 急いで避難した三人は、呆然とその様子を眺めていた。

 と、そのとき。

「…? 誰かいねぇか?」

 雨の影響で全体的に白くぼやける視界のはじに、そいつは雨の中一人立っていた。

 容赦なく雨がそいつを叩きつけていく。しかし、そいつはそんなことはまったく気にならないとばかりにただうつむいて自分の手を見ていた。

 なんとなく、それを見つめる三人。

 と、そのとき。

 そいつの背後の低木が音を立てた。

 そいつが振り返ったときには、でかい図体をした熊が襲いかかっていた。

「危ねぇッ…!!」

 とっさに走り出す安藤。残った二人も後を追う。

 熊がそいつに襲いかかる寸前、安藤と名倉は二人同時にライダーキックを熊の横腹にお見舞いした。

 うめき声を上げて倒れる熊。

「テメェ!! 何やってんだ!! 逃げろ!!」

 一部始終を無表情で見ていたそいつの腕を掴み、強引に引っ張っていく。

 さっきまで三人が雨宿りしていた木下に連れて行くと、安藤が口を開く前にそいつは言った。

「…もしかして、そこの学校の生徒?」

「…あ?」

「すぐそばにある…名前なんだっけな。いいや、そこから見えるだろ?」

 今気づいたが、この森のすぐ近くには安藤たちの通う学校があるのだ。

「よく見てみりゃ…テメェ、うちの学校の制服着てんじゃねぇか」

「そりゃあね。今日からあの学校に転校してくるわけだし」

「…それが、何でこんなところで熊に襲われてんだ?」

 見たところ、何てこともない高校生だ。セルフレームの青いメガネだけが強いて言えば特徴的な、ごく普通の外見。

 しかし、後に続く言葉を聞いて、三人は卒倒しそうになった。

「めんどくさかったから」

「…………めんどくさいって……おい…」

「だってそうだろ? 経験のない者には分らないだろうが、転校っていうのはひどくめんどくさいイベントだよ。手続きやらなにやら、もううんざりだ。だからこの森で暇つぶししていただけ。それの何が悪い? 人間、誰だって面倒事はご免だろ」

 言ってることは無茶苦茶なのに、それを悪びれもせずに堂々と言うそいつがとても滑稽に見えて、つい笑ってしまった。

 さすがに名倉の時ほどの大爆笑ではないけれど。

「なっ。失礼だな、人の話を聞いて笑うなんてまったく失礼にもほどがある。義務教育をやり直したらどうだこのガキ共」

「テメェエエエに言われたくねぇよ!!」

「おっもしろいやつ!!」

「お前らもな…」

 こうして三人に一人加わり、四人でつるむこととなった。

 その名を水谷(ゆう)

 彼が加わってから、安藤たちの中に中立の立場――まとめ役が生まれ、よりいっそう、退屈だった学校生活に彩りを与えた。

 あの頃は、毎日が充実していた。

 ――あの頃は。

「……………………もう、過ぎたことだ」


「茶凛ー…いたら出てきてくれよー」

 はぁ…。

 人探しは何度目だろう。

 こんなことをしている場合ではないというのに。

 あーもう、こんなことをしている間にも、犯人は次なるアクシデントを起こしてくると思うと、気持ちがはやる。

「どこだよー、茶凛ー!」


 A棟わきの平地。

 生徒たちはここから、A棟をぐるりと回ってB棟の昇降口へと向かっていく。

 朝は生徒たちの話し声や騒ぎ声でうるさいこの場所も、今となっては静かなものだ。

 …ま、生徒そのものが帰ったわけだから、今この場に人がいるのはおかしいな。

「あぁ…全く…全く全く全く……全くすぎる、あの人……」

 刑事だ。

 刑事なんだあの人は。

 ちゃんと身分をわきまえているはずの職に就いているはずなんだ。

 …まさかの年齢サバ読みってオチでもないだろうし…。

 本当に、真実本当に、嘘偽りなく本当に――先輩と関わると、ろくなことがない。ろくなことがないどころじゃない、ろくなことじゃないことしか起こらない。ろくでもないなんて言葉は、34℃の残り湯レベルにぬる過ぎる。

 あの人は。

 …とどのつまりあの人は、俺に何がしたかったんだろう。

『相原氏、あなた……』

『柔らかいです』

『まるでクッションみたいです』

『雲みたいに柔らかくてふわふわしてて…とても、心地いい』

『あなたは抱き枕です』

『だから、ずっとこうしていていいですか?』

 塚本刑事の言葉が、頭の中をよぎっていく。

 本人は自分の思ったこと感じたことを至ってストレートに言っているのだ…と、思う。そうでもなければ、こんな比喩表現を切磋琢磨に会話の中に交えることなど、なかなかできることではない。故に、抱き枕とか、なんかよく分からない名詞も出てきているが、それも個性と言えば個性。

 …俺、あの人の抱き枕役になってしまったのか…。

 なんとも言えない心境。刑事の役回りと言えば、補佐とか相棒とか、どちらともなく補助系統をイメージしていた。

 抱き枕役。

 これって、あの…抱き枕か。

『抱く、枕です』

 塚本刑事のそんな声が脳髄の奥で聞こえた気がした。

 ――いや、そんなことはこの際、大した問題じゃない。個人的にかなり行方の気になる問題ではあるが、肝心なのは最後。

 あの人が言った“いいこと”。

 まさか……。

 まさか、そんなこと……。

「…有り得ない。そんなこと……あの人にできるはずがないんだ…」

「あの人って、どの人?」

 突然聞こえたその声に、俺はハッと顔を上げる。別に下を向いて歩いていたわけじゃないけど、何というか…つまり、言葉のあやというやつだ。

 目の前に見覚えのある女子生徒が立っていた。

「……えっと…………どなたでしたっけ」

「茶凛。鴻巣(こうのす)茶凛」

 また難しい苗字の人もあったもんだ。

 そっかこの人、啓先輩とよく一緒にいた人だったのか。

「で、何でこんなところに? 皆さん、体育館に行ってるはずじゃ?」

「あなたを探していたの」

 はぁ。なんだこの人、主語と述語の関係を重んじて話しているのだろうか。英文の和訳みたいにオリジナリティのない喋り方だ。

 なんで鴻巣先輩が?

 普通、杉由先輩辺りが優先的に動くはずなのに。

「妙な動きをされたら困るから」

「…はぁ。その、なんか、…すみません。いろいろありまして」

「そういう意味じゃない」

「は?」

 先輩たちも言っていたけど、この人とは本当に会話をするのが難しい。

 自分で自分の言ってることが分からなくなる。

「私、あなたのこと、疑ってるから」

「疑ってるって……」

「あなたが、この一連の事件の犯人じゃないかと思っているの」

「ちょ、待って下さ」

「だから、妙な動きをされないうちに、捕まえておく」

 いきなり何を言い出すんだこの人!

「どっからそんな推理が沸いて出たんですか! 俺は犯人じゃありませんよ、むしろ第一発見者なんですけど! ていうかそれ危ない! 一体どっから持ってきたんです!」

 ゆらりと振りかぶった包丁を一直線に振り下ろす鴻巣先輩は、薬物乱用者みたいにおぼつかない足取りだった。

 全く……!!

 先輩と関わると、徹頭徹尾完全無欠に百発百中百花繚乱十中八九の四面楚歌、ろくなことがない!!

「落ち着いて…そんな物騒なもん、振り回したら先輩が危険ですよ!」

 無論、一番危険なのは俺だ。

「口車には乗らない」

 鴻巣先輩は聞く耳持たず、相変わらずの地に足つかない様子で包丁を俺に向かって突き出してくる。

 なんだこの状況。

 まるで修羅場みたいじゃないか!(今の先輩の発言と言い…)

「あなたはこの場で…消す」

 絶望的な宣戦布告を言い渡されたところで、さてどうする。

 当たり前だが、相手は人間。先輩。女子。無闇に攻撃するわけにはいかない…というよりも俺には攻撃手段がないのだった。言ってしまうと、あの状態の鴻巣先輩から包丁を奪い取るのは容易い。懐に回りさえすれば所詮は女子高生、力で負けることはない…と思う。めっちゃ怪力だったらどうしよう…この手のキャラはわりと何でもありな傾向があるから、そういう不測の事態も想定しなくては。

 まずはこの理解不能な状況を何とかする。相手だけ凶器を持っているのはアンフェアだ。別アングルから見たら犯人はむしろ鴻巣先輩だと錯覚するかもしれない状況をさっきの刑事にでも見られたら弁解の仕様がない。

 もう、これって運の問題なのか。俺って運が悪いのか。殺人現場の第一発見者になるわ、柊先輩に無邪気にいじめられるわ、保健室の爆発に巻き込まれるわ、女刑事に抱きつかれるわ、女子高生に襲われるわ。人間不信になっても仕方がないくらいヒューマンショックに陥るぞ俺は。グレてやる。この事件が終わったら絶対にグレてやる。

 …っと、しまった。

 最悪な死亡フラグを言ってしまった。

 こんなところで死ぬようじゃ、事件の第一発見者など務まらない。

 務めたつもりもないけれど。

「待って下さい」

 きわめて落ち着いて。

 冷静に沈着に、俺は言った。

 待てと言われて待つ人は約60%だと推測されているらしい。

 …賭けにしては、高確率。

「あなただけが包丁を持っているのは俺にとって不利です。ですから、とりあえずそれ、捨ててくれますか」

 ここからが本勝負。

 決して饒舌な方ではないけれど、暴力的に物事を片づけるよりもまだ俺向きだ。

 それに――賭け事は、嫌いじゃない。

 生きるか死ぬかの大勝負はコインを弾いて決めてほしいところだ。

「俺が言っていることに何か間違いはありますか? 一応、プレビューはしたんですけれど」

「そんな要求に応じるとでも思っているの?」

 予想通りの答え。

 今現在優勢なのは明らかに鴻巣先輩。それは本人もよく認識している。その状況を自ら覆すほど、彼女もフェミニストではないというわけだ。

 OK。

「あれ。――先輩、もしかして怖いんですか?」

「……。…?」

 いきなり態度を変えた俺に、鴻巣先輩はかすかに表情を変えた。

 これも先輩達が言っていたが、この人が表情を変えることは滅多にないのだそうだ。

 なんか、ラッキー。

「たかが俺ごとき、包丁がなければ殺せないんですか? 情けないですねー。そんなウルテクを使わなくちゃ俺と対等な位置につくことさえままならない。まぁあれですか、要はその程度ってやつですね。断言しますあなたは弱いです。俺より弱いってことは、事件関係者の中で真実最弱ですよ。俺は一年生ですから。その包丁が命の綱ってわけですか、なるほど常軌を逸してます。その狂い加減が脆弱なあなたにはお似合いです」

「なめてるの?」

 本日二度目…らしいこの台詞。正面から言われるとそれなりに恐怖だ。包丁片手に笑いながら言う言葉には少なくとも該当しない。あー、言い過ぎちゃったらどうしよう。暴走とかしそうだなこの人。

「いえ? なめてなんかいませんよ、むしろこれはスタイリングです。ありのままのあなたを包み隠さず表現するためのスタイリング。まずは言葉攻めから始めてみましたがいかがなさいました?」

「気に入らないわ」

「それは失礼。俺はただ包丁を捨てろと言っただけですんで責任転移はバリアです。気に入らないんでしたら、次はスパなんかどうです?」

 ヒュッ――。

 短い風切り音が鳴った。

 鴻巣先輩の手に包丁がなかったことに気づくのと。

 矢のように鋭く目の前に飛んできた刃物がそれだと気づくのと。

 俺がそれを交わすのは、コンマ何秒のショートストーリーだった。

「あれ…なんでだろ…挑発に乗ってくれるのは嬉しいんだけど、何でいつも痛い目に遭うかな俺…」

 これこそ本日二度目。

 人選って大切だなぁ。

「でも」

 鴻巣茶凛。

 活発な性格には見えないが、自分の意志に基づいて行動する際には、異常なまでの判断力を発揮する。

 だからこそ――。

 だからこそ、それは時に災いへと変異する。

「いい加減…終わりにしましょう。そんな机上の空論は」


 ついに塚本刑事がショタコンになりました。

 いや、相手も一応高一だから、ショタではないのかな。でも佐野刑事が言ってるから、いいやショタで。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ