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読み切り 7

「あ…なんか、心配かけちゃったみたいで。すみません」

 僕は一同に向かって頭を下げた。

「別に、いいけどよ…お前、さっきまでどこにいたんだ? 校舎内全部見たと思うけど、見つからなかったぞ」

「うん、ちょっと別の場所に」

 武道館入り口前。

 ほんの数時間前まで杉由達とだべっていたこの場所に、僕はしばらく一人で座っていた。

 そしたら、校舎内で待たせていた茶凛がやってきて、ニコニコ笑いながら正面から僕を蹴り倒した。

 派手にぶっ倒れる僕の胸倉を掴んで、

「散々待たせておいて、こんなところで何やってるの?」

「……すみません…」

 謝ることしかできなかった僕は最高級のチキン野郎だ。

 まぁ、言えるはずもないのだけれど。

 立ち入り禁止の月夜森に行って鈴森と論争してきた…なんて。

 それから更にしばらくして、杉由と相原、佐藤に安藤そして小沢と遭遇したわけだ。

「まぁまぁ。これで校内の人間全員が揃ったわけだし。…新たに対策を練るとするか」

「対策ね…」

 僕は首をかしげる。

 対策。ここでの意味は無論、今後の事件に関する対策、ということになるのだろうがしかし、絶え間なく爆発が起こり続けているこの状況で、一体何の対策をとれるというのだろう? いまさらどうあがいたところで、状況はさほど変わらないんじゃないか?

「おい待てよ」

 安藤が待ったをかける。

 にらんでいるのは、僕の隣にいる茶凛。

「高井…だったか? 誰だそいつは。サポートルームにはいなかったぜ」

「あ」

 来ると思っていたが、随分と悪役チックに仕立て上げられてしまったものだ。

 ま、状況が状況だから、仕方がないっちゃ仕方がない。

「えっと。なんて言えばいいんだろう……杉由?」

「なっ…俺に振るなよ! …一から説明すると面倒だな」

「この際面倒なんて言ってらんないでしょ先輩」

 呆れた目で杉由を見る相原。そういえばロープはほどかれていた。当たり前か。

「じゃあ…せめて手短に」

 そう言って杉由は茶凛が現れたときのこと、それから校内に残っていた理由を話した。

「…何? 豊島先生が? …それはおかしい」

 佐藤が異議を唱えた。

「え?」

 どういうことだ?

「豊島先生は他校へ出張に出ていて、今日は来てないはずだぞ」

「!!!」

 来てない?

 僕は茶凛を見る。

 嘘を言っていたようには見えない。でも事実、今日豊島先生が校内にいるはずがないことも確かだ。

「…と見せかけて、実は校内に潜んでた、なんてことは?」

 杉由が提案するも、

「それもないだろう。午前中、校内のマザーコンピューターに豊島先生からのEメールが届いていたからな」

「本人が送ったとは限りませんよね?」

 僕もねばってみる。

「いや、あれは間違いなく豊島先生からのEメールだよ」

「そう言える根拠は?」

「…プライバシーに関わることだから詳しくは言えない」

「でも、立証しないと可能性を拭いきれません」

 佐藤は少し迷ってから白状した。

「……あの人のメールは、文章の最後に必ず酢酸エチルの化学式が書かれているんだ」

「…………」

 酢酸エチルって何だよ。

「……豊島先生が出張でいないってのは、間違いねぇようだな…」

「じゃあ、茶凛が見たのは気のせい?」

「豊島先生じゃないとしたら、それ以外の誰か」

 黙っていた茶凛が口を開いた。

「私、豊島先生だと断定はしていないから。声を聞いたわけでもないし」

「そっか…声ね。確かに、それさえあれば一発なんだろうけど」

 悩む僕達を、会話に入れない不良2人がにらむ。

「おい。豊島がどうとかそんなこと訊いてんじゃねぇんだよ。要するにそいつは事件関係者なのかどうか、はっきりしやがれ」

「もしかしたらその女が犯人なのかも知れんぞ」

 知らないというのは全く厄介だ。

 知らないゆえに自由な可能性が生まれ。

 知らないゆえに当てずっぽうにものを言う。

 僕はため息をついてから二人に向き直る。

「茶凛が犯人のはずありません。僕たちが見つけるまで気を失ってたんですから」

「それはあくまで本人の供述だろう。本当のところは分からない」

「…小沢さん、あの下種な刑事みたいなこと言うのやめてくださいよ。そういう捻くれた考え方は良くないです」

「私、どちらかと言えば被害者側になると思う。私を襲ったのはきっと犯人なんだから」

「と、本人も言っていることですし。ね、諦めて下さい。言いがかり以外の何物でもないですよ、あなたの言い分は」

「…………」

 反論の余地がなくなったのか、納得のいかない顔ではありながらも小沢は口を閉ざした。

「さて。とりあえず、まずは状況の確認ですね。爆発が起こってから、事実上別行動をとっていたわけですから」

 僕はその場をまとめるように一同に向かって言う。

「じゃ、僕から。A棟で爆発が起こったすぐ後に、僕は杉由とサポートルームを出て保健室に向かいました。相原くんがいましたし、心配でしたから。その道中で、茶凛と合流――というか、まぁ…会いまして、3人で保健室に行きました。その後僕は杉由と別れ、茶凛と保健室を出ようとしました。その時に下…失礼、刑事さんたちと鉢合わせしまして。といってもとくに何事もなく、それから僕は一旦茶凛を校舎内に残して、外に出ていました。ここです。しばらくしてから茶凛がこちらに来て、更にその後に皆さんと合流した、と…そんな感じですかね。杉由は?」

「俺も、前半は高井と同じ。保健室で別れてから、相原と廊下歩いてて…そんでさっき、偶然佐藤先生達を見つけて、そっからは一緒にお前を探してて、今に至るって感じ。相原は?」

「俺は…爆発が起こる前から説明した方がいいですか?」

「できれば」

 そういえば相原だけ、最初から単独行動をしていたんだった。

「えっと…ま、皆さん知っての通り、俺だけは体調が優れなかったんでサポートルームには行かず、一人保健室に残ってました。先輩たちが招集されて保健室を出てすぐ、保健室に侵入者が現れて…その人が柊さんだったわけです。そのあとすぐに爆発が起こって…、

 俺は、いろいろあってベッドがずぶ濡れだったんで無事でしたけど、柊さんはそれから行方不明です。程なく先輩方2人がやってきて、俺は杉由先輩に半強制的に連れ出されて…それからは先輩と同じですね。…なんか、俺一人だけずいぶん行動パターン違う気がするんですけど」

 そうだ、優志…。

 あいつのことだから死んだりはしていないと思う。それは保健室でも確認したこと。でも今となっては、心配になる。

 死んだりなんか、してないよな…?

「…一年坊主。柊ってのは誰だ?」

 安藤が目ざとくニューフェイスに反応する。

 それには僕が答えた。

「柊優志、二年生です。事件が発覚する前に校内を出ていたので、事件関係者ではありません」

「つまり部外者だな? そいつが、何でこのタイミングで戻ってきたんだ?」

「なんか、僕に会いに来たらしいんですけど…あ」

 僕はまた忘れていた。

 優志は、事件関係者のうちの誰よりも早く、事件が起こることを予測していたのかもしれない。

 [学校中を見て来い。何か不審な点があったら俺に連絡入れろ。今すぐに]

 このメールが、それを何より決定付ける。

 そういえば優志は何でいきなり走り出したんだろう。何かを追いかけていたのか?

 …追い、かけた?

「優志は、犯人を追いかけていたのかも知れない……」

 とすると、優志は犯人が名倉を殺す現場を目撃していた可能性が高い。だからあんなに急いでいたんだ。

 戻ってきたのは、犯人の正体を僕に伝えるため…?

 そう考えると、第一発見者は――というかもはや殺害の瞬間を目撃したのは優志だということになる。

 優志は…少なくとも、犯人を知っている。

「よく分かんねぇけど…そこの一年坊主の話じゃ、そいつは今行方不明なんだろ? それに部外者ときてる。たとえ犯人と接触していたとしても、この場にいないんじゃ意味がねぇ」

 行方不明ということは、校内にいない可能性もある。

 今から探すのは無謀だろう。

「…ま、いいです。折り合い連絡してみます。次はあなたです、安藤さん」

「俺達は…おめぇらがいなくなった後に、そこの佐藤が『ベランダから脱出しよう』とか言い出して、俺と水谷はロープを使って外の庭に降りたんだが、残りの二人が高所恐怖症でな…最終的に小沢が直接飛び降りることになって…そこに佐藤が飛びついてきやがって…不時着して…落とし穴開けやがって…それにはまって…」

 だんだん声のトーンが下がっていく。こんな状況じゃなければ、ほとんどレトロコメディの世界だ。

「…それから、出る方法を考えてるうちに穴ん中で爆発が起きて……俺と安藤、佐藤は爆風に巻き込まれて穴から出られたが、…水谷はそのまま……」

 小沢が続ける。

 水谷がいないことには気づいていた。

 …原因は、大体予想できていたから。

 きっとその時に、穴は水谷を飲み込んで塞がってしまったのだろう。

「それから爆発が頻発したから、ひとまず校舎内に入った。その時に彼らと遭遇して…そこからは同じだ。私たちは始終別行動はしていない」

 彼らとは杉由達のことだ。

 …これで、全員の状況が明らかになった。

 この中から犯人像を導き出すのは難しい。

 とりあえず、…生き埋めになった水谷は除くとして。

 松川杉由。

 相原(名前が分からない)。

 安藤(同じく)。

 小沢(上に同じ)。

 佐藤秀彰。

 そして僕――高井啓介。

 この6人の中に、犯人はいる。

 もし仮に水谷が犯人だったとしたら、未だ爆発が続いているのはおかしい。

 それにしても、校内で爆発が起こるくらいの大事件なのに、スケール自体は随分と小さいものだ。6人の他には茶凛と優志が挙げられるが、二人とも始終証人がいたわけではないので分からない。疑うには存在が薄すぎる。

 ましてや鈴森なんてのは畑から違う。

 ここにいる僕たちの中に、犯人はいるんだ。

「ざっと考える限りでは……みんな、犯人と決定付ける証拠は、ありませんね…」

「だな」

 杉由が賛同する。

「つーか、この事件の犯人って、相当いかれちまってるよな。殺人だけならまだしも、爆発騒ぎまで起こしちまってさ。しかもさっきから大分続いてるって事は、爆弾の量も半端じゃねぇ。一体犯人は何がしてぇんだっつーの」

 半ば投げ出したようにいう杉由。

「“まだしも”って…殺人ってそんな軽いもんじゃないんだぞ。大体の場合死刑だ。それにこんな爆発まで起こしておけば、まず確実だろうな」

「確実…ね。そうだな、俺も結構犯人には腹立ってんだ。犯人が見つからないことには、俺達だって解放されないわけだし」

 開放されない。

 ふと思い出し、時計を見てみると、もう時刻は5時半を過ぎていた。

 もう5月なので真っ暗にはならないが、空はだんだんと夕闇が迫ってきている。

 そうなのだ。なんだかさりげなく、僕たちが犯人探しをしているみたいな雰囲気になってしまっていたが、本来犯人を探し出すのは僕たちじゃない。

「…あ」

 先程自分から言っておいてすっかり忘れていたが、あの刑事二人組みは今頃どうしているのだろう。まだのろ気話をしているのだろうか?


「落ち着きました?」

 目を開けると、佐野氏がじっとりした目でこちらを見ていた。

 …一気に目覚めが悪くなる。

「あ。何ですかその顔。何で目を細めて私を見るんですか。言っときますけど、私は全然悪くないんですからね! ちょっとからかったくらいで塚本さんが発砲したりなんかするから、仕方なかったんですよ!」

 鏡を見る限りでは、丸めの瞳と高めの鼻、薄めの唇と白めの顔しか見たことがなかった。客観的に自分を見ることって、実は結構難しかったりする。

 あー、うるさい。目覚めて間もない私を気遣う気持ちは皆無なのかしら。皆無なんだろうな。あるはずない。このデリカシーのなさには驚きだ。きっと行く先々で恨みを買っているんだろう。苦労人だな。

「…なんかひどいこと考えてません? 言いたいことがあるなら口に出してくださいね」

 言ったらこの人傷つくと思う。

 えっと…うーん、思い出せない。確か、佐野氏がいきなり『保健室に謎の人物が!』とか言って駆け出して、それを追いかけたら高井氏と女子生徒がいて。……あ、…。

 あー。

 またやっちゃったみたい。まぁ、相手は佐野氏だから平気か。

 私をからかった佐野氏が悪い。

 そういうことにしておこう。

「ちょっと。聞いてます? 書類に書かないで下さいね。もう一度言いますけど、仕方なかったんです! あのままにしておいたら私が撃たれそうな勢いだったんですから!」

 何だかわめいている。さっきから仕方なかった仕方なかったって、一体何のことを言っているのかしら。

「…何を言っているのです、佐野氏?」

「……お、憶えていないならいいです! くれぐれも、根も葉もないことだけは書かないで下さいよ」

 分からない。一人で騒いでいるこの人間は、一体何がしたいんだろう。

「署では有名な話ですけどね。塚本さんと吉津さんは付き合」

「あなたはそれをどこで知ったんですか?」

 うわさの発端は誰だろう。

 生かしてはおけない。

「錦戸さんです。あの人はそういううわさ好きですからね」

「錦戸氏が発端ですか?」

「いや、…そうとは限りませんけど……塚本さん? あの、何で今弾丸を補充してるんです?」

 事件が解決したら、まずは錦戸氏を撃とう。

 その後佐野氏を撃とう。

「それはともかく…私達、そろそろ署に戻った方がいいんじゃないですか? 吉津さんもああ言っていたことだし」

「誰のせいでこんな時間食っていると思っているんですか」

「私のせいだって言うんですか!?」

 本当にうるさい。

 これこそ公務執行妨害だ。

「…いいでしょう、もう。一課の人間を総動員しているそうですから、私一人ばかりいないところで、どうってことありません」

「刑事がそんなこと言っていいんですか…」

 ため息をつきながら言われると、無性に腹が立つ。

 だって、何だか体がだるい。今から捜査に加わっても、足を引っ張るだけ。

 そういうのは大体予想できる。この下種が言った様な“刑事の勘”なんて安っぽいものじゃなく、単純に経験上。

 大体、配属2年目の新人に分かったようなことを言われたくない。

「…分かりましたよ」

 佐野氏は背広を脱いで座っていた椅子の背もたれにかける。

 ちょっと待って。なんで佐野氏まで残る気でいるの? 私は個人的な理由で休むと言っただけで、佐野氏が残る必要性はどこにもない。

「あなたは行っても構いませんよ」

「結構です。…ぶっちゃけ、私もこの不可解な爆発騒ぎで気分が萎えてるんです。サボらせて頂きますよ」

「書類に書いておきます」

 意地悪をしてみた。

「……。…いいですよ別に」

 意外な反応だった。

 佐野氏のことだから、また『自分のことを棚にあげて私のことだけ書くんですか!』とか騒ぎそうだと思ったのに。

 残念。

「…具合でも悪いんですか?」

「そういうわけでは…ないです。ただ何か……何て言うんでしょうかねぇ」

 歯切れの悪い応答が返ってくる。

「…言うまでもないことですが、捜査の中に」

「私情は要らない…でしょ。分かってます。これは私情なんかじゃありませんよ」

 じゃあ何だというのだろう。

 私の体がだるいのは、連日の残業や書類の処理などによる疲れが原因だと思われる。佐野氏はだるいわけではないと言う。

 …………。

「いい歳して仮病ですか?」

「何でそうなるんですか…全然違いますよ。何ていうか……。…何だかなぁ、って気分です」

「意味が分かりません」

「分かりませんか?」

「熟語にしてみてください」

「…難しいですね…。憤りというか、葛藤というか…、私、そんなに語彙が豊富でもないんで」

 憤り?

 葛藤?

 ……分からない。

「塚本さんは、刑事暦長いですよね?」

「今年で7年です」

「…今回みたいに、学校の中で起きた生徒たちによる殺人事件なんかも、担当したことあるんですか」

「あります」

 7年もやっていれば、随分とたくさんの殺人犯と関わる。

 最近担当したものだと、いじめられていた女子中学生がプールで溺死、という事件があった。いじめられていた女子中学生は強い精神を持っていて、いじめに負けまいと精一杯生きていたそうだ。しかし、それを気に入らなく思ういじめる側の生徒たちが彼女をプールに沈めたらしい。私は容疑者たちを全員死刑にするよう上の人に求めたけれど、それは叶わなかった。学生だからって、何をやっても許されるわけじゃないってことを身をもって思い知らせてやりたかったのに。

 本当に残念だ。

 因果応報って言葉を知らないのかな、上層部は。

「それが何か」

「容疑者が学生だった場合、あなたならどうします?」

「問答無用で終身刑に処します」

「……そうですか。…そうでしょうね、塚本さんならそうしかねません。でも私はこう思うんですよ…。…まだ未成年の子供たちが、人を殺めてしまうほど感情に歪みができてしまったっていう事実は、とても悲しいことです。もしかしたら、悪いのは容疑者本人じゃなくて、容疑者の心なのかもしれない、って……」

「抽象的表現ほど裁判上役に立たないものはありません。人間、腹の底ではどんなことを考えているのか分からないものですよ。この年代は、一般的に感受性が過敏に反応しますからね、簡単にいじめとか人殺しとかやってのけるんです。容疑者の心? 心なんてものは所詮、容疑者の意思と同義です。つまり何にしても、結局は容疑者の意思で犯罪を犯していることに変わりはないんですよ。そしてそれは法律上いけないこと。だから私達は彼らを逮捕する。しかるべき処罰を与え、場合によっては同等の目に遭わせる。…それが、私達警察の仕事なんです」

 きつい口調で言った。

 甘ったれている。この佐野という刑事は、本当に甘ったれている。

 何が容疑者の心。何が感情の歪みだ。そんなものは子供を甘やかす現代社会から生じる、極めてよろしくない不当な単語でしかない。そうやって抽象的な言葉を羅列していけば罪を免れると思っている。全くもって甘ったれている。そんな人間は死んでしまえばいい。そういう考えを持った人間が世の中を悪くしていくんだ。根元から摘み取らないとまたすぐに生えてくる雑草よろしく、世の中に不必要な存在。

 要らない。

 そんなものは要らない。

「そのような考えを持ちながら、よく刑事などやっていられるものですね」

「……私、過去に一度だけ…学校内での事件に関わったことがあるんです」

「年若い犯罪者が逮捕されていく姿に感情移入でもしたのですか? 逮捕する側のあなたが。それこそ…」

「捕まったのは私の幼馴染でした」

 言いかけた言葉が、胸の中で詰まる。

「……その幼馴染は、名を京平と言いました。…京平はとても優しくて明るくて、…殺人なんて起こすような人じゃありませんでした。事実、未成年犯罪について真っ向から批判し、その内容を書き綴ったところ【明るい社会作文コンクール】で全国2位にまで上り詰めました。それほどまでに正義感の強い人だったんです」

「なかなかの文才ですね」

「…………。…私は、京平を尊敬していました。京平の未成年犯罪に対する心意気は純粋なものだと、そう信じていました。……でも、違ったんです」

「でしょうね」

「……………………。…京平が作文を書き上げた直後、学校の焼却炉の中に男子生徒の惨殺死体が発見されました。京平は実際に人を殺し、まさに“未成年犯罪者”となってその作文を書いていたんです。自分自身が同じ立場になることで、未成年犯罪についてより深く知ることができると思ったと、京平は供述したそうです。しかしそんなものが認められるはずもなく、彼が書いた作文は全国2位という名誉を剥奪され、処分されました。私は一度その作文を読んだことがあります。そこにはこう書いてありました。『未成年犯罪において最大の原因は、この世の中にある』と…」

「…………」

 黙って佐野氏の話に聞き入る。

「だから私は決意したんです。京平が殺人を犯してまで世に伝えようとした未成年犯罪の最大の原因であるこの世の中を自分の手で良くしていこうと。そして、京平に代わって未成年犯罪をなくしていこうと」

「…………」

 柄にもなく感動してしまった。

 この人は…そんなに重いものを背負って刑事という職についたのか。下種だとばかり思っていたけれど、あれだって本当は未成年犯罪を少しでもなくそうという努力の表れだったのかも知れない。

 私はこの人を誤解していた。

「……ごめんなさい」

「…いいんです。正しいのは塚本さんの方でしょうから」

「でも」

「警察に私情は要らない…心は要らない。あなたの言う通りですよ。きっと私は刑事に向いてないんです。こんな抽象的な理由で、刑事なんて…本当、お門違いも甚だしい……」

 だんだんテンションが下がっていく佐野氏を見ていると、本格的にかわいそうになってくるから不思議。さっきまで心の中であんなにも罵詈雑言をかましていたのに、今となっては申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 まさか、佐野氏にこんな過去があったなんて。

「そんなに自分を責めないでください。あなたの志は立派だと思いますよ」

「あなたの言う通りです…。感情移入なんて、するもんじゃりませんよね…………塚本さん」

「は?」

 あれ、よく見るとこの人――。

 …笑ってる?

「……ほほぉ。騙したんですね」

「いやぁ、だって塚本さん、コロッと騙されちゃうんですもん! そんなんでよく刑事務まりますよねー。わりとアツい方だったんですね! 新発見です。吉津さんとの関係も踏まえて、これは錦戸さんに伝えなくては!」

「……………………」

 私を騙した。

 私を騙した。

 …許さない。

 私を騙す輩は、絶対に許さない。

「見直しましたよ、塚本さん! あなたにも人間らしいところが……、……!?」

 長年刑事を務めていた父親から授かった拳銃を、使う時が来たようね。

『本当に許せない相手が目の前に現れたとき、使いなさい。』

 弾は…大丈夫。一撃で撃ち抜く。

「ちょ、塚本さん!? 今のはからかったわけじゃありませんよ! 塚本さんがあまりにも非情なこと言うから…ていうか本気で撃ったりしないでくださいよ! 通報されますよ近所の一般市民から! しかもその拳銃は伝説の久代(くしろ)刑事の…!! 何であなたが持ってるんですか!!」

 うるさい。

 うるさいやつは嫌いだ。

 撃ってしまおう。

「騙したことは謝りますから! だから銃をしまって――」

「私を騙しましたね」

「だからそれは謝るって…」

「謝って済む問題なら私たちは今頃無職です。罪人を裁くために私は拳銃の所持を国から認められているんです」

 許さない。

 私を騙す人間は全員。

「あなたは刑事である前に…罪人でしょう?」


 ――――――――――――――――――――――――!!!!!

「な…」

「なんだ!?」

 いきなり聞こえてきた銃声。

 一瞬鼓膜がひどく振動するような感覚が訪れ。

 徐々に聴力を取り戻す。

「…ッまた発砲したのかよあの刑事…ッ!!」

 さすがに通報されるだろ。

「おい…なんだよ今の」

「そういえば少し前にも銃声が聞こえた気がします」

「まさか犯人が?」

「無差別殺傷まで起こす気かよ!」

 混乱する一同を、僕はなだめる。

「落ち着いてください。撃ったのは塚本さんです。どうせ佐野さんがのろけ話でも――」

 僕の声はさえぎられた。

 立て続けに聞こえてきた銃声によって。

 …乱射――!?

 嘘だろ…! 仮にも刑事が…!!

「なんか撃ちまくってるけど…」

「大丈夫なのか?」

「…えっと……。…見てきます!!」

 僕は走り出した。

 全く何なんだよあの刑事二人は!

 真面目にちゃんとマニュアル読んでんのか!

 銃声は前回と同じく保健室から。まだあそこにいたのか…。

 銃は決まった数連射されると一旦やみ、程なくしてまた連射される。弾を補充しているのだろう。

 …てか、どんだけ撃ってんだよ!!

 ここ学校!!

「何やってんですかアンタた――」

 引き戸を勢いよく空けた瞬間。

 真横をかすめる銃弾。

 保健室の中は硝煙の臭いが充満している。

 僕と真正面に向かい合う形で仁王立ちし両手で拳銃を構えるのは塚本。

「逃げてください高井さん!! ここは…危険です!」

 佐野が何故かへこんでいる薬缶を盾にしながら叫んだ。

「アンタの方がどう見ても危険ですよね! 確実に狙われてますよね! 何したんですか塚本さんに! のろけ話も大概に――」

「邪魔です。消えなければ撃ちます」

 塚本が照準を変える。

 まずッ…。

「だから逃げろと言ったのに全くもー!!」

 塚本が拳銃の引き金に人差し指をかけるのと。

 佐野が持っていた薬缶を塚本に投げつけるのが同時だった。

 銀のたらいが落ちてきたようなグワングワンした音が響く。

「今のうちに! ここを出てください!!」

 僕は超特急で保健室の引き戸を開け、そして閉めた。

 中から早口で聞こえる怒鳴り声。

「鬼ですかアンタは! ここで私に死ねと! 銃殺されろと! 暗にそう言ってるんですか! 開けて下さい!!」

「仕方ないなー」

 ガラガラと引き戸を開ける。

「人生の瀬戸際になんちゅーことをしてくれるんですか!」

 コンマ02秒の速さでサッシの上を滑る引き戸。木製の机を完膚なきまでに破壊した時のような、身近に例えるならばハリセンを全人類総動員で同時にはたいたとしたらこんな音になるだろうという様な、何ていうかもう神々しささえ窺える音がした。

「すごいですね佐野さん、素早く引き戸を開けるギネス記録に挑戦してみてはいかがですか?」

「間違いなくグランプリでしょうね!! えぇそうでしょうよ!! 火事場の馬鹿力をなめないで下さい!!」

 素早く閉めようとする佐野。

 そのとき、不意に僕の目に映ったもの。

「…待って下さい」

「何ですか!!」

「……あれ、…シンナーの瓶…」

「へ?」

 言われて、佐野が閉めかけた扉をそーっと開ける。

「あの、茶色いやつですか?」

「はい。…おかしいな、何で保健室に…」

「……」

「……」

「確保ぉおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉおお!!!!」


 武道館前。

 両手首を後ろ手に縛られ正座をするといった、いかにもな格好でふてくされている塚本に僕は尋問した。

「で?」

 片手に持つは茶色の瓶。

「…なんで塚本さんがこれを持ってるんですか?」

「…………」

 答えない塚本。

 僕はため息をついて、

「僕自身忘れてましたが…塚本さん、あなたがこれを所持しているとは思いませんでしたよ。あなたも言っていましたよね? 瓶を盗んだ人物がこの事件の犯人だって――」

「…………」

「――あなたが名倉さんを殺し、校内で爆発を起こした犯人ですか?」

「…………」

 依然としてだんまりを決め込む塚本を見つめる佐野。

「――塚本さん」

 あぁ、来た。

 この人のことだから、上司だからって容赦はしないんだろうな。何せ下種だもん。

「…違うのなら、はっきり言って下さい。何か言ってくれないと、こちらとしても対処の仕様がありません。取調べではないんです、黙秘権は無効ですよ」

「私は犯人ではありません」

 佐野が言った瞬間に塚本は即答した。

 ……。

 単純に、僕に言われるのが嫌だったのか?

 でもあの人も“下種”って言ってたし…。

「……なんて言ったところで、高井氏が信じてくれるはずもないでしょうから、黙っていました」

 もっと単純だった。

 そもそも信頼されていなかった。

 僕ってそんな疑り深い人間に見えるのだろうか。いや、それなら佐野の方がはるかに疑り深いというかもはやあれは人間不信の域にまで達している気がする。

「…分かりました。塚本さんは犯人じゃないんですね」

「ちょ、え。佐野さん?」

 あれ?

 この人のことだから、疑りに疑ると思っていたが、案外あっさりと認めてしまった。

「…ですよね?」

「私は佐野ですよ。警視庁一課の佐野。それが何か? 警察手帳でも見せましょうか?」

 …下種じゃない。

 そうか、ついに改心したんだな。

 良かった良かった…じゃなくて。

「塚本さん、じゃあ何であなたはこの瓶を所持していたんですか?」

「…………」

 また黙ってしまった。

 あぁもう、分かったよ。

 僕じゃなければいいんだろ。

「佐野さんパス」

「この瓶を所持していた理由を話してください」

「所持してなんかいません。…私自身、今の今まで気づきませんでした」

「そうですか」

 だからそうですかじゃないだろ!

 そんな簡単に認めちゃっていいのか!

「じゃあ塚本さん――…あー…いいです」

 僕は言いかけて自主規制し、生徒手帳の白紙ページに質問事項を書き、佐野に渡した。

「僕が言っても無駄なんで。頼みます」

「…はぁ」

 生徒手帳を受け取った佐野は、ページを見たとたん露骨に嫌な顔をした。

「こんなにあるんですか? 10…20…23個も一体何を訊くって言うんです」

「とにかく、訊いて下さい」

 僕は押し通す。

 本当は自分の言いたい様に言いたかったが、塚本は佐野の話しか聞こうとしない。

「そしたら、それぞれに対する応答を、次のページから書いていって下さい。誤字脱字は厳禁ですよ」

「しかもずいぶん厳しいんですね…」

「じゃ。僕らは体育館で待ってますから。こっちもこっちで、いろいろとやらなければならないことがあるので」

 強引に会話を打ち切ると、状況がつかめないまま暇を持て余していた一同を促す。

「…いいのか?」

 杉由は複雑な表情をする。

 …具体的に描写すると、右眉を上げて左目を細め、首を左35℃傾けた状態だ。

「あんな懐の黒そうな刑事に任せちゃって」

「さぁね。まぁ悪くはないんじゃないか? 知ってる人の方が受け答えしやすいかも知れないし、僕が訊いたところで返ってくる返事はないし」

「お前が言うなら…いいのかなぁ……でもやっぱ…」

「そんなに気になるのなら杉由が代行したって別に構わないけど。返ってくる返事がクリアな方がこちらとしても支障が出なくて済むってだけで、佐野さんが最適だからってわけじゃないよ」

「いや、それは遠慮しとく。…俺、何となくあの人無理だから」

「何となく無理…ってなぁ。それ、今時の人よく使うけど、考えてみれば結構傷つかないか? だって無理って、…言ってしまえばその人のこと全否定だぜ。何となく全否定、こういうのを故事成語で矛盾って言うんだよ」

「ハイハイさすが文系は違うね…。酢酸エチルの化学式も知らないくせによく言うよ」

「え、杉由あの化学式知ってるのか? …ていうかあんなの、この歳で知ってる方が珍しいと思うけど」

「CH3CO2C2H5 だよ…そんくらい知っとけよ。テストに出てくんぞ」

「出てこねぇよ」

 どこの研究所からの出題だ。

「でもよ、CもHもOも、中2で習うような簡単な分子だぜ。てことは俺達にだって解けないことはないわけだ」

「しかし全国の高校2年生にその問題を解かせてみたところで解けるやつなんて一握りってもんだ。専門学校だってここまでマイナーな物質まで覚えてらんないだろ」

「どうだろうな。もしかしたらそうかも知れないけど、俺だって知ってんだから割といるんじゃねぇか? 5%くらいは」

「消費税を当てはめるなよ。100人いる中で5人も解けるもんか? 僕個人の見解としては、500人集まってやっと1人いるかいないかって割合だと思うけど」

「私は知ってるよ」

 突然茶凛が会話に入ってきた。

 どうやら茶凛も知っているらしい。実は有名なのか、酢酸エチルって。

「豊島先生って、酢酸エチルの分子モデルが好きなんだって。数ヶ月前に、授業の余った時間で酢酸エチルの説明をしてたくらいだし。だからみんな知ってると思うよ」

 やっぱりな。

 誰かが故意に説明したに決まってるんだよ。

 それを我が物顔で、しかも知らない僕を見下すように言いやがって。

 下種は杉由かも知れない。佐野さん汚名返上おめでとう。

「…お前今、腹ん中ですげぇこと考えてないか?」

「いや? 僕はただ、下種なのは佐野さんじゃないよなぁ、って思っただけだよ」

 分かりにくく真実を言ってみたが、杉由はそれに気づかなかったらしく「そう言われてみれば」と上手く話題を変える。なかなかの芸当だ。

「あの人、随分丸くなったもんだな」

「丸くって…年とったみたいに言うなよ。案外あれが本来の佐野さんなんじゃないか?」

「そりゃ、……ないだろ」

「…………」

 否定できない自分がいた。

「まぁでも、最初ほどキツイ性格じゃなくなったってことには同感だ。小沢さんとか、完全に決裂してたくらいだし」

「人が変わった、とはよく言ったもんだよなホント」

「私思うんだけど、二人ともさりげなくあの人のことけなしてない?」

 茶凛は容赦ない一言を僕らに放った。

 …否定できない自分がいた。


 何だこれ。

 後半は刑事コンビの独壇場か(違う)。

 佐野刑事、塚本刑事がのろけ話で発砲してから、それを静めるために何やったんだろ……仕方なかったって言ってるけど…。

 たしか、なんかして気絶させたんだよなー…詳しくは思えてないですが。

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