読み切り 4
先輩達が出て行ってから、ずっと考えていた。
今回の事件。被害者は校内随一の不良、名倉。事件関係者は先輩二人と俺、残された不良3人組。犯人はこの中にいる可能性が極めて高い。
さっきから気になっていたことが、いくつかある。
まず、殺人事件が起きたというのに、誰も気がつかなかったこと。
現場は人が滅多に立ち寄らないC棟付近の渡り廊下。殺害が行われたのは、おそらく授業中。だからといって、俺が見つける3時43分まで、誰の目にもつかないなんて事があるだろうか? 生徒だけでなくとも、教職員や来校者、あるいは一般人、見ようと思えば見られる位置に死体はあった。確かに普段人が寄り付かないところに目を向けることなんて早々あるわけではない。その点からすれば気づく可能性のほうが低いかもしれない。だがあれは明らかに人の手による殺人。出血量からして、刺殺といったところだろう。それならば名倉の叫び声の一つや二つ、聞こえるものではないだろうか。
その点もおかしい。静かに人殺なんて出来るわけがないのだ。犯人だってそれほどキャリアがあるわけでもないと思う。しかし、武道館前に逃げてから、叫び声らしいものは聞こえてこなかった。ということは、俺たちが走って逃げたとき、すでに彼は殺されていたのか。…いや、それはない。不良3人組が現場を見て何も感じないはずはないだろう。そもそもそれが真相だとしたら、俺が第一発見者と言う前提もぐらつくし、なぜ名倉の死を誰にも知らせることなく黙っていたのかという謎が残る。
次に、規模の狭さ。
仮にも一殺人事件が起きたのだ。佐藤先生は一般の生徒全員を帰したと言っていたが、この広い校舎内、隠れようと思えば見つからないようなところは山ほどある。今この時も、関係者以外の誰かが息を潜めているかもしれないこの状況で、俺達6人だけに焦点を向けて疑いをかけるのにはいささか納得しがたい点が多すぎる。もし俺が発見する前に誰かが目撃していて、怖くなって校舎に戻り、何食わぬ顔をして帰って行った人物がいたとしたら? 俺と先輩が不良たちから逃げた直後に第三者の手によって行われた殺人なのだとしたら? …考えるときりがない可能性という名の選択肢。一つ一つつぶしていく時間は、ないだろう。となったら、特に可能性の高いものを厳選して消していくしか――ダメだ、突発性がものを言う今日この頃、愉快犯なんて言葉が恒常化し始める現代、もはや先入観にとらわれていては事件の解決には程遠い。
あぁー…こんなことなら、サボらずに事情聴取に同行すればよかった。気になって仕方がない。何しろ情報が少なすぎる。今からでもサポートルームに向かおうか。
「!!」
突如感じた、異臭。
何かが焦げる様な焼けるような、煙くさい臭い。
ベッドからは四方が白いカーテンで囲われているため、外の様子がどうなっているのか分からない。
――まさか、犯人が次なる行動を?
謎に包まれた今回の事件、犯人の目星も全くつかないということは、事実上犯人を野放しにしているようなもの。もう一つでかいアクションを起こすとしたら、今がチャンス。
狙うとしたら、一番有力な情報を持ち得る第一発見者――つまり、俺。
「…マジ…いきなりかよ」
やっぱり…。
やっぱり、先輩といるとろくなことがない!
あんな先輩は殺してしまおう。学生(あくまで推定だけど)の犯人にだって成せた業だ、俺に出来ないわけがない。現に、遼兄は教えてくれたじゃないか。
――殺人の方法を。図入り解説、しかも【ねずみで実践してみました★】特典映像までつけて。
あの人は本物だ。将来俺はあんな先輩じゃなくて遼兄みたいな立派な人についていくと決めたんだ。
そのためにも、こんなところで死ぬわけにはいかない。
俺は決意した。何が来ようと全力を尽くして回避してみせる! Do my best!
その直後、突然煙臭さが消えて、甘ったるい臭いが漂ってきた。
何なんだよ全く…いつからここは台所になったんだ。もういっそのこと寝てしまうか。起きた頃には先輩達も戻っているだろう。それから手に入れた情報を元にまた練り直せばいい。
布団をバフッと被った、その直後。
光が差した。
いや、神々しい意味ではなく、単純にカーテンが開かれたのだ。
やはり、誰かいたようだ。犯人だとしたら、俺はどうすればいいんだろう。どうしようもないか。
「そこにいるのは分かっている」
抑揚のない声だった。
…低いが、まだ年端を越していない幼さの残る声。いろいろと思考をめぐらしてみたが、犯人はこの学校の関係者だと見て間違いはないらしい。
「隠れても無駄だ。出て来い」
無駄じゃないもん!
黙秘権を侮るな!
半分自棄になって俺は沈黙を守り続けた。
「……」
犯人(と仮定する)は諦めたようで、何も言ってこなかった。
しかし程なく、
「ッ!!?」
何かが。
何かが、掛け布団の上を這いずり回っている。
ちょこまかと動く、ある程度質量のある物体。生き物…? まさか、有毒害虫?
俺、虫無理なんだよ! 精神面で殺す気なのか!
「……」
それでも何とか沈黙を守り続けると、犯人はまたも少し間を置いて、
「……?」
シュッシュッ。
何かが振り撒かれるような音。
強烈に甘ったるい臭いがベッド周辺に充満した。
思わずくしゃみが出そうになるほど鼻を刺激するそれは、犯人の持ち物だったらしい。香水…なのか? ってことは、女?
「……」
今すぐ布団から這い出したくなったが、何とか自分を押さえ込んで沈黙を守った。犯人はやはり何も言わずに、
バッシャアァ!!
「―――ッ!!!」
大量の水が降ってきた。
水は上半身に容赦なく滲み込む。当然すぐに半端じゃない冷気が襲いかかる。
掛け布団の上を這いずり回っていた生き物がこちらに流れ込んできた。水に押し流される程度の大きさの生き物だとすると――。
チョロン。
突然目の前に現れた、何かの尻尾。
トスン。
突然目の前に現れた…ネズミ。
掛け布団の上を駆け回っていたのは、ネズミだった。
「……………………」
既に我慢の限界を超えていたが、俺は意地でも居留守を全うしてやると誓った。
これはもうガチンコバトルだ。先に諦めた方が負け。争い事は好まないが、正体を明かしたとたん消される可能性も有りうるため、そして単純に負けず嫌いの性格が功を奏したため、くじけることなく今まで頑張ってこれた。普段の俺なら、ネズミが乗っかった時点でアウトだったはずだ。
さぁ来い。どんな攻撃が来ようとも、乗り切ってみせようぞ。
と意気込んでいたら、
「ッッッ!!!」
ガゴン!!
犯人はいきなり暴行を加えてきた。
見たわけではないから分からないが、この金属質の感覚は、保健室によくある使い終わった脱脂綿を入れる薬缶だろう。最近は底についたペダルを踏むとふたが開いてくれるタイプが多くなったあれだ。わりとでかいあれだ。当たり前だが痛い。側頭部がジンジンしている。
犯人は実は鬼畜だった。息も詰まるような臭い、半身はびしょ濡れ、ネズミはうろつく。そしてついに直接手を下してきた。やっぱり相手は俺を殺す気なのかもしれない。
「……」
俺に沈黙を守らせるものは意地しかなくなっていた。次は何が来るのか。
「?」
何か湿ったものが枕元に落ちた。
生き物ではない。これは…タオル?
犯人は敷き詰めるように湿ったタオルを枕元に置いていく。
…息が苦しい。
掛け布団も濡れている。周りのもの全てが湿っているという、湿度100%越えの最悪な環境。ある意味冬場には必要不可欠。
しかし今は5月初頭だ。
俺は風邪を引くかもしれない。
「……」
沈黙を守る、というか言葉を出す気力がなかった。
もういい加減解放してくれ…と切に願っていた矢先。
「ェ……ッ!!!?」
声が出てしまった。
無理もない…と思う。
犯人がいきなりベッドに寝そべってきたのだ。
犯人の体重で被っていた掛け布団が持って行かれる。かすかな風が吹くだけで南極の爽やかさ。
幸いというか何と言うか、俺は壁際の左半分で固まっていたので、犯人は右半分のスペースを使っているようだった。
俺の存在に気づいていないわけはない。それを承知でこんな野良猫も真っ青の自由奔放さを発揮している。俺が言える立場でもないが、恥じらいってものがないのだろうか。
「あれ?」
背を向けていた犯人が、姿勢を仰向けに戻し、
「やっぱ、誰かいるよな?」
…誰もいないと思ったようだった。
「…おい、大丈夫か? ただでさえ低血圧そうな顔がさらに青くなってるぞ」
全てあなたのせいです。
「……寒い、んですけど」
「隠れてないで出て来いって言っただろ。返事なかったから、誰もいないと思って自分好みの環境にセッティングしちまったじゃん」
……。
なら、薬缶のくだりは何なんですか…。
「? …そういえばあなた…誰です?」
顔つきが年上そうだから、先輩だ。2年…3年かな。
「俺は柊。お前は? こんなところで何やってる?」
「柊さんこそ。てか、今までどこにいたんですか。一応見回りしたらしいですよ?」
「いや、俺は今来たとこで…そういや生徒が全然見当たらないけど、どうかしたのか?」
「……知らないんですか?」
だんだん柊さんが分からなくなってきた。いきなり現れてネズミ落として香水振り撒いて水ぶっ掛けて薬缶で殴ってぬれタオル敷き詰めてその上に寝転がって、この人は一体全体何が目的でここへ来たのだろう。ただ、事件のことを知らないってことは、この人は犯人じゃないみたいだ。
「あぁ。俺は、啓介に会いに来ただけだから」
「啓介…?」
この学校にまだ生徒が残っているのだろうか?
いや、この人は今来たばかりだと言っていたし、事件が明るみに出ないように生徒が下校したことを知らないんだ。だからその、啓介さんがまだ校内にいると思ってるんだな。
「…まぁ、いいですけど。ところで柊さん、この甘ったるい臭いをどうにかしてくれませんか。胸焼けがします」
「酷い言い様だな…まぁこれ、100円ショップで売ってたのを適当に買ってきたやつだから無理もないか。この中がやけに煙臭かったから、消臭のつもりで振り撒いてみたんだけど」
「え? …最初の煙臭いのも、柊さんの仕業じゃないんですか?」
「あんな不快な臭いの香水をつける女なんてそうそういねぇよ。ありゃ明らかになんか火を使った臭いだろ。俺はてっきり近くで雑草でも燃やしてんのかと思ったけど。そういや、さっき窓から着地したときに何か踏んだような……燃えカスでも飛んできたのか?」
「…いえ。それはありません」
保健室に行く際に焼却炉を見かけたが、何かを燃やしているような雰囲気ではなかったし煙も上がっていなかった。
さっきいきなり臭ってきたのだ。
「じゃあ、あの臭いはどこから…?」
「到着したようです」
どこからかサイレンの音が聞こえてくる。
それはだんだん近づいてきて、止まってアクセルを踏む音が低く響いた。
「失礼しやーす、と…」
入って来たのは年配の男性。
「おー、塚もっちゃん。わりぃけどあいつらは来ねーぜ」
「は?」
「もっとでけぇ事件が起きたんだよ。白昼堂々と誘拐及び拉致監禁事件勃発だ。出来ればもっちゃんと佐野もそっちに移って欲しいんだと」
「……」
「しっかし、部下の救援要請無視するほど急ぎの用なのかねぇ。どーも納得いかねぇが…ま、そういうこった。早ぇとこ切り上げてくれ」
言うだけ言うとすぐに出て行く。
僕はというと、内心でガッツポーズを決めていた。
事情聴取、まさかの打ち切り。これ以上こんなギスギス状態が続いたらいろいろと危うかったので安心した。瓶を奪った人物は分からずじまいとなってしまいそうだが、僕個人の意見ではあまり関係がないような気がする。サポートルームの中で瓶が発見されることは間違いないのだから、そう急がなくてもいいじゃないか。
「……。そういうわけですので、私と佐野は他の捜査に移ります。佐藤氏」
「はい?」
「あなたが事情聴取を続けてください。我々警察よりも、教職員の方が生徒達も接しやすいでしょう」
「えぇ? ちょっ、それは」
「では失礼します」
颯爽と教室から出て行く塚本。
佐野が彼女を追って引き戸に手をかける。
「佐藤さん」
「何です?」
「くれぐれも彼らの立場をお忘れないよう。この場において、生徒と教師の関係などは一切成り立ちませんので、あしからず」
余計な一言を言い残し、佐野は出て行った。
とたんに、誰ともなくため息が漏れる。
「あの刑事、どこまでも下種な野郎だ」
「世も末だな」
吐き捨てるように言う安藤と小沢。全く同感だ。
杉由が佐藤に訊く。
「で、…どうするんですか佐藤先生? 事情聴取って言っても、大体のことは明らかになったわけですし…こちらとしても、知っていることは洗いざらい話したつもりですが」
「だよな…これ以上、何を訊けというんだろう」
うーんと唸る佐藤。ベテラン教師とはいえ、まさか事件の事情聴取を任されたことなんてないだろう。杉由の言う通り事件については隠し立てせずに話したし、今は瓶の行方の方が気になる。
「念のため、本当に念のため訊くが…この場にいる誰も、今現在、瓶を持ってはいないんだな?」
全員がうなずく。
「持っていなくとも、瓶がどこにあるか知っている、とかも?」
反応は同じだ。
しかし、彼も察しているだろう。
この中に瓶があるのは間違いないのだ。それは安藤が教室に入る際確認している。
ここにいる誰かが――彼を含めた誰かが、瓶の居場所を知っていなければおかしいということを。誰かが、真実を隠しているということを。
そしてそれは。
本人が言い出さない限り、誰にも立証できない不安定な事実なのだった。
ふいに、水谷が席を立った。
「もうやることはないんだろ。なら僕は帰らせてもらうよ」
「ちょ、おい…」
小沢が止めるも、水谷は足を休めようとはしない。
そこに僕が割って入った。
「あの…これはあくまで個人的な考えでしかないんですけど」
「?」
「今のところ…ここからは、動かない方がいいような気がします。もし下手に外に出て、疑われたりしたら手の打ちようがないし、それに…刑事さんたちの話だと、この中に犯人がいることに」
「それは、僕が犯人だと言っているのか?」
「それは違います。…でも、警察なんて大まかにしか事件を見られないような連中ばかりです。不審な行動をとった人物が犯人だなんて理不尽なこと言い出してもおかしくなさそうじゃないですか、とくにあの佐野とかいう人は」
「確かに。言いそうだなあいつ」
「奴は何かと俺たちに突っかかって来たからな」
どうやら不良3人組の中で佐野はブラックリストにランクインされているらしい。
「分かったよ。そこまで言うなら…でも、いつまでもここにいるわけにも行かないだろ。あいつらは僕たちの中に犯人がいると断定していたけど、第三者の犯行と見ることだって出来るんだ。そう考えると真犯人は野放し状態。事態がさらに悪化することも――」
水谷の言葉は最後まで言われることなく遮られた。
すさまじい爆発音によって。
「な…何だ!」
「爆発…?」
うろたえる僕達のなか、さすが教師と言うべきか、窓を開けて迅速に爆発した箇所を探していた先生が声を上げた。
「A棟から火が上がってるぞ!!」
「!!」
先生の隣に移動する僕と杉由。
A棟の端、武道館側から橙色の炎が上っていた。黒い煙が炎を囲むように濛々と立ち、A棟の3割ほどが見えなくなっている。
直後、再び爆発音が連続で響いた。
「今度は体育館と事故現場から…どういうことだ! 犯人の仕業なのか!」
「まさか犯人が、校内に起爆装置を…」
「犯人は誰なんだ!」
憶測が飛び交う中、僕は呆然と立ちつくしていた。
火。
炎。
煙。
燃える建物。
テレビでしか見たことのないシーンが、この目に鮮明に映っている。
こうしている間にも爆発は起き、今度はプール付近で爆発が起きたらしい。何事かと職員室から騒ぎ声が聞こえた。窓を開けているため、炎がはぜる音や熱気を肌で感じられる。
「…おい! 高井!!」
肩を揺らされて、遠くへ飛んでいた意識が呼び戻される。
顔を青くした杉由が僕を見ていた。
「最初に爆発が起きた場所…あれって、保健室だよな」
「!!!」
保健室。
もう一度窓越しにA棟を見下ろす。
炎に包まれた爆心地。
そこには…。
「――行こうッ!!」
杉由が僕の手を引っ張る。
僕らはサポートルームを出て、保健室に行くため階段を下りた。
炎と煙。
360度その2つに囲まれている。
幸い、俺の周りは濡れていたので、すぐに火だるまということにはならなかった。不幸中の幸い? …いや、その幸いが結果的に不幸を呼んだ。アンバランスだ。やっぱり不幸でしかない。
不思議と恐怖はなかった。いずれも、遼兄との実験で見慣れている。さすがにこんな大爆発が起こることはなかったが、俺にとって火は恐怖を感じるものではなく、単なる実験材料でしかなかった。
しかし。
「…………ひ…らぎ、さん……?」
さっきまで俺のすぐそばにいた、彼が。
いなくなっていた。
「柊さん…」
爆発が起こった瞬間、目の前が真っ白になった。
視界が色を取り戻した頃、すでに回りは火の海。火の粉が舞う保健室を見渡して初めて、柊さんが見当たらないことに気づいた。
謎の爆発。
もしかしなくても、俺を狙ったに違いなかった。
が、犯人の思惑通りにはいかず、俺は偶然――とりあえず今は――一命を取りとめ、それと引き換えに彼がいなくなった。
死んだのかもしれない。
死んでいないかもしれない。
俺としては後者を願うしかないが、この炎の中だ。…可能性は低い。
「柊さん! どこですか、柊さん!!」
呼びかけに応える者はいない。
それが俺の不安を増幅させる。
「柊さん!!」
一際勢いのある火の粉が目の前を舞う。
その中に、黒く焦げた何かの切れ端を見つけた。
火が収まったあと、敷布団の上にひらひらと落ちたそれを手にとると。
「これ…」
学校指定のシルクのネクタイ。
焦げて褐色になったものの、それは柊さんの着けていたネクタイに他ならなかった。
そしてこれが意味することに、恐怖した。
初めて、火を恐れた。
「――柊さん!!!」
「くっそ…炎がッ…」
行く手を遮る爆発。
これで何発目になるだろう。すでに校舎内のほとんどが爆発により火に包まれた。
この分じゃサポートルームもいつ爆破されるか分からない。あそこには比較的たくさんの人がいる。犯人が事件の関係者を根絶やしにするために爆弾を仕掛けることは容易に想像できた。
ましてこんなことをしでかしたあとだ。
犯人は覚悟を決めたらしい。
「さすがのあいつも、火には勝てねぇだろ…もしかしたらもう手遅れかも知れねぇが、黒コゲにはなってないはずだ。とりあえず半焼けで済めばいいけど。いや、いっそのこと骨の髄まで焼けた方が後始末が楽か…骨ごと全部燃えちまえば、残るのは灰だけだし火葬の必要もなくなるな。あ、それ以前に、生きてる可能性もあるのか。参ったな、それが一番厄介な展開だ」
「突っ込みどころ満載なところ悪いが…」
聞くに堪えなくなり僕は口を挟んだ。
「要するにお前は、相原くんが焼死体で発見されても構わないわけか?」
「全く構わない。むしろそうであって欲しいな。爆死なんてなかなかドラマチックな死に様じゃねぇか。よくよく考えるとあいつに似合ってると思わねぇ?」
「思わねぇよ最低だな先輩として恥じるべきだ」
「ひっでぇ☆」
「お前よりはましだ!! はるかに!!」
火の勢いは強くなる。それに比例して僕の怒りも上昇中だ。
「犯人は何のつもりなんだろうな。…学校中に爆弾を仕掛けて…それで僕達を殺して全て終わりにする気なのか?」
「どうだかな。まさか爆発騒ぎが起こるとは思ってなかったぜ」
「生徒を帰していなかったらと思うとゾッとするよ。犠牲者が続出するところだった」
「ッと、危ね」
すぐそばの教室で爆発が起きた。放送室だ。
これで校内の連絡手段が絶たれた。火災警報器はとっくに作動しているが、スプリンクラーごと爆発で吹っ飛ばされてしまい意味がなくなっている。
あそこにはわりといろいろな機械があるはずだ。この爆発が学校側の損害も兼ねているのだとしたら随分と悪質な手段を使っている。
「!!」
「? どうした高井」
急に立ち止まった俺を見て、不思議そうに振り返る杉由。
今、聞こえた。
すさまじい爆発の中で、ほんの小さな。
悲鳴を。
「誰か…いる」
声の出所は分からない。しかし、タイミングからすると放送室だろう。
「助けなくちゃ」
「なッ何言ってんだお前!」
杉由が僕の肩を掴む。
「人が苦しんでるかもしれないんだぞ、助けるのは当たり前だ!」
「そんなことを言ってるんじゃない!! 見たら分かるだろ放送室は今頃火の海だ! 助けに行ったとして無事に帰ってこれる保証なんてどこにもない、最悪助けられずに無駄死にする可能性だってあるんだぞ!」
彼の言っていることは正しい。助けられる保証なんてどこにもないのだ。僕一人が救助に向かったところで、悲鳴の持ち主がすでに息絶えていたら無駄足でしかないし、きっとその頃には逃げ場はなくなっていると思う。でも。
どこかで聞き覚えのある声だった。
あの声は。
あれはおそらく――。
「おい、聞けよッ!!」
「僕はお前の話を聞く義務はないしその言いなりになる義務もない。お前は僕に話を聞かせる権利はないしそれを実行させる権利もない。よって僕はお前の話を聞く必要がないしそれを実行する必要もない。さらに言えば僕はお前に放送室へ向かうのを止められる義務はないしお前に僕の行動を阻止する権利もない。僕が何をしようと僕は困らないしお前も困らない。ここに何の不条理がある?」
「あぁイライラすんな! んなこと言うまでもねぇ危険だからに決まってんだろ!! お前が死んだら茶凛ちゃんが悲しむ! それ以外にもたくさんの人が悲しむぞ、多分!」
「多分か。多分と言ったな今。しかし杉由、それは裏を返せば俺が死んだところで茶凛以外の具体的な人物は悲しまないということにならないか?」
「屁理屈こねてんじゃねぇよガキかお前は!」
「僕が言いたいのは、僕が死んで茶凛が悲しむことと今から僕の起こす行動とで矛盾が生じるということだ」
「どんな矛盾だ!? もう何でもいい、言ってみろ!」
「僕が助けなければ茶凛は死ぬ」
「は?」
ピタ…。
一瞬、時が止まったかのような感覚に見舞われた。
「放送室にいるのが茶凛だと言ってるんだ」
「お前それ…」
「僕が死ねば茶凛が悲しむ。僕が行かなければ茶凛は死ぬ。どちらにしても茶凛が浮かばれない。この矛盾を言ってるんだ」
「ペラペラ喋ってねぇで、さっさと行きやがれ! 茶凛ちゃんが死んじまうだろが!!」
掴まれた肩を思いっきり突き飛ばされた。
そのまま火の中にダイブする僕。
「この際相原はどうでもいい! 茶凛ちゃんを助けることが最優先だ分かったな!!」
どうでもいいって…。
僕は心の底から相原に同情した。
一方サポートルームでは。
「何事ですか!?」
突然駆け込んできた人物に、小沢が目を見開く。
「き、貴様らは…女刑事と下種野郎!!」
「下種~!? 刑事に向かってなんと失礼な! 公務執行妨害で訴えましょう塚本さん」
「それを言うなら名誉棄損です」
三つ巴のやり取りを見ていた佐藤が、それどころじゃないというように叫んだ。
「大変なんです! 突然、校内のあちこちで爆発が起こって…」
「爆発!?」
「さようですか」
こういう細かいところでもキャリアの違いを垣間見ることが出来る。
佐藤はどもりながらも簡単に説明し始めた。
「最初に爆発が起こったのはA棟の保健室で、…時間は、多分4時半頃だと…。次に爆発が起きたのが体育館と、事件のあった渡り廊下付近…同時に。それからは不規則にあちこちで爆発が起こっていて、もう何がなんだか…」
「分かりました」
塚本はメモしていた手帳をしまうと、佐野のスーツのすそを強引に引っ張って出口に向かう。
「ちょっ…塚本さん!? 何するんですか、まさか現場に向かうつもりですか!?」
「当たり前よ」
「当たり前じゃないでしょ!! そこかしこで爆発が起こってるんですよ!? まずはここにいる皆さんを非難させるのが先決です!!」
「馬鹿じゃないんだから自分の命ぐらい自分で守れるでしょう」
「そう問題じゃありません! もしものことがあったら、我々の責任になるんですよ!」
「上等です」
「私は嫌ですからね!! 全ては塚本さんの独断だと上に伝えておきますから! 私は一切無関係ですから!! ――ていうか引っ張るのやめてください!! スーツに伸縮性はないんですよ! 引っ張ったら伸びるんじゃなく破れるんです! あ、もちろん可燃物なので爆発に巻き込まれたりなんかしたらそれこそ一瞬で」
「がたがたうっせんだよ男だったらついて来いやこの下種」
「塚本さんまで言いましたね!? もういいですよこうなりゃ自棄です、ついていってやろうじゃありませんか!」
「最初からそう言っています」
このやり取りを出入り口までの10m弱の距離で済ませ、二人はサポートルームを出て行った。
「…………」
このとき佐藤は、警察はあてにならないと確信した。
生徒達を守るのは、教師である自分の役目!! ――長年の教師暦が彼を突き動かした瞬間だった。
「みんな、聞いてくれ!」
佐藤は声を張り上げる。そうでないと、あちこちから響く爆音に消されてしまうからだ。
「現状を見れば分かる通り、校内のあちこちで爆発が起こっている! 犯人の意図は不明だが、ここサポートルームに爆弾が仕掛けられている可能性も十分にある! …刑事さんにはここを動かないように言われているが、こんな事態が起こっては校舎内に残っていては返って危険だ! とりあえずここから出て校庭に避難する! それから、…もっと真面目な警察を呼ぶ!」
「おい、避難っつっても…」
「分かっている。きっと今頃校舎内は火の海と化しているだろう。こんなときのために、サポートルームに置いといて正解だった」
佐藤が話を一旦止めて、教室の端にある戸棚をあさる。
引っ張り出したのは、長い紐のようなもの。
「緊急用のロープだ!! 燃えにくい素材で出来ている。この高さなら足りるだろう。これをベランダの手すりにくくりつけて…と」
ロープをベランダの手すりに巻きつけ、きつく三重に縛った。
「…うん、大丈夫そうだな。よし! じゃあ勇気のある者から順番に降りて行ってくれ」
「――おい」
黙って先生の言動を見ていた安藤が低い声でつぶやき。
佐藤のジャージの襟に手をかけた。
「テメェ!! 緊急用ロープがあるんなら最初から言えや! 俺達を焼き殺す気か!」
「ヒィッ!! そ、そんなことはない、その…ただ」
「あんだよ」
「…実は俺、高所恐怖症なんだよね。だってここ3階じゃん? 高いじゃん? もし途中でロープ切れたりしたら終わりじゃん? だから」
「言いわけは訊いてねんだよ!! つまりは恐ぇから出さなかったんだろが!! それでも教師かテメェは!!」
「安全第一は生命を維持する基礎の基礎じゃん! 誰だって恐いものの一つや二つあるものじゃん!」
「も――――いい!! テメェなんて知るか! 小沢、水谷。俺達だけでも」
それを訊いた小沢が急に態度を変える。
「…いや、実は俺も高いところ無理で」
「オメェもかァァァァァァァ!!!」
安藤が切れている間、水谷は冷静にロープを伝って消防士の様に下に降りていた。
ロープはさすが緊急用というべきか丈夫に出来ており、これなら最後まで持ってくれそうだ。
「安藤、小沢! 言い合いしてないで降りて来い! そこもじきに爆発が起きるぞ!」
「水谷いつの間にっ!? でもこのロープ大丈夫かよ、えらく貧弱そうだが」
「そうでもない、少なくとも俺は大丈夫だった」
「そうかぁ?」
いぶかしみながらもロープを掴む安藤。そのままスルスルと降りていく。
「おおぉい、貴様らー!! 俺を置いていく気かぁぁ!!」
未だ3階に残った小沢が叫ぶ。
「情けねぇ声出してんじゃねぇ!! 案外恐くねぇからさっさと降りろ! 死ぬぞ!」
「無理無理無理無理!! 高いって! 絶対恐いって無理だって高いもん!!」
「やってみなきゃ分かんねぇだろ!! 脱出方法はこれしかねぇんだ、早く!!」
「……仕方ないな…」
二人の応酬を聞いていた水谷がやれやれとため息をつく。
大きく両腕を開き、言った。
「ロープが無理なら仕方ない、そこから直接飛べ!!」
「ええぇぇぇぇええぇぇぇぇえええええぇぇぇええええええ!!!!??」
安藤と小沢がダブルで絶叫する。
「え、ちょ、待て、水谷それ本気で言ってんの?」
「気が狂ったか?」
「だってそうなるだろ。飛べないからロープを使ったんだ、ロープが使えないなら飛ぶしかないじゃないか」
「簡単に言うな、3階だぞ!? 小沢でも死ぬぞこの距離は!!」
「ジャッキー・チェンだって50階建てのビルから飛び降りたんだ、ということは小沢にだって出来る」
「誰と比較してんの!? ジャッキー・チェンは中国武術で鍛えてるからああいうアクロバティックプレイが出来るわけで、小沢はただのあぶれ気味の不良なんだぞ!!」
「誰があぶれ気味だ! あの一年坊主と同じこと言ってんじゃねぇよ!」
「だってそうだろうが!! なら訊くけどお前ここから飛べるか!? 無理だろ!! じゃあロープで降りられるか!? 無理だろ!! 最後に残った道は何だ!? 死ぬしかねぇだろ!!」
「勝手に殺すな!! お前最近酷すぎるぞ!! 飛べばいいんだろ飛べば!!」
「あ、当たり前だけど受け止めたりとか無理だから。お前オンリーで飛べよ」
「何いいいっ!?」
「いや、だってお前重いし。3階だし。普通に考えて無理無理」
「貴様言いだしっぺが何てことを!! じゃあアレだ、なんか分厚いマットとか持って来い!! ジャッキー・チェンだって下にマット敷いてやっただろう!!」
「ジャッキーネタはもういい、つーかそんなもん燃えてるに決まってるじゃないか。体育館に爆発が起こったのを忘れたのか」
「計画性を考慮しよう!? クッションもなしに飛べる高さじゃないよねこれ!!」
「プールに飛び込むつもりで軽くやってみろ」
「いやいやいや無理無理!! 下に待ってんの固体だから!! 液体ちゃうから!!」
「がたがた言ってねぇでさっさと飛べよ!! ここだっていつ爆発が起こるか分かんねんだから!!」
安藤が再び切れた。
水谷も心底呆れたといった表情で吐き捨てる。
「もういい。5秒待って来なかったら置いていくからな。そこからは自己責任だぞ」
「いきなり何を言い出すんだ、おい待っ」
「5」
「マジでカウントダウンしてやがる!!」
「4」
「待った水谷、飛ぶから」
「3」
「……ッ!!」
「2」
小沢は覚悟を決めた。
きっと水谷のことだ、置いていくといったら置いていくんだろう。それだけは嫌だ。ただでさえあぶれ気味とか言われてるのに、ここで置いてけぼりみたいなことになったら評判ガタ落ち間違いなし。
ここは飛ぶしか!!
「1」
「小沢行ッきま――――――――――――――す!!!!!!!!!!!」
飛んだ。
いや、翔んだというべきか。
まるで背中に羽根が生えたようだった。
滞空時間は、ほんの3、4秒しかなかっただろう。
清々しい気分になった。
今なら何でも出来そうな気がした。
…背中に違和感を感じるまでは。
「俺を置いていくな――――――!!!!」
ガシッ!!
「なっ、貴様…離れろ!! バランスが」
「死ぬときはみんな一緒!! こうなりゃ言うことは一つだ! せーの!!」
「I CAN FLY――――――――――――――――――――!!!!!!!!!」
今更ですが、佐野刑事のモデルは“名探偵コナン”に出てくる山村ミサオ刑事だったりしたりしなかったり。
てか、名前出して分かるのかな……。画像ググってみてね。