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 目が覚めた。

 ということは、今まで寝ていたわけだ。はて、現在時刻から考えると、この時間はちょうど昼食の時間と合致しないか。1時07分。始まって間もない。ナイスなタイミングで目が覚めた僕は、しかし後ろから人の気配がして再び緊張する。気配だけで誰だか分かるほど僕は敏感ではないし、僕の持論として何の根拠もないのに自分個人の意見で勝手に物事を決め付けるのは遺憾な思いだが、まぁあえてここは単純に考えて優志だろう。僕が向こうへ発ったのはこの学校に入学してすぐのことだ、クラス替えをしたというのなら、なおさら僕を知る人物は少ないはず。ざっと10人そこいらが限度といったところか。それに加えて僕の比較的内気で人見知りな性格を考慮することによって、さらに人数が減り、結局まともに会話したことのある人物なんて本当に2,3人ほどしかいなくなってしまうんだろうな…。

 ちょっと落ち込んだところで、振り返る。なるほど違った。僕の背後に立っていたのは茶凛(さりん)であった。

 と聞けば、今からちょうど16年前に起こったあの事件を連想してしまう人が少なからずいるだろう。しかし名づけられたのが15年以上前だったので、彼女の両親も“ささやかに、流れるように気持ちよく生きてほしい”という願いをこめて、何の悪意もなく涼しげな茶凛という名前をつけたのだ。

 で、どうして僕がそんなに彼女について詳しいかというと、他でもない僕は茶凛の幼馴染だからである。

「……やぁ」

「こんにちは」

 さてこの茶凛という女の子、大体予想できるように静かな人物だ。決して自分から輪の中に入ろうとはせず、常に自分という一固体を頼りにして生きている、と言えばなんだか勇ましい強気な性格のように聞こえるが、要は僕と同じ人見知り気味で奥手なだけである。幼少の頃は現在よりも、慎重ではあったが奥手ではなかった。ということは、元来人見知りな僕が彼女に影響を及ぼしてしまったのだろう。まぁ、変に社交的よりは常に一歩引いて生きている方が茶凛らしい。決して強要はせず、自分のことを優先すべきか回りのことを優先すべきかをちゃんと理解しているため、同じ人見知りでも彼女の周りには人が集まりやすい。僕からしてみればそれについて必然的にうらやましいという羨望の眼差しで見つめざるを得ないが、幼馴染という立場上嬉しさの方が勝っている。しかし、オープンな心で接しても彼女は他人の深層心理までをも見透かすような目で全てを見抜き、邪な理由で近づいてきた者達を瞬時に察知し上手く逃げる。よって彼女から人に寄って来るなんてことはそれこそ邪気のない人物に限られてくるわけだ――僕を除いて。

「久しぶりだね。茶凛もC組だったんだ」

「……さっき」

「ん?」

「見てたのに」

「…………」

 まただ。

 僕はまた、彼女を怒らせてしまったらしい。

 再開して間もないのに、とんだ失態だ。

「ごめん。…茶凛」

「私、見てたのに。一時限目の休み時間に啓くんが来た時、ずっと見てたのに」

 無感情なわけではない。

 淡々と、怖いくらいに、恐ろしいくらいに淡々と、彼女は僕に怒りをぶつけているのだ。声の調子だけなら冗談に思われてもおかしくない、彼女はそれを曖昧な笑みを浮かべながらごく自然に言っているのだから。

 茶凛は、【怒る】ことが出来ない。

 いや、怒りの感情が沸いてこないわけではないだろうからそれは厳密に言えば間違いなのだが、彼女はそれを具体的な態度や表情で表すことが出来ないのだ。何を言うにも、何を語るにも、彼女の口調は全くもって変わらない。叫ぶこともない、喚くこともない。平坦な、どこまでもどこまでも凹凸のない、平行線をたどるような物言いなのだ。彼女の人見知りの原因はここにも関わってくるのかも知れない。茶凛が怒っている時、それに気づくことが出来る人間は、僕の知る限り僕と優志の二人だけである。

「…昼食、食べない?」

 茶凛が言った。

 僕は基本弁当派なのだが、茶凛の家は都合上弁当が作れる家庭環境ではないので、学食で済ませている。

 そして不覚にも僕は、弁当箱を作るのを忘れてしまっていた。久々の登校日で、それでなくとも細かいいろいろなものを忘れていろいろと迷惑をかけてしまった気がする。

 僕はうなずいて、席を立った。


 その頃――。


「あぁ、食った食った!! たまには学食で昼食を済ませるのもいいもんだなー」

 杉由は紙パックの牛乳を飲みながら言った。

 彼はB棟とC棟を結ぶ渡り廊下付近を散歩していた。

 この学校は大きく分けて三つの校舎がある。特別教室や職員室なんかの校内中枢機関があるのがA棟、教室と学食があるのがB棟。最後にC棟というのがあるのだが、これについては杉由自身中に入ったことがないので分からない。教職員も滅多に立ち寄らないので、B棟とC棟をつなぐ廊下は外にむき出しになった渡り廊下で済まされている。なお、A棟とB棟は生徒がよく行き来するため校舎内に中央廊下という形で設置されている。

 去年までは強面の先輩達が占領していたので立ち入れなかったが、彼はこの渡り廊下が大好きだった。程よく植物もあり、程よくからっとしている。特に食後なんかにここを訪れれば気分最高、なんて思っていた。

「よくもまーこんな面白みのない道を毎日毎日飽きることなく徘徊できますねー先輩」

 ここで口を挟んできたのは、偶然廊下で会った、部活の後輩の相原(あいはら)だ。

 同じく紙パックのカフェオレにストローを差し込もうとしているところだった。

「徘徊とは何だ、徘徊とは! 俺をそこらの不良なんぞと一緒にしないでもらいたい。俺はだな――」

 杉由はくわえていたストローから口を離し、怒鳴る。

 辺りををきょろきょろと見渡し、植え込みの影にあったタバコを発見すると拾い上げた。

「このような学校を荒らす不届き者を探しているのだよ!」

 宣言する先輩を見て、相原は無感情な目で言い返す。

「先輩だって人のこと言えないですよ。その髪、染めてるんじゃないんですか?」

「失礼な、これは地毛だ!」

「えー、怪しいですね…不自然なほどに茶色いですもん。脱色とかじゃなさそうですし」

「それはお前がそう思っているだけだろ!! 地毛っつったら地毛なんだよ!」

「まぁ、見方は人によりますからね。十人十色、ってやつですか」

「…ふん、何とでも言っていればいいさ。大体お前は高校1年生とは思えないくらいの可愛げの無さだな。俺は仮にも先輩だぞ。後輩は後輩らしく、もっと尊敬しろ、尊敬!」

「うわー…俺、そういう風にやたらと先輩風吹かしまくるやつ、超無理なんですけど」

 全く、本当に可愛げのかけらも無いやつだ…。

 杉由は拾ったタバコをゴミ捨て場に放り投げながら思った。

「思ったんですけど。先輩って、友達いないんじゃないですか?」

「あ? なんでそうなるんだ?」

「だってー…なんかすごい、その場その場で態度変えて生きてるような、ツギハギって言うんですか? そんな雰囲気が入学当時から漂ってるんで。次の日会ったら別人、みたいなー。そんなんで友達出来るんですか? あ、周りが優しいんですね。恵まれた環境で過ごせて、羨ましい限りです」

「貴様は俺をなめてんのか!」

「今日の先輩、心なしかすっごく思いつめているように見えますけど。何かあったんなら言ってくださいねー。罵詈雑言くらいなら、俺にも言えるんで」

「…何もねぇよ。てか、落ち込んでる気分のときになぜ罵詈雑言を喰らわなきゃならないんだ。さらに落ち込むだろ!」

「俺、他人をどこかしらのどん底に突き落とすのが得意なんですよ」

「あーそう。こっちはお前と話してるだけでどん底に落ちそうだよ」

「どん底にもいろいろありますよ。幸せのどん底とか、喜びのどん底とか」

「いい意味に聞こえないんだが…」

「なーに言ってんですか。幸せのどん底ですよ? 超ハッピーじゃないですか」

 杉由は呆れて言葉も出ない。半分ほど飲みかけた牛乳が、いやに苦々しく感じる。

 五月晴れの、よい天気。青い空に真っ白な綿雲が浮かんでいる。

 最近、彼は空を見て自分を癒すことが出来るようになった。

「あーあ…先輩があんなこと言うから、来ちゃったじゃないですか」

「ん? …何がだ?」

 相原の言葉に、彼は振り向いた。

 後輩の背後に目が行き。

 …驚愕する。

「学校を荒らす…不届き者?」

 瞬間、拳が飛んでくる。かろうじて避ける相原。

「なっ…」

 後ろで関節を鳴らしながら黒い笑みを浮かべているのは、4人組の俗に言う不良グループだった。一際体格のよい、茶髪にピアスの男がリーダーだろうか。先程拳を空振りしたパンチパーマの男は、舌打ちして“こちら”をにらんだ。

 リーダー格の男が凄む。

「おいテメェ。…2年坊主の癖して先輩に向かって不届き者たぁ、いい度胸してんじゃねぇか、ぁあ?」

「いえ……いや、あのっ…お、僕、そんなこと一度も」

「二分前に言ったよね。『このような学校を荒らす不届き者を探しているのだよ!』」

 青いセルフレームのメガネをかけた男が杉由に冷たく言い放つ。

 違う俺じゃない、違う俺じゃない…と、杉由は心の中で御経のように繰り返し唱える。

 不良たちに向かって『不届き者』と言ったのは相原だ。あくまで俺は不特定多数の人間に対して言ったわけで、この不良グループ4人組に言ったわけでは決してない!

 と言おうと思ったが、セルフレームの男に、さも彼らに向かって放った言葉のように扱われてしまい、今から弁解するのは無謀だった。

 逃げ場がなくなってしまった彼は、ふとどさくさにまぎれて校舎裏へ逃げようとしている後輩の姿を目に捉えた。

「相原、貴様! 一人だけ逃げようなんて、卑怯だぞ!」

「ぎく」

 相原は一瞬肩をビクつかせ、すぐにこちらを振り向いて文句を言う。

「何大声で言っちゃってんですかー、不良さん達に見つかっちゃったでしょ」

「!!」

 杉由は戦慄する。

 相原はこの不良たちによって殺されるつもりなのだろうか。普段から冷めた目をしているやつだが、ついに人生にまで興ざめしてしまったのか。

「悪いのは先輩ですよ。俺は帰らせていただきます」

 そう言ってきびすを返しかけた相原の腕を、もう一人の男が掴んだ。

「貴様も同罪だ」

 相原は立ち止まって彼を見る。その目には微塵も恐れというものは無かった。

「…俺は同罪なんかじゃありません。馬鹿は休み休み言うくらいが効果的なんですよ」

 言った瞬間、

「貴様…ふざけるな!」

 ギリッ、と。

「って…」

 掴んだ腕を思いっきり捻り上げる男。今まで変化の無かった彼の表情が、一瞬ゆがむ。

 あー、馬鹿だ。あいつ馬鹿だ。相手は不良だぞ? 敵いっこないのに、挑発なんかするから…。

「…痛いんですけど。人間、腕捻られると結構辛いんですよ。離して頂けるとありがたいですね」

 いや…奴のことだ。何か計画でも立てているのかもしれない。何の見返りもなく行動を起こすほど積極的な性格ではないし、むしろ極度の消極的思考と言っても過言ではない。わりと平和主義なのだ。

「どうやらお仕置きが必要なようだな…」

 パンチパーマの男が指の関節を鳴らす。

「え? いやだから、俺は本当に」

 杉由が避ける間もなく、懇親のパンチが彼の顔面を襲った。

 彼が先程タバコを拾った植え込みに勢いよく吹っ飛ばされる。

 さらにリーダー格の男が杉由に蹴りを浴びせる。

 連続で殴られた杉由は、ぐ、と呻きながらわき腹を抑えた。

 そのとき、ふと目線が時計にいった。

<1時56分>――。

 まずい!!

「もうすぐ2時じゃないか!!」

「それがどうしたってんだよ、ぁあ?」

 さらに蹴りを入れられる。

 やばい…これ以上蹴られたら、吐くかも…。

 どうする、と彼は思い悩んだ。2時…5時限目が始まる時間。学級委員長の杉由の立場上授業に遅れてくるというのは大事件だった。不良たちは授業など出ても出なくても何もいわれないだろうが、自分は全うな生徒。遅れるのはいささか許しがたい。

 しかし、今から教室へ戻るのはこの怪我じゃ無理だろう。いや、無傷だったとしても、階段を上るため4分じゃ間に合いそうに無い。

 そもそも、不良たちがそんなこと許してくれるはずないじゃないか。

 と、その時。

「貴様、もう一度言ってみろ!!」

 相原サイドで叫んだのは、彼の腕を捻り上げている男。

「あなた、マゾですか。いいですよ、『あなたって、なんかあぶれてません? もしかしてビビリですか? 俺の腕を捻り上げるだけで俺を殴ることが出来なかったのがその証拠ですよね』」

「き、貴様ぁぁぁぁああ!!」

 怒りに目を血走らせたあぶれ気味の男が、相原の腕を強引に引っ張る。

 体制を崩した相原のわき腹に膝蹴りをお見舞いした。

 ぐらりと彼の体勢が前のめりになる。引っ張られた腕を支えに何とか立っているようだった。

 あー、痛い。いや、相原がじゃなくて、入学したての1年にボロクソ言われて切れる3年とか痛い。見てて悲しくなってくる。

「…こういう風に、暴力で何でも解決しようとする人が減らないから、世界中で戦争が未だ続いているんでしょうね…。ブッシュ大統領だけが原因じゃありませんよ」

 全く…ここまで恐怖心というものに疎いと、逆に身を危険に晒す事になるな、と杉由は学んだ。

「あっちの心配してる場合か、ぁあ?」

 容赦なくリーダー格の男の蹴りが飛んでくる。

 まさに不意打ち。杉由に避ける余裕はなかった。

 すぐにパンチパーマの男からも蹴りが飛んでくる。

 交互に蹴りを喰らいながら、彼は霞み始めた頭の中で逃げる方法を考える。

 間もなく授業は始まるだろう。となったら、いよいよ時間内に教室に戻ることは不可能になる。しかし、戻れないということはないだろう。あともう少し、この不良たちの暴力に耐え続ければ、開放してもらえないわけはないはずだ。ということは、今自分が考えるべきは、遅れないための方法より、遅れた際の言い訳ではないか? 正直に言えば不良たちに絡まれた、となるのだが、さすがにそんなこと言いたくなかった。しかし、自分が原因で遅れたわけではないと主張することは悪くはない。もしかしたら良しとしてくれるかもしれない。だが、それはつまり不良たちのことを先生にチクるということだ。仕返しが怖くない、と言えば嘘になる。どの道自分は遅刻扱いとなるだろう。なら、言い訳なんて考えても仕方のないことではないか。暗中模索もいいところだ。

 それにしても、杉由は相原の態度が意外だと感じていた。

 すでに自分も、無事と言える状態ではない。しかし、饒舌な相原ならば、何とか男を言いくるめて自分だけ逃げるかと思っていたのに、つーか実際一人だけ逃げようとしていたのに、逆に相手の逆鱗に触れるようなことを言うなんて、何て言うか、彼らしくない。無駄な争いを好まないやつなのだ。

 どうやらあのあぶれ気味の男、ぶっちゃけヘタレだが頭に血が上るとどうにでもなってしまう性格らしい。今の膝蹴りは正直大分大きかったと思う。さすがに相原の身が心配になったが、同時にこれはチャンスなのではないかと思い立った。

 幸い、相原サイドが騒いでくれたため、こちら側の男達の目線は相原たちに向けられている。自分だけでも逃げてしまおうか…。

 そんなことを考えていたとき。

「ぐ……」

 時計の秒針の動きをじれったく見つめていた杉由は、背後から聞こえたうめき声に振り返った。

「相、原……!?」

 彼は男の腕にもたれかかっていた。

 あぶれ気味の男の顔がわずかに引きつっている。

 彼は動かなかった。

 掴まれている腕はすでに力が抜けたようにぐったりとしている。顔の両はじに垂らした髪がサラリと揺れ、杉由の中の嫌な予感にリアリティを与えた。表情は読めないが、杉由は悪寒が走った。

 自分だけ逃げてしまおうかなどとと思っていた自分がこの上なく愚かな人間に思えた。杉由だって怖くて逆らえない不良グループを野放しにして、入学して間もない一年生の後輩をおいて逃げようと思っていたのだ。これほど無様な考えがよくも自分の中に沸きあがってきたものだと自らを軽蔑したくなった。

 いくら相原とはいえ、相手を逆上させるような言葉を吐いたら仕返しが来ることは分かっていたはずだ。なのに、何で…。

 そんなことを延々と考えている自分にまた腹が立った。

 いつまでぐずぐずしているんだ! どんなことをしてでも、この場をやり過ごすくらいのことをしてみろ!

 彼の中で、さまざまな思いが交錯する。怯えや恐怖に押しつぶされそうになっていた彼の正義感がぐんぐんと勢いを増した。

「パインダッシュ!!」

 心にもないことを叫び、全速力で男達の間を駆け抜ける。足の速さには自信があった。

 杉由はあぶれ気味の男の腕から強引に相原を奪うと、振り返らずに校舎裏へ走り抜けた。

 しばらく走ると、校舎裏から体育館の手前に着いた。そのまままっすぐ進み、武道館へ向かう。

 頭に水滴が落ちた。ビクッとして空を見上げると、かすかに暗雲が。

「今日は厄日だ…高井は帰ってくるし不良には絡まれるし…」

 しかも雨だしよー、と続ける杉由の目にとまったのは、相原。

 よく見ると、かすかに肩が震えているように見える。そのうち、全身が震えだした。

「…相原?」

「もう無理…笑う…笑う5秒前…」

 きっちり5秒後。

 相原は突如大爆笑した。

「はぁっ!!?」

 いきなりの変異に杉由は素っ頓狂な声を上げる。

「意味分かんねぇ! 何パインダッシュって! ネーミングセンスなさ過ぎですよ! それに何本気で心配しちゃってんですか柄でもない! 超爆笑! マジ抱腹絶倒なんですけど! どうしてくれんですか!」

「…………」

 杉由はもう、笑いが止まらない後輩にかけてやれる言葉がなかった。

 打ち所が悪かったのだろうか…。

 別の意味で心配し始める彼を見てまたひとしきり笑ってから、相原はつぶやいた。

「ほんっと、先輩って要領よくないですよねー。あそこで俺が一芝居してなかったら、教室に戻るとか言ってられなかったでしょうね。あー、笑える。ツボった、絶対ツボった」

「…あのー…相原さーん?」

「ていうか、何なんですかあのあとの“走れメロス”的な心の葛藤。太宰治を気取るにはまだ人生経験が少なすぎですよ」

 キーワードがいくつか出てきた。

 要領よくない。一芝居。笑える(これは違うか…)。

 ?

「え…っとですね。ふりです、ふり」

「ふり?」

「そうです」

 一つ一つ確実に確認するようにうなずく相原。

「先輩の一部始終、見てましたよ。出てきた考えが“パインダッシュ”だったんですね」そこでまた彼が思い出し笑いをする。話が進まないので、強引に説明を急かした。

「ふりって、どういうことだよ」

「あの時ですよ、あのあぶれ気味な不良さんが切れたでしょ」

「あぁ、…って、あれふりかよ!」

「当ったり前じゃないですか」

 さも当然というような口ぶりに、またもや杉由の頭が混乱する。

「じゃあ、あの一連の行動って…」

「先輩は俺のこと過小評価しすぎです。あれくらいで気絶するわけないでしょ」

 その言葉を聞いて杉由は、今までの自分なら怒っていただろうな、と思った。

 だが、予想に反して一番最初に感じたものが、安堵。

「なーんだよー…心配して損したー」

「損じゃないですよ。先輩が焦ってくれなくちゃ、この計画大失敗でしたし」

「計画?」

 どういうことだ、と言いかけた自分の言葉を飲み込む。理解力のない馬鹿とは思われたくない。特に相原には。

「何の脈絡もなしに、あの危険な状況で一芝居やると思いますか? 俺がアクション起こして、先輩に隙を作ったんですよ。ハイリスクハイリターンって奴です」

「隙…」

 そうだ、自分もあの時思ったではないか。

『いくら相原とはいえ、相手を逆上させるような言葉を吐いたら仕返しが来ることは分かっていたはずだ。なのに、何で…。』

「そういえばお前、殴られはしたけど制服汚れてないな」

「そりゃあ、制服汚れなそうな喧嘩の仕方してそうで普段はわりと臆病そうなやつに挑発しましたから。くだらない喧嘩で、自分が汚れるのは嫌ですからね」

 本当に計算高いやつだ…。

 そのわりに、『してそうな』ってフレーズが度々出てきているが。

「ぶっちゃけ、俺関係ないじゃないですか。先輩がわざとらしくタバコ拾ったりなんかしなかったら、あんなのに巻き込まれることもなかったのに」

「他人事のように言いやがって…騒ぎを起こしたのはお前だろ!」

「酷い言い様ですね…。先輩のために、体張ったんですよ。しかしまさかあんな一撃が来るとは思いませんでした。一瞬意識飛びましたし」

「ダメじゃねぇか!!」

 全く…。

 何なんだこいつは。

 あの時、もし自分が何の行動も起こせずにただ立ちすくんでいるだけだったら、どうするつもりだったのだろう。それでなくとも、自分だけ逃げて、置いて行かれる可能性だって十分にあったはずなのに。実際、杉由は彼を置いて逃げようとも考えていた。

 なのに…。

「お前、もしもの時の対策、考えてたか?」

「え?」

 意味が分からないというように首を傾げる相原。

 杉由は恥ずかしながらも、今の考えを口に出して言ってみた。

 それを聞いた後輩が幻滅したような目線を向ける。

「うわー…先輩、それ重度のチキン野郎じゃないですか。そんなこと、まさか本当に考えていたなんて。…俺って、そんなに先輩にとってどうでもいい存在だったんですね。そりゃそうですか。さっき会ったのだって偶然ですし」

「ちょ…!?」

 何でそんな寂しそうな目で見てくるんだ! ばっ、泣いてんじゃねぇよ!

 罪悪感感じちまうじゃねぇか!

 杉由は突然涙を流し始めた後輩にどう接すればいいのか分からない。

「…先輩、ほんと面白いですよね。二度も同じ手に引っかかるなんて」

「は?」

「ウソ泣きです★ 俺ウソ泣きのプロなんですよ」

「なっ…」

 爽やかな笑顔で――涙など微塵もない笑顔で相原は『グッジョブ』と親指を突き立てやがった。

「てめっ…ふざけんなぁぁぁあああ!!!」

 杉由が叫んだとき、時計の針はちょうど2時15分を指していた。間違いなく遅刻だ。

 しかし不思議と不安は消えていた。

 午後の授業は基本的に保体の授業がないので、誰も二人の存在に気づかなかった。

 その後、杉由は2-C担任高橋に、相原は1-A担任中村に、みっちり扱かれることになってしまったが。


 6時限目は物理だった。

「さて…サボりますか」

 僕は教科書の間に愛読書を挟み、優志と六合村の3人で第一理科室に向かった。

「またサボりか…」

 僕の教科書類の厚さの違いにいち早く気づいたのは、優志。

「もち。僕は物理は捨ててるからね。どちらかと言うと生物学の方が得意なんだ」

「小学生の頃、ガスバーナーで火傷しかけたのがトラウマになってるんだろ。生憎物理でガスバーナーを使うことはほとんどない」

「じゃあ、僕は化学全般が苦手なんだな。ガスバーナーは同じ班の誰かに任せてる」

「その同じ班が、俺なんだけど」

 そこで口を挟んできたのは、六合村。

「よ、ろくごうむら」

「ろくごうむらじゃないよ! 六合村(くにむら)だよ!」

「え? …それ、ろくごうって読むんじゃないのか?」

「違うよ六合! 書いてあるでしょ、振り仮名が!」

「あー…なんだよ、じゃあお前ってろくごうむらじゃなくて六合村っていうのか」

「さっきからそう言ってるよ!」

「…そうか、啓介は六合村のことを知らないのか」

 優志が思案顔になる。

「紹介しておこう。彼は六合村遼一といって、去年の秋頃にやってきた転入生だ」

「へぇ。よろしく、ろ…六合村」

「今言いかけたよね? ろくごうって言いかけたよね?」

「まぁまぁ、落ち着け。よくあることだろ」

「そうだけど…で、君の名前は?」

「僕は高井啓介」

「高井…? そんな人いたっけ?」

「啓介は去年の今頃に、…その、家の事情で一時的に海外に行っていて、戻ってきたのもつい最近なんだ」

「海外かぁ。どこに行ってたの?」

 この質問。

 この質問の返答が、一番困る。

「えと……」

「近場? それとも、ヨーロッパ辺り?」

「まぁ、…その辺、かな」

「へぇー」

 何とかかわせた。

 六合村遼一(りょういち)。スポーツ刈りにしては若干長めの黒髪がチクチクして痛い。身長は…多分、160cmないだろう。最悪、茶凛よりも小さいかも知れない。なんだか後輩を相手にしているみたいで、口調がどうしても上から目線になってしまう。

「で、サボりってどういうこと?」

「いや、物理って退屈だから。去年から、物理の授業は読書タイムにしてるんだ」

「えぇー、それ、良くないんじゃない? 確かに物理の先生はあの川口(かわぐち)だけどさー」

「どうせ、あの人の話聞いてたって理解できるわけでもないしさ。つーかあの人、ちゃんと教師免許取ってんのか? 物理初心者に見えんだけど」

「…さすがにそれはないんじゃないかな…」

「いや、あの教科書の問いに対する動揺ぶりは、おそらく物理専攻ではないな」

「だよな優志!」

「いや、だからさ…」

「俺が考えるに、まず1分野でもないんじゃないか? どちらかと言うと、人体とかに詳しそうなイメージがあるんだが」

「あぁー、それ分かるかも。2分野行った方が出世できんじゃん、何で物理なんかやってんだろあの人。要領よくないよなー、それとも単に人員不足? 公立高校は辛いねー」

「あの、二人とも…」

「何だよさっきから」

「どうかしたのか?」

 僕と優志が同時に聞く。

 六合村は控えめに言った。

「その…前」

「え?」

 前方に顔を戻すと。

 怒りの形相の物理教師が、仁王立ちでこちらを睨んでいた。

「…………」

 突然六合村の態度が変わった理由が分かった。

「お前ら3人とも、廊下に立っとれ!!」

 川口が怒鳴り、第一理科室の扉が勢いよく閉められた。

「……」

「どうする?」

「どうするもこうするも、……」

「俺まで巻き込まれちゃった…」

「そうだよ六合村、お前なんで教えてくれなかったんだよ」

「え!?」

「前に奴がいるのは分かってたんだろう。それを知っていて俺達に教えないというのはどういうことだ?」

「まさか――」

 僕の目が細くなる。

「自分だけ逃れようとか思ってたんじゃないだろうな」

 優志の目も鋭くなった。

「やっ、そ、そんな、滅相もない…」

「じゃあ何でいきなり黙ったんだよ」

「だって、……」

「――……!!?」

 突然強引に手を引っ張られた。

「あ」

「え」

 バランスを崩しつんのめる引っ張られる側――僕と六合村。

 引っ張る側――優志は見向きもせずに第一理科室を後にしていく。

 半ば引きずられる形で、僕らは物理の授業をボイコットした。


 茶凛の名前についての文章で“16年前”っていうのがありましたが、あそこ本当は“15年前”なんです。書いたの去年。スルーしかけた……(汗)。

 次回もまったり、載せていきまーす。

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