読み切り 10
……えっと。
なんて言えばいいのかな、これは…。
とりあえず簡潔に表せば。
優志がいた。
だけではない。
寝ていた。
武道館の1階、柔道・相撲部の部室の。
柔道部の畳の上で。
大の字に。
豪快に。
快活に。
いびきをかいて。
眠っていた。
「…もしかして…あれ…柊先輩じゃ…ないですよね…まさか…そんなこと…ないですよね…あはは…まさかね……」
半放心状態でそれを見ている相原に僕は同情した。
普段の優志からは想像できない、いやむしろ創造できないフリーダムさ。もしかしてこれが素の優志なのだろうか。そうかもしれない。僕に対してだけ、やたらと厳格に接していただけなのかもしれない。しかし、そうだとしたらなぜ?
僕は再び混乱しかけたが、塚本は優志を徹底スルーし、何食わぬ顔で2階へと上っていくので、慌ててついていった。
ついでに、安藤は見て見ぬふり、佐藤は二度見したもののスルー、小沢に至っては見てはいけないものを見てしまったというように片手で顔を覆っていた。清々しいほどに優志の人権を否定する年長組であった。
「ここが剣道部の部室ですね。…思ったより広いです」
7間×12間の、本格的な剣道場だ。この学校は部活面ではわりと強豪校らしく、数年前に武道館を改装して現在の形になった。奥行きが20m以上あり、床もきれいなあめ色の板張りで、広々とした設計になっている。数人泊まるくらいのスペースは余裕で確保できそうだ。
「じゃ、とりあえずのところは、ここで一晩過ごしてください。私は戻ります」
塚本はなめらかに言うと僕らに背を向けた。
「? どこへ?」
「私は自家用車がありますので。何かありましたらご連絡ください」
僕にメモを渡し、塚本は階段を下りて行った。
……ずるい。
「なぁ杉由。念のため訊いておくが、ここに布団やなんかはあるのか?」
「ナッシング。あるはずねーだろ、合宿じゃあるまいし」
布団はないらしかった。
…僕は一応、一般人を気取っている。布団の上以外でまともに寝たことがない。居眠りとかうたた寝とかだったら、それはまぁ許容範囲だとしても、布団の上以外でノンレム睡眠もとい熟睡をしたはかつて一度もない。
しかもここは板張り。何も敷かずに寝たら、体の節々が痛くなるに違いない。
「この状態で、どうやって寝ろと?」
「いや、普通に。横んなりゃ、そのうち眠くなんだろ」
「僕はそんなに単純じゃない」
「そーか?」
杉由は唐突に僕を肩を押した。
「わっ……とっ、と」
バランスを崩してしりもちをつく僕。
「何すん――」
「前に肩たたいた時はなんでもない風に受け流してたぜ。本当は、結構疲れてんじゃねーの?」
「…………」
その通りだった。
まぁ、殺人事件が起こったわけですし? 疲れてない人なんてそれこそ塚本とかそこらへんしか思い当たりませんけど? 僕だって一応一高校生でしかないんですから? 疲れてんのは当たり前?
ひねくれ思考復活。
やっと――やっと、いつもの調子に戻ってきた。
「大体お前はそうやっていつもいつも人の内側を見透かしたように言ってきて、そんなことに何のメリットがあるっていうんだ? もっと素直に生きろこのパイン」
「今のはパイナップルを生産および輸出している南国への冒涜か? 何度も言うけど俺はパインじゃない松川杉由だ覚えとけ! …おい相原! そこは効果音入れろよ!」
「ばばーん」
「さすが相原くん見事なローテンション」
「俺はパインじゃない松川杉由だ覚えとけナップルー」
「巡り巡ってパイナップル宣言してんじゃねーか! 大体どっから生まれたんだよパインって!」
「え? 何お前知らなかったの? “松”って英語で“パイン”これ基礎中の基礎だろ。水谷さんだって初っ端で理解してたのに」
「地の文で説明したと思いますけどー」
「地のd文じゃ分からねぇんだよ!」
「『「杉由が下だっつの! 上が、つか苗字が松川! 漢字分かりますか? 松に川ですよ!」
なめてんのかこいつは。まずその説明じゃ漢字が理解できないやつは分からないだろう。英語にするとどうなるのだろうか。パインリヴァー? 甘酸っぱい川か。』はいリピートしましたー」
「あー確か前にそんなこと言った気がする。そして地の文に怒り心頭」
「『「パインダッシュ!!」』はいリピートしましたー」
「要らんことリピートすんのやめようか!!」
…というような会話を10分ほど続け。
「…そういやぁ、茶凛ちゃんはどこに行ったんだよ?」
話題が茶凛に移った。
「あー、そーいや見てませんねー佐藤先生」
「どこに行ったんですかねー佐藤先生」
「なんか知ってっか佐藤」
「訊かれてんだろ答えろよ佐藤」
全員から名指しされる佐藤。
ぶっちゃけ、茶凛の“後処理”を担当したのは彼なので当たり前っちゃ当たり前だが。
「あぁ…鴻巣は、家に帰した」
「えぇ!?」
佐藤の告白に杉由がすぐさま反応する。
「ちょ、何やってんすか先生! 塚本さんが、関係者は校内から出すなって言ってたでしょ! ばれたらまた面倒なことに…!」
「まぁまぁ。鴻巣はあれで大分錯乱していたんだぞ。彼女は直接事件に関わったわけじゃないし、女の子だからな…刑事さんたちには内緒にしているが」
ばれることは確信的だった。勘のいい塚本なら、今日のうちに気づくだろう。
「でも…それにしたって、いいんですか? その、…もし茶凛ちゃんが、犯人だったりした場合は……」
「その時はその時」
佐藤が妙に晴れやかに言った。
「俺は少なくとも、鴻巣は犯人じゃないと思う。名倉や水谷の存在すら知らなかったらしいからな」
「え? そうなんすか?」
「あぁ。だから、別に帰しても問題ないと思ったんだ」
完全なる独断だった。
ま、ああいう塚本みたいな刑事は、過去には執着しないタイプだろうけど。
「さて。そろそろ7時だが…」
一般的に夕食の時間だ。そういえばさっきからお腹が空いていた。昼食タイムから何も食べていないせいか、頭の回転も鈍っている気がする。
ていうか、そんなの改まって気にしてる場合じゃなかったしな。
「なぁ杉由。念のため訊いておくが――」
「何もねぇよ。さっきも言ったけど合宿じゃねぇんだから、食いもんなんてどこにもねぇっつの」
そう言っている杉由も空腹のようだった。
「こういう時に、連絡すべきなのかなぁ…」
「ん? 高井なんだそれ? メモ?」
「うん、塚本さんの携帯番号…。連絡してみる?」
「頼むわ。今真面目に腹減ってんの俺」
それは僕も同じだ。
僕は携帯電話を取り出すと、メモに書かれた番号に電話した。
ワンコール。
『何か?』
「あ、…どうもです」
とりあえず挨拶した。
僕は電話口に聞こえないよう、小声でみんなに言った。
「皆さん、なんか食べたいものありますか」
「…そう言われると、特に」
「俺もっス」
「ないな」
「ねぇ」
「んー…じゃあ、無難に吉野家でも頼みます?」
「いや、それは」
「俺牛肉無理」
「じゃーファストフード?」
「俺モス派」
「え、俺マック派なんだけど」
「近くにロッテリアねぇか」
「コンビニで済ませましょっか」
「ここら辺セブンねぇよなー」
「あ、俺ローソン派です」
「普通ファミマじゃないか?」
「思い切って店屋物とか」
『丸聞こえですが』
塚本の声は至って冷静だった。
「はぁ…今ですね、ほら、ちょうど夕食時でしょう? お腹空いちゃって…出来れば、何か食べ物を持ってきて頂けると」
『…………』
7時45分。
「――で」
杉由は目の前に並べられた“食べ物”を凝視して言った。
「なんでカツ丼なんだよ!!」
「『刑事の食べ物と言えばカツ丼です』…らしいよ。ほら、冷めないうちに」
僕はどんぶりの蓋を取る。立ち上る湯気。
今時、取調べでカツ丼使う警察署ってあるのかな…。
ちょっと調べてみたいよな…。
「自家製だ…」
妙なところで安藤が感動している。
「カツ丼って久しぶりです」
「母の味って感じだなー」
「これ、作ったの誰なんでしょうね?」
「あ、それについては塚本さんがこんなことを」
僕も気になって尋ねてみた。
そしたら、
『うちの警察署には、料理がとても得意な、通称“ももちゃん”という方が専属でいらっしゃるのです。署では【残業の女神】と言われ崇められています』
…だそうだ。
おそらくこのカツ丼も、“ももちゃん”という人物の手によって作られたものだと考えられる。
しかしまぁ、よく1時間で作れたものだと思う。
いや、発送を含めて20分は差し引いて…40分。
神業だ…。
「…なんか、すげぇありがたみを感じるのはなぜだろ」
「大丈夫です先輩。俺もですから」
「たまには実家に帰ってやろうかな…」
なんだか、本当に取調べ受けてる容疑者みたいだ。
カツ丼恐るべし。
「あと一時間ほどしたら、布団が届くそうですよ」
僕はさらに付け加えた。
ついでに頼んでみたところ、あっさりOK。でもさすがに、警察署の布団と言えば受刑者用のものを想像してしまうが、そこら辺はどうなのだろう。詳しく話してくれなかったので、少し不安が残る。
ないよりはマシだが。
「ここまで注文するくらいなら、家に帰してくれても良さそうだけどな」
ごもっともだ。
「さ、まずはカツ丼を頂きましょう」
「あ、わり、俺もう食い終わった」
「速くねぇ!?」
「食ったらのど渇いちまってよー。この学校って、自販機あったっけ?」
「じゃあ、学食から持ってくるか」
佐藤が立ち上がる。
「え。いいんですか?」
「金さえ払えば問題ないんじゃないか?」
ナチュラル思考に万歳。
「じゃあ頼みます。僕は牛乳で」
「俺もー」
「俺は…うーん……あ、確かGFJありましたよね。それで」
「俺は個人で買ってくる」
安藤も席を立った。
二人が階段を下りていくと、僕は相原に訊いた。
「GFJって何?」
「グレープフルーツジュースの略ですよ。知らないんですか?」
知り得ねぇよ。
「おーし。人もいなくなったところで、そろそろ“アレ”決めようぜ…」
声を潜めて杉由が言った。
「“アレ”?」
「決まってんだろ、場所取りだよ」
あー…。
つまり、どこで寝るかってことだな。
ったく、本当に修学旅行気分なんだから…。
現状がどんなか分かってんのか?
いや…むしろ、現状把握してるからこそ、明るく振舞ってるのか。
「とりあえず俺は真ん中ですね」
「は!? 何でだよ!!」
「だって第一目撃者ですよ? 一番狙われるじゃないですか」
「関係ねーだろ武道館には鍵かけんだから!」
「鍵を攻略されたら、どの道真っ先に狙われるのは俺ですし。油断大敵ってやつです」
「なら、おめー、端っこ行けよ! 階段から一番遠いとこ!」
「杉由。お前、双方に人がいないと怖いのか?」
「なっ!! ンなわけあるかーッ!! 俺はどこでもいいよ! でもこいつが…」
「俺こそどこでもいいですけど」
「僕もどうでもいいけど…できれば端の方がいいかな。両脇に人がいると、眠れない」
「よし高井端っこ決定!! じゃー俺高井の隣な!!」
「やっぱ双方に人がいないと眠れなんですね…」
「そーじゃない!!」
結局寝場所は、階段から遠い壁際から数えて、僕、杉由、相原、佐藤、安藤の順に決まった。
…この配置が、この先の展開に関わってくるようにはとても思えないんだが。
「安藤先輩端っこでいいんですか?」
「悪かーねぇだろ」
「全くお前は……あれ?」
誰か一人忘れていたと思ったら、小沢がいない。
僕が気づいたと同時に、背後でドアが開く音。
「あー、やっと出た……お、もう8時か」
「…………」
「…………」
「…………」
僕たちは見て見ぬふりをした。
「先生たちまだかなー」
「きっとそろそろ来るよー」
「そーですねー」
「ん? 何だそれは? …カツ丼ではないか! おい! 俺の分は!!」
…どうやら塚本も忘れていた様だった。
「――さすが…あぶれ気味」
「ッ!!」
しんみりとつぶやいた相原の言葉に吹き出す杉由。
そこへ、学食から戻ってきた二人が帰ってくる。
「あ? 小沢、おめぇいたのか」
「安藤!! 貴様まで!! …おい! 俺の分は!!」
「えーと、松川と高井は牛乳だったよな。相原がGFJ」
「先生も知ってるんですかそれ」
「常識ですよ啓先輩」
「全員揃って無視をするなあぁぁあああああ!!」
「じゃあ…消すぞ」
照明のスイッチに一番近い位置にいる安藤が静かに言った。
僕らは黙認する。
パチッと音がして、明かりが消えた。
とたんに辺りは暗闇に包まれる。
――「おい」
「おい」
小さく呼びかけた。
時計は見えないが、まだ日付を越してはいないだろう。
床に就いたのが9時過ぎ。疲れていたので、いつもなら普通に起きている時間でもすんなりと寝てしまった。
一人を除いて…。
「おい。……起きろ」
俺は、隣にいる相原に再度呼びかける。
「……にゃ…」
…完全に寝てやがる。
ったく、お気楽なやつはいいよな…。
――いつ犯人が襲ってくるか、分かんねぇってのに。
俺は片手で相原の左頬を軽く引っ張った。
「…………」
無反応。
さらに引っ張ってみる。
「…………」
人間の頬というのはここまで伸びるものなのですいかがですか、とばかりに極限まで引っ張ってみた。
「……ん…………にゃ」
寝返りを打たれた。
俺は反射的に手を離す。
仕方ないな…。
俺は布団から出ると、剣道場の脇にある男子更衣室に入り、自分の名が書かれたロッカーを探る。
「あったあった」
“あるもの”を手にして戻ってきた。
再び布団に入り、“あるもの”を装着する。
もう一度呼びかけた。
「相原。……おい」
「…にゃ……」
不機嫌そうにこちらを向く相原。
とたん、目を見開いてこちらを凝視する。
「ッッ!!! …………」
俺は相原の口をふさぐと、“あるもの”――般若の面を外して言った。
「いい加減起きろ。こんなことに1ページも使ってらんねぇんだよ」
「もー…マジでびっくりしましたよ…」
「何度も起こしたんだぜ? でもお前起きねぇから」
「だからってあんな……。…何であんなものが武道館にあるんですか」
「2月に節分やったんだよ」
「普通鬼の面じゃないですか……?」
「なかったから、友達に般若の面借りた」
「あれ、かなり本格的ですよね。ともすれば歴史博物館にでも展示されてそうな。その友達って何者です?」
「お前も知ってんだろ、二年の出美滓ってやつだよ」
「…は。ガールフレンドですか。いいもんですね。鴻巣先輩も交えて両手に花ですか」
「その僻みっぽい口調は何なんだよ…ま、気に病むな。本命は別にいる」
「うわ、あの二人よりも上のランクを目指すつもりですか。やめときましょ、現実を目の当たりにすることになりますよ」
「それが先輩に向かって言う言葉かよ」
「忠告ですよ。出先輩も鴻巣先輩も、“美人”と形容して一向に差し障りないでしょう? ていうか鴻巣先輩は啓先輩が狙ってそうですし。出先輩は…あの性格ですから、男に興味なさそうですよね。逆に何で先輩と仲良くなれたのか不思議です」
「女装した」
「松川杉由子」
「なんかの粉か湖みたいだな。てか本気にすんなよ、嘘だって」
「俺のクラスに、川杉由子ってのがいるんですよ」
「おぉ、ほぼ同姓同名」
「一字ずれて一字加えられてますけどね」
「そんでも三文字あってんだろ。ま、茶凛ちゃんは高井の幼馴染だからな。本当はもっと上の高校に行けたらしいんだけど、何でだかここに来たらしい」
「もしかして啓先輩のこと好きなんじゃないですか? あえて同じ高校に進むって、なかなか勇気ありますよ」
「どうだろうな。高井も高井で鈍感だから、茶凛ちゃんの思いに気づいてないのかもしれないけど……もしそうだったら俺落ち込むなー」
「え? 先輩の私情が入り込む隙は一切なかったように思いますけど」
「だってよー。中学校は二人とも離れてたんだぜ? 学区の違いでよ。学校違うって結構痛いはずじゃねぇ?」
「そりゃ…そうですね」
「お前だって幼馴染の一人や二人いるだろ?」
「……。…“まさき”、かな…」
「ふーん。仲良くやってんのか?」
「どうでしょうね。ここのところ会ってませんから、なんとも」
「は? …お前それ、幼馴染って言うのかよ?」
「生まれて数年間はいつも一緒でしたからね。それに、今の俺が会いに行っても、きっと誰だか分からないでしょう」
「この年頃って、一年会わないだけで大分印象変わるもんな」
「そんな野暮な問題じゃありません。あの頃の俺とは、いろいろ変わってるんで」
「……生きてりゃいろいろあるもんなー」
「単純に済ませないで下さいよ…客観的には、“まさき”を置いていった形になるんですから。悪いのは俺なんです。いや、正確には俺の父親…てことになんのかな」
「俺、パス。複雑な家庭の事情には首突っ込まないようにしてんだ」
「それはいい心がけですね。先輩には幼馴染、いないんですか?」
「――…そういや、特にいねぇな」
「いないんですか」
「あぁ。高井と会ったのも高校だし。中学のやつらは、知らないやつばっかだったし」
「転校でもしたんですか?」
「…ちょっと、前にいた中学で事件があってな。公にはされてないけど」
「…先輩の中学生時代、か…その頃、俺都心部にいましたね」
「なんだ、お前も転校生?」
「いえ。中学を卒業してすぐ、こっちの郊外に渡ったんです」
「もしかして、親の都合とかで転校が多いタイプ?」
「いやいや、そんなことはないですよ。ある友達には、『お前は会うたびに名前が変わってる』と言われますけど」
「…なんの比喩だよ?」
「ストレートに考えて下さって構いません」
「……。転校といえば、高井も入学してすぐに一時的に学校を離れてたんだぜ」
「へぇ。それはまたなぜ?」
「さぁな。国外に行ってたらしいけど…よく分かんねぇ」
「考えてみれば、啓先輩も結構謎が多いですよね」
「だな。深く考えたことねぇけど。入学してすぐにいなくなったのに、3年生に知り合いがいるしな」
「割と顔が広いんですかね」
「それに、放課後体育館裏に行ってるのをたまに見かけた。一年前な」
「入学してすぐって言いましたけど、具体的にはいつ頃ですか?」
「ちょうど今頃だよ。5月。突然帰ってくるって連絡入って、急いで担任に電話していろいろ大変だったんだぜ。突発的って言うなら、まさしくあいつだよ」
「某友達の兄から聞いたんですけど、先輩って学級委員長なんですか?」
「よく知ってんな。そうだよ」
「世も末ですね…」
「最高に失礼な言葉ありがとう。何でだよ」
「キャラ的におかしいでしょそのポジション」
「そうか? ま、あみだで決まったんだけどな」
「あぁそれなら納得」
「まだ仕事らしい仕事してねぇし」
「この時期ですからね。この学校、運動会は秋にやるようですし」
「え? 普通そうじゃね?」
「春にやる学校もあるらしいですよ…ま、小学校とか中学校とか、義務教育あたりが限度でしょうけど」
「こんな暖かい陽気に運動会なんて頭イカれてんじゃねぇの。ゆっくりさせろよ」
「俺んとこも全部秋でした。春に運動会とか、一年生がつらすぎますよ」
「全くだ」
「秋も秋で、夏休み明けすぐですからつらさはありますけどね」
「は? 秋っつーから、普通に10月下旬辺りを想像していた俺って何?」
「その時期は一般的に合唱コンクールでしょ…」
「あーそっか。歌とかどーでもいいから、去年もサボってたけどな」
「悪いですねー。クラスの結束を強めるとか、合唱コンクールにはそういう意味があるんですよ」
「知るかよ。歌とかたりぃんだよ」
「利己的ですね」
「お前も人に言えたもんじゃねぇだろ」
「一緒にしないで下さいよ」
「やだね」
「俺だってやですって」
「じゃお前は俺以下」
「それだけはないです」
「あくまで上からの考えかよ」
「ところで先輩、こんな夜遅くに一体何の用ですか?」
「あぁ。お前を殺そうと思ってさ」
「そうですか。それはまたなぜ?」
「んー、いやなんとなく」
「はぁ。俺の悪運もここまでですね」
「残念だったな」
「別に。そろそろまた人死にが出てもおかしくないとは思ってましたし」
「さっきも言ってたよな」
「はい」
「でも、それが自分だとは思ってなかっただろ?」
「漠然と。ほら、一応第一発見者なわけですし」
「犯人からしてみりゃ、それってそんなに関係ないことだと思うんだけどな」
「そうですか?」
「第一発見者が現場の新鮮な情報を一番たくさん所有しているって考え方が主らしいんだけど、今となっちゃそんなもんお構いなしだもんな。水谷さんが死んだのも、ありゃ事故だろ」
「俺はそうは思いませんけどね」
「ん?」
「犯人が携帯型爆弾、例えば手榴弾なんかを持ってたら、水谷先輩を事故に見せかけて意図的に殺すことはできるでしょう。木の葉を隠すなら森の中です」
「面白い概念を持ってんな。じゃあ、今ここでお前を刺し殺したとしたらどうなる?」
「自然な流れとなるんじゃないですかね。凶器さえその場に置いておかなければ、名倉先輩と手口は同じです。それと同時に、水谷先輩が爆発に巻き込まれたのはあくまで不慮の事故、という裏づけにもなります」
「じゃあ爆発を起こしたら」
「それはこのタイミングでは不自然でしょう。いつの間にか、爆発がやんでますからね。ここで爆発を起こしたら、それが原因で俺が爆死したって周囲にバレバレじゃないですか」
「じゃ、やっぱ刺し殺すか」
「凶器は持ってきたんですか?」
「あ、…忘れちまったよ。まーいいや、ならもっと単純に行くか」
「どのように」
「食っちまおう」
「……は?」
「知らねぇか? 俗に言うカニバリズムだよ。人肉捕食とも言うな。そうすりゃ証拠も残らない。食っちまうんだから」
「…………」
「なんだよその顔。はは、さすがに冗談だよ。俺に共食いする度胸はねぇ」
「……先輩…もしかして狂ってます?」
「嬉しいねぇその言葉。凡人と一緒にされるのが昔から好かなかったんだよ。なら選ばせてやる。どんな風に死にたい? いや、殺されたい?」
「やーですよ。俺は今のところ、死ぬつもりはないんで。もちろん殺されるつもりも」
「残念だな。せっかく、満月の夜なのに」
「関係ないですって」
「しまるだろ」
「…しまる?」
「満月と、死体。うん、なかなか合う」
「…………なら、自分の死体でもドッキングしてみてはいかがですか?」
「そりゃ無理だ。俺だって死にたくねぇ」
「不条理ですね…死にたくないんなら、人殺しだってやめてください」
「自分の嫌がることは他人にやるな、ってか? それこそ不条理だ」
「同感ですけど」
「同感なのかよ」
「同感ですよ」
「同感なのか」
「……」
「……」
「…無駄話は終わりにして、そろそろ殺していい?」
「タイミングを図ってるのかと思ってました」
「言ったろなんとなくだって。そんな計画性はねぇよ、この殺人は」
「いっそのこと本当に食います?」
「いいのか?」
「……嫌です」
「なんだよ、ちょっと期待したのに」
「大体どうやって食うんですか?」
「ん? こーやって」
「あの、痛いんですけど」
「あーでも、まずは殺してからだな」
「どっち道死ぬんですか」
「そりゃそーだろ。牛だって豚だって鶏だって魚だって、生きたまま食わねぇだろ?」
「俺は家畜じゃありません」
「じゃあ生きたまま食われるか?」
「…………嫌、です」
「だよな」
「当たり前じゃないですか」
「でもお前、旨そうだよ」
「……………………は?」
「うそうそ、冗談だって」
「そうして下さい…」
「で、どうやって殺そっか」
「それは冗談じゃないんですか」
「たりめーよ。一度言ったことは取り消さねぇ男だ」
「度合いが違うんですけど」
「つーかこれ、先輩と後輩の会話じゃねぇよな」
「人間同士の会話ですらありませんよ。いっそ俺も先輩殺しちゃっていいですか?」
「そりゃまた突発的だな。どーやってだよ」
「鴻巣先輩が使ってた包丁、ありましたよね」
「あぁ」
「それです。あの包丁、名倉先輩を刺したのと同じものですし。切れ味のよさと殺傷能力はお墨付きですから」
「――…………って会話を、昨日の深夜交わしてました」
相原の長い独白が終わった。
うん。
っていうかさ。
まず第一に言っていい?
「どんな会話してんだよあんたら!!!!!」
「え? …前半が与太話で、後半は殺人についてっスけど」
なにその。
なにそのさ。
さっきまで他愛もない会話してた相手が、いきなり『殺していい?』とか言ってんのにその平常心はさ。
おかしいよね!!
確実におかしいよねこの人!!
「…で、何? つまり、相原くんが杉由を刺し殺したから、この場にあいつがいないってこと?」
「物騒なこと言わないで下さいよ、俺は殺人なんかしません」
よく言うな。
「そもそも、どうやって武道館から出たんだよ。鍵がかかってるはずじゃないのか?」
「そこら辺は曖昧で…先輩が開けたのかも知れませんね」
「で、それからはどうやって帰ってきたんだ?」
「…さぁ。気がついたら初期位置にいました」
「いなくなったのは杉由だけか?」
「はい。俺はここにいますからね」
「もう一度言うけど…」
僕はしつこいことを承知で訊く。
この質問はこれで4度目だ。
切羽詰って僕の口調が荒っぽくなってしまっていたので、その修復も兼ねて。
「…君がやったわけじゃ、ないんだよね?」
「当ったり前田のクラッカーっすよ」
断言した。
…つってもなぁ。
目撃者がいないっていうのがまず怪しいし、この話の登場人物は杉由と相原の二人だけ。それで杉由がいないとなると、おのずと犯人は示唆されてくるのだが…。
すなわち相原。
「あの…先輩方、勘違いしないでくださいよ」
「ん? …勘違い?」
「先輩は殺されたんじゃなくて、ただいなくなっただけですよ。…今のところ、ですが。だから、探せば見つかるんじゃないですかっていうのが俺の草案なんですけど」
「はぁ。……しかし……な…」
「こんなくっだらないサブ現象で死なれちゃたまりませんよ。あの人には貸しが星の数ほどありますからね。日々増加中です」
二重の意味で『星の数ほど』って比喩を使う人を初めて見た。そっか…そういう使い方もできるか…。
「大体、俺には先輩を殺す理由がありませんし。つーかどっちかって言うと被害者側じゃないんですか? 俺のポジション」
「うーん……そう、いやぁ…そうでも、あるんだけど……」
「歯切れ悪いっスね。そんなに俺を疑ってます?」
「いやね…。いろいろあって、ちょっと人間不信に陥っているかもしれない。正直言うと君の証言が信用できない」
「正直っスね」
「ここで嘘をついても得るものはないからね」
「そりゃそうっスけど。じゃあ何スか? 俺が先輩を…殺すまでは行かなくても、まぁそれ相応の目に遭わせたと? 少なくともこの場に平然とは居られないくらいに?」
突き詰めて言えばそうなる。
しかし相原の草案も一理あるから面倒だ。まずは一通り捜してからの方が話もスムーズに進むか…。
「――ま、いいや。これはひとまず置いておこう。相原くんの言う通り、もしかしたら校内に居るかもしれない。ここは彼を捜してからにしよう」
全く、杉由まで何いなくなってんだよ…。
また、優志みたいにどっかで寝てたりしないよな。
「あ、ところで相原くん」
「はい?」
「偶然だと思うけど…ていうか、きっと偶然なんだろうけど…“まさき”って、漢字でどう書くの?」
「真に咲くっス。“真咲”。それがどうかしました?」
「…………いや、……別に」
「またもや歯切れ悪いっスねー」
僕は携帯電話を取り出した。
塚本は杉由がいなくなったことを知らない。それならば、とりあえず連絡しておいた方がいいだろう。
ついでに、杉由は学級委員長ということで校内における携帯電話の持込を禁止されているらしく、連絡ができない。別に、校則で認められているんだからいいと思うけれど。
「――ちょっとごめん」
断ってから僕は隅に行った。
スリーコール目で、塚本は出た。
『朝も早くに、なんでしょうか』
軽く不機嫌そうだった。時計を見ると、まだ7時前。
「すみません。その…また、失踪者が」
『…………どなたですか』
「杉由です。松川杉由」
『次は松川氏ですk…――え?』
「……? 何か?」
『あの…ちょっと切りま』
「は? あ、ちょっ…」
ブツッ!
向こう側から切られてしまった。しかも言いかけ。
かけた側からのマナーとして、こちらから通話を終了させなければならなかったのに…。
「なんかあったっぽいっスね」
遠巻きに相原が言う。
その通りだった。
電話を切る寸前に聞こえた。
聞こえてしまった。
「塚本さんが……危ないかもしれない」
「おい啓介。さっきから何物騒な話をしている」
「!!!」
みっともなく飛び退いてしまった。
「や、優志…お前、いつからいたんだよ……」
「お前の歯切れが悪くなった辺りだ」
「ていうと、俺の草案辺りっスね」
「大体それくらいだ」
そういや優志、下の畳の上で寝てたんだっけ。
昔から優志は早起きだから、この時間帯に起きていても不思議はない。
「お前……あれから、どこ行ってたんだよ!?」
「あれから? 俺とお前は校門で別れたきり、会っていないと思うが」
「え? あれ? ……そうだっけ?」
「違います、啓先輩。直接会ったのは俺っス」
「あ、あぁ……あぁあぁ、そういえばそうだったような気もする」
「…………。そういえば啓介、六合村たちはどこに――」
「待った」
僕と優志と相原のデルタトークをかましていたせいで存在が薄れていた安藤が異議を唱えた。
疑り深い目線を優志に向けて言う。
「まず、そいつは誰だ」
訝しげな目で見られるのが嫌いな優志は、鋭い目つきで安藤をにらみ返す。
「俺は柊優志。2年Cクラス。それが何だ」
「さっきまでいなかったよな?」
「さっき?」
「ったく……昨日の女子といい、どうしてこう関係ないやつらが校内に残ってんのか…」
「啓介、何かあったのか?」
周りの様子から悟ったのか、優志は小声で僕に訊いた。
「俺が昨日、ここに戻ってきた時も校内で爆発が起こっていたが」
「あー…えと…話すと長くなっちゃうんだけどなー…」
こういう時、説明が得意な水谷がいればよいのだが、今となっては考えるだけで虚しいことだった。
僕が頭の中で必死に要約していると、スッと相原が優志に近づいて口を開いた。
「超簡潔に言うとですね。校内で殺人事件が起こりました」
「……!! 殺人…!?」
「場所は外の渡り廊下付近、殺されたのは3年生の名倉という人です。死因は腹部へ突き刺した包丁による刺殺と思われます。犯人は不明です。ここにいる俺らが、主な事件関係者ですね」
「随分少ないな…」
「当初はもっといたんですけどね。一人は爆発に巻き込まれて死亡、一人は錯乱状態に陥って帰宅、一人は現在行方不明、といったところですか」
「壮絶だな。……そもそも、殺人なんて、警察が動いていないのか?」
「あ、そうそう。警視庁一課の塚本刑事と佐野刑事も関係者といえば関係者ですね。塚本刑事は――…そういえば啓先輩、さっき塚本刑事と電話してましたよね?」
「あ?」
いきなり話を振られた。
「あ、うん。さっき電話で塚本さんと――」
!!!
そうだった!!
こんなことをしている場合じゃない!!
「塚本さんが狙われているかもしれない!!」
「お、ちょっ……待て啓介!!」
僕は走り出した。
「危機一髪でした……」
そう言って、塚本さんは安堵のため息をついていた。
よかった…どうやら大事には至らなかったようだ。
通話を終えたのが十数分前だったから、間に合わなくてもおかしくはなかったが。
「無事ですか塚本さん?」
「はい。…ちょっと、掠めただけで済みました」
掠めた?
よく見ると塚本は首の辺りに手を乗せていた。
「塚本さん、その傷…!」
「心配は無用です。これくらい、長年刑事をやっていれば早々珍しいことでもありませんから」
「でも、一応手当てはした方が」
「そんなことよりも」
塚本さんは丸みのある目を若干細めて僕を見た。
「他の方々はどうしたのですか? あなた、まさか一人で走ってきたのですか」
「あ、……いけね」
背中越しに優志の声は聞こえたけれど、それを振り切って僕は走ったのだった。
車は3台しかなかったからすぐに分かった。車のすぐ横に塚本がうずくまっていたこともある。
「いけね、じゃありません。…この際ですから言わせて頂きますけれども、あなたには危機感というものが根本的に欠如しているのですか? いつ、犯人が襲ってくるか分からないこの状況下で、よくそんな独断専行をやってのけられるものですね」
あんたに言われたくねぇよ。
昨日思いっきり独断専行してやがったじゃねぇか。
「はぁ…すみません、気が動転していたもので」
「私を襲ったのは“この事件”の犯人です」
「そりゃ、そうでしょうねぇ」
「昨日起こった全ての事件の犯人が私を襲いました」
「…何が言いたいんです?」
「私は犯人を見ました。犯人が誰なのか、知っています。やはり、犯人は関係者の中にいました」
次回、完結です。一応。
続きもあるんですが、非日常の方を書き始めた時期から放置中で…(汗)。
あ、優志は“ゆうし”じゃなくて“やさし”ね。今更ルビ振ったけど。