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道具として死ぬはずだった私が、冷酷公爵に拾われました。最高に幸せです

作者: 南雲
掲載日:2026/09/21


 自分の手が、誰かの痛みを取り除けることが嬉しかった。

少女ローズは幼い頃から奇跡の聖女と持て囃され、両親に言われるがまま、連日屋敷を訪れる患者たちの手を握り続けてきた。

 どんな不治の病も、彼女が温かい両手を添えて祈れば綺麗に消え去る。

感謝の言葉を述べ、涙を流す人々を見るたび、ローズの胸はささやかな誇りと光で満たされていた。

けれど、日に日に重くなっていく自分の身体の理由を、ローズはずっと知らなかったのだ。

言葉を交わすだけで息が上がり、指先は常に氷のように冷たい。どれだけ休んでも全身を苛む激しい倦怠感は消えず、肌の血色は日増しに失われていく。

 両親に身体の不調を訴えても、「疲れが出ただけだ」「もっと強く祈りなさい」と一蹴されるばかりだった。


 幼いローズは、自分の体が弱いのは自分が不甲斐ないせいなのだと信じ込み、痛む身体を酷使して患者に手を差し伸べ続けた。

だが、その優しさがすべて裏切られていたと知る日がやってくる。


 激しい雨が屋敷の窓を打ち叩く、暗い夜のことだった。

冷え込む廊下を通りかかったローズの耳に、重厚な木造の扉越しに両親の低く冷酷な会話が飛び込んできた。


「あと三ヶ月か。ちっ…、死ぬ前にもう少し客を集めろ!」

「ええ、あの子の命が削れていようが知ったことじゃないわ。稼げるだけ稼がせないと。いくらでも金を出したいっていう大貴族がまだ山ほどいるんだから」


 扉の隙間から漏れ出る両親の嘲笑混じりの言葉に、ローズはその場にへたり込んだ。

あまりの衝撃に頭が真っ白になり、呼吸の仕方さえ忘れてしまう。

 ローズの持つ病や傷を治す力は、彼女自身の生命力…―すなわち寿命を削って発動するものだった。

幼い頃から続いていた激しい倦怠感も、頻繁に起きる貧血も、すべてローズの命を切り売りしていたせいだった。

 両親はそれを初めから知っていた。知っていながら、愛娘を金儲けの道具として利用し、彼女の命が尽きるその瞬間まで使い潰そうとしていたのだ。

絶望と恐怖で全身の血が引いていく。


 ローズの命があと三ヶ月しかないことも絶望的だったが、何より悲しかったのは、信じて疑わなかった両親の愛がすべて偽りだったことだ。

(私は……誰かのために命を削る道具じゃなかった……。私だって、一人の人間なのに)


 暗闇の廊下で膝を抱え、ローズは静かに涙を流した。

悔しさと虚しさが胸を打ち苦しめる。しかし、悲しみの果てに湧き上がってきたのは、生まれて初めて抱く小さな意地だった。


(最後くらい……誰の道具でもなく、私のために生きたい。綺麗なお洋服を着て、美味しいものを食べて、ただの女の子として死んでいきたい)


 ローズは震える手で自室の箪笥をあさり、僅かな金貨を袋に詰めると、雨の夜の中へと着の身着のまま飛び出した。

両親の叫び声も、豪奢だが血の通わないあの館も、すべてを過去に置き去りにして。


♢♢♢


 だが、既に弱り切っていたローズの身体は、逃亡の過酷さに耐えうるものではなかった。

隣町の暗い路地裏に入ったあたりで、ついに限界を迎える。激しい眩暈とともに膝から崩れ落ち、濡れた石畳に視界が傾いた。

 雨水が冷たく頬を叩き、指先ひとつ動かすことすらできない。


(ああ、私、こんな誰も知らない路地裏で死んでいくのかな……)


 薄れゆく意識の中、ローズは自分の惨めさに目を閉じかけた。

その時だった。


「…おい、大丈夫か」


 頭上から響いたのは、雨音すら切り裂くような、低く澄んだ男の声だった。

ローズが重い瞼をゆっくりと持ち上げると、視界に入ってきたのは、恐ろしいほどに美しい男の姿だった。

 夜の闇に鮮やかに映える金髪、冷たく冴えわたる、深いグレイッシュの瞳がこちらを見ている。

隙なく仕立てられたネイビーの重厚なロングコートを着こなし、首元には銀のピンが光る上品なネクタイがあった。


 男は雨の中でも凛とした気品を漂わせ、白い手袋をはめた細い指先でそっとローズの濡れた肩を支えていた。


「おい、しっかりしろ。こんなところで倒れていては命がないぞ」


 男のグレイッシュな瞳に映っていたのは、哀れみでも、利用してやろうという欲深さでもない。ただ純粋な、困惑と気遣いだった。


「あなたは…―、」

「私はアルフレッド・ヴァルハイトだ」

「…アルフレッド…様、」


 冷酷無比と噂される公爵、アルフレッド・ヴァルハイトだった。ローズですら、名前はきいたことがあった。

ローズは力なく、すっと倒れてしまった。


♢♢♢


 アルフレッドの差し出した大きな馬車に揺られ、ローズが運ばれたのは、街の郊外に静かに佇む広大な公爵邸だった。

 目を覚ましたローズを待っていたのは、煌々と温かい暖炉の火と、手触りの良い清潔なシーツ、そして湯気が立つ温かいスープだった。


「目が覚めたか」


 暖炉の前に佇んでいたアルフレッドが、静かに振り返る。

彼はコートを脱ぎ、白いシャツにチャコールグレーのベストという軽装になっていたが、その立ち姿はどこまでも洗練されていた。


「ここは…、」

「私の屋敷だ。道端で倒れていた君を放置するわけにもいかない」


 ローズは身体を起こし、深く頭を下げた。


「助けていただき、ありがとうございます。申し訳ありません、私はもう身体も動きますので、すぐに立ち去ります」


 素性を明かすわけにはいかなかった。

自分が“特別な力を持つ女”だと知られれば、また利用されるかもしれない。

ローズは怯えを隠しながら身を起こそうとしたが、アルフレッドの手がそれを静かに制した。


「いや、まだ休んでいた方がいい。君の顔色はまだ真っ青だ。それに、私は君の素性を無理に暴くつもりはない」


 アルフレッドは冷徹と恐れられる男だったが、どこか不器用な優しさを漂わせていた。

彼はおそらく、訳ありなのはわかっていたのだろう。深くは聞こうとはしなかった。

 女性が得意ではないと噂される彼は、ローズと絶妙な距離を保ちながら、温かいスープの皿をテーブルに置いた。

アルフレッドはグレイッシュな瞳を少しだけ和ませ、静かに言った。


「身体が良くなるまで、ここに居るといい。誰も急かしてなどない。そのあと、出ていけばいいのだから」


 見返りを求めない優しさ、ただ一人の人間として扱われる温もり…―。

両親から一度も与えられたことのなかったそれを、初めて出会った冷酷な公爵から与えられ、ローズの胸の奥で、温かく何かが解けていく音がした。


 

 公爵邸での生活は、ローズにとってまるで別世界のように穏やかだった。

ふかふかのベッド、温かく栄養のある食事、そして誰からも何ひとつ要求されない時間。 最初の数日は緊張のあまり身を縮めていたローズだったが、使用人たちも公爵の命を受けているためか、ローズの素性を根掘り葉掘り尋ねてくるような真似は一切しなかった。

 アルフレッドは領地の執務で忙しくしていることが多かったが、朝夕の食事の時だけは必ずローズと同じテーブルについた。 彼は無口で、女性とどう接していいか分からないのか、少しだけ不器用な間を置きながらも、常にローズの体調を気遣ってくれた。


「……スープの味は薄くないか」

「はい、とても美味しいです。こんなに温かいお食事をいただいたのは、初めてかもしれません」


 ローズが素直に笑みを浮かべると、アルフレッドはどこか気まずそうに瞳を逸らし、小さな咳払いをした。 そんな彼の様子に、ローズは冷酷無比という噂とはかけ離れた、彼の不器用な誠実さを感じて胸が温かくなるのだった。


♢♢♢


それから数日が経ち、すっかり体調が落ち着いたローズは、意を決してアルフレッドの書斎を訪れた。


「アルフレッド様、命を救っていただいたうえ、これまで温かく接してくださり、本当にありがとうございました。身体も良くなりましたので、本日でお屋敷を出ていこうと思います」


 ローズが深々と頭を下げると、書類に目を通していたアルフレッドの手がぴたりと止まった。

彼はゆっくりとペンを置き、真っ直ぐにローズを見つめた。


「……もう行くのか。どこへ行く当てもないのだろう」

「はい。ですが……ずっと甘えているわけにはいきません。私は私のために、やりたいことを探しに行こうと思います」


 自分に残された寿命は、あと二ヶ月余り。

誰かの道具として死ぬのではなく、一人の女の子として好きなことをして生きるのだと、ローズは改めて心に決めていた。

アルフレッドはしばらく沈黙していたが、ふっと小さく息を吐くと、椅子から立ち上がった。


「ならば、一つ提案がある」

「え……?」

「君が屋敷にいた間、部屋の掃除や庭の手入れをしてくれていただろう。そのお礼をさせてほしい。…街へ出かけよう」

「えっ、アルフレッド様とお出かけですか!?」と目を丸くするローズに、アルフレッドはいつもの素っ気ない態度でコートを手にとった。

「買い出しのついでだよ。嫌なら断っても構わないが」

「嫌なんて、そんな…。ぜひ、ご一緒させてください!」


 こうして、素性を隠した少女と、不器用な公爵の不思議な外出が始まった。

……―

…


 街へ繰り出したその日は、澄み渡るような秋晴れだった。

アルフレッドはいつもの堅苦しい紺色のロングコートを脱ぎ、白いシャツにチャコールグレーのベストを合わせた軽装だった。

 袖を少しだけ捲り上げた彼の立ち姿は、公爵としての威厳を残しつつもどこか親しみやすく、すれ違う町人たちが思わず振り返るほどだ。


「アルフレッド様、あちらに大きな湖があります!」

「ああ。あの湖ではボートに乗ることができる。乗ってみるか?」


 湖畔へ向かった二人は、小さな木造のボートに乗り込んだ。

アルフレッドが慣れた手つきでオールを漕ぐと、ボートは静かに水面をすべり出していく。

涼やかな風がローズの髪を揺らし、水面が太陽の光を受けてキラキラと金色の輝きを放っていた。


「わあ……すごい、こんな風にボートに乗ったのは初めてです!」


 ローズは目を輝かせ、子供のように身を乗り出した。

両親の館にいた頃は、外の景色など窓から眺めることしか許されなかった。

 水の上を風を切って進む感覚があまりにも心地よく、ローズの口からは自然と弾けた笑顔がこぼれ落ちる。

 対面に座るアルフレッドは、そんなローズの無邪気な姿を静かに見つめていた。

普段、公爵家に近づいてくる令嬢たちはみな、計算された仕草で自分に媚びを売り、あるいは公爵家という地位しか見ていなかった。

だが、この少女は違う。


 何ひとつ裏のない、純粋で透き通った瞳で、ただ目の前の世界を心から楽しんでいる。


「…君は、本当に楽しそうに笑うのだな」

「あっ……申し訳ありません、私、はしゃぎすぎてしまいましたか?」

「いや」


アルフレッドはほんのわずかに唇の端を緩め、綺麗な双眸を優しく細めた。


「君の笑顔はとても綺麗だ」


 その不意打ちのような言葉と優しい眼差しに、ローズの胸が大きく跳ね上がった。ドクンと耳奥で鼓動が鳴り響き、顔が一気に熱くなっていくのが分かる。


(私、アルフレッド様に対して、こんな……)


 それが、恋という感情であることに、ローズはまだ気づいていなかった。


 ボートを降りた二人は、賑やかな城下町の市場へと向かった。

立ち並ぶ露店からは香ばしい甘い匂いや、焼き肉の煙が立ち上っている。

 ローズがお腹を鳴らしそうになりながら露店を眺めていると、アルフレッドがすっと足を止め、焼き立ての熱々の果実パイを二人分買い求めた。


「ほら、熱いから気をつけて」

「ありがとうございます!んっ、すごく甘くて美味しいです!」


 パイを頬張り、幸せそうに目を細めるローズにアルフレッドは自分も一口かじり、「確かに、悪くないな」と小さく頷いた。

ふと、ローズが寂しげに遠くを見つめながらポツリと呟いた。


「私…やりたいことがたくさんあったんです。湖でボートに乗ることも、街で美味しいものを食べることも…全部、私の夢でした」

「そうだったのか」

「ええ。だから、あとの残された時間で…やりたいことを全部叶えたいんです」


 『残された時間』という言葉に、アルフレッドは微かな引っかかりを覚えた。

だが、ローズのどこか遠くを見つめる儚げな横顔を見て、深く追及することはできなかった。


「一人で叶えるのは大変だろう」

「え?」

「俺も手伝おう。君の『やりたいこと』を、一緒に叶える」


 アルフレッドは大きな手で、そっとローズの小さな頭に触れた。

不器用で、けれど溢れるほどの温もりが宿った手だった。


「一人より、二人の方が楽しいと思う」

「は…はい。よろしくお願いします、アルフレッド様」


 ローズは溢れ出る涙を誤魔化すように、心からの満面の笑みを返した。

その後も、二人の不思議な逃避行は続いた。

 ある夜は、城下町の広場で打ち上げられた大きな花火を、肩を並べて見上げた。

夜空を赤や金に染め上げる光の輪を見上げながら、ローズはアルフレッドの横顔を盗み見た。花火の光に照らされる彼の美しい横顔を見ているだけで、胸が痛いほど愛おしさで満たされていく。


(神様……もし叶うなら、もう少しだけ、この人と一緒にいさせてください)


 叶うはずのない願いを、ローズは夜空に静かに祈るのだった。

だが、二人の幸せな日々と反比例するように、無情にもローズの生命の灯火は、確実に消えかかっていた。



 秋が深まり、公爵邸の庭園が赤や金色の落葉で彩られる頃、ローズの身体は病に蝕まれていた。

アルフレッドと共に過ごす時間は、ローズの人生で最も温かく眩しいものだった。だが、どれだけ心が幸せで満たされていても、すり減った生命力が戻るわけではない。


 ある朝、朝食の席へ向かおうとしたローズは、廊下の途中で激しい目眩に襲われた。

視界が急激に暗転し、膝から崩れ落ちる。


「…ローズ!」


 倒れかける彼女の身体を寸前で受け止めたのは、通りかかったアルフレッドだった。

ローズの肌は氷のように冷たく、唇からは完全に血色が失われていた。アルフレッドは素手の温もりを与えるように、迷わず白い手袋を脱ぎ捨てると、震える手で彼女の冷え切った頬を包み込んだ。


「おい、しっかりしろ!ローズ、」

「あ……アルフレッド、様……。すみ、ません……少し、目眩が……」


力なく途切れ途切れに呟くローズを抱き上げ、アルフレッドは顔色を変えて叫んだ。


「誰か!すぐに王都で一番の医者を呼んでくれ!急ぐんだ!」


♢♢♢


 公爵邸の寝室には、不穏な静けさが満ちていた。

ベッドで横になるローズが静かな寝息を立て始めたのを確認すると、アルフレッドは部屋を出て、呼び寄せた専属の老医師を別室へと連れ出した。


「どういうことだ。ただの貧血や疲労ではないだろう」


 アルフレッドの瞳には、冷酷なまでの刃のような光が宿っていた。

老医師は公爵の放つ圧倒的な威圧感に汗を滲ませながら、深々と頭を下げた。


「…公爵様。恐れながら、申し上げます。あのお方は、病に侵されているわけではありません」

「何…?」

「あのお方の肉体は、まるで『内側から生命力を根こそぎ吸い上げられた』かのように、極限まで磨耗しております。内臓も、血も、魂の灯火そのものが衰弱しきっているのです。正直に申し上げれば、持ちこたえて『あと一ヶ月』……いえ、いつ息を引き取られてもおかしくありません」

「な……んだと、」


 アルフレッドの頭の中で、何かが激しく弾け飛ぶ音がした。

あと一ヶ月。いつ死んでもおかしくない。 脳裏を駆け巡るのは、出会った日の彼女の青ざめた顔、そして『残された時間でやりたいことを叶えたい』と言っていたあの儚げな微笑みだった。


(彼女は……最初から、自分が死ぬと知っていたというのか)


 激しい衝撃と、胸を抉られるような激痛に顔を歪ませた。

アルフレッドは医師を下がらせると、荒い息を吐きながらローズの寝室へと引き返した。


♢♢♢


 ドアが開く音で、ローズはゆっくりと目を覚ました。

枕元に立っていたのは、見たこともないほど顔を歪ませ、拳を強く握りしめているアルフレッドの姿だった。


「アルフレッド様……?どうなさったのですか、そんな恐ろしいお顔をして……」

「……ローズ。説明してくれ」


 アルフレッドの声は震えていた。

彼はローズの前に膝をつき、彼女の細い手を両手で強く握りしめた。彼の素手が、熱いほどに震えている。


「医師から聞いた。お前の身体は……生命力が尽きかけていると。あと一ヶ月も持たないかもしれないと……なぜだ!?なぜ言わなかったんだ」


 痛切な叫びだった。冷酷無比と呼ばれた男が、初めて感情を剥き出しにして自分に詰め寄っている。 ローズは胸が締め付けられる思いで伏せ目になり、ぽつり、ぽつりと語り始めた。


「ごめんなさい、アルフレッド様…隠すつもりはなかったんです」


 自分が奇跡のような力を持っていたこと、それらはどんな怪我や不治の病も治す能力を持っていたこと。 そして…―その力を使うたび、自分自身の寿命が削られていたという真実を。


「体調がずっと悪かった理由は、両親の会話を聞いて初めて知りました。私の身体は、幼い頃からの行使でもうボロボロだったんです。余命があと三ヶ月だと知った時……私、恐ろしくて、悲しくて……。だから、逃げ出したんです」


 ローズは静かに涙をこぼしながら、アルフレッドの手を握り返した。


「最後くらい、誰かの道具じゃなくて、一人の人間として好きに生きたかった。でも、アルフレッド様に出会えて、一緒にボートに乗って、美味しいものを食べて、花火を見て……私のやりたいことは、もう全部叶いました」

「そんな……そんなことで納得できるわけがないだろう」


 アルフレッドは叫び、ローズを思い切り抱きしめた。

彼の腕が、彼女を二度と手放すまいとするように強く、激しくローズの体を押し抱く。


「俺は……君が大切なんだ」


 アルフレッドの瞳からこぼれ落ちた温かい涙が、ローズの首筋を濡らした。


(アルフレッド様が……私を…大切?)


 胸が痛いほど甘く跳ね上がると同時に、あまりの切なさに涙が止まらなくなる。

そして気づいてしまった。

自分がずっと抱いていた胸の痛みの正体が、彼への愛しさだったのだと、ローズはこの瞬間にようやく悟った。


「私も…アルフレッド様が大切になってしまいました。あぁ、なんで…、」

「治癒の力など、二度と使わないと約束してほしい。頼む…―、あと数か月しか生きられないのであれば、君は一度でも治癒能力を使えばその命は尽きてしまう」

アルフレッドは涙で濡れた顔を上げ、ローズの額に深く口づけを落とした。

「だが…絶対に、死なせはしない。絶対に…―」


♢♢♢


 それからのアルフレッドの行動は、狂気とも言えるものだった。

国中から最高峰の名医、高名な大魔導士、果ては隣国の錬金術師までを公爵邸に呼び寄せ、昼夜を問わずローズの生命力を回復させる術を探させ続けた。

 領地の執務もそっちのけで、彼は古文書を貪り読み、ローズの病室に付き切りで寄り添った。

ローズが少しでも咳き込めば顔色を変えて手を握り、彼女が眠りにつくまで髪を優しく撫で続けた。


「アルフレッド様……もう、十分です。そんなに無理をなさらないでください」

「無理などしていない。お前を失うことに比べれば、この程度の苦痛など何でもない」


 疲れ果てて目の下に隈を作りながらも、アルフレッドは力強く微笑んで見せた。

彼の不器用で、けれど深い情愛に包まれながら、ローズは思った。


(ああ……私はなんて幸せなんだろう。誰かの道具として死んでいくはずだった私が、こんなにも大切にされている)


 二人の絆は、終わりゆく時間の中でどこまでも深く、確かなものへと昇華していた。



冬の足音が聞こえ始めた静かな午後のことだった。


 アルフレッドの必死の捜索にもかかわらず、ローズの生命力を取り戻す方法は見つかっていなかった。

日に日に弱っていくローズを見かねたアルフレッドは、少しでも彼女に温かい陽の光を浴びせようと、彼女を抱えて公爵邸の馬車へと乗せた。


「アルフレッド様……私なら大丈夫ですわ。そんなにご無理なさらないで」

「無理などしていない。ローズに庭園の薔薇ではなく、街の外れに咲く冬の綺麗な花を見せてやりたいんだ」

 アルフレッドは疲弊した顔に優しい笑みを浮かべ、ローズの細く冷たい指先を包み込んだ。

公爵邸の重厚な鉄門を抜け、少し離れた静かな森沿いの馬車道へと差し掛かった、その時…。

不穏な風切り音が響き、馬車の車輪が突如として激しく砕け散った。


「ローズ、伏せろ、」


 馬車が大きく傾き、横転する。

アルフレッドは咄嗟にローズをその腕の中に抱きかかえ、衝撃から彼女の身を庇った。

 対立派閥が放った手練れの刺客たちだった。

厳重な公爵邸の中へ忍び込むことは不可能と踏んだ連中は、アルフレッドがローズを連れて外出するこの一瞬の隙を密かに狙っていたのだ。


「公爵、命をもらう」


 黒装束の男たちが、刃を光らせて横転した馬車を取り囲む。

アルフレッドはローズを破れた馬車の陰にそっと座らせると、自ら前に躍り出て愛剣を抜き放った。

 鋭い鉄の打撃音が周囲に響き渡る。アルフレッドの剣技は圧巻だった。素早く肉薄する刺客たちの攻撃をことごとく捌き、瞬く間に二人を切り伏せる。

だが、刺客たちの狙いは最初からアルフレッドの隙を作ることだった。


「あの女が公爵の弱点か、狙うんだ」


 刺客の一人が、馬車の影でぐったりとしているローズに向けて、毒の塗られた短剣を一直線に投擲した。


「ローズっ…、」


 馬車から離れていたアルフレッドに、剣で叩き落とす余裕はなかった。

彼は躊躇うことなく剣を捨て、ローズの前に身を投げ出した。

鈍い音が響く。


「う…―、」

「アルフレッド様……!」


 刺客の短い刃が、アルフレッドの胸元深くに根元まで突き刺さっていた。

鮮血が、彼の上質な白いシャツを瞬く間に赤く染め上げていく。

 アルフレッドは血を吐きながらも、最後の力を振り絞って刺客の首を切り裂いた。刺客たちがすべて倒れ伏すと同時に、アルフレッドの膝が崩れ、冷たい泥の上へと激しく崩れ落ちた。


「アルフレッド様!アルフレッド様っ!」


 ローズは叫び、なりふり構わず這い寄った。

冷たい地面に広がる血の海の中、倒れたアルフレッドの体を抱き寄せる。彼の胸からはドクドクと大量の血が溢れ出し、刺客の刃に塗られていた黒い猛毒が、瞬く間に彼の顔色を土色へと変えていく。


「は……っ、ぐ……っ、ローズ……逃げ……ろ……」

「嫌です、嫌です、アルフレッド様……っ!」


 息も絶絶え絶えの彼を抱きしめ、ローズはボロボロと涙を溢れさせた。

アルフレッドの胸の傷は深く、毒はすでに心臓へと達しようとしている。街の医師や魔法では、絶対に助からない致命傷だった。


(私が……私が助けなきゃ……!)


 ローズは迷わず、自らの両手をアルフレッドの血濡れた胸元へと添えた。 体内に残された、最後の生命の灯火を練り上げる。


「……やめ、ろ……っ」


 血を吐きながら、アルフレッドが必死にローズの手首を掴んだ。

その瞳には、己の死への恐怖など微塵もなかった。ただ、目の前の少女が自らの命を捨てようとしていることへの、絶望と拒絶だけが宿っていた。


「頼む……使わないでくれ……っ、俺はローズに生きてほしいんだ。好きだから…、だ」

「アルフレッド様……っ」


 突然の愛の告白にローズの胸が締め付けられる。

あぁ、できるならばこの人と一緒に生きていたかった、と。

アルフレッドの瞳から、大粒の涙が零れ落ち、ローズの手に落ちた。

冷酷無比と恐れられた公爵が、一人の少女の命のために、ボロボロになりながら懇願している。

その大きな愛に、ローズの胸は張り裂けんばかりに満たされた。


「……私、ずっと誰かの道具として生きてきました」

ローズはボロボロと涙を流しながら、愛しい彼の濡れた頬にそっと手を重ねた。


「でも、アルフレッド様に出会えて……自分を大切にしてくれる人を知りました。あたたかいスープも、ボートも、パイも、花火も……全部、全部、私に『人間としての幸せ』をくれました」

ローズの手のひらから、淡く美しい黄金色の光が溢れ出し始める。


「やめ……てくれ。頼むから…―、ローズ、君に、生きてほしいんだ」

「はい。私もアルフレッド様が好きです。大好きです。だから…生きてほしいんです」

「ローズっ……、」

「私を人間にしてくれて……愛してくれて、本当に……ありがとうございました」


 ローズが深く祈りを捧げた瞬間、眩いばかりの温かい光がアルフレッドの全身を包み込んだ。

胸の深い刺し傷が、一瞬にして跡形もなく消え去っていく。

 それと引き換えに、ローズの身体から最後の温もりが急速に失われていった。

視界が暗くなっていく。 耳の奥で、元通りに息を吹き返したアルフレッドが、狂ったように自分の名を叫びながら抱きしめてくる感覚が聞こえる。


(ああ……私、誰かの道具じゃなく……大好きな人のために命を使えた……)


 指先から冷たくなりながら、ローズは満足感と溢れる愛しさの中で、静かに、二度と開くことのない瞼を閉じたのだった。


 目が覚めた時、アルフレッドの身体には傷一つ残っていなかった。

致命傷だったはずの刺し傷も、全身を侵していた漆黒の毒も、まるで最初から存在しなかったかのように消え去っている。

だが、彼の腕の中には、ただ、冷たくなった一人の少女が、穏やかに微笑んだまま横たわっていた。

「ローズ…、ローズ……頼む、目を開けてくれ……っ」

いくら呼んでも、返事はない。

どれだけ強く抱きしめ、自分の体温を分け与えようとしても、彼女の冷え切った身体が温まることは二度となかった。

 秋の冷たい風が吹き抜ける森の道端で、痛切な声が響き渡った。

アルフレッドは彼女の身体を強く抱きしめ、二度と戻らない最愛の存在の名を叫び続けながら、ただむせび泣いた。


♢♢♢


 葬儀が終わり、静まり返った公爵邸では、アルフレッドは、かつてローズが使っていた小さな部屋に佇んでいた。

 主を失った室内はどこか寂しげで、彼女が好んでいた柔らかな陽の光だけが静かに差し込んでいる。

彼は彼女が残していった数少ない小さな革の鞄を引き寄せ、そっと中を確かめた。

中に入っていたのは、着の身着のままで逃げてきた時の僅かな金貨と、一冊の小さな使い古された手帳だった。

アルフレッドが震える指先でその手帳を開くと、そこには拙いながらも丁寧な文字で、彼女の『願い』が書き連ねられていた。


『私のやりたいこと』

・綺麗な服を着てみたい

・美味しいものをたくさん食べたい

・湖でボートに乗ってみたい

・夜空に上がる大きな花火を見てみたい

一枚一枚ページをめくるたび、アルフレッドの脳裏にあの愛おしい日々が蘇る。

市場でパイを頬張って幸せそうに目を細めていた顔。

ボートの上で風を受け、子供のように瞳を輝かせていた笑顔。花火を見上げながら、自分を盗み見ていた横顔。

 リストの項目には、彼女の手でひとつひとつ、誇らしげに斜線が引かれていた。

そして、最後のページの終わりに、ぽつりと、新しく書き足された一行があった。


『愛する人とともに過ごす』


 その文字を見た瞬間、アルフレッドの瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。

あの日、残された時間でやりたいことを叶えたいのだと儚げに笑っていた彼女。

自分の道具ではなく一人の人間として生きたかった彼女が、最後に望んだのは、自分と共に生きることだったのだ。

手帳を胸に強く抱きしめ、アルフレッドは声を押し殺して涙を流した。

冷酷無比と恐れられた公爵の涙が、手帳の最後のページを静かに濡らしていく。

彼女が自分にくれたのは、命だけではない。孤独だった彼の人生に、決して消えることのない愛という光だった。


 それから、長い年月が流れた。

公爵邸の広大な庭園には、一年を通して美しい薔薇の花が咲き誇るようになった。

ローズが好きだった、色鮮やかで優しい香りを放つ花々だ。

 公爵であるアルフレッドは、その後も生涯独身を貫いた。

公爵家の存続を危ぶむ声や、数々の貴族から持ち込まれる豪奢な縁談を、彼は冷酷なまでにすべて退け続けた。

 どれほど魅力的な令嬢が目の前に現れようとも、彼の心にはただ一人、あの雨の日に出会った無垢で愛おしい少女しか存在しなかったからだ。


「ローズ。今年も綺麗に咲いたぞ」


 アルフレッドは、指先で、満開の薔薇の花弁にそっと触れた。

彼の目元にはうっすらと年月の皺が刻まれていたが、その美しい双眸は変わらず深く、澄んでいた。

 彼はいまも、彼女が遺してくれた命で公爵としての責務を果たし、領民を守り続けている。

彼女が守ってくれたこの命を最後まで全うすることこそが、自分にできる唯一の愛の証明だと知っているからだ。

 ふと胸のポケットから取り出したのは、今も大切に持ち歩いているあの小さな手帳。

最後のページを開き、彼女の筆跡を優しく指でなぞる。

「ローズ、もう少し待っていてくれ。いずれ、俺もそっちにいくから」

見上げる空は、あの日二人で見上げた花火の夜と同じように、どこまでも高く、澄み渡っていた。

アルフレッドは一輪の薔薇を胸に抱き、二度と色褪せることのない最愛の少女の名を、風の中に静かに紡ぐのだった。



最後までお読みいただきありがとうございました!

本来は長編予定でしたので、いろいろ端折りましたが。。。

ご感想などお待ちしております^^

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