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席替え

作者: 伊渕和人

 四季めぐる日本の学校。その学校の中の教室では和気あいあいとした男女の集団がいくつかある。俗にいうクラスと呼ばれるものだ。

 その集団は学校行事なるもので絆の加速を図り、その反対に絆の崩壊をおこす。実にその姿は滑稽であったと自分自身の体験が記憶している。

 集団対抗で競い合う体育祭や、学校全体が客観的に見てひとつになる学校祭。学年別の旅行だってある。そんな楽しさに包まれた催し物を学校行事と呼ぶ。

 しかし学校行事というものは楽しむためでも本当の絆を築くためでもない。社会集団としての責任の成長、協力することを幼い頃から植え付けるための教育的行動そのものなのだと私は思う。

 しかしながらそこで生徒のほとんどが気持ちを昂らせたり、何かしらの目的を目指して達成感を生み出している。表現するならば大きな期待の塊だろうか。私もその期待を胸に抱いたことがある。そのため否定するようなことは、自分を否定すること同じなのだ。過去の自分への申し訳なさを考えてみるなら、期待感に対して一応肯定とだけ言っていよう。そしてその期待と同じような感情を生活の中の小さいことで生み出すことだってできる。それは例えば教室という箱の中での座席変更。俗に言う席替えだ。

 私は席替えについて考える度にとあるエピソードを思い出し、涙を流してしまうことが少々あった。胸を締め付けてくるような、胸を握られるかのような、心に槍が刺さったようなそんな気持ちの涙だ。


 あれは年が変わった1月の下旬だっただろうか。

 無駄に寒くて天気が崩れやすい時期だと毎年感じる。

 外を見ると、いつもの通り除雪の下手な車道と、歩行者のことをいっさい考えていない氷の上に雪が踏み固められている歩道に腹の奥が煮えくり返るような理不審な苛立ちを憶えた。いっその事全部溶けてなくなって欲しいと常々思う。そんなつまらないことを考えているときに現実に意識を戻すため前をむいた。その光景、目の前には三十数人の同年代の人間が座っていた。そうだ、そういえばちょうど今日、自分が日直であった。今の座席でいえばクラスの中で最後の日直であった。席について普段は何も考えていなかったが、席替え間近になると無駄に情が湧く。不安なのだ。変わってしまうのが。今を失うことが。そう、現在の座席は目の前に、前に付き合って本音を語り合える友達に戻った想い人がいて、その前にはくだらないことを語り合える友人がいる。話せる人が何人もいる。こんなに幸せを感じて、不満のひとつない状況であれば自分であろうと誰であろうと席替えをしたくないのである。しかしこの思いとは裏腹に私は人が集まる今の席が嫌いだった。話すことは好きだが関わるのが嫌い。矛盾。そんな感じだ。授業が終われば一度に五~七人確実に席の周りにいる。安心して読書もできない、自由で不自由な席なのだ。


 前日に雪が降ったせいか余計に滑りやすい歩道に変貌を遂げた下校道は進むとともに学校を遠ざけていった。家が近づいてくる。まだ目に見えないがそんなふうに感じた。

 冷たい。土の混ざった汚い雪解け水の溜まり場に右足がお邪魔した。「お邪魔しました」の挨拶もなしに溜まり場を抜け出して。家へと走っていった。

 靴下を十分に濡らしてついた頃にはもう凍りそうで足が震えていた。

 これ以上のことはもうしないと今年の目標にしたいとまで思う。

 ハッと気がつくと、帰宅して数時間があっという間に過ぎていった。

 豚肉を食べて、光る板を触り、風呂に入った。

 その後のんびりとして気づけば22時、毎日の睡眠の目安時間を迎えた。持病なんて考えなければあと2時間だって起きていたい。でも翌朝に響くように思えたので諦めることにした。最近気づいたことがある。部屋を照らす電灯も夜には寝るようなのだ。魔法のような切り替え式のプラスチック素材を押すと白く光っていた彼が、夜でも昼を演出する彼が、一瞬にして黒に、夜に染まっていく。おやすみの時間を伝えているのだ。そろそろ寝ないといけない。そう思えた。そうして、22時からおよそ30分が経ち、たくさんの複雑な気持ちを抱えたまま布団に包まれながら今日の自分を越えて明日の自分に全てを託し、擬似的な気絶をした。したはずだった。意識はないはずだ。それなのに体は起き、暗い部屋にポツンと1人。聴いていた音楽は止まり、外には犬の声が響いている。あまりにもうるさく鳴くものだから文句のひとつを外に放とうとした。窓を開けると強烈な寒さが我が身を襲う。冬という季節に不適切な半袖であったからだ。目を左右に動かして、小動物を探す。憎らしいほど大きな声で鳴き喚いたあの小動物を。3度4度確認して気がついた。嗚呼、いま君は近くにいないのだと。たかだか1人の空間で寒さと恥ずかしさで赤染めた顔、寝れない焦燥感を抱いたまま布団に包まれることにした。


 手足の寒さに目が覚めた。窓は完全に閉めていたはずなのに部屋が冬特有の冷気でいっぱいであった。このまま布団に籠もっていたい。憂鬱な日々がこれから始まるとなると不満の一つや二つ漏らしても誰にも迷惑はかからない。迷惑なのは自分自身に対してのみなのだ。やっとのことで体を起こす。心を仕舞うただの肉を動かした。指先はまだ反応が鈍く、灯油ストーブに手をかざした。次第に鈍さは消え去り、台所へと脚を運んだ。日本人の食生活に一汁三菜があるとおり、私の朝食は米と味噌汁、漬物に焼き鮭とごくごく一般的だった。しかし現代のこの世界ではきちんとした一般的な朝食は量が多く、時間と手間のかかるものであり…。つまりは主観は一般的でも客観は特別なのだ。朝から焼き魚を食べることは少しずつ遠い存在になっていってるのかもしれない。遠い昔からの外国の文化もひとつまみ。牛の命の液体を体に流し込む。まろやかな甘い風味が口の中を侵略し、一汁三菜のルールを破壊するかのようだった。健康体に生活が送れるのは恵まれた食事を取っているからだと常々思う。生産者、販売者、この大地すらに感謝を申し上げたい。そうこうしているうちに、感情も思考も止めているうちに、時間は止まらず進んでいた。デジタルの時計のコロンの左側の表示が6つの光を4つに減らし、7時を表していた。なんだか時間とはなかなか儚いものだと私の本心が悟った。


 昨日ぶりに愛のひとつも無い学舎に帰ってきた。外が昨日よりも寒かったことで内側から燃えるように、焼けるように体が温まる。1番後ろの角の席とさらばする今日という日。何故か悲しさを感じた。そして悲しさの裏に邪悪と呼べるような、よくない未来も感じた。

 淡々と、授業が過ぎていく。特に印象にも感情的にも影響はなく過ぎていった。

 教室中が騒めきだしてきた。あの席が良いなどの話し声が至る所から聞こえてくる。席替えの時間がついにやってきたらしい。私自身席の場所については特に思うところはなかった。今より悪くならなければそれでよいと。ロクな期待はしない。表面上はそうしたい。でも本当は内心では期待と欲望と少しばかりの不安で満たされていた。

 渋柿みたいな顔をした担任は生徒の放つ方からの提案に耳を傾けない。どんなに不満が放たれようと、口論が生まれようといつもくじ引きを強要する。それほどまでに無駄な時間が嫌いなのだろうか。どうせなら年度末、受験前なんだから自由に決めさせてほしかったと生意気を垂らしたい。

 このクラス内の席替えくじ引きの掟として、廊下側1番前と窓側1番後ろ、端の人がじゃんけんをして順を決める。私はここで勝ったら「後で」というつもりだ。なぜなら席替えを脳汁を製造する賭け事に変化させることが何よりの楽しさだからだ。これら全ては勝てたらの話だ。すなわちこの時間に課せられた問題は勝ちただそれだけなのである。

 握っている拳と力の抜いた指のバランスが崩れ、自分自身でないかのようにして体から距離が離れていく。

「じゃんけん ホイ」の掛け声のあと、相手とほぼ同時に指の開いていない手を出す。決まらないこの時間。互いに、そして教室中に緊張感が駆け巡る。「あいこで ホイ」の掛け声が緊張の隙間を通り過ぎる。互いに2本の指を伸ばした。緊張のせいか、耳の奥から金属音が聞こえる。視界の世界がだんだんに狭まっていく。もう一度「あいこで ホイ」の掛け声で手を開いた。相手はさっきのまま2つ指。現実を受け入れる。そう、負けたんだと。だが勝負事に負けたのにちっとも悔しさを感じなかった。少し大人になった気分である。しかし心がざわめいている。心が嘆いている。最初に引くということ、それは残りの時間ドギマギとした気持ちの悪い気持ちでいないといけないこと。それが自分にとって心から拒絶するほど嫌なのだ。

 担任のいる黒板付近に足を運ぶ。割り箸で作られたくじを見ないで右手で引いた。掴み取った運命の数字は6。見事に現在じゃんけん相手のいる1番前を引いた。場所の結果に不満はないし大丈夫だ、問題はないだろう。そう自分に何度も言い聞かせた。だが不安感が消え去る気配は全くなく、期待感が高まるとともに黒板に段々と男子生徒の名前が張り出されていく。絶句。これ以外の感情はなかった。他人との会話能力が仲間内でしか成立しない自分において、同じ班になる周囲の男子と会話は愚か、目を合わすことすら苦行であった。続いて女子のくじも始まりそして終わった。くじとしても結果としても。悲しいという感情すら前の席に置き去りそして今すぐ消え去りたい。女子も会話のできない人で構成されている。それだけでない、自分を除いた男女は仲が良い。孤独、お荷物、除け者に邪魔者、グループではこんな奴隷かそれ以下の対応を取られるに違いないと妄想を膨らませた。気持ちが落ち着かない、落ち着かせようがないのだ。じゃんけんの時から自分についていた勝利の女神は意地悪をする邪神に変わっていたのだ。否、変わっていた時間は今日の朝目覚めてからだ。違う、元々勝利の女神など自分にはついていなかった。自分はついていなかった。込み上げてくるどこにも逃すことのできない悲しみを、空間への憎しみを、強くなれない自分への怒りをどこに逃せば自分は救われるのだろうか。自己中心的になることは自分自身の生き方に反していると自分が叱る。対抗してしょうがないだろうと保身に走ろうともしている。扉と壁との間から漏れ出す夕日の橙が目に刺さって痛い。今にも涙をこぼしてしまう。当てのない愚痴を、感情までもこぼしてしまいそうであった。拠り所があるならずっとそこにいて安心感を貰いたい。他の人に同情と安心感を本能的に求めたのだろう。今の自分の気持ちに寄り添ってほしかったのだ。伏せようとしていた体を起こし周囲を見渡した。誰もが満足のいっているような笑顔を浮かべていた。憎たらしくてしょうがない。破壊衝動が湧き上がってくる。漏れそうな溜息を我慢し、深呼吸を浅く小さく素早く行った。前のように話しかけてくる人は誰1人いない。そして自分も誰とも喋りたくない気分だ。故に1人。入学当初と同じ。上辺の関係で友達擬を演じている最低なペテン師。そうだ孤独が自分には似合う。孤独が自分の最もセンスの良いファッションだ。

 結局、席替えが終わった後、誰1人として言葉を交わさなかった。一言でも口をひらけば溜め込もうとした、色々な感情の混ざった感情まで相手に吐いてしまう。迷惑になって離れていってしまうなら、抱え込んで自分にぶつけて爆発させて仕舞えば良い。それで万事解決なんだって。

 気づけば下校途中の長い道のりの上を歩いていた。さっきの夕日の光は雨雲に隠されてしまった。いつも変わらないこの帰り道も通らなくなるのだと自分と会話する。そう思うと体は思考を置いていって前に一度使った家までの近道へ誘われたかのように進んでいた。車の通れない一本道。不審者や霊が出てきそうな不安の詰まり溜まった一本道。ここならどんな感情を漏らしたって誰にだって世界にだって気づかれないように感じた。空に吐いた白い溜息がぷかりと浮かび消えっていった。なんとも抱えてる感情の爆弾はちっぽけなんだと教えられている感覚に襲われた。私のかけているメガネの硝子にぽつりぽつりと水滴が増えていく。無意識に流した涙がいつの間にか反転した重力によって引き寄せられているように思えた。涙は自分のものだとは違うとしても今はそう思っていたいのだ。狭い道に空の涙。狭い心に眼の涙。今いるここは今の私なのだ。ここの道にいる間は、この地球の中心は自分なんだ。ならば願いを叶えてくれ。「降れ、もっと降ってくれ、季節が離れてたって構わないから、この晒したくない涙を隠してくれ」と。

 道を抜けるまでに涙が枯れていた。そして沈み切りそうな夕日が一段と輝くまでに時間が進んでいた。


 願いは届かなかった。世界は自分のためだけにないのだ。不条理も乗り越えなければならないのだ、そうやって胸の痛みと共に自分の歴史と新たな世界が刻まれたのだった。

 あの日から変わらない誓いは永遠のものだ。呪いとするか祝福とするかは自分次第、そんな気がする。

 そういえばあの日、つぶやいたセリフは誰のものなのだろうか。

「待とう、星の瞬きを、月光の儚さを、明日の訪れを。たとえ来なくたって。」

伊渕和人です。

「席替え」はいかがだったでしょうか。コメントをいただけるとモチベーションにつながります。

学生時代に誰もが心踊らせた一大イベント「席替え」

好きなあの人と隣になりたい。あわよくば付き合いたい。(そこまではないか)

仲の良い人と同じ班で楽しみたい。後ろの席で居眠りして授業をサボりたいetc…

いろんな願望が混ざるのが席替えだと私は思います。

消えてしまう過去がないように、記憶の中でその時間が永遠のものになるというのはとても言葉では言い表せないような感情を引き出すと私は思いました。

これからの作品もぜひ期待していてください。

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