9.ハーブガーデン
助手になって一ヶ月、魔術塔の地植えのハーブガーデンは順調に育っている。地植えするハーブは、伯爵家と同じように僕が育てやすいハーブやハーブティーに向いている種類にした。
目下の悩みは、温室にどんな種類のハーブを植えるか。地植えのハーブを眺められる場所にテーブルと椅子を並べ、王宮図書館で借りてきたハーブ全集を広げて思案する。
「エリオット、ハーブは決まったか?」
「っ! ジェラール様、お帰りなさい──今日は早かったんですね」
「まあな。夜会翌日の会議なんて話し合いにならないから早々に切り上げた」
「お疲れさまです! ハーブティー淹れるので座ってください」
弾かれたように席を立つ。ジェラール様に座ってもらい、僕はハーブティーを淹れるために魔術工房に向かう。この一カ月、筆頭魔術師であるジェラール様が想像以上に忙しいことがわかった。魔術の研究をしながら様々な会議に出席、訓練や演習、その上王弟として参加を求められる夜会もある。
少しでも疲れをリフレッシュして欲しくて、ペパーミントをたっぷり収穫していた。沸騰したお湯をミントの葉に注ぎ、蓋をして約5分間蒸らした後、葉を取り除き、完全に冷やしておいたものを冷蔵庫から取り出す。氷を入れたグラスにアイスミントティーを注ぎ、レモンとたっぷりのハチミツを加えたものを準備する。
「ジェラール様、暑くなってきたので今日のハーブティーはアイスミントティーにしました」
「ああ、いいな」
季節は初夏。王宮魔術塔の屋上は常に快適な温度に保たれているけど、日差しの角度が春とは異なる。季節を感じる屋上なら季節感のあるハーブアイスティーは目に涼やかでピッタリだと思う。
「ふう──美味いな」
「ふふ、よかったです。昨日は夜会だと伺っていたので、爽やかなペパーミントがいいかなと思って」
「俺を想って淹れてくれたのか?」
「そ、それは……僕の仕事ですから……っ」
急に甘くなる声に頬に熱が帯びるのがわかった。くつくつと喉を鳴らすジェラール様は楽しそう。一ヶ月経っても上手くあしらえない僕の顔は熱を帯びていくだけで。
「エリオットもハーブティーも癒されるな」
「~~っ、もう、揶揄わないでください! ペパーミントのアイスティーは清涼感のある香りだけじゃなくて消化を助け、ストレスを和らげる効果もあるからです!」
「美味いよ、いつもありがとう」
まっすぐに感謝を告げられて、上手く言葉が出てこない。頷くだけの僕を見つめる紫色の瞳は甘くて、二人の間を通り抜ける風がほてった頬に気持ちよかった。
「──エリオット」
ジェラール様の声に視線を動かせば、柔らかく見つめる瞳と見合った。
「温室のハーブはなにを植えるか決めたか?」
「一応、候補はあるのですが……」
「どれで悩んでるんだ? 見せてみろ」
ジェラール様が現れるまで見ていたハーブ図鑑を視線で促されて、開いたままのハーブ全集を差し出す。
「ドラゴンエカイユとドラゴンマント、ドラゴンブレイズか──いいんじゃないか?」
「ほ、本当ですか……っ!?」
ドラゴンエカイユはその葉が鱗のように美しくて幸運をもたらす力がある。ドラゴンマントは清涼な風味からドラゴンが息を吹きかけたミントと呼ばれ、魔物を遠ざける力を持つ。ドラゴンブレイズは、ドラゴンの炎のように燃え立つような赤い花を咲かせ、ハーブティーにすると甘美で虜になる味だという。
どれもドラゴンが住む場所にしか芽吹かない珍しいハーブだけど、初めて知ったときから憧れていた。
「丁度、ドラゴンの討伐依頼が届いていたから採取してくるぞ」
「あ、ありがとうございます……っ!」
「愛しい婚約者のためなら、どこへでも」
「っ!」
不意打ちの甘い言葉にぶわりと頬が茹だる。揶揄うジェラール様をじとりと見上げれば、とろりと甘い瞳に見つめ返されてしまう。
「──今から最短で行けるように討伐日程の調整をしてくる」
「あ……っ」
席を立とうするジェラール様のローブ裾を咄嗟に掴む。掴んでから後悔したけれど、掴んでしまったものはなかったことにはできない。おずおずと窺えば、にこりと笑みを向けられる。
「エリオットどうした?」
「うっ、あの、もう行ってしまうのですか……?」
「寂しいのか?」
「さ、寂しいわけじゃなくて……その、ローマンカモマイルの花も咲きましたし、オレガーノのピンクのつぼみも綺麗ですよ、あと、あとは……」
「俺を案内してくれるのか?」
「は、はいっ! 一緒に見たいです」
ジェラール様の言葉がすごく嬉しくて気持ちが一気に上を向く。単純だと思うけど、自分の好きなものに興味を持ってもらえるのがこんなに嬉しいなんて知らなかった。
「それなら、もう一杯アイスティーを飲んでからゆっくり回ろう? 今度はエリオットも隣に座って一緒に飲んでもらえると嬉しい」
「~~~~っ、用意してきます……っ!」
それから二人で飲んだアイスティーはなぜかとても甘くて、ハーブガーデンの香りはいつもより鮮やかに思えるから不思議だ。この気持ちに名前をつけるなら、きっと──。