3.王宮魔術塔
助手として迎えた初日。
僕が働きにいくと喜ぶ母上の姿を前にしたら、気になる魔王の質問もできずに助手を引き受けていた。支給された王宮魔術塔の制服である濃紺のローブを身に纏う。兄上は王宮魔術師のみに着用を許された漆黒のローブを身につけている。
不安を抱えた僕と兄上を乗せて、馬車は王宮魔術塔へ走り出した──。
「わあ……っ」
波のようにうねったガラスの外観が目を引く王宮魔術塔のエントランスを入り、感嘆の息を漏らす。天井まで開放的な吹き抜けになっており、壁一面のガラスから柔らかな光が魔術塔の中に降り注いでいた。
兄上の後ろをついていけば、外からの光や木々の緑を感じる。
「魔術師は夢中になると篭りがちだからね。少しでも自然を感じる造りになっているんだよ」
「そうなんですね! とても明るくて驚きました」
「エリーは魔術塔のカフェや図書館も気にいると思う。今度ゆっくり案内するから楽しみにしてて」
「はいっ! 兄上、ありがとうございます」
話している間に到着していたらしい。兄上が扉の前で足を止め、入室。僕も兄上に続き部屋へ足を踏み入れた途端、目の前に広がる光景に肌が粟立った。
「…………ひっ」
あまりの汚さに小さな悲鳴をあげてしまう。
床に書物や資料が大量に落ちていて、足の踏み場もない。いや、正確にいえば獣道みたいな道ができているので、なにも踏まずに奥まで進むことはできそうだった。
「あ、あ、兄上……な、なんですか……この汚さは。僕、兄上のこと見損ないました……っ」
「待ってエリー、誤解だよ。ここは、わたしの部屋じゃないからね」
物に溢れた床から目を離し、兄上をじとりと見つめれば慌てたように首を横に振って否定する。その様子を見て、僕が助手をする人の部屋なのだと察した。嘘だといってほしいけど。
「どなたのお部屋なのでしょうか……?」
「エリーに助手をしてもらう筆頭魔術師のジェラール筆頭の部屋だよ」
「……へ? えっ、あの歴代最高と呼ばれる筆頭魔術師であり、王弟殿下のジェラール様ですか?!」
「うん、そのジェラール様だね。あれ、言ってなかった?」
「い、い、言ってません~~っ!」
聞かなかった僕も悪いけど、突然告げた兄上の畏れ多すぎる事実に驚いて首を横に大きくぶんぶん振ってしまう。
「む、無理です! 僕に魔力がないのを兄上だってご存知でしょう? 僕が筆頭魔術師のジェラール様の助手なんて務まるわけありません……っ」
兄上が眼鏡のブリッジを人差し指で直すと、涼やかな碧眼で僕を見つめてにこりと微笑む。
「大丈夫だよ。エリーに頼みたいのはジェラール筆頭の部屋を片付けだからね」
「えっ、兄上が魔術で片付ければいいのでは?」
「魔術で片付けていいなら、とっくにやっているよ」
「……? どうしてダメなのですか?」
魔術を得意とする兄上は自室の本すら風の魔術を使って呼びよせる。魔術を使えるのは便利だなあと感心すると同時に横着だなあ思っていた。いつものように魔術を使わない兄上が不思議で首を傾げてしまう。
「ジェラール筆頭の部屋は、本人以外が魔術を使えない制約魔術がかかってるんだよ……」
眉尻を下げて悲壮感を漂わせる兄上がため息を大きくつくと、そのまま話を続ける。
「魔術を使うと魔力痕跡が発生するんだ。魔力痕跡は術者の力量で減らすのは可能でも、ゼロにすることはできない」
「そうなのですね」
「そうなんだ。そして魔力痕跡を察知する能力も術者の力量で変わってくる──歴代最高のジェラール筆頭は、他者の魔力痕跡に敏感でね。自室に他人の魔力痕跡があるのがお嫌いなんだよ」
「……はあ。それならジェラール様が片付けの魔術を使えばいいと思いますけど……」
魔力のない僕には魔力痕跡はまったくわからないから、兄上の言葉に曖昧に頷く。
「進言したけど、ジェラール筆頭は部屋が散らかっていても気にならないらしくて……。気になるなら魔術を使わないで片付ければいいと言われてしまったよ」
「うわあ……っ、兄上には無理ですね!」
「そうなんだよ……」
本一冊すら魔術で動かす兄上が掃除をするなんて想像もつかないし絶対無理だと思い、思わず大きな声をあげてしまった。
「あれ? でも兄上でなくてもメイドに頼めばいいのではないですか?」
「ジェラール筆頭は女性嫌いなんだ……」
「はあ……。それなら男性の使用人でもいいのでは?」
「提案したら、信用のできない者を部屋に入れるのは嫌だとおっしゃってね──そうしたら突然、エリーがぴったりだと閃いたんだよ」
兄上は言葉を切って期待を込めて僕を見つめる。
「…………なるほど」
王宮魔術師の兄上の弟である僕は条件にぴったりに違いない。はっきりした身元、掃除は好きだし、間違っても魔術を使う心配はないのだから。ゆっくり部屋を見渡してから一度息を吐いて兄上を見る。
「……分かりました兄上、任せてください。僕は早速、部屋の片付けに取り掛かります」
「やっぱりエリーは頼りになるね。ジェラール筆頭は会議に出席してるから戻ってきたら紹介するよ」
「わかりました。戻る前までに片付けを進めますね」
「本当に助かるよ。質問があれば、隣の部屋にいるからおいで」
晴々とした笑顔を浮かべ、ひらひらと手を振って出ていく兄上を見送った。きっと兄上の目のクマはよくなるだろう。
僕はローブの袖をまくる。婚約を解消されて以来、伸ばしっぱなしになっている金髪を結ぶ。
「よしっ、やるぞ!」
僕は、両手でパチン、と頬を叩いて気合いを入れた──。












