12.再会
騎士団の資料庫はすぐわかるだろうと思っていたのに甘かった。
演習場や訓練場がある騎士団のエリアは想像以上に広くて迷子になっている。案内図で確認すれば目的の騎士団塔と反対に位置する演習場に辿り着いていた。
普段あまり運動をしない僕は息が上がっている。丁度見つけたベンチに座って、空を仰ぐ。快晴だった空はいつの間にか雲が立つように上に伸びている。夕立ちがくるかもしれない。本は魔術塔に戻って再手配したほうがよさそう。
「──エリオットじゃない?」
「エリオット……?」
懐かしい声──といってもあまり聞きたくなかった声が耳朶に触れた。曇天の空から視線を向ければ、想像した通りにアンナとスティーブ。
練習着を着た二人を見て、騎士団の演習場の近くだったことを思い出す。僕のことなんてスルーして欲しかったのに、僕がベンチでモタモタしている間に二人がやってきて見下ろされていた。
久しぶりに見た二人はどこかくたびれて見える。訓練の後だからだと思うけど──それでも一瞬、僕のハーブティーと刺繍がなくなったらかもと思ってしまった。僕の一番柔らかな部分が二人を目の前にすると、じくじく黒く染まっていくような感覚に襲われる。やっぱり会いたくなんてなかった。会わなければ醜い感情が沸きださなかったのに。
今すぐ逃げたいのに、ベンチに張りつけられたみたいに動けなかった。
「へえ、噂に聞いていたけど、本当に王宮魔術師の助手になったのね」
「ハワード伯爵家のコネがあれば魔力がなくても助手になれるんだな、いいよな」
「ねえ、これってジェラール様の助手ってこと?」
「うっわ! ハワード伯爵家の次男なら魔力なしでも筆頭魔術師の助手になれるんだな」
「っ、…………」
どれも本当のことだから何も言い返せない。視線が左右を彷徨って、ただギュッと唇を結ぶ。僕の怯えた様子を見たアンナの口角がニンマリと上がる──アンナの表情を見て、嫌な予感しかしない。
「ねえ。エリオット、あの貧乏くさいお茶をまた飲んであげてもいいわよ」
「ああ、それいいな。オレも飲んでやるぜ」
「っ……!」
あまりに驚いて首を横にぶんぶん振った。きっと婚約中の僕だったら嬉しくて、すぐにお茶の準備をしていたと思うけど、もう僕は婚約者じゃない。
「い、いやです……っ! 僕のハーブティーは、僕を大切に思ってくれる人に淹れたいです……っ。二人にはもう淹れたくありません」
震える声で二人を見上げて答えれば、冷ややかな瞳に射抜かれた。
「はああ? エリオットの癖に生意気なこと言ってるんじゃないわよ!」
「エリオットは、黙ってオレたちのいうことを聞けばいいんだ!」
「スティーブの言うとおりよ」
怒気を孕む声に肩が跳ねる。二人の威圧に情けないくらい身体がぷるぷると震えてしまう。
「なあエミリー、エリオットに襲われたことにしないか?」
「──なっ!?」
いいことを思いついたとばかりにスティーブがエミリーに話し出す。驚いて意味のある言葉を紡げない。
「婚約破棄されても諦めきれずにいたこいつが、人気のないところで元婚約者を襲ったとなれば……助手なんて続けられるわけないよなあ?」
「ふふっ、スティーブったら最高! 私たちが騎士団で苦労してるっていうのに、エリオットだけ楽して助手をやっているなんてズルいものね」
「ああ、魔力なしの癖にな……!」
僕の頭上で会話が進む。逃げなくちゃと思うのに、意気地なしの僕の足は力が入らないまま。「あっ」とアンナが声を上げたのを期待を込めて見つめる。
「まさかと思うけど──ジェラール様とそうゆう関係なの?」
「っ!」
僕はこれでもかと目を見開き、スティーブが吹き出した。
「おいおい、アンナ! 流石にそれはないだろうよ」
「…………」
ぶわりと身体中を熱が駆けめぐる。ジェラール様への想いが一瞬で溢れてしまう。
「ひゅぅ──マジかよ」
「へえ、ジェラール様ってどんな美女が誘っても落ちないって有名だけど男性が好きだったのね。ふふっ、でも、どうして魔力のない落ちこぼれのエリオットが筆頭魔術師の助手になれたかわかったわ。なーんだ、色仕掛けだったのね──?」
にんまり笑う二人に熱を持った頬から血の気が引いた。そんな僕を嘲笑うように二人の言葉は次々にエスカレートしていく。
「なあ、男が好きだったなら、やっぱりエリオットはオレが好きだったんだろう? オレと結ばれないからってジェラール王弟殿下に身売りするなんて悪かったな」
「っ、……ぅ」
違うと声を上げたはずなのに、口から溢れたのは意味を持たない掠れた息だけで、目の前の景色が滲んでいく。
「エリオット泣くなって。お前の気持ちをわかってやれなくて悪かったな」
違う、違うのに──!
悔しくて情けなくて、それなのに声すら出せない僕はただ首を横に振るしかできない。
「ねえエリオット、そんなにスティーブが好きなら今からでもスティーブの愛人にしてあげてもいいのよ?」
「おいおいアンナ、本気かよ?!」
「愛人なんて貴族の嗜みでしょう? エリオットなら子どもも生まれないし問題ないわ──それよりエリオットのお茶を飲まないと調子が出ないってスティーブも気づいてるでしょう?」
「ああ、それな! なんかわかんないけど、エリオットのお茶を飲んだあとは頭も身体もスッキリして実力が出せてた──男好きの王弟殿下に穢されたなんて気にしなくていいから安心しろよ。オレが上書きしてやるから」
ジェラール様を侮辱する身体が怒りで震える。ドクドクと心臓の音が聞こえるくらい全身に血がめぐっていく──。
「……っ、違う! ジェラール様を悪く言うな! そ、それに、僕のハーブティーを二人に淹れるなんて絶対しないから……っ!」
ジェラール様を悪く言うのが許せなくて、自分でも驚くくらいの大きな声が出た。
「おいおい、強がりはよせよ?」
「つ、強がりなんかじゃない! 二人のことはもう好きじゃない……っ!」
「エリオットの癖に生意気! 私たちの言うことを聞いておけばいいって言ってるの──!」
「っ……!」
怒りで顔を紅潮させたアンナの腕が高く上がり、勢いよく僕の顔めがけて下される。咄嗟に目を瞑り、腕を顔の前に出して衝撃に備えた途端、目の前が強烈に光った──。