ルーティン
(・・・・・・嫌な夢を見たな)
夢の中の一蘭は常に自分のことばかりを考えていた
自分の姿が鏡やガラスに写るとチラチラ見て髪の毛を弄っていた
周りには沢山の女の子がいて、その日その時の気分で傷つけていた
嫌いな事を避けて得意な事だけやる、これを努力と呼んでいた・・・・・・
(まあいいと思うよ・・・・・・その程度で満足してればいいさ)
一蘭は夢の中の一蘭にそんな言葉を送った
周りは寝ている、しかし自分は眠気を払って起き上がる。一蘭はこの瞬間が大好きだった。夢の中の一蘭も現実の一蘭も本質は変わらない、ナルシストなのだ。しかし、現実の一蘭は自分が低レベルだと思っている事で褒められるのを良しとしない。自分が満足している結果、それが誰が見ても凄いもので周りから賞賛される。これが一蘭の思い描く最高のシチュエーションだ
故に一蘭は最速であり、最強であり、賢くある為に努力を望んでいる。鍛え上げられた能力がいつか発揮され、人々から喝采を浴びる事を信念としている。与えられた機会で最高のパフォーマンスを発揮できないのは努力不足、それしかない
“ちやほやされたい”
邪? 努力は自分のためにやるもの?
(別に褒められるために努力したっていいじゃん)
一蘭は軽く背伸びをして机に向かう。昨日学んだ事をできる限り思い出しては書き殴っていた。書き殴ると言っても筆圧は薄い。文字も読めたものではない。このやり方はアウトプットができれば何だっていい。昨日勉強に使った裏紙の更に余った空白部分、要らないチラシの裏に書く、書く、書く、書く・・・・・・手が止まった
(集中切れた)
一蘭はまた背伸びをして今度は柔軟体操を始めた
(筋肉や技術はまだ早い。まずは体作りから)
頭を起こした一蘭は、今度は体を起こしていく。人智を超えた空間認識能力で重心と体幹を完全にコントロールできる一蘭の柔軟体操は、神秘的だ
(競争して圧倒する。人を見下すためではないが、現代社会でオンリーワンなんて甘い言い訳でしかない)
柔軟体操を終えた一蘭は、再び勉強机に向かった。タブレットに入っている英単語を眺める。50ページ眺め終わったらタブレットを(優しく)ベットに放り投げて、昨日解き終わらなかった化学の問題に移った
・・・・・・
「ダメだ! 解けねー」
起床直後は静かに心の中だけで考えていた一蘭も、だんだんと元気が湧いてきて感情が言葉として出てきた
「あーまだまだだなぁ。モチベ下がってだるくなってきたし、一旦化学辞めるか」
そう言った一蘭は、化学の参考書に栞を挟んで(優しく)ベットに放り投げた
これが一蘭の勉強方法である。一蘭は、解いた参考書を放り投げる事によって頭を切り替えている。更に・・・・・・
一蘭は化学を解く前に眺めた英単語をp.50→p.1→p.49→p.2→p48・・・・・・と、後ろからのページと前からのページ両方から挟むように思い出していた
放り投げて手元に置かない事によって、答えをチラ見することがなくなる。分かったつもりになる事がなくなる上に、何とか思い出せないかと頭を使う時の焦燥感が記憶の定着を更に助けてくれる
「ヨシ! 次は・・・・・・」
50ページ分の英単語を漏れなく書き出せた一蘭は、次にやる教材を選んでいた
一蘭はここ数年毎朝この習慣を続けている




