聖女は全てを浄化し、魔王の横で笑う
聖なる乙女は国を浄化する。
しかれども、人が浄化されないと誰が決めたのか。
◆
天上から光が降り注いでくる。
それが私の聖女としての人生の始まりの記憶だった。
シャーロット・フレイ。
フレイ伯爵家の長女であり、神より祝福された聖女でもある。
それが私だ。
この国ウェルギル王国は大陸の四分の三を占める広大な領地を有する大国で、フレイ伯爵家はその中でも中堅に位置する程度の貴族だった。
主に武力や魔術によって功績を積み重ねてきた家であり、だからこそ、貴族が五歳になった時に神殿で行われる《祝福の儀式》は、何よりも重要だった。
人は、そこで特別な力を賜るからだ。
例えば、フレイ伯爵家の初代は、強力な魔術師としての才能をそこで受け取ったと言うし、ウェルギルの初代国王などは、聖なる武具と大陸を統一する運命をもらったと言われる。
もちろん、滅多にあることではなく、今ではほとんど形骸化した儀式ではあるのだが、数十年に一度、特別な才能を授かる者が実際にいることもあり、これを行わない、と言う選択肢は貴族には存在しなかった。
平民であれば、余程教会に大金を寄進できる資産家に限られるが、それでも貴族になれる可能性を夢見て子供に儀式を受けさせることも珍しくない。
ただ、滅多に祝福を授かることなどない、というのはやはり事実であるから、私もそんな祝福などもらえることはないだろう、と思っていた。
五歳の頃だったから、憧れはあった。
聖剣や、勇者になれる運命、大魔導師になれる才能や、未来を見通す目……。
絵本に出てくるそんな才能を自分が手にできるかも、というのは、子供ならば一度くらいは夢見ることだろう。
私もその例に漏れなかった。
ただ、そんな夢は叶う事なく終わる。
それが普通だ。
だから私の時もそうなるはずだった。
そうなるべきだったのだ。
今ならそう思う。
けれども実際には……。
祝福は、与えられた。
私に。
このシャーロットに、《聖女》としての祝福が。
その時の私は、聖堂の天井から降り注ぐ、神々しい光に美しさと感動を覚えていたが、のちに知ったのは、それが呪いと縛鎖でしかない、という事実だった。
◆
《聖女》の才能というのは極めて特殊なものだ。
他の才能とは異なり、基本的に国のために一生を捧げることを求められるものだからだ。
どんな貴族家にその才能が授けられようとも、《聖女》は即座に教会に保護され、そしてその能力を国のために使うための修行が開始される。
私もその例に漏れず、五歳にして親元から離され、そして十年間、厳しい修行を積んだ。
それだけならまだいい。
そのあとは、国全体に魔物や魔族の侵入を阻み、発生を押さえ、また消滅させるための大結界を張ることを求められた。
祝福の力というのは凄いもので、それに加えて厳しい修行を重ねた私は、確かにその結界を張ることが出来た。
ただ、その維持のためには、常に寿命を削るほどの力を注ぐ必要があった。
その日から、私の人生に安らぎの文字は無くなってしまった。
また、教会の抱える重要な《聖女》であるからと、私は国全体に結界を張るという苦行を起きている時も眠っている間もずっとし続けながら、教会から与えられる更なる仕事もこなすと言う、尋常ではない生活をする羽目になった。
その中には教会に寄進する貴族たちとの交流もあったし、王家を守護・祝福するためには学も必要だと言って学園へ通うことも求められた。
学園……通うこともまた仕事とはいえ、ここでの生活は最終的には苦痛に塗れたものになった。
ただ授業を受けるだけならよかった。
私はここで、自分がいかに今まで偏った教育と思想を植え付けられてきたかを知ったからだ。
私は教会、ひいては国のためにその人生の全てを捧げることが当たり前だと言われて育ってきたが、学園の人間のほとんどは、自分のために生きることをよしとしていた。
もちろん、家のため、家族のためということを目標に掲げている人間も大勢いたが、それは最終的には自分がそうしたいからだ、と言う信念に基づいていた。
これは私にとって驚きだった。
自分がそうしたいからそうする。
そんなことは考えてもみなかったことだからだ。
《聖女》に選ばれた自分には、《聖女》として生きる以外のことができるとは思っていなかったからだ。
けれど、どうやらそれは違うらしい。
人は誰でも、自分の生き方を選べるらしい。
立場や境遇など、環境によって規定されるところはあるにしても、したいようにしていい。
そうする人間が確かにいる。
このことは、私の考えに大きな影響を与えた。
そういうこともあり、私は、初期の方は学園での生活が少しずつ楽しくなっていった。
けれども、そんな私の生活に異物が侵入し始める。
学園での生活は全工程で三年ほどなのだが、一年目が終わり、二年生になったあたりで、一つ下の学年にウェルギルの第一王子が入学してきたからだ。
当時、私は学園内で生活する中で、無用な軋轢を生まないように《聖女》の祝福のことは公表していなかった。
しかし彼は王家の人間として、私の受けた祝福を知っており、ことあるごとに近づいてきた。
初めのうちは鬱陶しかったが、彼の明るい性格、めげない態度に徐々に好感を持ち始めたことは否めない。
会って一年も経った頃、彼から求められて、私は彼と交際することになった。
《聖女》の男女関係について、教会は特に問題視しなかった。
むしろ、王子との関わりは、教会と王家との関係を強めると考えたようで、むしろ積極的に応援してくれたくらいである。
話はとんとん拍子に進み、婚約までなされることになった。
こうして私は、自分の意思で、何かを選び取り、そして幸福になれる……学園で誰もが進んでいるような、そんな道筋を自分も歩けるのかもしれない。
そんな気がし始めていた。
けれど、そんな日々は長く続かなかった。
ある日、二つ下の学年に転入生が入ってきたのだ。
この学園では滅多にそのようなことはない。
ただ特殊な事情がある場合、あり得ないわけではなく、まさにその転入生には一風変わった事情があった。
曰く、元々は平民だったのだが、実はさる公爵家の令嬢であることが最近明らかになったのだという。
そもそもは、公爵家の前妻と後妻との間の確執が原因で、前妻のお腹に子供がいることを誰も知らないまま、後妻の手回しによって公爵家を放逐されてしまったという事情があった。
前妻はすでに亡くなっていて、このご令嬢は自分が公爵家の令嬢だとは知らなかったが、特徴的な髪と瞳の色とによってその出自が明らかになり、最終的には公爵家に引き取られることになって、血筋についてもしっかり確かめられたらしい。
だからだろう。
彼女は学園に入った当初から、その振る舞いは平民らしかった。
それが悪い、と言うわけではない。
誰とでも気兼ねなく話す上、公爵家の血筋ゆえの強大な魔力、それに勤勉な性格は多くの人の好感を買った。
少なくとも、初めのうちは。
しかし徐々に彼女の本性が明らかになっていく。
彼女はぱっと見、誰とでも気さくに話すのだが、よくよく観察してみると、自分の利益になるような者との会話に割く時間が多い。
それ以外の者との会話は可能な限り早く切ろうとし、また距離感も遠いのだ。
反対に自分の利益になる者に対しては、はしたないほどに距離が近い。
態度もまるで媚びているようで……。
彼女の評判が徐々に落ちていくのは当然の話だった。
しかし、それでも私にとってはさほど関係ないことだ、と思っていた。
彼女がどういう風に生きようと、私からは遠い人物だから、と。
けれど、徐々に彼女は私の交友関係にも干渉を始めた。
私には友人と呼べる者が何人かいた。
一人は、教会にいた頃からの付き合いのある、同い年の神官だ。
将来は大神官になることが期待されていて、学問や魔術などを学ぶため、そして私の護衛も兼ねて学園に共に入った。
彼とは付き合いが長く、だからこそ、共に信頼するものがあった。
それなのに……あの公爵家のご令嬢はどうやってか彼に取り入り、そして私に対する疑念を植え付けることに成功したようだった。
神官の彼は、私の勤めについて常々、
「聖女の仕事はとても大変だけど、この国のために必要なことだ。君がこの国を守る限り、僕も君を守りたい。それが、僕が大神官を目指す理由だ」
と言っていたのに、いつの間にか、
「……聖女などいなくても、教会が盤石であれば結界は維持できるはずだ。それなのにどうして君など……」
などと言うようになっていた。
別に私は、私がいらないと言うのならそれはそれで構わない。
けれど、求めたのは教会ではないか。
それなのに……私がまるで悪いかのように見つめるその瞳に、私はもはや彼を信じることが出来なくなった。
そして彼を皮切りに、このようなことが、私の周囲でよく起こるようになったのだ。
私の立場を知った後も変わらず付き合ってくれた親友だったはずの少女、私のことを目の敵にしつつも、聖女としての役割については認めてくれていた第二王女、私の武術の腕を褒めてくれた騎士団長を目指す少年、結界の維持に役立つからと様々な魔術を一緒に探してくれた大図書館の主、隣国から留学しているという、一風変わった雰囲気を持った少年など……。
様々な立場、年齢の、しかし私と関わりがあるという共通点を持つ彼らが変節していった。
彼らは口々に言った。
「聖女など、この国に必要だろうか?」
いらない、とははっきり言わずに、質問の形で言われることが辛かった。
そんなこと、私は知らない。
いらないならいらないとはっきり言って。
そう思った。
しかし、それでも、彼は。
彼だけはそうではないと信じていた。
それなのに……私の恋人であったはずの、この国の王子は言ったのだ。
「……君との婚約は破棄する」
と。
後ろには、あの令嬢がくつくつと笑っていた。
論われる、私には全く身に覚えのない罪。
周囲に対して傲慢に振る舞っていたとか、誰かを魔術や武術で傷つけたとか、令嬢を階段から落としたとか……。
笑ってしまったのは、そのいずれにも証拠がしっかりと残っており、私には反論しようもなかったことだろう。
婚約は破棄され、そして私は牢獄に入れられた。
《聖女》であるから、処刑してはこの国がまずい、という意見もあったようだが、この国の人間の多くが「聖女がいなくてもなんとかなる」という価値観にいつの間にか染まっていたようで、私の処刑も程なく決まった。
ひどい。
とてつもなくひどい話だと思った。
だけど、私はそれでも結界を張り続けていた。
食事も大して与えられず、水すらもらえず……あぁ、もう死ぬのか。
そう思うところまで。
そして、そこに至って、なぜか私は猛烈に腹が立ってきた。
なぜ、私が、死ななければ、ならない?
そう思った。
そもそも、私の何が悪かったと言うのか。
私は聖女などやりたくてやったわけではないのに。
それでもすべきことは言われた通り全部やったし、努力だってした。
その上で、少しばかりの幸せをつかもうとしただけではないか。
それなのにこの仕打ちか?
……バカらしい。
実にバカらしい。
そう思って、私は笑った。
上げた哄笑は、看守から見ると気が狂ったように見えたらしい。
酷く怯えた表情で見られて、それがなおのことおかしかった。
数時間笑い続けて、体に力が入らなくなった頃。
『……お前は、《聖女》か?』
そんな声がふと耳元に響いた。
周囲を見るが、特に何もいなかった。
だが、確かに声は聞こえたので、私は小声で答えた。
「一応、そうだけど。あなたは何? 悪魔か何か?」
『ふはは。それは間違いではないかもしれないな。私は……お前たちが《魔王》と呼ぶ存在だ』
「《魔王》……あぁ、魔国の方ね」
《魔王》、それはこの大陸のうち、ウェルギルの領土に入っていない四分の一を治める国である魔国の国王のことだった。
主な人種は魔人であり、魔物と同じように扱われているがゆえに、国としてもウェルギルは認めていない。
『驚かないのだな? 聖女が、魔王に話しかけられて』
「そりゃあね。私、今牢獄だし、これから処刑される予定だし……もう結界も維持するのやめようかなってところだもの」
『何……? 神託は正しかったか。ふむ、そう言うことなら、聖女よ。お前、魔国に来ないか?』
「何を言ってるの……この国に未練なんてもうないから、行けるなら行きたいけれど、さっきも言ったように、私は今、牢獄なのよ?」
『それはなんとでもなる。要は、お前の意思次第だ』
力強い言葉に、私は思った。
本当なら、これほどありがたい話はない。
ただ、信じて裏切られた日々が、決断を難しくしていた。
だからかもしれない。
私は《声》に言っていた。
「……条件があるわ」
『条件? 牢獄に閉じ込められていて、そんなことを言える立場か?』
「別に聞きたくないならそれでいいわよ。ここでのたれ死ぬから。でもそうすると、次の聖女がすぐに現れるわ」
魔国にとって、それはありがたくないはずだと思ってのセリフだった。
幸い、図星のようで、少しばかり苦々しく、《声》は言った。
『言ってみろ』
「この国を、ウェルギルを、滅ぼさせて」
『は?』
「魔国に行くから、私にウェルギルを滅ぼさせて」
『……クックック。聞き間違いかと思ったが、面白いことを言う。……ふむ、いいだろう。では、約束しよう。魔国は《聖女》に、ウェルギルを滅ぼすために手を貸すと。それでいいな?』
「ええ、じゃあ契約は成立。でもどうやって牢獄から……?」
私が首を傾げた瞬間、足元に一瞬で細かな魔法陣が出現する。
『……《召喚》』
《声》がそう言うと同時に、周囲が真っ白に染まり……そして、私の姿はその場から消滅したのだった。
◆
その後、私がいなくなったことでウェルギルの大結界は当然のごとく消滅した。
王子や他の人々は、私がいなくても維持できると考えていたようで、そのための準備もしっかりとしていたようだが、それでもったのは数日で、その後はどうやっても張り直すことすらも出来なくなった。
その結果何が起こったかといえば、魔物の発生率が数十倍に伸び、また発生した魔物の強さも数倍から数十倍になってしまった。
また、結界は外国の侵入も阻んでいたのだが、結界が消滅したおかげで魔国はウェルギルに侵攻することが可能になった。
ただ、私はてっきり、魔国領土はこの大陸の四分の一しかなく、だとすれば国力の差で敗北も必至だろう、と思っていたのだが、実際は全然違っていた。
私が《魔王》の元に召喚され、話して明らかになったのは、ウェルギルと魔国がある大陸はこの世界にある大陸のうちでも最も小さく、この大陸の四分の一というのは魔国本国の二十分の一程度でしかないという事実だ。
それでもウェルギルが攻められなかったのは大結界があるからで、それをどうするかが問題だったのだが……。
「お前が来てくれて全て解決した」
《魔王》がその端正な顔を歪ませ、私に笑いかける。
彼は勇ましい鎧を纏っており、私も同じような格好をしている。
いる場所は、ウェルギル王国王都にある王宮である。
もちろん、《魔王》と共にここに戻ってきたのだ。
ウェルギルはそのほとんどの領土を魔国に奪われ、残っているのは邪神信仰をしていた教会と王族だけだ。
王子はあの令嬢とすでに逃走済みだが……。
「全て《浄化》していいのよね?」
「あぁ。ウェルギルにあるお前の気に入らないものは全て、自由にするといい。それが契約だ」
「では、早速……」
私が祈ると、祝福の力がこの身に満ち、そして外へと広がっていく。
光が国全体を包んで行った。
私は《魔王》と出会い、そして全てを知った。
ウェルギルは邪神信仰を行う世界的に危険な国家であると言うこと。
私に与えられた《聖女》の力は、その邪神由来のもので、したがって通常の意味での《浄化》ではなく、自分が嫌な物を全て拒絶する力を持っていると言うこと。
つまり、正しい心根でなくそれを使えば、嫌いな人間も、全て消し飛ばせると言うことだ。
それを私はこの国全てを覆う形で今、使った。
「……ふう。終わったわ」
私が光を収めてそう言うと、《魔王》は、
「そうなのか? 俺は消えていないようだが……?」
「貴方、自分も消えるつもりだったの?」
「それはな。俺はお前を故郷から連れ去り、憎しみを利用したのだ。消されても仕方あるまい?」
「……潔すぎて言葉が出ないけれど……私は好きなものは消さないわよ」
「……ん? 今何か聞き捨てならんセリフが聞こえたような」
「好きなものは消さないの! もう言わないわよ?」
「おぉ、聞き間違いではなかったか! では、俺の求婚を受けてくれると言うことでいいか?」
少し前に、私は《魔王》から求婚されていた。
しかし、復讐を成すまでは何も考えられないと保留にしていたのだ。
それを彼は自分が嫌われているから、と考えていたようだが、お門違いと言うものだ。
私は彼が好きだ。
私を闇の中から探し出してくれ、一緒に闇の中を歩いてくれた彼のことが。
だから私は言った。
「……こんな《聖女》だけど、どうかよろしくお願いします」
「《魔王》の妻が《聖女》というのも面白い。こちらこそ、よろしく頼む」