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2.愚かなる弱者は、計り知れない状況を前に困惑する。

  

 キンと冷える石畳により、藁があるにも関わらず、段々と背中の感覚が無くなりつつあることを自覚するも、俺は()()()()()()()()()()()可愛くも幼い手の平をまじまじと見ていた。グーパーと握ったり開いたりして自分の意思通りに動くその小さな手。それはどう見ても自分の手ではあるのだが、俺はそれが受け入れられずにいた。


 何故なら、この体は――。


 「……ん?」


 そう考えていたところで、俺はこちらに段々と近づいて来る複数の足音に気がついた。何やら騒々しいような感じがしてくる。方向としては鉄格子を向いて右手側。俺をこの場へと叩き込んだ男が去って行った方向となる。

 聞こえ始めてから少しして、扉が軋んで開くような開閉音、その後よりガシャガシャと鎧が擦れるような金属音が複数重なるように響いてきた。俺は考えていたことを一旦打ち切り、意識を手から半強制的に音の方向へと移して視線を鉄格子の方へと向けた。


 俺は上体をゆっくり起こし、じっと誰かが来るのを待った。正直待つ必要は無いのだが、俺はここに何故閉じ込められているのか、という理由を知らない。目が覚めて、気が付いたらここに入れられていたという状態なのだ。知らないうちに何か罪を犯したのか、はたまた何かの陰謀か。身に覚えのないこの投獄に、言うまでもなく胸中不安だ。だから人が来たら真っ先にその疑問を聞こうと考えていた。


 本当は俺を手厚くこの場所へとぶち込んでくれたあの男性へ聞こうとは思っていたのだが、俺自身が突然のことで混乱していて聞くことは出来なかった。また何故だかは知らないが、彼は俺を目の敵と言いたげな目で睨んできた。その眼差しに俺は言い知れぬ不安を抱いてしまい、結局は聞くことが出来なかった。

 何故あのような目で見られるのかは分からない。それはやはり、ここに閉じ込められる何かしらの罪が俺にあり、その内容が彼を憎悪に染めてあのような目をさせたのかもしれない。

 だが実際、俺はその罪とやらを全く覚えてはいないので、俺の中ではどうにも彼と温度差があり複雑な気分を味わうこととなった。

 

 そのようなことをあれこれと考えてはいたのだが、結局は思考のどん底に()まるだけ。考えても無駄である。だから俺は分かる人に聞こうと考えたわけだ。


 ――さっきの人みたいに睨まれなければいいが……。


 と、今更不安になってくるも時既に遅く。耳を澄ますと足音は近くまで来ており、数秒もすると俺から見て右の方からスッと人が現れた。人数は全部で四人だ。

 鎧を着込んだ兵士みたいな人が三人と、少し豪華そうで派手な赤い服装を着た小太りの男性が一人。その四人は俺の牢屋の前をガシャガシャと音を立てながら歩いてきた。


 待望の人だ。だから、俺は疑問に思ったことをすぐに聞こうとした。……そう、聞こうとしたのだが。


 「え、と。コ、コスプレ?」


 考えていた質問の内容は空中分解、咄嗟に出てきた言葉は俺が彼らを見て思ったことだった。


 まさか、こんな中世ヨーロッパ風の貴族みたいな男性と、がっしりと鉄の鎧を装着した兵士などが来るとは思ってもおらず俺はあからさまに狼狽した。

 いや、現代の牢屋とは全く違うというか時代が遅れてるというような雰囲気をまざまざとは感じていたのだが、まさか人もそうだとは思ってもみなかったのだ。


 「ぬ?」


 俺の呟きを聞きつけたのか、赤い小太りな男性が反応してジロリと視線を向けてくる。金髪の薄毛が油でベタついているのか、前髪がおでこにくっついていて少し不快感が増す。背は小さく、腕を腰に回して胸を張り、高価そうな服装と派手な装飾品をこれでもかと身に付けて、先頭で兵士を引き歩くその姿はまるで……。


 ――傲岸不遜なお貴族様って感じがするなぁ。


 「なんだ、こやつは?」


 そう思って顔を見ているとお貴族様が不審げに俺を睨みつけながら疑問を口にした。


 俺はそれを聞いて正直吹き出しそうになった。見た目もそうだが、言葉遣いも妙に堂が入っていて最早本物にしか見えないかったからだ。

 いや、俺自身本物を見たことはないのだが、映画で見るような貴族様の振る舞いと言動。そのイメージが俺の中で強く彷彿(ほうふつ)させられたのだ。


 「こんな奴、ワシの牢屋に入れておったか? おい、こやつはなんだ?」


 言葉遣い、傲慢な態度、ゆったりとした動き、舐めつける視線、ワシという一人称。


 大変失礼だとは思っているのだが、何故かその姿と言動は俺のツボに入ったみたいで、そろそろ何かの拍子にポロっと笑ってしまいそうになっている。

 だって、見るだけでも結構面白いのにあの人喋るんだもん。そりゃ無理だ。


 が、しかし。俺は笑いを堪えるのを(かたわら)に、話の内容だけはしっかりと聞いておこうと耳は傾けていた。

 先程も言ったが、俺は自分がここにいる理由を知らない。だからその答えが得られると思っての行動だ。それが分かれば自ずとこれからの方針も固めていけるだろう。説得して出してもらうか、本当に悪いことをしていたなら罰を甘んじて受ける、か。


 「はっ、シンネの村の生き残りになります!」


 肥えたお貴族様の質問に反応した兵士はガシャと鎧を鳴らして腰裏に腕を回し、着立不動のままそう返答をした。


 『シンネの村』


 そうはっきりと聞いた俺は、そんな村は聞いたことがない、とそう思った。


 だが、その瞬間。


 「――っ!!」


 ドクンッ!! と心臓が、いや体全体が脈動するかのような強い動悸が電撃のように俺の全身を駆け抜けた。体の天辺から足の爪先、指の隅の隅まで行き渡る濁流のように(ほとばし)る熱。それが体を軋ませるように無理矢理に通過してくる。

 ――苦しい、熱い! それに頭が痛いっ……!


 頭を金槌で殴られたような断続的な強い痛み。それに頭の中へと流れてくる記憶に無い記憶が、洪水のように次から次へと溢れ返ってはパズルのピースみたいに定着していく。


 ――初めて作って貰った玩具の木剣、それで大はしゃぎした友達との遊び、はしゃぎすぎて迷惑をかけた村人達、そこでこっ酷く怒られた思い出、叱られた後に出てきた大好きで美味しかったメルゥ、その料理よりも大好きな優しい母さんと少し厳しい父さん。まだ生まれて間も無い妹。俺と一緒に夢を叶えようと誓い会った大切な親友。


 全てが俺の大事な記憶。そう、思い出だ。……いや、これは俺の思い出? ……違う、これは俺のでは……。そう、だが、しかし……。これは記憶? だが、これは、あまりにも。


 「ほう、こやつがか。なるほどの。くふふ、まだ小さいの。おい、そこのお主、名は何と申す?」


 赤い小太りな奴が俺に話しかけてきているが、今はそれどころじゃない。頭が割れそうなくらい痛くて、頭の中は意味の分からない記憶でぐちゃぐちゃで、心の中は色んなものが渦巻いていて混沌としていて。

 痛くて、苦しくて、愛おしくて、大好きで、離したくなくて、悲しくて、辛くて、怖い。

 何が俺の記憶で、何が俺の記憶では無いのか。どれが俺の心で、どれが俺の心では無いのか。俺は本当に俺であるのか? それとも俺という人物は紛い物なのか?


 ――あー、くそっ!! 分からない、分からないっ、分からないっ!!


 「……んだよ、これっ……!」

 「おいっ、そこのお前っ!! このお方はエルセーヌ侯爵ボルバラ様であらせられるぞ! 無視をするとは平民の分際で無礼であるっ!」


 意味が分からず頭の中は混乱状態。ズキズキと断続的に痛む頭を押さえながら蹲っていると、今度は傍にいる兵士から大声で怒号を浴びせられる。

 頭痛に大声。酷く痛い。頭に響く。暫く静かにして欲しいと俺は心底思った。

 それと同時に俺は疑問を抱いた。何故なら俺はその兵士が言った人物名を聞いたこともなく知らなかった筈なのに、()()()()にはその名前があったからだ。――俺は知らない。聞いたことすらない。なのに知っている。分からない。何故知っているのか分からない。何が起きているのか分からない。いま自分自身が、分からない……!


 じわじわと湧き上がってくる不安。自己の存在意義が根本から切り崩れていき、足元から頭の天辺が百八十度ひっくり返ったような感覚がして、とても気持ち悪い。黒く澱んだ何かが胸の奥底から這いずってくるのが分かる。まるで心の中に自分ではない違う誰かがいて、その歯車が全く合わずにズレているかのような、そんな違和感が頭の中に侵食してくる。

 自分の心、記憶が偽物かもしれない。それは恐怖という感情を芽生えさせ、俺の心の中を黒く暗く深く塗りつぶしていく。


 「おいっ、聞こえてるのかっ!!」


 返事もろくに出来る訳もなく、必死に堪えて頭を抱えていると、兵士がその態度に憤慨したのか鉄格子を強く叩き大きな音をこの空間に響かせた。ガシャン! と思ってもみなかったその音に俺は肩を跳ねさせ我に帰る。しかし、それでも俺は喋ることが出来なかった。戻ってきても頭痛は酷く、心はぐちゃぐちゃで、気持ちに整理もつくはずもなく、俺にはそんな余裕がまるでなかったからだ。


 「っ!! 貴様っ!」


 再度大声を上げようとした兵士が再度手を振りかぶった。もう一度鉄格子を叩こうとしているようだ。俺は今度は身構えた。大きな音は頭に響く。ギュッと体を縮こませた。いつ来てもいいように……。


 ……しかし、待っても二度目のあの大きな音はやってこなかった。疑問に思い顔を少しだけ上げてみた。すると先程の赤い小太りな男性が兵士を手で制して止めているのが視界に入る。左手を突き出して兵士の進行を邪魔立てするように伸ばしているのだ。何を思ってくれたのかは分からないが、とても助かると俺はその時思った。


 「……おぬし、ワシを知っておるか?」


 が、そう思ったのも束の間。その問いかけを聞いた瞬間、俺は凍りついた。その男性、……先程兵士が言っていたことと戻ってきた記憶を頼りに符合したところ、彼は恐らく()()()お貴族様である。そのお貴族様が投げた声色は、一言で言えば酷く冷たいと俺は思っていた。少し含み笑いがあるようにも聞こえたのに、気持ちは全く篭っていない。ただただ無で聞いてきているのだ。まるで答えを聞かずとも分かっている、もしくは答えなどどうでも良いとでも言うかのように。


 「……も、もちろん、存じております」


 俺は重くなった口をなんとか動かして開いて、そう返事を返すことに成功する。頭が痛いのに続き、緊張が全身を支配してしまっている状況のため、体がいうことを聞いてくれない。だがそれは仕方のないことであった。お貴族様とは、()()()()()は目上の方であり、敬わなければいけない存在でもあって、恐怖の象徴でもある。そんな人物が自分のことを知っているかと尋ねるということは、問いかけた人物をお貴族様が疑惑の目で見ているということである。それは即ち、死が間近にあるという意味を持つ。

 お貴族様が気分を害せば、奴らは虫を殺すかのように簡単に俺達を排除する。それがこの世の決まりであるかのように、それが常識で当たり前であるかのように、それが自分の意義なんだと喧伝しているかのように、彼らは俺らを殺す。何があっても自分が正義だと言わんばかりの物言いで殺しを正当化する。自分本位な考え、凝り固まった思考、全てを手に入れようとする欲深さ、他人を全く(いと)わない言動、それを行使出来るほどの権力を持った暴君。それが貴族である。


 「くふふ、そうだろうとも。どんなモノでもワシを知らぬはずなど絶対あり得ぬのだ。くふふ、くふふふふ」


 そう言って下卑た笑みとこちらを見下すような目を俺へと向けてくるが、側から見ればこの反応は気分を害してはなさそうに見える。ちゃんとした受け答えをすれば許してくれる、そう思わせる素振りではあるのだが、俺の恐怖は薄れることなどは無く、むしろ深々と濃くなってくるのを感じていた。


 ――これは、最悪だ。


 恐らく俺の顔はいま真っ青になっていることだろう。目は離せず、質問を返した時の体勢のまま動くことすら出来ず、ズキズキとまだ痛む頭を手で押さえながらも思考は巡らせる。まだ挽回は出来るはずだと、そう思いながら。


 しかし。


 俺は、この事態をまだ軽く見ていた。


 それは通常であればあり得ないことで。


 この時点で()()()であれば、もう手遅れなんだとそう気づけるはずで……。


 だけど、俺の目は何故かまだ爛々と輝いていて。


 「ならば、死んで詫びるが良い」


 そう言われても、冗談か何かだろう、殺す訳ないと思っている妙な自分がいたりして。


 「殺せ」


 どこで失敗したのだろうか、と自分を疑う自分が果てしなく怖かった。

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