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掟破り

 やましい気持ちがあったわけではないが、男のさがなのかやはり頭のどこかでは性的な展開を期待していたらしく、私はバケモノの正体を考えながらもカナエさんがあっさり帰ってしまったことをひどく残念に感じていた。


 なんとはなしに右手のスマホを確認した私は、いつの間にか届いていた中村からの『逃げないと殺される』という一つ前と同じ内容のメッセージを眺め、これにはどういった意味があるのだろうかと真剣に考えた。


 先ほど送った通報しろというメールには反応せず、何者かに命を狙われているらしき状況だというのに、ただの同僚である私に中村がしつこく助けを求めてくるのはなぜだ。おかしいではないか。


 私は『警察に通報しましたか?』と打ったメッセージを中村へ送信した。メールで通報できることを知らないのだろうか。馬鹿にしていると思われるのを覚悟で、さらに『声が出せなくてもメールでできますよ』と追加のメールを送った。


 それにしても、中村がわざわざ『逃げないと』という言葉を冠した理由は何だ。何者かに追われたり捕まったりしているということだろうか。


 そこまで考えてピンときた私は、さらに『警察のお世話になっているんですか?』と打ったメールを送り、マツナカ巡査のことを頭に思い浮かべた。


 巡査の編み笠に毛皮のベストといった時代錯誤な風貌から、耳が聴こえない状態にある中村が彼を警官だと認識できず、乱暴な扱いを受けて『殺される』と誤解したとも考えられる。あの巨漢に手錠をかけられて引っ張られた右手首がまだ痛む。


 様子のおかしかった中村が巡査に捕まり、交番の留置所あたりに入れられている可能性は十分にある。それが暗くなったあとだとしたら、変な場所に監禁されたと中村が勘違いしても何ら不思議はない。


 しかしそうなると、中村がスマホを没収されていない上に、メールまで打てているというのが不可解である。所持品に対して強い警戒心を抱いていたマツナカ巡査の目を誤魔化せるとは思えない。たとえ誤魔化せたとしても、彼の近くでスマホをいじっていれば画面の光でバレるだろう。


 刹那、左のほうで大きな音がして咄嗟に頭をそちらへ振り向けた私は、窓に何かが押し付けられているのを目にし、一呼吸を置いてからそれが人間の顔面と両手であるとわかり「うわっ」と声を上げて背後へけ反った。


 男性と思われるその人物は目を見開いて口をぱくぱくと動かしており、弱々しい動きで繰り返し窓を叩いては、何かを気にするようにときおり背後を振り返っている。


 この人物は何なのだ。なぜ喋らない。虫の音が聴こえるのだから、人の声だって聴こえなくては変ではないか。何事かを訴えようとしている、もしくは私に助けを求めているようにも見えるが、いずれにせよ残念なことに窓は開閉ができるタイプではない。 


 中村からのメッセージの件もあってか、男の尋常ならざる様子に何か良からぬものを感じ取った私は、畳の上へと上半身を投げ出して蝋燭の火を吹き消し、すぐさま布団の中へと潜り込んで外の様子を窺うことにした。


 外の人物には見捨てるような形になってしまって申し訳ないが、私だっておかしなことに巻き込まれるのはごめんだし、こちら側からは何もできないのだから不可抗力である。


 窓が叩かれる音を聴きながら、おそらく宿の入り口がわからなくて道に迷っただけだろうと楽観的に考える一方で、危険な野生動物に追われているのだとしたらガラスを割って侵入されるかもしれないという不安が徐々に募ってきた。


 せめて女将に伝えに行くべきかと思っていると、「おう! こっぢにいだわ」という男の太い声が聴こえ、続けて「ちゃんとつがまえとげっつんだよ。めんどくせぇ」と苛立った調子の別な声が近づいてきた。


「こごは? 障子、開いでっぞ」


「次のやづだっぺ? 寝でっぺよ。おめ、暴れんなよ!」


「さっさど行ぐべ」


 いくら待ってもそれ以上は何も聴こえてはこず、私は寝返りを打って身体を反転させると、暗くて見えないのを承知の上で薄目を開けて窓のほうの様子を窺ってみた。


 はじめはわからなかったが目が慣れてくるにつれ、微かな星明かりに照らされた夜空と思われる部分が、暗闇の空間にぽっかりと浮かんでいるのが見えてきた。どうやらもう彼らは去ったらしい。


 窓のところにいた男が何者かは推測するしかないが、あとから来た二人の声の主は集落の人間だろう。声の調子からすると、道に迷った人間を助けてやったというよりかは、探していた人物を見つけて連れていった感じだった。祭りの準備作業を抜け出した仲間を連れ戻しにきたのだろうか。


 では今の男が村人ではなく、私や中村と同じ外部から来た人間だとしたらどうなる。集落の人間から探されて強制的にどこかへ連行される理由とは何だ。


 まず考えられるのは何らかの罪を犯して逃走中だった場合だろう。または、それ以上のことをやらかしたか。犯罪以上となれば限られてくる。こういった村のような閉鎖的な社会環境で重要視されがちな、仕来しきたりだか禁忌きんきだかでも破ったのかもしれない。


 例えば、女将の言うライトの点灯が祭り期間中の禁忌だとして、さっきの男が不慣れなせいでうっかり明かりを点けてしまい、バケモノと呼ばれる毒蜘蛛が集まってきて祭事が穢れてしまったのだとするとどうだ。


 神聖な祭事を穢し、その原因を作った不届きな輩として厳しく罰せられるとしたら。


 さすがに考えすぎかと再び窓に背を向けたところで手の中のスマホが光り、『警察と村はぐるです』という中村からのメッセージを見て私は眉間に皺を寄せた。


 中村の作る文章はいつも一言足りない。警察と村が何において、どうぐるになっているというのか。警察は村という共同体の一部でもあるし、治安や秩序を守る義務もあるのだから、繋がりがあるのは当たり前である。


 しかしながら、ぐるという言葉は悪事などを共にたばかるような、良からぬ繋がりを持った者同士に使うのではなかったか。


 私は『警察と村はぐるです』というメッセージを見つめているうちに、何かとてつもなく大きな間違いを犯しているような、重大なことを忘れているような妙に落ち着かない気分になってきた。


 たしか赤鬼は、会う前からすでに私が神社へ行ったことを知っていた。情報の提供者は確実にマツナカ巡査である。


 仮に、そういった掟や禁忌を破った人間が現れた場合、警察と村が結託して処罰するならわしがあるのだとすれば、聖域を穢したと誤解されている私もその対象と考えられる。


 となると、先ほどの()()()()とは処罰される人間の順番で、あの男の次が私という意味ではないのか。


 私は今日一日で起きたことを思い返し、ずっと胸に引っ掛かっていた得体の知れない不安や違和感が、まるでダムが決壊するがごとく一気に溢れ出してくるのを早鐘はやがねを打ちはじめた心臓とともに感じていた。


 禁忌を破った人間は何をされるのだ。

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