間賀津四宮彦
ようやく目が慣れてきたようで、暗闇の中でさらに色濃い影となっている真々白氏の顔面の輪郭が薄ぼんやりと見えてきた。炎の大きさの割に松明の灯は弱く、人の顔を判別する照明としてはほとんど役に立っていない。
「山の上に二つ神社があるんですけど、しかも向かい合って建つ別々のものでして。これがまたずいぶんと変わって、あっ、行かれました?」
「ええ、あの、一方の神社が炭のように黒い」
「そうです、そうです。その黒い神社の向かいに建っているほうを間賀津神社というらしくてですね。そこに祀られている神様が間賀津ヨミヤヒコという、近隣に名の知れた剛胆な侍だったらしいんですね。四つの宮に山彦のヒコで四宮彦と書くらしいんですけど」
そういえば、鳥居を潜ってすぐのところにそんな名前の書かれた制札が立っていた。だが、謂れの部分は字が消えていて読めなかったように思う。
「ちょっと待ってください。それは、ご自分でお調べになったんですか?」
「いえ、タクシーの運転手から聞いたんですよ。あとでネットで調べてみたんですけど、何もヒットしませんでしたけどね」
つまり、漁火では電波を受信できたということか。とはいっても、私の場合は地図の詳細が表示されない時点でネットが使えないと断じてしまったわけで、神社で通話をしていたマツナカ巡査や四叉路なら電波が入りやすいと言っていたシュウちゃんの言葉からすると、ただの早とちりだった可能性が高いのだが。
「神社に詣られたのならご存知かとは思うんですけど、あそこのシンシはハチでしたよね。ハチをシンシとする神社といえばフタラサン神社が有名ですけど」
「えっと、たびたびお話の腰を折って申し訳ないんですが、シンシというのは?」
「神の使いとされる動物のことですよ。狛犬とかお稲荷さんとか。漢字はそのまま、神の使いと書いて神使です」
私が無学というのもあるが、真々白氏は知識を吸収するのに貪欲なタイプの人間であるらしい。フタラサン神社というのも聞いたことがない。私が知っているのはせいぜい出雲大社ぐらいなものだ。
「それでですね、ここからが面白いんですけど」
「ええ」
「その間賀津四宮彦なる侍は、ハチを使役してバケモノを退治したという謂れがあるらしいんですよ」
バケモノ退治とは、またぞろきな臭い話が出てきたものである。伝承などという仰々しいものではなく、おそらくはただのお伽話だろう。ネットで調べて何も出なかったというのなら、それに纏わる文献だってないに違いない。信憑性はないと思って聞いたほうがよさそうだ。
「バケモノ、ですか? それはまた、どんな?」
「ええ、それが、間賀津神社の向かい側、あの黒いほうを傀儡宮といってですね、バケモノはあそこのお堂に封じられているそうなんですけど。あ、傀儡宮の傀儡というのは」
説明を続ける真々白氏の言葉を聴き流しながら、私は傀儡宮の黒い拝殿から感じ取った禍々しい空気を思い出していた。護符らしきもので全壁面を覆われてはいたが、あれだって侍が登場するような古い時代に貼られたものには見えなかった。
「それで、そのバケモノというのは、ヤツアシ様という身の丈が一丈にもなる巨大なクモだったそうで」
「いちじょう?」
「およそ三メートルのことですね」
やはり作り話である。集落で悪さをする巨大蜘蛛を著名な武人が蜂を遣って退治した、という昔話でよくある類の勧善懲悪物のテンプレだ。それが時代とともに尾鰭がついて後世に伝わったといったところか。こんな荒唐無稽な話のどこが面白いというのだ。
「クモは脚が八つありますよね、だからヤツアシ様というらしいんですよね。漢字もまんま、漢数字の八にカタカナでツ、それに手足のアシで八ツ足様」
「そのバケモノを間賀津という侍が退治したから英雄として祀られている、ということですか?」
「ええ、まあ大筋はそうなんですけど」
これ以上なんだというのか。侍が蜂を遣って蜘蛛を退治し、お堂の中に封じ込めた。終わりである。そもそも、真々白氏は何を思ってこのような話を始めたのだ。
「実はこの八ツ足様というバケモノ、もとは間賀津四宮彦その人から生じたらしいんですよ」
「え?」
「ええ、間賀津なる人物はですね、必ずしも良い意味で剛胆と呼ばれていたわけでもないそうで。もともとは手のつけられない荒くれ者だったそうなんです。それがあるとき、何があったのかまでは運転手も知らないと言ってましたけど、ともかく、怒りを宿した化身が八ツ足様なるアラミタマに、人間としての理性の部分がオオ間賀津四宮彦なるニキミタマにそれぞれ分離したのだとか」
アラミタマにニキミタマとは何だ。それから間賀津某の名前も変わった気がする。
「その己から生じたアラミタマを、クモの天敵であるハチを使役して退治した、というところまでがシズメの伝承で」
「ちょ、ちょっといいですか。よくわからない単語がいくつかあるんですけど、まずアラミタマにニキミタマとは何ですか?」
「ああ、アラミタマは荒っぽい神様の御魂で荒御魂、ニキミタマはその逆で和やかな神様の御魂で和御魂と言われるものです」
なるほど、二つの区別はついたが魂が分離した理屈まではわからない。所詮は空想上の話である。
「あと、間賀津からオオマガツに名前が変わったような」
「それは魂が分離して神霊となった間賀津四宮彦の神名ですよ。大いなる間賀津で大間賀津というわけです」
人間のときが間賀津で、神になってからが大間賀津ということか。そういうものなのかもしれないが、予備知識のない私からすればただややこしいだけだ。
「それともう一つ、何の伝承と言われました?」
「シズメですよ。地鎮祭や鎮魂歌のチンと書いてシズメです」
退治することでバケモノの怒りを鎮めた、という解釈なのだろう。なんとも人間本位な考え方である。
「これだけだとありがちな話なんですけど、このシズメの後にですね、続きとしてフウジの伝承があるんですよ。これがまたずいぶんと残酷な内容でしてね」
まだ続きがあるのかと少々うんざりした私は、真々白氏が気を悪くしないよう「あの、僕は無学な上に人物史や郷土史にもあまり興味がなくてですね」と遠回しな言い方を用い、ありきたりな昔話を切り上げてもらおうと試みた。
「ああ、飽きてしまいましたか?」
真々白氏から鋭い指摘を受け、思惑を見抜かれたようでばつの悪い思いをした私は、見えないだろうと思いつつも笑みを作って「ええ、まあ」と曖昧な答えを返した。
「実はですね、明日のお祭りがフウジに因んだもので、今日がシズメに当たるものなんだそうですよ」





