表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/86

赤鬼

 家屋の壁際まで近づくとたきぎぜるパチパチという音が聴こえてきた。


 私は相変わらず人の声がしないのを奇妙には思いながらも、鼻腔をくすぐる肉の焼ける匂いに猛烈な空腹感を覚えていた。考えてみれば昼前に電車の中で食べた弁当以来なにも口にしていない。


 静かなのはもしかしたら神事の最中なのかもしれないと思い、なるべく足音を立てないよう注意して家屋に近寄った私は、陰から顔だけを覗かせて建物脇の様子をそっとうかがってみた。


 ところが、そこには人の姿などひとつもなく、左手前方のちょっとした広場に井形いがたに組まれた薪が燃えており、あとは時代劇に出てきそうな篝火かがりびが奥へと伸びる正面の道に沿っていくつか置いてあるだけだった。


 建物も私の右隣にある二階建て以外には見当たらない。


 これだけの火をいておいて誰も近くで見ていないのは非常識である。周囲の木々から離れているからといって、何かの拍子に燃え移らないとも限らない。それとも、ここの家の住人が火の番をしているのだろうか。


 誰も見ていないのをいいことに、私は肉の焼ける香ばしい匂いに目をつぶり、くんくんと鼻を鳴らしながらその出所でどころを探ってみた。消毒薬のような刺激臭も一緒に漂っているのが何とも邪魔くさい。


 篝火で肉を焼くとは考えられないが、かといってキャンプファイヤーのごとく大きな炎を上げている左側の焚き火を使ったのでは、いくらなんでも火力が強すぎてそれこそ誰かが見張ってでもいなければ簡単に炭となってしまうだろう。


 肉のことが気になりはするものの、とりあえずは先ほど山の上から見えた開けた場所を目指そうと思った私は、焚き火のそばを通りすぎざま燃えさかる炎のなかに人影を見たような気がして足を止めた。


 どうせ丸太か何かを人影と見間違えたのだろうと再び炎に目をやると、薪の上に黒い物体が横たえられているのが見えた。大きさからして仔牛か豚でも丸焼きにしているといった感じである。


 そう思いはじめると現金なもので、熱風が顔面に吹きつけてくるのにも関わらず、私はまるで甘い蜜の香りに誘われる虫のように、肉の焼ける匂いにつられるまま燃え上がる炎へふらふらと近づいていった。


「おーい、そんなにちがよったら危ねぇぞぉ」


 周りに誰もいないと思っていた私は、背後から突然上がった声に驚いて肩をすくめ、あたかも金縛りにでもあったかのように身を強張こわばらせて動きを止めた。


「あんれ? あんだぁ、さっぎの」


 その声に振り向くと先ほど雉の処理をしていた男が立っており、私の顔を確認するなり「あぁ、やっぱりあんだがぁ」と言い、続けて「あのぎのいいあんちゃんはどうしたぁ? 見づかったのげ?」と中村のことを訊ねてきた。


 驚きはしたがそこに知った顔があってほっとした私は、さて、それでは男になんと説明したものかと考えを巡らせた。


 見つけたには見つけたけれど、ちょっと目を離した隙にまたどこかへ消えてしまったなどと言おうものなら、下手をすると住民総出で中村の捜索をするという大事おおごとにまで発展しかねない。


 それともここは適当に誤魔化し、彼は先に宿へ向かったとでも言っておくべきだろうか。嘘をつくことにはなってしまうが、余計な心配や迷惑をかけるよりはマシなように思う。


 私が答えにきゅうして黙っていると、さらに男は「そういやぁ、あれ、なぐなってたっつってたっぺ? なぁ?」とよくわからないことを言いだした。


「え? あの、なんのことですか?」


「あんだ言っでたっぺよ。看板なぐなってるっつって、つぢんとごの。あ?」


 どうやら男の言う看板とは、四叉路に立っていたはずの『みだまや』の案内板を指しているらしい。


 なくなっていると言われても、私は一度もお目にかかっていないのでどんな形状かも知らないし、たとえさっき通ったときに立て直してあったとしても暗くて気がつかなかっただろう。 


 興味もないので「ああ、まあ」とっ気なく私が相槌あいづちを打つと、男は「ぢづはな、あれよぉ」とあらたまった様子で何事かを言いかけた。


 その刹那、背後で焚き火がぜる大きな音がし、反射的に振り返ったところで「おう、シュウちゃん。なぁにやっでんだぁ?」と別な男の声が近くから聴こえ、私は後ろへ向けたばかりの顔をすぐさま正面へと戻した。


 シュウちゃんと呼ばれた男の左隣には、眉間に深い縦皺たてじわの刻まれた六十代くらいの小柄な男が立っており、嫌なものを見るような険しい表情をして私のことを睨みつけていた。炎に照らされているせいか、その顔つきとあいまってまるで昔話などに登場する赤鬼のように見える。


「お、ちょうどいいとごに来だ」


「あ? 誰だ、こいづ」


 男は隠すどころか私に対する拒絶の意思をあからさまに示してきた。かぢな駅で降りてから何度も目にした表情だが慣れない。


「僕はただの」


「おめぇんとごの客だぁ」


 旅行者であることを告げようとした私の言葉を遮り、シュウちゃんなる男がそう言うと、「ぢゃあ、あいづが言っでだやづっつうのわ、これげ?」と赤鬼がこちらへ向かって顎をしゃくった。


「んだ」


「なんだが貧相なやづだなやぁ。ひょろっひょろで()()()みでぇだ」


 たしかに私は筋骨隆々でも肥満体型でもないが、初対面の人間にそんなことを言われる筋合いはない。それに言い方というものがあるだろう。まぁ、今さらかむらた山の住民に礼儀正しさなど期待してはいないのだが。だいたい私の体型が何だというのだ。


「あの、お話し中のところすいませんが」


「あぁ? そう思うんならだぁってろ」


 男の威丈高いたけだかな物言いに閉口したものの、猟銃を向けられてもなお臆せずマツナカ巡査に食ってかかった私としては、相手が単に強面こわもてだからという理由だけで大人しく引き下がるわけにはいかない。経験上こういう人間は弱みを見せると大抵つけ込んでくるものだ。


「そうもいきません。僕にだって喋る権利くらいはあります」


「んだとぉ? くんの」


 赤鬼が何か言い返そうとするのを「まぁ、まぁ、まぁ」とシュウちゃんがなだめ、「ひどまづよ、みだまやさぁ連れでってやっでくれや。な?」と説得するように言った。


 先ほどシュウちゃんが私を客だと紹介したことからも、この赤鬼がみだまやの関係者であることは間違いなさそうだ。客に対する態度からして雑用係の使用人といったところだろう。


「ったぐ、しゃあねぇなぁ」


 赤鬼は面倒くさそうにそう言い、続けて「おら、とっとど行ぐぞ」と苛立たしげな調子で私をき立てると、先に立ってさっさと林道の方へ歩いていってしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ