泥棒
『さっきは何であんなこと言ったんですか?』
雉を捌いていた男の家から駆け出す直前に、中村が口にした縁起でもないセリフについて問い質してみた。中村は上半身を起こせるまでには回復したものの、破れた鼓膜だけはそう簡単に再生するはずもなく、煩わしいと感じながらも私はスマホを経由してのやり取りを余儀なくされていた。
「なんのことですかぁ!」
『カッポギさんが死んだとか』
「カッポギならいましたよぉ!」
すっとぼけた調子の声のせいで聞き流しそうになったが、私は思わぬ言葉を耳にしたことに気がつき、つい「どこにですか?」と聴こえもしない中村に訊き返していた。すぐスマホに同じ文字を打って中村に見せてみる。
「ここにいましたよ!」
『今いないじゃないですか』
「そうですね!」
会話よりも筆談の方がわりとまともな答えが返ってくると思ったのは私の気のせいだったようだ。しかし、中村がカッポギ氏を見かけたのが確かなら、もう無駄に歩きまわる必要もなくなるだろう。
草葉に遮られてあまり日の光が差し込まないのでわかりにくいが、辺りを包む薄暗さが中村を探していたときよりかは、黒いフィルムを数枚重ねたほどには増したような気もする。うだうだしていたら『みだまや』へ着く前に本当に日が暮れてしまう。
『どこへ行ったんですか?』
すると中村はまだ麻痺が残っているらしい腕をぶるぶると持ち上げ、自由のきかない指先ではなく、曲がったままの手首の辺りを使って鉄扉の先にあるトンネルの方を示した。
遠目には堅牢に見えた格子状の鉄扉に施錠はされていないようで、鉄柵との合わせ目の部分がわずかに外側へずれたようになっている。奥にあるトンネル内に明かりは灯っていないが、反対側のものと思しき陽光が白い点となって闇のなかに浮かんでいるのが見える。
鍵が掛かっていないとはいえ、こうしてわざわざバリケードのような鉄柵が設けてあるのは、一般人が立ち入らないようにという配慮からに違いない。先ほどの看板にしても行き止まりを示唆するものではなく、もしかしたら立ち入りを禁じたものだったかもしれないではないか。
「カッポギィー!」
いい加減いちいち大声で話すのをやめてほしいところだが、自分の声さえはっきりとは聴こえていないらしい中村に、うるさいから小声で話せと伝えるのは酷というものだ。私は代わりに『まだ脚は動かせませんか?』と文字を打ったスマホの画面を中村に見せた。
「動きません!」
中村は身体を動かそうとする気配すら見せずに即答し、「あ、やっぱり動きます!」とすぐに言い直して「ぬおお!」と低い声で唸りだした。
気合いを入れて動くようなものでもないだろうと思っていると、ちょっとも経たないうちに「無理です!」と中村が叫んだ。これを潔いと取るか、それとも努力が足りないと責めるかは別として、まだ中村がここから動けそうにないことだけはわかった。
私は一度トンネルへと目をやり、同僚の耳が聴こえないのをいいことに軽く溜め息を吐いてから、スマホに『ちょっとカッポギさん探してきます』と打って中村の顔の前にかざした。
たとえ鉄柵の向こうが立ち入り禁止だとしても、考えてみれば私たちはすでに看板のあった位置よりも先の場所には侵入してしまっているわけで、今さら誰かの私有地だなんだと気に病むようなことでもないだろう。なにも泥棒に入ろうというのではないのだ。
立ち上がった私に中村が「え、え? おいてくんですか? おいてかないでぇ!」と喚きながら、まるで墓から起き上がったばかりのゾンビのように、震える両腕を持ち上げて追い縋ろうとしてきた。
『すぐ戻ってきます』
私は打った文字を騒ぐ中村に見せ、そのままスマホのライトを点けて鉄柵の手前からトンネルのなかを照らしてみた。歩行者用に造られた至って普通のトンネルである。幅は大人ふたりが並んで歩ける程度で、高さも私の身長に頭を二つ分足したといったところか。
閂の部分を手前に引くと錆びた音を立てて鉄扉が外側へ開いた。円を描くように正面をライトで照らし、足元のやや先に光の輪を固定しながら歩みを進める。光が届いている範囲に照明は見当たらないが、反対側が見えるくらいの距離しかないのだから必要ないのだろう。
ところどころにある足元の水溜まりを避けつつ、その辺にカッポギ氏が倒れてやしないかとビクビクしていた私は、あっけなくトンネルの反対側に出て拍子抜けしたのと同時に、見たこともないような一本の巨大な樹木が眼前に現れて「うわっ」と驚嘆の声を漏らしていた。
たしか、ハイペリオンという背の高い木があるのを聞いたことがあるが、これはその種の仲間だろうか。高さもさることながら、幹の太さも規格外であるし、何よりもそこに巻かれている異様に大きい注連縄が目を引く。
さっきの沼と同じように今度はカッポギ氏を探して樹木の周りをぐるりとまわってみた。周囲はほぼ垂直に切り立った高い崖に囲まれており、ここがこの巨木のためだけの場所であるのがわかる。中村が見かけたというカッポギ氏の姿はない。
私は幹に近寄ってそのささくれ立った樹皮に触れてみた。下の方がめくれ上がっているせいで簡単に剥がれそうに見えたそれは、脆そうな外見よりも思いのほか頑丈で厚く、むしろ私の指の方が怪我でもしてしまいそうなほどに硬かった。
ここには立て札も祠もないのだななどと考えながら幹を見上げると、注連縄が巻いてある場所よりもずいぶんと高い位置に、小鳥用の巣箱のようなものが樹皮に半分ほど埋まるような形でくっついているのが見えた。箱が前傾しているためか、丸い穴の代わりに付いた両開きの扉はどちらも開け放たれてしまっている。
頭上の巣箱から足元までまっすぐに視線を下げていき、根元付近に溜まった枯葉のあいだから見える土の部分へ目をやって、変わった形をしたキノコらしきものがあるのに気がついた。なんとなく拾い上げて摘んでみるとグミのような弾力があり、表面を撫でるとざらっとした感触がある。
弾力ばかりを楽しんでいた私は、それを裏返してみて見慣れたフォルムに二本の黒い筋が入っているのを目にし、己が手のひらで弄んでいるのが何らかの動物の舌だとわかるなり「わっ」と短い悲鳴を上げてその場に尻餅をついた。





