怪我人
岩石が混じった急斜面を左手に見ながら、いつまでも行き止まりにならない小径を辿って歩いていると、角度のきついカーブを曲がったところで道が忽然と消えたようになっているのが目に入った。道の先は周囲と同じ丈の高い雑草が繁っていて完全な袋小路となっている。中村の姿もない。
道は途絶えても人が煙のように消えることはないので、はじめに声がした方向を私が勘違いしてしまったか、忘我の中村が草むらのなかの道なき道を突っ切っていってしまったかのどちらかだろう。
来た道を引き返そうとしてなぜか傀儡宮の裏手にあった遺跡が脳裏をよぎり、もしかしたらこの先に何か隠されているかもしれないと冗談半分に思った私は、自分の背よりも高いススキのような細長い草葉を掻き分け、足元に注意しながらも慎重に藪のなかへと片足を踏み入れてみた。
五歩六歩と分け入っただけですぐに藪がなくなり、代わりに今通ってきた道を延長したような小径が現れた。道は傾斜のなだらかな上り坂で、先端は左に曲線を描いて斜面の向こう側へと消えている。
まさか本当に何かがあるなどとは思っていなかった私は、雑草の背後に隠されるようにして存在していた道に立ち、踏み入ってはいけない場所に迷い込んでしまったかのような場違いな気分に襲われていた。
場所の印象はともかく、これならこの先に中村がいる可能性はまだある。
ここが私有地などの立ち入りが禁止されている場所であるとして、もし無断で入ったことを誰かに見つかって咎められたりしたとしても、きちんと事情を話せばわかってくれるのではないだろうか。
私は己に都合のよい言い訳を考えながら坂道を上りはじめた。
緩やかなカーブに沿って歩いていると少しも行かないうちにトンネルが前方に見えてきた。入り口の前には閉じられた格子状の黒い鉄扉があり、車が通れるような大きさのトンネルでないことが遠くからでもわかる。
中村の姿が見当たらないことで、もしや鉄扉の向こうへ行ってしまったのではないかと不安な気持ちで坂道を上っていた私は、トンネル付近まで来たところで左手前方の堆積した枯れ葉へふと目をやり、その上に両脚をこちらへ向けて俯せで横たわっている奴の巨体を見つけた。
「中村さん! 大丈夫ですか」
声を掛けながら中村に近づき、身体の重さに苦労しつつもどうにか仰向けにひっくり返してみると、チノパンの右の太腿辺りが血で染まったようになっているのが目に入った。
「中む」
再び声を掛けようとして中村の顔へ視線を向けた私は、両目を見開いてこちらを見つめている瞳と目が合い、何かが喉に絡まったような感じになって出しかけた言葉を詰まらせた。
「中村さん、起きてるなら返事してくださいよ」
一瞬、肝を潰しはしたものの怪我をしているかもしれない同僚が心配で、私はすぐに気を取り直し「大丈夫ですか? 怪我したんですか?」と声を掛け、数分前と比べて別人のように大人しくなっている中村の顔を覗き込んだ。
中村は無言で私を見つめ返してくるだけで、痛みを訴えて泣いたり暴れたりするどころか、口も開かなければ身動きひとつしようともしない。ひょっとすると、外側からは見えない箇所を骨折していたり、麻痺などで喋ったり動いたりできない状態にあるのだろうか。
俯せになっていたものでつい中村の身体を動かしてしまったが、今のは本当はまずかったかもしれないと自省した私は、こういう場合はまずどうするべきなのだと混乱する頭を整理しようとして視線をさまよわせた。
返事はしなくとも意識はあるようだし、あとは呼吸の確認だろうかと中村の顔を見やり、そこでようやく左の耳の辺りに血が流れでた形跡があることに気がついた。確認すると反対側の耳の穴からも乾きかけた血の筋が同じように伸びている。
耳からの出血ということは頭を打った可能性がある。それならば脳震盪を起こしていて動けないのかもしれない。いずれにせよ、これ以上は動かしたり揺らしたりするのはやめておこう。
「中村さん、聴こえてますか?」
声を掛けながら見開かれた両目の前で手を振ってみると、中村はそれに合わせて眼球を何度か左右に動かし、私が手を引っ込めると再び大きな瞳で見つめ返してきた。反応はするので意識はあるようだが、喋らないのは喉に何か詰まらせてでもいるからだろうか。
口内を確認しようと中村の顎に触れた途端、「なんで喋らないんですか!」と横たわったままの同僚が唐突に口を開き、私は驚きのあまり背後へとひっくり返りそうになった。
「ちょ、なに言ってんですか? さっきから何度も呼んでるじゃないですか。聴こえてるんなら返事ぐらいしてくださいよ」
中村が酩酊状態であるのを忘れてつい抗議してしまった私は、奴が血を流して倒れている怪我人であることを急速に意識し、続けて「それより血が出てますよ。大丈夫なんですか?」とその身を案じて言葉を掛けた。
返答せずに私をじっと見たままでいた中村は、しばらくするとまた「なんで喋らないんですか!」と先ほどと同じセリフを繰り返し喚いた。中村はふざけているのではなく、どうやら私の声が聴こえていないらしい。この様子だとおそらく鼓膜が破れてしまっているのだろう。
聴こえていないのなら話し掛けても意味はない。ならば耳の聴こえない相手にそのことを伝えるにはどうすればいいのだ。私は手話など知らないし、たとえ知っていても今の中村に理解できるとも思えない。
「なんで動けないんですかぁ!」
奇妙な抑揚で中村が悲痛な叫び声を上げた。それが本当ならば思った以上に状況は深刻なのではないか。喋れても身体が動かせないということは、最悪の場合、首から下が不随となってしまっていることも考えられる。
耳の方の血は何となく原因がわかったが、それでは右の太腿の状態はどうなっているのだ。中村本人が身体を動かせないのだから私が調べるしかない。
中村のハーフパンツを脱がせる前に、何かが突き刺さっていたり布地が破れていたりしないかを外側から確認していた私は、右側のポケットのちょうど血が滲んでいる辺りの中心にコルク状の盛り上がりがあるのに気がついた。まさか折れた骨が内側から肉を突き上げているのだろうか。
皮膚がグロテスクな状態になっていないことを祈りつつ、「なんですか? なんですか!」と騒ぎ立てる中村を無視し、私はハーフパンツを脱がせようとジッパーを引き下げてそのウエスト部分に手をかけた。





