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屠鳥人

 中央の道はくねくねと蛇行しているせいで遠くまで視界がきかない上にアップダウンも激しく、体力に自信のない私はすぐに息が切れはじめ、少しも進まないうちに先を行く中村に遅れだしてしまった。


「中村さん、もうちょっと、ゆっくり、歩きません?」


 息も絶え絶えに私が声を掛けると中村が振り返り、「ご冗談を」と滑舌かつぜつよく言ってわざとらしく乾いた笑い声を上げた。まったく、協力している私の身にもなってほしい。こちとら高校を卒業してから運動という運動はろくにしていないのだ。週に四回も五回もジムに通っているような人間とは身体のできが違う。


 深呼吸をしようと足を止めた私は、喉の渇きとともに再び口の中に血の味を感じ、原因はなんだろうと舌で口内を舐めまわしたり指を突っ込んだりしてみた。舌や頰の内側を噛んだり唇を切った覚えはないのに、取り出した指を見るとべっとりと血がついている。しかし、おかしなことに痛みはどこにも感じていない。


「家ですよぉ」


 姿を消した中村が前方で叫んでいるのが聴こえてきた。あの状態の中村の発言ではそれが民家なのか旅館なのかはわからないが、人が住んでいるようなら話を聞いてみよう。私は指先についた血をジーパンで拭って坂を上りはじめた。


 急ごうと思ってもくたびれた身体は思うように動かず、それでもようやく中村の姿が見える位置までやってくると、あわれな同僚は「カッポギー! いるー?」と言いながら一二三ひふみ宅と似た平屋建ての民家の引き戸を乱暴に叩いているところだった。


 それはカッポギ氏の家を借金の取り立て屋が訪ねた場合のやり方だろう。お願いだからもう少し静かにしていてもらいたいものだ。あれではただの狂人にしか見えないし、マツナカ巡査だったらほぼ間違いなく撃っている。やはり中村を独りにしておくのは何かとまずい。


「中村さーん、そんなことしちゃダメですよー」


 大声で制しながら中村に近づき、幅広の両肩を掴んで「ダメですって」と戸を叩くのを止めさせると、「カッポギィー! 無事かー!」と感極かんきわまったような震える声で叫んでその場にくずおれた。


 私は結婚もしていなければ子供だっていないし、ましてや親戚の子を預かったりもしたことはないが、聞き分けのない大人の扱いの方が何倍も難しいような気がしていた。


「裏だぁ! 裏さぁ、まぁっでけれぇ!」


 玄関前での私たちの騒ぎを聞きつけたらしく、家人と思われる男の声が家屋の左手の奥から聴こえてきた。それから家畜でもいるのか、獣の悲鳴のようなやかましい甲高い声も上がっている。


「声のする方へ行ってみましょう」


 中村を玄関の戸から引き剥がして立ち上がらせ、声の主に言われるまま家屋の裏へまわり込んでみると、ちょうど薪を割るような音がして何かが足元に転がってきた。すかさず中村がそれを拾い上げ、「クックドゥードゥルドゥー」と言いながら私の鼻面はなづらへ押しつけてきた。


「ちょ、やめてくださいよ」


 無駄に力の強い中村の腕を払いのけ、その手に握られているものを確認しようとしたのだが、私が視線を向けるなり「自分が見つけたんですよぉ、あげませんよぉ!」とわめかれてハーフパンツのポケットに隠されてしまった。


「おう、あんだらぁ、前乗りがぁ?」


 右隣で壁のように立ちふさがっている中村の身体の向こうから声が聴こえ、挨拶をしようと顔を出した私の視線の先に、大きな鳥の首を左手に握り締めて立っている六十代くらいの男の姿が見えた。右手にはなたのような大きな刃物も握られているので、どうやらこれから鳥をめてさばこうとしていたところらしい。


「こんにちは」


「あんだらぁ、前乗りだっぺ?」


 男が繰り返し同じ言葉で訊ねてきたものの、果たして私の認識している『前乗り』の意味で合っているのかどうかははなはだ怪しい。


 失礼を承知で言わせてもらえば、こんな僻地へきちでわざわざ前乗りまでして参加したくなるようなイベントや珍しい行事がもよおされるとは思えない。たとえ催されたとしても、それこそその筋のマニアぐらいしか集まらないだろう。


「えっと、すいません。前乗り、というのはどういう」


「あ? あんだらぁ、まづり見に来だんぢゃあねぇのが? あしだの」


「いえ、そういうわけではないんですけど」


 祭りが行われるぐらいなのだから近くに集落があるのかもしれない。それとも『かむらた山』全域がひとつの自治体にでもなっているのだろうか。ともかく、今は祭りや集落のことよりもカッポギ氏の行方ゆくえを知らないか訊いてみるのが先である。


「自分、お祭り見にきましたぁ!」


 大人しくしていた中村が大声で反応した。これまでいくら聴き出そうとしてもそんなこと欠片かけらも言っていなかったではないか。


ぎがいいなぁ、わげぇのわぁ」


 男はそう言うと「ふんっ」と気合いを入れたような声を発し、左手に持っている鳥の首を力任せにじ曲げてそのままの姿勢で動かなくなった。苦しそうに暴れている鳥を別にすれば、まるで老齢の先生が体力測定で試しに握力を測っているようにも見えなくはない。


「あの」


「キジ鍋ですかぁ? ご馳走になってもいいですかぁ?」


 中村は行方不明の後輩よりも祭りや料理の方が気になるらしく、私の言葉をさえぎると遠慮なく己の欲望を吐き出しながら男へと近づいていった。男はと見ると、気絶したのか絶命したのか、ぐったりとして動かなくなった鳥を目の前の切り株に横たえていた。


「そんなどご突っ立ってっど危ねぇぞ」


 近寄ってきた中村に注意をうながした男は、大上段に構えた刃物を鳥の首に目がけて勢いよく振り下ろした。先ほど聴こえたのと同じ乾いた小気味こぎみよい音が響き、私の足元にカラフルな羽根を生やした鳥の頭が転がってきた。

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