カズユキ
中村はいつもより黒目がちに思える瞳で私を見つめながら、犬のような低い唸り声を喉の奥から発し、やがて気持ちが昂ったのか「ううぅ海、最高でぇす!」と叫んだ。
他人のプライベートを詮索する気は毛頭ないが、もしかしたら中村のテンションが高いのは、薬物を使用しているからなのではないだろうか。食堂で話したときもドーピングという単語にやたらと過剰に反応していたように思えるし、今のも聞きようによっては幻覚を見ている者の言葉とも取れる。私たちがいるのはまごうことなく山なのだ。
「はあ、それは、良かったです」
「なぁんで山にいるんですかぁ!」
それは私のセリフである。あれほど海に関する哲学的思想だか中村イズムだかをぶち上げていたのに、この男は本当に何をしているのだ。たしか言動の不一致は何らかの精神的な病のサインであったように思う。それともこれも薬物の影響下にある一時的な変調のせいなのだろうか。
「このまえ話したじゃないですか。ほら、職場の食堂で」
「そうですよ、ね! だから一緒に探してくださいよぉ」
返答もおかしければ前後の会話も噛み合っていない。だからはどこから出てきたのだ。まともに取り合わない方がいいようにも思えるが、中村は同僚の上に顔見知りでもあるわけだし、いくら薬物で酩酊しているからといって邪険に扱うわけにもいくまい。それに、このまま放置して危ない目に遭われでもしたら寝覚めだって悪くなる。
「わかりました。でも宿に行かなければならないので、長い時間は無理ですよ」
そう言って私は「どの辺ではぐれたんですか?」と訊ねつつ、カッポギ氏を探すために中村と連れ立って残りの坂道をゆるゆると上りはじめた。
最後の坂を下って分岐が見える位置まで戻ってきた私は、「中村さんは、どの道から来たんですか?」と前方を指差し、隣で薄ら笑いを浮かべている同僚に訊ねてみた。
「どの道でしたっけぇ」
おそらく、中村は後輩のカッポギ氏と薬物を用い、それでわけがわからなくなってどこかで逸れてしまったのだろう。さっきから事情を聴き出そうと色々と訊ねてはいるが、話があちこちに迷走しては脈絡のない答えが返ってくるばかりで杳として要領を得ない。
「僕は一番右に見える道から来たんですけど」
「右ぃ? 右ってお箸を持つほうですかぁ?」
「それは、人によるんじゃないですか」
奇妙だと思っていた中村の言動に慣れてきたどころか、むしろ私はその異常さをどこか楽しんでさえもいた。同時に、中村が何の薬物を摂取したのかは知らないが、自分はこんな醜態を晒すのはまっぴらごめんだという決意のようなものを固めてもいた。
「自分は絶対センターですねぇ」
「中央の道ですか?」
珍しくまともな答えが返ってきた。となると、おのずと『みだまや』への道は左のものと確定し、私たちが進むべきはカッポギ氏が見つかる可能性がもっとも高いと思われる真ん中の道ということになる。
「違いますよぉ。写真に写るときですよぉ」
なるほど、これは厄介な事態である。中村から正答を聞き出せない場合、私たちには依然として三つの選択肢があるということだ。もうひとつ、あまり気が進まないが、マツナカ巡査のもとへ引き返して捜索の協力をお願いするという手もある。
「まさか、あそこの分岐で別れたわけじゃないですよね?」
一本ずつ道を辿っていては流石に日が暮れてしまう。それに『みだまや』まであとどれくらいの距離があるのかすらもわからないのだから、カッポギ氏を探すのに私が使える時間といったら一時間かそこらがいいところだろう。
「自分は絶対にセンターですねぇ。ぜぇったいにぃ!」
「それはわかりましたよ。そうじゃなくて、どの道から来たんですか?」
「中村カズユキである以上は自分がセンターです!」
会話の意味はまるで通らないが、中村が写真撮影でのセンター取りに強いこだわりを持っていることとやたらと中央の道を進みたがっていることは、私の袖をぐいぐいと引っ張っているところから嫌でも伝わってくる。
「真ん中、センターの道を行けばいいんですね?」
「カッポギィー!」
突如として獣のような咆哮を上げた中村に、「うるさっ」と悪態を吐いて「いきなり大声ださないでくださいよ」と私が注意すると、「す、す、すいませんでしたぁ」と言って立ち止まると涙を流しながら泣きだしてしまった。
中村の情緒が不安定なのも薬物のせいだろう。普段から身体を鍛えている男がドラッグに頼るというのはどこか矛盾しているような気もするが、もしかすると中村は他人などにはわからない闇やストレスなどを抱えており、その捌け口として誤って手を出してしまったのかもしれない。それとも、カッポギなる人物が悪い後輩なのだろうか。
「いやぁ、ちょっと、泣かないでくださいよ」
「もうしませんがらぁ!」
そう言いながらも中村は大声を上げて子供のように泣きじゃくり、「もうだって、もう!」と怒りなのか悲しみなのか判断のつかない激しい感情を吐き出した。
「ほら、カッポギさん、探しにいくんでしょ?」
すると中村は急に泣き止んで静かになり「行きましょう」と真面目な顔つきになると先に立って歩き出した。
申し訳ないが、カッポギ氏を見つけたら中村のケアはその彼に委ねることにしよう。奇態っぷりがやはり手に負い切れないというのもあるが、休日にまで会社の人間と顔など突き合わせていたらせっかくの開放的な気分が台無しである。





