神使
傀儡宮の参道は石畳の隙間から生えた雑草が私の腰辺りまで伸びており、ずいぶんと長いあいだ人の出入りがないらしいことを伝えていた。頭上を覆う枝葉で辺りが暗くはあるが、それでも藪の中をライト片手に散々歩きまわった私からすれば、こんなひょろひょろの草を掻き分けて進むのは造作もないことである。
雑草を踏みしだいて境内に分け入った私は、制札や手水舎が見当たらないことなどよりも、参道のどんづまりに建っている黒い拝殿が気になって目を離せずにいた。
神社といえば鳥居の朱色や建材の茶色を基調としているイメージが強く、神事を行う場所としても暗い色は避ける傾向にあると思っていただけに、真っ黒な拝殿というのは何やら禍々しいような印象を受ける。
こちらの神社には狛犬すらいないのかと思っていると、台座がないせいで雑草の中に埋もれてしまっている一対の像を参道の両脇に見つけた。神の使いとされる神聖な動物であるはずなのに地面に直置きとは酷い扱いではないか。
間賀津神社の狛蜂のようにこいつも変わり種かもしれないと思い、周りの雑草を踏み均して右側の像の前にしゃがんだ私は、それが想像していたような動物の姿とはだいぶかけ離れていることに一目で気がついた。
しゃがんでいる私の膝ぐらいまでの高さしかないそれは、人間の頭部から蜘蛛のような八本の脚が直接生えた不気味な姿をし、口を大きく開けた顔を真上に向けて、あたかも天を睨んで叫んでいるかのような表情をしていた。
像の顔面には多くの小さな穴が穿たれていて、長いこと雨風に晒されてきたらしいことが窺えるのだが、私には何故かこの異形の像がまだ作られてからそれほど日が経っていない物のように思えた。
左側はどうだろうと移動して確認すると、口こそ閉じてはいるものの、やはりこちらも右の像と同じように頭部から八本の脚が生えた気持ち悪い形をしている。
二体の異形の彫像はどう好意的に解釈しても、子供が想像した生物を職人が言葉だけで説明を聞いて無理やり象ったか、あるいは芸術家を気取った素人か誰かが悪ふざけで作ったようにしか見えない。いくら変り種といえども流石にこれはないだろう。
帰ってから話のネタにでもしようと両方の像をスマホで撮影した私は、雑草のことなどお構いなしに残りの参道を拝殿まで一気に突き進んだ。
拝殿の手前には参道を挟んで二枚の制札が立ち、どういう具合なのか左側のものだけ板が真っ二つに割れており、ところどころ木片が欠けてボロボロになっている。
右側の板から見てみると最初に『鎮守社』と小文字で書かれ、隣に『傀儡宮』とルビ付きの大きな太字が躍っているだけで、他にこれといった謂れなどは何も記されてはいなかった。
続いて左の立て札に目を移すと、はじめに『定』という一文字があり、そのあとに漢数字の『一』を冠した八つの単語が横一列に並んでいた。右から順に『皮剥、舌抜、目穿、鼻捥、喉潰、鼓膜破、萬歯折、蕩水』とあるが読み方はわからない。さらに最後に書かれた締めの文言は『以上の穢れを』の部分で板が欠けてしまっている。
傀儡宮というくらいだから人形に縁のある神社だと思ったのだが、これでは何が何やらわからない。
制札から真っ黒な拝殿に目を移した私は、正面に見えている角の数が四つであることと特徴的な屋根のフォルムから、建物が六角形もしくは八角形のお堂のような形をしているのではないかと当たりをつけた。
拝殿に近づくと鼻を衝く嫌な匂いが漂ってきたので、もしや焼けて炭化してしまっているのではとも思ったが、独特のタール臭から塗装にはコールタールが使われているらしいことがわかった。
どこかに隙間でも空いていて中の御神体でも覗けやしないかと、不心得者まる出しの野次馬根性で黒い壁に顔を寄せた私は、それが建材にただコールタールを塗っただけの代物ではないことに気がついた。
傀儡宮の壁面は隙間なくびっしりと貼られた大小さまざまな紙片で埋め尽くされており、コールタールはその上から塗られているようだった。塗装は場所によって濃淡が疎らで、薄い部分を透かして下に書かれた文字の一部が見えている。
判別できる『厄』だの『封』だのという文字を拾い読みしているうちに、貼られている紙の正体が何らかの護符だとわかり、眼前の建物が急に得体の知れない恐ろしいものに思えてきた私は「うおっ」と声を上げて後ろへ飛びのいた。
これでは神聖なものを祀るというよりも、まるで忌まわしい何かを封じているようではないか。いや、もしかしたら本当に何かがここに封じられているのかもしれない。
壁全面を護符で覆われた傀儡宮のその狂気じみた外観から私は、平家の怨霊から身を守るため全身に経文を書かれた耳なし芳一の話を思い出していた。
多角形のお堂を見据えたままゆっくりと後ずさった私は、サワサワと草葉の擦れる音を聞いたような気がして勢いよく背後を振り返った。目線の高さに見えたのは遠くにある間賀津神社の朱色に塗られた拝殿の扉だけで、実際の来訪者は地面に近い位置をトコトコと歩いてこちらに向かっているところだった。
たいして親しくなったわけでもないのに、それでも見知ったタマコの姿を認めた私は、膨らみつつあった漠然とした不安が急激に萎んだような気がした。
「おーい、タマコやーい。こっちへおいで」
いつだったかテレビで外国人が猫を呼ぶのにやっていた「プスプスプス」という声を真似してタマコを呼んでみる。するとタマコは歩みを止めて顔を上げはしたものの、音の発生源が私だとわかると急に興味を失ったように頭を下げ、また先ほどと同じようにこちらへ向かって歩みを再開させた。
しゃがんで手を差し出した姿勢で待っていると、タマコは流れるような滑らかさでスッと方向を変え、私の右隣を通過してさっさと後方の草むらへと歩き去ってしまった。さっきはあんなに顔を擦りつけてきたくせにつれないじゃないか。
首だけを捻ってタマコの行方を目で追っていた私は、傀儡宮の奥へと向かう彼女がどこへ行こうとしているのか気になりだし、もう一度その後を尾けてみようと立ち上がった。





