第6話 忠誠を誓うは我らが父のみ
お、落ち着こう。
私は大きく、深呼吸した。
別に、私は怪しいものなんて、取り扱っていない。
何一つ、裁かれるようなことはしていない。
……さっきの普遍教会への悪口は別として!
「そこの男!」
が、しかし唐突にセリーヌ司祭は大声を上げて怒鳴った。
目が僅かに吊り上がっている。
「今、あなた、何をしようとしましたか?」
どうやら、シメオンに話しかけているらしい。
「い、いや……別に……」
「嘘を言うと心象が悪くなると、警告しておきましょう。あなたの筋肉の動きから、剣を抜こうとしたことは明白。一応言っておくと、あなたが剣を抜けば……私も正当防衛に出なければいけなくなる」
私の脳裏に、先ほどシメオンが語った、「国王の顔面を殴ったという噂」が浮かんだ。
イブラヒム普遍教会には武装神官と呼ばれる、武闘派のイカれた集団もいると聞く。
もし彼女がその類であれば……私の命はないかもしれない。
「し、シメオン! ……お、お願い、します」
「わ、分かった……剣を捨てる。だから、ショシャナには何もするな!」
「するな? 立場を分かっていないようね。私はあなたに命令している!」
「す、捨てます! すみません!!」
幸いなことに、シメオンは剣を捨ててくれたようだ。
金属が落ちる音がする。
するとセリーヌ司祭は表情は僅かに穏やかになった。
そしてカツカツとブーツの足音を立てながら、私の方に歩み寄ってくる。
彼女の背は僅かに私よりも高かった。
「レヴィ魔導具店の店主、ショシャナ・レヴィ・モーシェ、十三歳。間違いないかしら?」
「は、はい!」
「よろしい。……これから、一切の虚偽・偽証を禁じる。良いわね?」
「はい、司祭様!」
もうこうなったら、ひたすら媚び諂うしかあるまい。
ま、まあ……べ、別に、私は悪いことなんて、し、してないし!
「この店で『悪魔の品』が取り扱われているという通報があったわ。何か、心当たりは?」
「あ、悪魔の品など、取り扱っていません。……心当たりがあるとすれば、私が修理したいくつかの《場違いな芸術品》だけです!」
「なるほど」
セリーヌ司祭はメモ帳に何かを記した。
それから再度、私に尋ねる。
「先程の言葉だけれど、あれは本心かしら?」
「あ、あれは……」
私は息を飲んでから、はっきりと答える。
「く、口が滑りました。せ、普遍教会に反抗する意志は私にはなく、普遍教会と教皇、そして枢機卿団の世俗支配における指導権を認めます」
「お、俺もです! 認めます」
私とシメオンが叫んだ。
するとセリーヌ司祭は一切、表情を変えずに何かをメモ帳に記した。
……でも、このままだと少しだけ、悔しいな。
普遍教会に屈したみたいだ。
と、思った私の口から自然に言葉が漏れる。
「……されど、私が忠誠を誓うのも、服従するのも我らが父のみです」
「お、おい! ショシャナ、お前……」
青い顔のシメオン。
私も言ってから少し後悔……いや、後悔はしない。普遍教会に忠誠を誓う気もなければ、服従する気もないのは本当なのだから。
私の言葉を聞いたセリーヌさんはサラサラと、手元に書き留めた。
私の言葉を証拠として残しているのだろう。
そして……
「それは良かったわ」
穏やかな笑みを浮かべた。
………………
…………
……
あれ?
「い、良いんですか?」
「良いんですか? ふむ……まるで、何か問題があるかのようね? 《場違いな芸術品》に関する記述は啓典には存在せず、そして現在の神学上、これを『悪魔の品』とする解釈は一切なく、それ故にそれの取引を禁じる法律もなく、また現行の法律にも法学上そのような解釈はない。ええ、問題はないわ。それを知っているからこそ、あなたも販売したのでしょう?」
「は、はい……そうです」
私は頷いた。
仮に《場違いな芸術品》が『悪魔の品』であるとすれば、アブドゥル・サイードさんとその愉快な仲間たちはとっくに火炙り刑だろう。
それに私だって、馬鹿じゃない。
《場違いな芸術品》の修理販売が合法か非合法かはしっかり調べた。
そして調べた上で問題ないと判断したのだ。
「……《場違いな芸術品》を修理したような事例は存在しないので、純粋な販売とは少し事情が異なります。しかし違反であるという法律がないということは、事実上、それは合法です。また、もしこれが違反であるとする法律がのちに施行されたとしても、法の不遡及原則により、現在の私の行動が罰せられるようなことはない……そうですよね?」
「満点! ええ、その通り。十三歳なのに、ちゃんと法律を理解していて、偉いじゃない。頭の悪い通報をして人の仕事を増やした馬鹿共に爪の垢でも煎じて飲ませてあげたいくらいだわ」
私の考えは間違っていなかったらしい。
上機嫌でセリーヌ司祭は言った。
さらに普遍教会の立場を続けて述べる。
「そもそも、《場違いな芸術品》なんていう、毒にも薬にもならないようなものを取り締まるほど、私も、私たち普遍教会も暇じゃあない。……もっとも、『悪魔と契約している人間がいる』などと通報を受ければ、一応は調べなければならないけどね。……面倒くさい」
面倒くさい。
その言葉は間違いなく、セリーヌ司祭の、そして普遍教会の本音だろう。
イブラヒム普遍教会は実はかなり寛容な組織だ。
それは私たちのような異端者――彼らからすれば、であり、勿論本来正統であるのは私たちなのだが――が大手を振って商売ができている時点で分かるだろう。
イブラヒム普遍教会が気にしていることは、たった一つ。
『普遍教会に対して、反逆の意志があるか。現在の秩序を乱す恐れがあるか、否か』
それだけだ。
そして《場違いな芸術品》なんてものは、彼女の言う通り、毒にも薬にもならない。
こんなどうでも良いものを取り締まるほど、普遍教会は暇ではない。
イブラヒム普遍教会は決して働き者ではない。
怠け者だ。
「魔女だ、悪魔だのと、全く、馬鹿馬鹿しい。そんな何の根拠もないような妄言のために動かなければならないこっちの身にもなって貰いたいものだわ。はぁー……ところで、先程の私と、普遍教会への悪口だけれど」
「は、はい!」
少しだけ、緊張してしまう。
が、しかし強張っている私に対し、セリーヌ司祭は冗談めかした声で言った。
「もし仮に、普遍教会の悪口を言っているという理由で火炙りにしなければならないのであれば、私たちはこのバスコ地区ごと、燃やし尽くす必要が出てくるわね。勿論、そんな暇もなければ利益もないけど」
そんな暇はなければ利益もない。……やろうと思えばできる、ということか。
まあ……世界中のユタルの民が本気で反抗すれば、イブラヒム普遍教会の支配にヒビの一つや二つを入れることもできるだろうし、わざわざ余計な反感を買うことはしない、か。
「最後のショシャナの言葉だけれど……」
「はい」
「主にのみ忠誠を誓い、服従する。ええ、その通りね。普遍教会は【鍵の権限】を持つ者であり、教皇や枢機卿団はすべてのイブラヒム教徒に対する指導権を持つ……それは私も認めるところであり、だからこそ、そこで働いているわけだけど、真に忠誠を誓うことも、服従する気もないわ。なぜならイブラヒム教徒が真に忠誠を誓い、服従するのは主のみなのだから。……だから、何一つ、問題はないわね」
「真に忠誠」か。忠誠に“真”も“仮”もないとは思うけれど……
余計なことは突っ込まないようにしよう。
「……もっとも、庇いきれない限度は存在する。下手なことは言わないようにしなさい。これは私からの忠告よ」
「き、肝に命じます! ほら、あなたも!」
私はボーっとしているシメオンに促した。
シメオンはカクカクと頷く。
「は、はい……本当に、申し訳ありません」
するとセリーヌ司祭は目を細めた。
「まあ、全部事実だから気にしてないわ。でも、ガリア王の顔面を殴ったのは事実ではないわ。正確には、髪を掴んで床に叩きつけて、大人しくさせたのよ」
……それはもっと酷いのでは?
と思ったが、下手なことは言わないように私は口を閉じた。
「異端審問官として私があなたに言うべきことが他にあるとすれば、悪魔がどうのこうのなどという非科学的な迷信を信じている馬鹿共に嫉妬されて、大変ね……という同情の言葉かしら? 若いと大変よね、いろいろと舐められて、些細なことでいろいろ言われたりして」
ガリガリと、左手首を掻きむしりながらセリーヌ司祭は言った。
どうやら相当なストレスをお抱えになられているようだ。
「と、話がずれたわね。とにかく、用件は以上よ」
「そ、そうですか。では……」
早速、お帰り頂こうとしたその時だった。
「でも、セリーヌ・フォン・ブライフェスブルクとしての用件はまだ終わってないわ」
そう言うとセリーヌ司祭は、否、セリーヌさんはその死んだような目を僅かに輝かせながら言った。
「私、《場違いな芸術品》なんてくだらないと思っていてね。ええ、だって動かない鉄の塊でしょう?……でも、それが動くとなれば、話は別。そして、それを修理できる人がいるならば、尚更!」
とても楽しそうに、花が咲くような笑顔を浮かべ、セリーヌさんは言った。
「是非、見せて欲しいわ! 可能であれば、仕組みを教えて!!」
評価、ブクマ等をしてくださりありがとうございます
これからも応援をよろしくお願いいたします