第30話 合理的な法律
「久しぶり、ショシャナ」
「ショシャナ様、冷やかしにきましたよ!」
「お二人とも、露骨になりましたね」
私がとある書類の束を眺めていると、銀髪金髪のいつものコンビが現れた。
「別に良いじゃない? だって、今日は実質、休業日なんでしょう?」
「どうせ、お客さんも来ませんしね」
「まるでうちの店が常に閑古鳥が鳴いているかのような言い方はやめて頂きたいんですけどね」
今日は安息日――第七曜日――の前日――第六曜日――だ。
安息日は基本的に仕事もしてはならず、料理のために火を使うのも禁止、家から出ることも非推奨と、“安息”はできても“遊ぶ”ことはできない。
ついでに安息日の準備も必要。
そういうわけで第六曜日は休日とする人が多い。
うちの店も基本的には第六曜日は休日と定めているが……まあ、しかし私はインドア派なので第六曜日であっても引き籠って本を読んだりしていることが多い。
本を読む以上は家で読もうが店で読もうが変わらないわけで、私は特に出かける用事がない以上は一応、店を開けているのだ。
前にも言った通り、うちの店は魔導具の修理を主とし、客単価も高いのでお客さんの出入りは少ない。
魔導具の修理をしない以上は開けていても別に忙しくはないのだ。
「ところで、セリーヌさんはお仕事、大丈夫なんですか? 十二使徒派は第六曜日は休日ではないでしょう?」
先程の話はあくまでユタル派、ユタル人の慣習である。
多数派のイブラヒム教十二使徒派には関係ない。
が……
「そんなことを言ったら、聖職者に休日がなくなってしまうじゃない?」
「礼拝日があるじゃないですか」
十二使徒派は第一曜日を礼拝日と定め、この日を休日としている。
教会へ礼拝に行く日……と定められているが、エスケンデリア市の十二使徒派はさほど守っていないようだ。
勿論、ユタル人には関係ない。
「聖職者はその日、休めないでしょう?」
「言われてみれば、その通りですね」
聖職者はその日、説法をしなければならない。
つまり体を休めることはできないわけだ。
何とも奇妙な話である。
「だから休日は別の日に用意されているのよ。だから今日は休み」
「へぇー、なるほど。それで本日はどのようなご用件で?」
「セリーヌ様が美味しい魚料理のお店を見つけたということなので、せっかくなのでお誘いに来ました」
「ほら、今日は斎の日でしょう?」
斎の日。
これは十二使徒派もユタル派も共通だが、一般的に第六曜日は獣の肉は食べてはならないとされている。
ただし魚は獣ではないので、問題ないというわけだ。
「そうですね……丁度お昼ですし、うん、行きます」
私は丁度読んでいた書類を置き、立ち上がった。
今日は閉店だな。
そのお店はエスケンデリア市の港近くにあった。
なるほど、少しお高そうだが……それ故に味も期待できそうだ。
お部屋は個室になっていた。
寛げそうなので、ちょっと嬉しい。
「ふむ……当店では血液等が付着せぬよう衛生に気を使っており、また調理器具を分けて使用しております、か」
つまりユタル人含め、ある程度の食事制限がある“公認異教・異端”への配慮があるというわけだ。
まあ、エスケンデリア市はユタル人以外にもいろんな“異教・異端”が存在するので、ある程度の格式の高いお店は同様の配慮が存在するけど。
「へぇ、美味しそうですね」
ちょっと目移りしてしまう。
あ、生魚もあるんだ。カニとエビも……でも量が多いな。
「いろんな料理を頼んで、分けて食べません?」
私が提案すると、セリーヌさんとシャルロットさんは顔を見合わせた。
そして頷く。
「良いわよ」
「構いません。……ところで、ユタル派は海産物に関しては制限はありませんでしたよね?」
「獣肉は厳しいですが、海産物は大丈夫ですよ。『海のものは死肉であっても食べてよい』と預言者はおっしゃられています」
確か預言者が鯨を食べたエピソードだったかな。
まあ、とにかく問題はない。
「取り敢えず、ショシャナに選ばせちゃって良いかなと私は思うんだけど、シャルロットは?」
「そうですね。ここは年上として、年下に譲りましょう」
それはまたありがたい話だ。
じゃあ、遠慮なく
「じゃあ、とりあえず……このタコと生魚とオリーブ油の和え物、エビのスープ、塩茹でのカニ、あ、生牡蠣も食べたいです。……苦手な物はありますか? あと、他に食べたいものがあったら、足してくれても構いませんが」
「タコかぁ……」
ぼそり、とセリーヌさんは呟いた。
苦手だったか?
「苦手ですか?」
「うーん、まあ生魚は食べれるし、避けるから良いわ。というより、私からするとよくあんな気持ち悪い生物を食べれるわね」
そんなに気持ち悪いだろうか?
私は割と見慣れているのでそうは思わない。
預言者だって食べて良いと言ってくれているんだし、それに……
「豚の方が個人的には汚いし、穢れていますし、嫌ですけど……」
「屠殺して火に通しちゃえば別にどうということはないと思うけどね、十二使徒派としては。汚いという意識もそこまで……私の生まれ故郷では外は豚が闊歩してたから、特には。豚に起こされることもしょっちゅうだったし」
「うぇー」
私は思わず眉を顰めた。
想像しただけで汚い話だ。
「というか、セリーヌさんって貴族じゃないんですか? フォン・ブライフェスブルク、ですよね? 最近知ったんですけど、ブライフェスブルクって選教候でしょう?」
つまり家柄としてはシャルロットさんと同等ということになる。
貴族の中の貴族が、豚と一緒に生活していたというのは少々、想像しにくいが。
「あー、それはね……」
セリーヌさんは少しバツが悪そうな表情を浮かべた。
そして頭を掻いてから答える。
「養子なのよ。生まれは……農奴よ」
そういうセリーヌさんの表情は少し暗かった。どうやら聞いてはいけないことを聞いてしまったみたいだ。
しかし農奴か……
「農奴の生まれで司祭になるなんて、凄いですね!」
「そう?」
「だって、不利を乗り越えてしまうくらい、セリーヌさんが優秀だって、ことでしょう?」
「ま、まあね……」
あ、少しニヤけた。
この人、ちょっとチョロいところがあるな。
「話を少し戻しても? とりあえず……私はこの魚介のパスタが食べたいです。セリーヌ様は?」
「え? あ、そうね……じゃあ、ムール貝と米の炒め物。ついでに白葡萄酒を頼むわ」
とりあえず、料理を注文することになった。
料理が来るまで、一服してようかな。
私は煙管を取り出した。
「はい、タコ食べたい人ー」
「あ、じゃあ私が貰います。好きなんです、生のタコ。吸盤が特に」
私はセリーヌさんの分までタコを自分の皿によそう。
塩とオリーブ油とニンニク、レモンで味付けされたタコにフォークを突き立てて口に運ぶ。
あ、美味しい……
「ふふ、面白いですね」
何が面白いのか、シャルロットさんは楽しそうに笑った。
「今のやり取りを見て思いましたが、やはり食事制限やタブーというのはその地理的環境に左右されると思うんですよ」
「……ふむ、続けなさい」
セリーヌさんは白葡萄酒を飲みながら頷いた。
シャルロットさんは得意気に“自説”を披露し始める。
「というのも、ですね。セリーヌ様は内陸部の出身……だからタコは苦手。一方、ショシャナ様は沿岸部の生まれであるが故に魚介類を忌諱する感情がない。そういうことじゃないかと、私は思うんですけどね」
「……貝やエビは? 魚は川魚がありますけど」
タコは食べれないのに、貝とエビが食べられるのは変な話に思える。
私が質問すると……それにはセリーヌさんが答えてくれた。
「貝はカタツムリ、エビはザリガニを食べてたから、割と見慣れているわ。タコは川にいないけどね」
なるほど、納得だ。いや……しかしカタツムリか。
ちょっと、その発想はなかった。
「ところで、ショシャナ様がダメで、逆にセリーヌ様が大好きな豚ですが……勿論、これは宗教上の戒律の違いによって決定されたものではありますが、それだけでは片手落ちです」
「そうかしら? 私にはそれ以外の違いは見えないけど」
セリーヌさんはそう言ったが、私は少し分かるぞ。
シャルロットさんに指摘されて、今初めて気づいたけど。
「いえ、セリーヌさん。実は……十二使徒派でも、豚を食べない人は結構、いるんですよ。このエスケンデリア市では」
「正確にはエイギプトゥス地方、ですね。エイギプトゥス地方を始め、この地方から東側、特に気候的に乾燥していたり、砂漠が目立つ場所では、十二使徒派であっても豚を忌み嫌います」
なぜ豚を食べないのか、と言われたら私は啓典に書かれているからと答える。
だが、もし神学者が豚は食べても良いという判断を下しても、私は多分、豚を食べない。
何となく……汚い気がするからだ。
「なるほど、シャルロット。あなたが言いたいことは見えてきたわ。そうね……現状、十二使徒派は豚を食べることを認めているわ。でも、かつては認めていなかった。そして大昔、豚を食べても良いか、食べてはならないか、神学上の論争があったのも事実よ。大昔、だけれどね」
あ、それは私も聞いたことがある。
「確か、主に西側、西方の神学者たちは豚を食べても良いと主張し、東側、東方の神学者は食べてはならないと主張したんですよね? 論争は引き分けに終わり、各々の判断に任されたと聞いています。そして……最終的に西方で生まれた普遍教会が指導力を持つに至り、なし崩し的に豚の食用が認められた、と」
「ユタル人なのに、随分と詳しいのね」
セリーヌさんが感心した表情で言う。
私はウィンクで返した。
「“異端”だからこそ、普遍教会の歴史は客観的に見ることができると、私は思っていますよ」
さて、なぜ西方の神学者たちは豚を食べても良いと言い、東方の神学者は食べてはならないと主張したか。
これは簡単で、東方では豚はあまり食べられなかった、もしくは忌諱されていたため「食べてはならない」という教義が特に抵抗もなく受け入れられたが、しかし西方では豚を食べる文化が盛んであったため、受け入れられなかったからだ。
つまり布教に問題が生じ、解釈変更の必要に迫られた。
と、ここまでは共通認識。
しかし……疑問だな。
「どうして西方の、まあ正確に言えば西方の、特に北方、ガリアやゲルマニアの人は豚を忌諱せず、私たちは忌諱するんでしょうかね?」
西も東も豚の見た目は変わらない。
どっちも“汚い”ことは変わらないと私は思うんだけどね。
「それは多分、豚と同棲していたセリーヌ様が良くご存じです」
「言い方が悪いわよ、言い方が! ……まあ、森林の有無ね」
「森林?」
「正確には広葉樹、つまりドングリを実らせる木の数じゃないかしら? 私たちは豚にドングリを食べさせてたけど、エイギプトゥス地方ではドングリはないでしょう?」
ドングリ?
うーん、栗みたない木の実だとは聞いたことがあるが、見たことはない。
少なくとも身近な存在ではない。
私が頷くと、セリーヌさんは「やっぱりね」とでも言いたげな表情を浮かべる。
「私の生まれ故郷じゃあ、秋には見飽きるほどのドングリが実ったわ。それがない以上、豚には草か、それとも穀物を食べさせるしかないわね」
穀物を豚に食べさせる?
うーん、それは正直、ちょっともったいない……ああ、そういうことか。
「エイギプトゥス地方では豚に食べさせるドングリがなく、太らせるには穀物を食べさせるしかない。故に豚が忌諱されるような文化が誕生した……シャルロットさんはそう言いたいんですか?」
私がそう言うと、シャルロットさんは満面の笑みを浮かべた。
「その通りです! ご存じの通り、イブラヒム教は乾燥地帯で生まれた教え。主の啓示を受けた預言者イブラヒムの住む土地ではきっと、森林が少なかったのでしょう。そこでは豚を育てるのは、極めて不合理だった。富裕層のために豚を育てれば、穀物の価格が上がり、庶民は苦しむ。故に豚が禁じられたのです」
なるほど、それは確かに面白い。
納得がいく説明だ。
私は生ガキにレモンと岩塩を振りかけてから、口に運ぶ。
あ、美味しい……
それにしても……その理論ならば他の戒律にも説明がある程度、できるな。
私は牡蠣を飲み込んでから口を開く。
「逆に食べても良い動物としては、四つ足で蹄が分かれ、反芻する動物が挙げられています。牛、羊、山羊、駱駝……すべて草だけでも十分に育つ上、乳を出します。つまり庶民にとって都合の良い動物です」
「犬や馬は役立つ動物だから、食べてはならないってわけね。うん、合理的だわ」
私とセリーヌさんはうんうんと頷きながら、シャルロットさんの“自説”を肯定する。
やや粗削り感は否めないし、例外もあるだろうけれど、九割方はそれで説明できそうだ。
私とセリーヌさんが多いに納得しているところで、シャルロットさんはまとめに入ろうとする。
「あらゆる宗教的・文化的な慣習は、その発祥地域に於いては地理的・経済的にも非常に合理的な“法律”なのです。つまり……私の言いたいこと、分かりますか?」
そりゃあ、もう、勿論。
「やはり主は偉大であるということですね」
「十二使徒派もユタル派も、預言者イブラヒムの教えに照らされて生きているものね」
私とセリーヌさんが、同じ啓典の民として、預言者の教えに感服していると……
何故かよく分らないが、シャルロットさんは渋い表情を浮かべていた。
「あー、結局、そういう結論になっちゃうんですねぇ……」
そういう結論とは、何だろうか?
それ以外の結論など、ないと思うけれど。




