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Kenny Burrell – Moon And Sand
を 聴きながら
””
穏やかな言葉を操る方への目とそうではない方への目では、
後者の方がずっと厳しい目となるだろうと思う。
最近の私の言葉が強いので、私を見る方の目が厳しさを増してきたことを肌で感じて、ぞくぞくしている。非常にうれしく、有難いお話だ。
ここのサイト様が成熟した素敵な場所だと私が感じるのは、そういったバランスがとれているからだ。
安心できる。
自浄作用がきちんと働いていて、そんな場所に籍を置かせていただいて、こうしてものを書けることそのものが有難い。嬉しい。
私は、大したものを作り出せないけれど、そういった雰囲気は嬉しい好きだ。
綺麗な場所は、本当に貴重だからこそ、有難い。本当に心から嬉しい。
言葉での極端な拒絶反応や、過剰な反応がないことも安心出来る理由のひとつ。
私は、自分が屑であり、変わった人間だとこちらで何度も申し上げているけれど、それに対しての過剰な反応もなく、本当に、ここは素敵な場所だ。有難い。
息ができる。
私は、人に言葉を強要したくはない。(誤解を受けやすい事柄なので)
何故か、強要されているようにとられることもあるような気がしているので、そのような気持ちは
ないのだということだけは誤解のないようにこちらに記載して。
色が違えば見える景色が変わってくるのと同じで
言葉は、絵の具の色と同じようなものだと私は思います。
それそのものだけでは、全体を見せないもの。
強い言葉だけを目にしてその方の全体をみるのは不完全であると同時に
全体的な印象を引き締めたり、拡張させたりすることが出来る印象をつかさどる言葉は
人の印象をいくらでも変えていくものでしょう。
私は、私をどのように見ていただいても構わなく、そして、そうであるほど嬉しい。
ケアも含めて、自浄作用を見つめて。
有難う御座います。
私では
出来ないこと
ここは素敵な場所だ。




