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チキン・ランナー

作者: M川

 日差しがまぶたを通して網膜を刺激する。まぶしい。どうやらカーテンを閉め忘れて眠ってしまったらしい。ビルとビルの谷間が陽光できらめいている。

 体を起こして伸びをする。背骨がパキパキと音を立てる。

 欠伸。心地よい脱力感が二度寝の欲求をくすぐる。あぁ、眠い。

 しかしそうもいかないのは、予備校に行かねばならぬから。目を擦りつつ、階下へ降りると母さんが包丁を振りかざして襲い掛かってきた。顔なんかもうね、すげえの。楳図かずおの漫画みたいな、こう、「ギャーッ」て感じの。

 俺としても寝起きに分けも分からずぶっ殺されるのは御免なので、「わあ」とか「ぴゃあ」とか「うきょきょ」とか言って逃げるんだけど、何しろ家は狭い。そんな鬼ごっこのできるほどのスペースはないわけですよ。すぐに襟首を掴まれて、床に引きずり倒された。

 「ちょっと、母さん。何するの」

 俺の顔面目掛けて包丁を突き刺そうとするママン。なかなか酷い。ヒトの親としてあまり推奨できる行為じゃあないよね。

 母さんは地球語とは思えない支離滅裂な奇声を発して、その銀色を振り下ろした。


 あ。

 死ぬ。

 死ぬる。


 死にたくないので床を転がる。包丁は、先ほどまで俺の頭のあった場所にガッシリと突き立っていた。フローリングの床を貫き通して。引くわぁ。

 母さんが包丁を抜こうとするも、床材にしっかり食い込んだ刃は中々抜けない。これはチャンスだ。

 チャンス?

 何のチャンスだ?

 俺の目の前に選択肢が現れた。


 1/ この隙に逃げる

 2/ この隙に取り押さえる

 3/ この隙に警察に通報する

 4/ この隙に征服する


 なんだ、征服って。どういう意味だ。

 俺は1を選んだ。取り押さえた所で、いつかは解放しなければならないわけだし、そうなったらまた襲われるかもしれないし、だったら俺が去れば良いやと思ったので。

 さよなら我が家。グッバイママン。


 俺は家を出ます。なんとなれば、死にたくないから。

 しかし母さんに背を向けて玄関に向かう俺は、後ろから誰かに抱きかかえられた。そのまま持ち上げられ、後方に放り投げられる。後頭部から電話機に突っ込む。

 飛びかけた意識を必死で手繰り寄せて、焦点をあわせてみると、スーツを着た父さんがメガネを光らせてこちらを睨んでいた。どうやら、父さんは実の息子に投げっぱなしジャーマンスープレックスを決めたらしい。そういうのって理不尽じゃん。あれですか。ここ数年来流行っているという噂のドメスティックバイオレンスですかこの野郎。

 「ちょっと、父さん。何するの」

 先ほどとほぼ同じ台詞を口にする。別にストックが無いわけじゃない。本当に状況が分かってないんだから、仕方が無いじゃないか。ねえ。

 父さんが拳を振り上げて俺に飛びかかってくる。俺の上に伸しかかって、拳でガンガンガンガン殴るものだから、いくら腕や掌で防いでも、その隙間からガンガンガンガンぶち当たるものだから、ガンガンガンガン頭が揺れて、これは本格的にヤバイんじゃないかと思い始めた頃、父さんが「むぅ」と呟いて前のめりに倒れてきた。

 父さんの額が俺の顔の真ん中にぶち当たる。鼻の柱がビーンと痺れた。

 別に、父さんは頭突きをしてきたわけじゃないことを俺は既に把握している。なぜなら、普通頭突きをするヒトは白目を剥いたりしないものだ。白目は、大抵頭突きをされたヒトが剥くものなんだぜ。

 父さんの首の後ろでは、先ほどまでフローリングの床に突き立っていた包丁が新しい居場所を見つけていた。若干錆の浮いた刃が延髄の当たりをブッツリと横断している。ひでぇ。マジでひでぇ。

 今は脳がパニクってるから、肉親が失われた悲しさとか、一瞬でそのヒトの積み重ねてきた歴史が雲散霧消したことに対する遣り切れなさとか、そういうものを感じる余裕はないのだけれど、ひと段落ついたら俺は泣き叫ぶに違いない。


 イヤだ、俺は泣き叫びたくない。

 悲しいのはイヤなんです。

 切ないのはキライなんです。


 俺は父さんの骸を押し退ける。母さんの姿は無かった。台所の方からガチャガチャと音がする。思うに、新しい凶器を探しに行ったのだろう。俺は、父さんの首の後ろから生えているソレを抜こうかと検討してみる。やめにした。抜いたら出血が酷くなるって言うし。いや、もう無駄かもしれないけど。

 分けが分からない。何が起こっているのか、本当に、全く、何も分からないんだ。自分が目を覚ましてだよ、家族が家族の姿のまま家族以外の何かになってた場合、俺はどうすればいい? どうすればいいんだ? 聖徳太子ならこんなときどうしただろう。ナポレオン・ボナパルトならこんなときどうするだろう。そんでもって、あんたならどうするのさ。なあ、おい。


 テレビの音が聞こえる。

 トントン、サクサクという、野菜を切る音が聞こえる。

 トントン。

 サクサク。


 俺はダイニングを覗く。

 母さんが料理をしていた。

 先ほどまでの狂気は、微塵も感じられない。

 俺は思う。なんだ、日常じゃねえか。

 全部なかったことになったんだ、と、思った。思えた。うまく思えた。

 テレビがついている。今さっき、母さんがつけたのだろうか。それともずっとついていたのだろうか。

 キャスターが異常なニュースを伝える。

 昨晩の0時を回った頃、急に正気をなくして者が人間に襲い掛かるという事件が、同時に何件も発生した。と、いうこと。

 その原因は依然不明。と、いうこと。

 『成った』人間は、自分以外の、動く人間、を見ると途端に『発症』し、襲い掛かってくるのだということ。

 その現象は一種の奇病のような性質を持ち、誰か一人が『発症』すると、周囲の人間は高確率で『成って』しまうということ。

 まるで、伝染するかのごとく。仲間を増やすかのごとく。

 そう報道するニュースキャスターが急に悲鳴を上げた。

 やめ……、何を、何をするんですか!

 キャスターは金鎚を持った小太りのおじさんに襲われていた。スーツを着て眼がねをかけている。このニュースの後で登場するはずの、気象予報士だった。

 その後で響いた絶叫は、なんというか、筆舌に尽くしがたいというか、無理やり文字で表現するならば、『ぎょえー』あたりが妥当だろうか。

 異常な雰囲気を察したママンが、テレビの方を振り向く。目を見開き、口元に右手を当てている。一体何が起こっているのかしら、という、驚きの表情。まっとうな、至極まっとうな反応だ。


 「母さん」


 俺は声を掛けてみる。

 母さんはこちらを見た。

 母さんと眼が合って、しばらく沈黙。

 母さんの瞳が、段々濁った青黒い光を帯びてきたような気がした。

 母さんは後ろ手に包丁を取ると、逆手に構えてこちらに駈け寄ってくる。

 小走りで。野菜の切り屑を張り付いたチキンナイフを片手に。俺を殺すために。

 だから俺はやっぱり逃げる。誰も殺したくないし、かといってブッツリ殺されて生贄のチキンみたいな運命を辿るのも嫌だから。

 きっと町中でも、同じような事件がおきているに違いない。

 父さんや母さんみたいに、『成って』しまった人間が沢山いるに違いない。

 俺みたいな、背を向けて駆けることしか出来ない逃亡者が沢山いるに違いない。

 だから。


 だから、逃げよう。逃げ続けよう。


 いつまでも。いつまでも。


 チキン・ランナー。

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― 新着の感想 ―
[一言] 読みました。これは面白いです。こういうの好きです。またお願いします。
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