緒沢タケル編13 ヘファイストスの葛藤 天使
一度ネレウスは、首を左右に振って自らの発言を戒めた。
「おっと、失礼しました、
今の私の言葉、一箇所訂正いたしましょう。
ポセーダーオンが天空の『奴ら』の未来を見通していた・・・、
というくだりは、恐らく後世の創作が入っているかもしれません。
確実に言える事は、ポセーダーオンが何らかの切り札を握っていた・・・、
その為に『奴ら』は、
人間を絶滅させることも、ポセーダーオンの命を奪うこともできなかった。
そこで、奴らはポセーダーオンと一つの密約を果たした。
それがどんなものなのか、全くわかりませぬ・・・。
あなた方にも伝わっているポセーダーオン復活の時・・・、
それすらも彼らの契約のうちなのか、
それとも契約が破棄された時なのか、
愚かなる我ら、人間たちには知るすべはないと言う事なのです・・・。」
今の話もかなり衝撃的とも言えるが、
その内容のうち半分は、タケルも地上で美香や日浦やサルペドンから聞いている。
ただ真剣に聞いていなかったからこそ、
この場で、その重要さに気づいて神妙にならざるを得ない。
まさか、こんな外界と隔絶された土地で、そんな話になるなんて・・・。
タケルには質問どころではないのだ。
そこでサルペドンが聞きたかったことを口にする。
「それで・・・さっきのオリオン神群の話は?
ポセイドンが大地を揺らすのは自然と言えるのだろうが、
ゼウスやハデスは何をルーツとして、あれだけの力を振るえるのだ?」
ネレウスは「おうおう、いけない」とでもいった挙動で、サルペドンを見上げる。
「これは失礼しました、
そうですな、
では、こう考えてみてください。
かつて地上を支配していたポセーダーオンは全知全能の神・・・、
大地を揺する・・・などという能力は、御神の力のほんの一端だとしたら・・・。
例えば、嵐を巻き起こしたり、雷鳴を響き渡らせたり、
或いは、
目の前の敵から・・・生命力を吸い尽くすことができたり・・・
とかですかな。」
ネレウスの最後の例えの意味・・・。
それは真っ先にサルペドンが気づく事となる。
「まさか・・・! ネレウス殿!
あの『嘆きの荒野』でタナトスの生命力を吸い尽くしたのは・・・!?」
気のせいだろうか、
ネレウスは笑ったようにも見える・・・。
「確証は何もありませぬ・・・。
ただの老人の妄想かもしれません。
ですが、あの場にポセーダーオン様がいらっしゃったというのなら、
辻褄はあうのではないですかな?
オリオン神群の中に、異なる系統の力を同時に併せ持つ者などおりますまい?
確かに100年以上前、この地を治めていたポセイドン様が帰ってこられたのなら、
大地を震わすことも出来たでしょうが、
あれだけのパワーなどお持ちではなかった筈ですし、
何より、タナトス様の生命力を吸い取ることなど不可能なはず・・・。
そして同時に、それがオリオン神群のルーツを示すことにもなりましょう。
オリオン神群の一人一人、
それらのルーツは、
ポセーダーオンの内の、ただ一つの面を受け継いでるだけに過ぎないのです。」
ネレウスの演説は更に熱がこもる。
「ですが、
敬うべき神を地上から失った人間たちは、
ポセーダーオンの存在を忘れ、
その受け継いだ力のほんの一部を、遺伝子の中に保持したまま、
やがて大きな間違いを犯してしまう・・・。
大きな間違いとは何か?
それは、自分たちを滅ぼしかけた天空の『奴ら』を、
人間の『救世主』と認識してしまった事!
いえ、それは勘違いなどでなく、意図的なものなのかもしれませぬ。
『天空』の者たちは、人間の前に姿を見せないが故、人間は勝手な想像を膨らませる・・・。
彼らが『慈悲』の心を有していたから、人間たちは生き延びる事ができた、
罪深い者達のみ命を失い、
新たな『神々』に忠誠を誓う者のみ、生きることを許された、
・・・そんな考えが、真の主を失った人間たちに広まってゆく。
そして、いつの間にか『侵略者』は『神々』へと変貌したのです・・・!
それが、
ゼウスやその他の宗教に代表される、天空の神々の正体・・・。」
今までの話は、
ネレウスが自分で言ったように、真実だと断定する必要もないしその確証もない。
タケル自身、内心で思っていたわけだが、
大昔の誰かが勝手に考え付いた絵空事、と決め付けたって問題はない・・・。
だが、タケルも今まで身に起きたことを冷静に思い出し始めていた・・・。
そういえば、
いつから身の回りに地震が頻発するようになっていた?
まだ騎士団が暴発する前、
日浦義純に連れられていった製薬工場・・・。
あの動物たちが、まるで自分をかばうように行動したのは何だったのか?
何故、自分にルドラの鎧を纏う事ができる?
タケルの父親でさえ、拒否反応が現れたと言うのに・・・。
そして・・・、
タケルはほとんど無意識に自分の額に手をやった。
かさぶたがある・・・。
タナトス戦で意識を失っている間なのかどうか知らないが、
どでかい石でもぶつかった傷のようだが・・・。
最近、鏡をみていないが、ここには大きな痣があったはず・・・。
あれは・・・一体?
そしてここに、
彼らの静寂を破るかのように、足を踏み出した者がいる・・・。
ミィナ・・・。
彼女は吸い込まれるように、壁画の下に赴き、
そこに描かれた「翼ある者」に、その小さな顔を向けた・・・。
「・・・天使。」
「えっ!?」
その場にいるほぼ全員が同じ反応をした。
「ミィナさん、どうしました?」
マリアが簡単な問いかけを行ったが、当のミィナが一番戸惑っている。
「え? えっ?
あたし、今なんか言った!?」
サルペドンもタケルも、
ミィナの反応に「おや?」とは思ったのだが、
二人とも色々考えることが有り過ぎてそれどころではない。
この時、ネレウスを除いてだが、
一番冷静だったのが、クリシュナだった。
「今、確かに天使と仰ってましたな?
そうですね、
キリスト教の文化だったら『天使』ということになるのでしょうか?」
「あ、あ、あたし、そんな事、言ったんだ?
はは、気にしないでくれよ、
悪いけど、こっちの話ってあんまり良く知らないんだ、
話、戻してくれて構わないからさ?」
空に浮かぶ羽の生えた子供・・・、
このイメージで「天使」を想像するのは不自然ではない。
故にタケルもサルペドンも、ミィナの反応など気に留めることもなく、
すぐに彼女の言葉自体を忘れてしまった。
だが同時に、
彼らはもう一つ、大事なことを忘れてもいたのである・・・。
ミィナの生まれ育ったウィグルの伝説では、
近い未来、天使がその村に生れ落ちると言われていたことを・・・。
今までウィグルの村に伝わる話は、
誰もが、スサノヲやポセイドンの復活譚の一類型と思われたのだが・・・、
ミィナの率直な感想は、
この壁画に描かれている翼の生えた子供こそ、
自分の村で伝えられてきた存在にしか思えなかったのである。
月の天使・・・
だが、それを口に出して言ってしまえば、
まるで自分が、
タケル達の仲間であることを否定することになってしまいかねない。
・・・いや、考えすぎ・・・。
そうだよ、だって、今はそんな事を考えている場合じゃない・・・。
そしてすぐにミィナは、
自分の頭の中から、そんな無意味な思考を追い出してしまったのである。
ついにミィナちゃん、言っちゃいました。
なお、今回のお話は、
「南の島のメリーさんたち」で、
カーリー先生が話していた事と被るものですが、
全てを信じる必要はありません。
立場が変われば、
反対のお話になるわけですから。