最終話
あたりは夜になっていた。
カラダがいやに重い・・・。
ゆっくりと、
草むらに横たわっていた上体を起こすと、
少し離れたところに、
あの少年が立っているのに気がついた。
私たちはお互い黙っていたが、
ついに私は、
何が起きたのか知りたいという欲望に負け、
これらの恐ろしい出来事について、
あらゆる事を尋ねてみた。
この少年の目的、
事件との関係、
緑のもや、
先程の気味の悪い生物、
妻の行動、
彼女達が行方不明になったことがあるという事実の持つ意味について・・・。
少年は、
勿体振る素振りも見せず、
今日、学校であった楽しいことでも話すかのように、
明るい調子で私の質問に答えてくれた。
「昔々ある所に、
アダムとリリスという名の夫婦がおりました、
なんて話は聞いたんだろ、
奥さんからさ?
じゃあそこから先、
後にアダムの妻となったイヴは、
蛇に欺かれて『知恵の実』を食べた。
そして人間は楽園を追放され、
死すべき者となる。
だけどリリスは『知恵の実』を食べていない。
だから人間のように死にはしないし、
『罪』という物も知らない。
そういう意味では、
彼女達は君らよりはるかに神に近い存在かな。
そして今、
彼女は仲間を増やし、
何かを狙っている。
彼女だけでは何もできないけれど、
恐らくは後ろに巨大なものがついている。
たぶん、彼女の連れ合いである『蛇』だろうね。
ぼく?
残念だけど君らには理解できないさ・・・。
さあて、
僕はもう帰らなきゃいけないんだ、
ああ、ちょっとじっとしててくれる?
大丈夫、痛くも何ともないから。
ただ、動いたら・・・
命の保障はできない・・・。」
そう言って、
少年はゆっくりと私に近づき、
私の額に指を伸ばした。
瞬間、私のカラダに電流が走った。
その時すべてが真っ白になり、
私は何も知覚できなくなった。
・・・ショックからゆっくりと解放された時、
私はいつものように、
会社から家に向かう電車の中で、
吊革に捕まって、
ぼーっとしている自分に気づいた。
すべてがいつもと同じだった。
草や土で汚れた衣服を除いてだが・・・。
二日後、
私は密かに妻の郷里へ向かった。
その家は、
かつての有力者の家系だったそうだ。
あの時、
謎の少年は、肝心なことは何も教えてくれなかった。
自分で答えを見つけるしかないということだ。
百合子の父は、
既に亡くなっていて、
その弟さんがその家を継いでいる。
百合子の叔父さんには本当のことは黙っていた。
神隠しに関する取材と偽って頼み込み、
当時の状況を教えてもらうつもりだ。
翌日、
百合子がむかし行方不明になったとき、
彼女が発見されたという谷に案内された。
何も不思議なところはない、
ごくありきたりな光景だった・・・。
そのうち百合子の叔父さんは、
仕事があるからといって家に戻られた。
私は一人で辺りを調べまわることにした。
・・・何だろう?
山道から少し外れたところで、
熊笹に覆われた、
何か奇妙な格好をした岩を見つけた。
笹の葉を払い、
やっとの思いで私の胸元の高さぐらいの岩の前に立つ。
かなり風化してるが、
どうも彫られたものらしい。
一応人型をしているが、
顔は山羊か獣のような顔で、
胸は女性のように盛り上がっている。
それでいて腰には男根が屹立しているのだ。
背面には漢字が彫られている、
・・・羅・・・目・候?
何だっけ?
・・・聞いたことあるような・・・。
「ここで何をしている?」
私はギクリとして後ろを振り返った。
・・・あの少年だ。
薄気味悪い奴だ、
この笹の茂みの中を、
音もさせずにどうやって私に近づいたんだ?
彼は私の答えを待たずに話を始めた。
「へえ、ラゴウの像か、
いいものに気がついたね、
これが今度の事件の鍵なんだからね。」
「何だって?
君は何て言った?
・・・この今にも崩れそうな石像が・・・?」
彼は全てを了解してるかのように、
涼しく笑いながら口を開いた。
「ラゴウってのは、
元々中国の天文で、
日蝕や月蝕を起こす星とされてるけどね、
ま、そんなのはどうでもいい・・・。
問題は、
こいつの正体が何なのか、という事・・・。
あなたは、
今から2年前起きた、
中央アジア未開村への日英合同調査隊が、
たった一人を除いて全員行方不明になった事件を知っている?
その一人も、
今じゃその件に関しちゃ何も喋らないけどね、
それで、
その村で崇められている神、
すなわち、
森林・山地に潜み、
四方世界に鳴き叫ぶといわれる暴風雨神、咆哮者ルドラ・・・。
そのルドラの神像がこれに良く似ているんだ。
そして村人達は、
合同チームが行方不明になった後は、
この神が地上に復活したと信じている。
そしてこのルドラの異名こそが、
ラゴウ星の天使、
ヨーロッパでの古い名前をヴォーダン・・・、
聖書で言うところの蛇・・・
すなわちリリスの夫ということなんだ。」
それが・・・
そんな古い伝説が一体なんだと言うんだ・・・。
百合子とどんな関係があるというんだ!
まさか百合子が、
そんな化け物の仲間だとでも言うのか・・・!
百合子は子供の頃、ここでさらわれ、
その化け物に何かをされて地上に戻ってきたとでも・・・?
それとも、
既にそれは百合子とは全く違う、
別の生き物に取って代わられたとでも言うのだろうか・・・!?
少年は言葉を続ける。
「わかるかい?
そしてリリスは『死』を知らぬが故に生殖力が乏しい。
だから人間の男と結婚して子供を増やしているのさ。
だけど・・・、
リリスは決して男を愛さない。
用がなくなったら、
男は適当な時期に殺される。
あんたも例外じゃないんだ、
ほら、
後ろをご覧・・・。」
なんて事だ・・・。
いつの間にか、
あの緑のもやが私たちの周りを取り囲んでいた。
熊笹の葉は、
強い風で激しく泣いているにもかかわらず、
ガスは風に干渉される事なくたちこめてくる・・・。
そして私をさらに怯えさせたのは、
振り返った首を元に戻した時だった・・・。
そこに立っていたのは、
あの少年ではなく、
長いこと見慣れた女性がたたずんでいた。
「・・・百合子・・・。」
あの電話ボックスの時と同じく、
白く冷たい顔だった。
「百合子・・・!」
違う! 嘘だ!
彼女が百合子に取って代わった人間だとしても、
彼女は私を愛してくれてたし、
私も彼女を愛していたのだ!
リリスだかなんだろうが問題はない!
「百合子・・・嘘だろ、
ただの冗談なんだろ?
・・・なぁ、おい・・・ 」
「・・・・・・。」
私たちの周りには、
あの黒いいやらしい生物がひしめいていた。
リリコッ・・・、リリコッ、
と機械的な声を発しながら・・・。
・・・一匹のその白い巨大な蛇は、
いまや女性のカラダに戻りつつある。
美しくも白く、
透き通るような肌を露わにしたまま・・・。
彼女は完全に変身を遂げた後、
山道に戻ろうとしたが、
元の道には、
きれいな顔をしたあの少年が立っていた。
しばらく彼女は足を止めていたが、
やがて冷たい声で少年に尋ねる・・・。
「何故、あの人を助けてあげなかったの・・・
天使なんでしょう、あなたは・・・?」
少年は涼しく笑う。
「助ける? この僕が?
何十億もいるんだよ、人間なんて下等動物は。
生かしておいて、何か価値があるって言うのかい?
この前彼を助けたのは、ただの気まぐれさ・・・。」
彼女は少年をにらんでいたが、
やがて、
混沌とした緑色のガスの塊の中に、
自分の腕を、カラダをズブリと入れた。
すると彼女のカラダは、
ゆっくりと凝縮したガスの球体に次第に飲み込まれていく・・・。
そして最後に、
彼女の姿は完全にその場から消えていってしまった・・・。
一方、
少年はしばらく南西の方角を見据えていた。
その方角の先には、
観測史上最大の巨大な台風が、
猛烈な勢いで日本列島に接近しつつあった。
既にその暴風雨圏内に入った沖縄では、
数百人以上の犠牲者が発生していたのだ。
「・・・何故、
助けてあげなかったの・・・か。」
少年は一人つぶやく。
「やっぱり彼女も低俗な感情のある人間なんだな。
ぼくと『あいつ』も、
天使であるのと同じように・・・。」
そう言うと、
少年は彼の本来の、本当の姿に戻る。
そしてぼんやりと、
カラダの透明度を増しながら、
はっきりいつという事もなく、
周りの景色の中に溶け込んでいった・・・。
ほんの数メートル先には、
無残に頭蓋を噛み砕かれ、
頭部の三分の一を失った雑誌記者、
伊藤という人間の、
悲しげな死体が草むらの中に残っているだけだった・・・・・・。
なお、レディ メリー本編では、
人間が蛇に変身したり、正体不明の生物は出てきません。
幻覚でそう見えたりするかもしれませんが。