外伝 白いリリス 第1話
本作品は学生時代に書いた短編です。
当時所属していたサークルの機関紙発行の際、
なにか書いてくれと言われて作ったやつです。
世界観はレディ メリーの物語とほぼ同一ですが、
設定が微妙に異なるため、パラレルワールド扱いです。
この作品に登場する人物の行動が、
レディ メリーの世界に反映することはありません。
・・・ありませんが、
行動の選択を一つ、変えただけ・・・或いは出会う人間に変化がなければ、
このような未来もあったのかもしれませんね・・・。
わたしが最初に「あれ」を見たのは、
三月の終わりごろだったろうか。
あの事件は世界各地で既に始まっていたし、
この日本でも先月ぐらいから話題になっていた。
国内で起きた最初の事件・・・、
それは東京のど真ん中で、
若いサラリーマンが、
車の中で全身の骨を砕かれて死んでいた、というものだった。
凶器や手がかりになるものは何一つ残らず、
ただ、最初の発見者が、
死体の周りに緑色のもやがたちこめているのを目撃する・・・、
それだけが、
その後のどの事件にも共通する特徴だった。
わたしの名は伊藤、
ある出版社の雑誌の編集員だ。
ちょうど私は、
この事件の担当を任されるはめになってしまった。
最初は軽い気持ちだった。
どうせ、こんなわけの分らない出来事は、
警察かどこかが真相を解明するまで、
非科学的だろうが何だろうがおもしろおかしく書いて、
読者を震え上がらせてみせれば上出来なのだから・・・。
しかしまさかこんな事になるとは、
わたしには予想すらできなかった・・・。
・・・あれは靖国通りを市ヶ谷方面へ歩いていた時だった。
交差点で信号待ちをしていると、
大きなクラクションの音が耳に響いた。
一台の車が、信号が青にもかかわらず、
いつまで経っても発車せず、
しかもそれどころか、
クラクションの音にも何の反応も見せないのだ。
(何やってんだ、
さっさと動いてあのやかましいのを止めてくれよ・・・。)
そう思っていたら様子が変わってきた。
後ろの車のタクシーの運転手が、
血相を変えて飛び出してきたのだ。
それにつられてか、
周りの車のドライバー達も慌てて集まり始めたので、
私も記者の本分たる野次馬根性をいかんなく発揮することにした。
手帳とペンを片手に、
すでに集まった人波をかきわけ、
車の中をぐぐっと覗きこんだのだ。
・・・その男は、
ハンドルの上にカラダをもたれかけていた・・・。
どういうわけか、
助手席のドアロックはかかっていなかったようだ。
タクシーの運転手はドアを開けたとき、
何か喋ろうとしていたようだが、
口を開いた直後カラダを硬直させた。
車の中から、
得体の知れない緑色の気体が噴出していたからである・・・。
私も傍にいた者たち同様、逃げ出そうとしたが、
それに触れてみたいという、抵抗しがたい衝動に駆られ、
ギリギリでそこに踏みとどまり、
ゆっくりと手を伸ばしてしまっていた・・・。
・・・熱も冷気も感じることはなく、
手にも異常が起きているふうでもない。
緑色の気体は、
やがて大気中に拡がり、
それが痕跡していたという証拠すら残さず消えていった。
ただ・・・、
何か一種独特な、
懐かしくさえ感じるような不思議な匂い、と言えばいいのだろうか。
そんな感覚が、
いつまでも私の鼻にこびりついていた。
ふと我に返ると、
うっぷしていた男の顔が目に入った。
そこで初めて私の全身に寒気が走った。
何故なら、その男の顔は、
まるで蝋人形のように白くなっていたからである。
後で分ったことだが、
何らかの方法で、カラダじゅうの血液を一滴残らず吸い取られていたそうだ。
首筋に二つの傷跡を残して・・・。
塞がないと・・・、
早く何とかしないと、
あの小さくぬめぬめした生き物が・・・、
誰か・・・、
ああ早くっ!
奴らが今にも這いずり出てこようとしている。
大きな暗闇の中は、
何千匹もの黒いものがウジャウジャ湧き出して、
物凄い勢いで登ってきている・・・。
私には見ているだけで何もできない、
・・・ああ、
あいつらが出てくるッ!
「あなた、・・・あなたってば!
早く起きなさい、会社遅れるわよ?」
「・・・え?
ああ ゆ、夢か、
朝から気分悪いもの見ちゃったなあ・・・、
おはよう百合子。」
実際、あの事件を目撃してからというもの、
神経がピリピリしていて、
何をやるにしても清々しい気分になることはなかった・・・。
あんなもの見たんだから自分でも仕方ないと思える。
「恐い夢でも見たの?」
「ん・・・とても大きい穴があったんだ、
真っ暗で、足を踏み外して落ちようものなら、
穴の底でカラダが腐って・・・、
自分の目には映らないのに、
どんどん醜い手足になっていくのが分るんだ・・・。
・・・おれはその、
身の毛もよだつような恐ろしさのあまり、
動くこともできなかった・・・。
ところが、穴の奥には何かが動いているんだ、
・・・それもたくさん・・・。
湿っていて・・・、
冷たくて・・・、
汚らしくって・・・。
そいつらが群れをなして穴の中から這い出てきやがって、
だから・・・! え・・・?」
話の途中で妻は時計を見せてくれた。
・・・確かに寝ぼけている場合じゃない。
百合子はそこらの石ころでも見るような目でずっとこっちを凝視していた。
朝からいろんな意味でダメージを食らう。
その後、私はなかば追い出されるような感じで私は家を出て行った。
会社では、
事件からもう三日たつというのに、
まだあの事を口にする奴がいる。
もっとも、
事件の担当の記者が、
直接遭遇したわけなのだから無理はないが・・・。
一緒に今度の事件を担当した同僚も、
事件の真相にはお手上げの状態だったが、
とりあえず締め切りまでには、
「緑の恐怖! 妻子ある若き男性、謎の連続変死体!!」
と題する記事ができた。
それからしばらくたったある日のことだ。
虫の知らせというのだろうか、
気分が悪くなり、
早めに会社を切り上げて帰って来た事があった。
家には鍵がかかっていた。
百合子は外出しているのだろうか?
私は、
鍵を取り出しドアを開けた。
その瞬間、例えようもない衝撃が私の全身に走った。
・・・家の中には、
あの、緑のもやが充満していたのだ!
私はこの世の破滅が来たような気がした。
猛悪な地縛霊にでも獲り憑かれてしまったかのように、
絶望と恐怖で足を動かすこともできない。
・・・待て、声だ、声が聞こえるぞ、
かすかな声だったが、
紛れもない百合子の声だ。
・・・そしてさらに、
気味の悪い老婆のような声も聞こえてくる・・・。
誰がいるんだ!?
私は勇気を奮い起こし、
あらん限りの大声で叫んだ。
恐慌状態はカラダの重さを無にし、
自分の身の危険を顧みず、
私は声の聞こえてくる部屋の扉を開けた・・・。
・・・だが、
そこには誰もいない。
ただ、周りと同様、
緑色の気体が立ち込めているだけだったのだ・・・。
隣の部屋では、
四つになる娘の麻衣が、
いつものように幼稚園から帰ってベッドの上で昼寝をしている。
体を揺すって起こしてみたが、
何を聞いても、
「ぜんぜんしんない」
と、不機嫌そうに答えるだけだった。
わかったわかった、起こしたのは悪かったから・・・。
そのあいだ、
例の気体はいつの間にか、
空気中に溶け込んで消えてしまっていた。
いったい、どうなっているんだ?
家の中は他に何も異常がない・・・。
さっきのは幻でも見たというのだろうか?
「あら? 何で鍵が開いているの?
麻衣? 麻衣ー!?」
その時、玄関で百合子の声が聞こえた。
駆け足で玄関に向かうと、
私は彼女の、
「何でこんなに早く家に帰ってきたの?」
という問いを無視し、
先程の異常な体験を一息もつかず一気に説明した・・・。
私の言葉を信じていないことは、
彼女の目がはっきり告げている。
緑のもやというのが、胡散臭かったらしい・・・。
しばらく互いに沈黙が続いていたが、
辛うじて私は話題を変えることに成功した。
「・・・どこ行ってたんだ、子供を置いて・・・?」
百合子はスーパーのビニール袋を私の鼻先でぶら下げる。
「・・・今日はお肉の特売日なの。
麻衣だってこの時間は眠っているもの、
起きる時間も決まってるから、
それまでにはいつも帰ってるわ、
毎日、買い物に行く時はだいたいこの時間よ。」
私の頭には、
例の殺人事件が浮かび上がっていた。
今まで若いサラリーマンしか殺されてない、
というのも、ただの偶然なのかもしれないし、
次の犠牲者が、
女子供に及ばないという確証だってどこにもないわけなのだから。
この時は、
とにかく万一のことが無いよう、
妻に注意するだけで、私は精一杯だった。
こんな事件が起こってからというもの、
仕事を口実に、
私は今まで起きた、一連の事件を詳しく調べなおすことにした。
前に殺された会社員の家にも、
私が遭遇した緑の霧は発生したのだろうか?
遺族に会うのは初めてだが、
何となく気が進まなかった。
心の中で、
理由は分らないが、何かが引きとめるのだ、
あの家には行くなと・・・。
今回起きている殺人事件は、
レディ メリー第4章で、マーゴお嬢様が調べ物をしていた一連の事件です。
そう、日本でも起きていたのです。