月の天使シリス編3 優一動く
勢いに任せて口を開く加藤恵子!
「ひ・・・斐山君!」
「ん? 何だ、・・・何の用だ?」
相変わらず、ぶっきらぼうと言うよりも、
さぞ迷惑だぞとでも言わんばかりのこの態度。
大抵の状況なら、
ここですぐに逃げ帰りたくなってしまうだろう。
だが、今はそんな事は言ってはいられない。
「あ、あのね、さっきエリナちゃんがね・・・!
あの朝田って人ととんでもない約束をしちゃって・・・。」
「約束?
ああ、あのくだらないヤツか。」
「し、知ってたの?」
「あんだけでかい声で騒げば誰だって聞こえる。
それで?」
「そ、それでって、
このままだとエリナちゃん、
あの人とデートしなくちゃいけなくなるんだよ!?
もし、あの人に変なこととかされたらどーすんの!?」
斐山優一はかったるそうに、その場にしゃがみ込む。
「・・・どうって、オレには何の関係もないだろう?
エリナとあの勘違い男が交わした約束なんか、どうだっていい。」
加藤は思わずブッちぎれた。
相手があの、
不良も恐れる斐山優一だということを完全に忘れきっているのか・・・。
「何て冷たいこと言うの!!
あの子が斐山君に・・・あ、
じゃなくて、仮にも一緒に住んでるんでしょ!?
それに、あの子は斐山君をとっても信頼してるよ!!
そんな彼女が困ったことになってる時に、
心配してあげたっていいじゃない!!」
遠くから鮎川とヨリが、
加藤のあまりにも命知らずな行動に肝を冷やしまくっている・・・。
あの子、いつからあんな勇気が・・・
じゃなくて、やっぱりネジが抜けてるんだぁ~・・・。
一方、
斐山優一は加藤の言葉など全く意に介していない。
「・・・うるせーなぁ、
だからって、なんでオレが、
アイツのケツをふかなきゃなんねーんだよ・・・?」
「ケ・・・そ、そんな事言って、
斐山君、いっつも冷たい振りして実は優しいじゃない!
あの時も、私を公園から送ってくれて!
ね? エリナちゃんを助けてあげてよ!
それがダメならせめてあの子に優しい言葉を・・・!」
加藤は、
自分でも何をしているのかわからなくなっていた。
斐山優一ならこの状況を何とかしてくれる・・・?
そんな明確な根拠はどこにもない。
ただなんとなく、
彼ならやってくれる・・・
どんな手段かはともかく、
この状況を打破してくれそうな気がする・・。
たったそれだけで、ここまでの暴挙に出てしまったのだ。
あああああ、あたしったら何て事を・・・。
だが、もう遅い。
斐山優一は、ゆっくりと立ち上がり、
加藤恵子をにらみつけた。
もう彼女は蛇に睨まれた蛙のようだ・・・。
もはや一言だって発することができない?
で、でもこれだけは絶対言わなきゃ・・・。
「ひ、斐山君、あのね、
エリナちゃんがあんな約束したのは、
あの朝田君て人をやり込めるため・・・、
あの子、怒ってたのよ、
斐山くんがチビとか男女とか言われたことに対して・・・。
エリナちゃんはそれが許せなかったの・・・!」
この加藤の騒ぎを聞きつけた周りの一部生徒が固まる中、
斐山優一は視線を外し、
加藤の最後の言葉にも何ら反応することなく、
凍りつく加藤恵子の脇をゆっくりと通り過ぎる・・・。
あまりの緊張から解放されて、
思わず彼女はそこにへたり込んで放心状態・・・。
「ちょっと、恵子、なにやってんのよーっ!?」
心配してヨリがダッシュで駆けてきた。
エリナの方は、鮎川に任せてある。
それにしても、この子なんてことを・・・。
前からネジが緩いとは思ってたけどこんな・・・。
しばらくして加藤が我に返る。
すぐに彼女はキョロキョロと辺りを見回し始めた。
彼女が探しているのは斐山優一の姿である。
・・・まさか・・・。
そのまさかだ、
斐山優一は、三段跳びの計測の準備をしていたのである。
他の生徒は誰も彼を気に留めていない。
これまで彼は平均的な数字しか出していないし、
クラスの中でも、この前の朝田とのやり取り以外、
これまで優一は目立つ言動を一切とってない。
・・・ただ、加藤とエリナ・・・、
その二人だけが、
優一の行動に目が釘づけになっていたのである。
そして優一の順番が回ってきた。
優一はスタート直前、
軽く足首や膝を伸ばすと、
一瞬、間を溜め・・・軽やかに飛び跳ねた後、
獲物を見つけた狼のように、
前傾姿勢から一気にマックススピードで走りはじめる!!
それを見ていた生徒達に衝撃が走る!
それまで大した運動能力を示さなかった斐山が、
今とんでもない速さで駆け抜けていくのを・・・!
彼はあっという間に跳躍地点に達すると、
滑らかな・・・
まるでシルクを思わせるような無駄のない滑らかな動きで、
低空を滑空!!
左・・・左・・・右っ!!
最後の跳躍のみ上空へと舞い上がる・・・
その姿は、
まるで時間が止まっていたかのようだ・・・。
ズサッぁ!!
計測係が我に返る!
その着地地点は、
今まで誰も足を踏み入れてない、まっさらな未踏の砂地。
「斐・・・斐山優一・・・
え!? 15メーター55ぉっ!?」
これは完全に全国レベルの数字だ!
あまりの出来事に体育教師も集まってきた!!
「なっ、斐山、
もう一回飛んでくれないかっ!
いや、お前を疑ってるんじゃない、
この数字が本物なら、
もっと記録を伸ばすことも・・・!」
だが、
勿論そんな面倒を聞き入れる斐山ではない。
「じょーだんじゃないっすよ、
ファールもしてないし、
測り方にも問題ないんでしょ?
なら、とっとと他の奴を終わらせたいんすよ・・・。」