月の天使シリス編3 鮎川君の災難
入学式が終わり、
新入生たちは自分たちの教室に、
期待と不安を織り交ぜながら分かれていく。
出身中学同士で固まる者もいれば、
近くの席同士で挨拶を始める女の子たち、
特に何があるわけでもなく、
まだ社交的な行動もできずに、
独り静かに、席に着くものと大体のパターンは限られている。
加藤と鮎川は、
「あ? あの子もウチの中学じゃない?」
と、同じ教室で、
顔見知りの女の子を発見した。
「あー、そうかも、でもオレも喋ったことないぜ?」
「とりあえず、声だけでもかけようよ?」
と話しているのも、
まぁ、そんなにおかしな行動でもないだろう。
しかし、
この場でその目的が達成することはなかった。
何故なら、
その時、加藤と鮎川の視界に、
「例の」台風の目が、
いまにも教室中に、
大きな災いを起こしそうになっている光景が映ってしまったからだ。
エリナと優一の机が隣同士になっている!!
この地域では出席簿の男女別は廃止され、
その順番に男女の差異はない。
ただ、今回あらかじめ決まっていた席順は、
なるべく男女が交互になるように、あかさたな順で男女別に決められていた。
斐山優一とエリナ・ウィヤードは、
揃って、窓際の後ろの席に並んでいたのである。
そして・・・。
最も危機認識能力の高い鮎川クンが、
思わず声をあげていた!!
「あ! あれヤベェ!! 加藤見ろ!!」
どういう状況かは、
一本ネジが緩い加藤恵子にもすぐわかった。
入学式で一躍有名人になったエリナの周りに、
下心丸出しの男子生徒が、光に群がる羽虫のように集まりだしたのだ。
そして致命的なのは、
その中で一際体格の大きい・・・
空手か柔道でもやっていそうなほど、がっしりした一人の生徒が、
あろうことか斐山優一の目の前で・・・
よりにもよって優一の机の上に、
小柄な優一の存在など、
無視するかのごとく無遠慮に座りこみ、
エリナをナンパし始めたのだ!
「ねぇねぇ!
君って今日、舞台で挨拶してた子だよねぇ!
なにー、どこに住んでるのー?
おれ、朝田ってんだ~。
仲良くしよぉ~♪」
抜け目なく、その朝田と言う生徒の手は、
エリナの肩に乗せられている。
普通なら、
この状態だけでも、周りからは相当なバッシングが起きるだろうが、
彼の体格からくる威圧感がそれを許させない。
他にも会話に割り込もうとする男子は当然いるが、
その度に朝田が「あ~、おめぇ、ひっこんでろよ」
とでも言いたげな視線を送るのだ。
そうなると、
大人しい男子生徒は一言も発言できずに、
ただ、うすら笑いを浮かべながらそこにいるだけしかできない。
当のエリナは戸惑った笑顔を浮かべ、
触られている肩を引きながら、
どう対処していいか、わからない様子だ。
あからさまに拒絶できないのだろう。
見かねた付近の気の強い女子が、
エリナを救おうと立ち上がった時だ。
既に行動を起こした少年がいる。
鮎川クンだ!!
高一にしては既に170を超える身長と、
バネの効いたスポーツマンタイプの彼は、
「ここから始まるであろう惨劇」を食い止めるために、
一人で行動を起こしたのだ。
鮎川は朝田のカラダを抑えた!
「ああ!?
何すんだ、テメェ!」
エリナとの会話を邪魔された朝田は当然、怒る。
鮎川はそれに構わず、
朝田のカラダを斐山の机から立たせようとする。
「い、いいから、そこを離れろ、
お前のためだ!!」
「何、わかんねーこと言ってんだよ!!
思い知らせてやろうかぁ!?」
体格的には朝田の方が強そうだ。
しかし鮎川が怯えるのは、
朝田に脅されることではない。
もっと恐ろしいものが、背後にいるのだ。
今は、こんな奴はどうでもいい。
そしてちなみに話は脱線するが、
この鮎川クンの行動は、
周りの女子の好印象30ポイントアップ。
まぁ、それがエリナ目当てのものだとしたら、
そう簡単にはあがらないだろうが、
いま鮎川が、
朝田との体格差を顧みずに取った大胆と思える行動は、
このクラス内で最も勇気ある行為と言えるだろう。
だが、
中重量級の朝田の腰は動かない。
むしろムキになってその位置を留めているようだ。
もし彼がこの机から、
腰を浮かす瞬間があるとしたら・・・、
それは鮎川が殴られるとき・・・。
誰もがそう・・・
いや、当の鮎川ですらそれを覚悟した時、
彼の背後から、
冷静な・・・
もう一人別の少年の声が放たれたのだ・・・。
「鮎川・・・
もういい、どけ・・・。」
ついに放たれたその言葉に、
鮎川は振り返ることすらできず、
彼は瞬時にその声に反応してしまった。
バッっと、
朝田にかけていた手を放し、
すぐさま人のいない方向に身を避ける・・・!
そして次の瞬間、教室が凍りついた。
突然の激しい衝撃音の後、
一台の机と大柄な生徒が一人、
その教室内で宙を舞う。
「それら」が再び教室の床に激突するのは、
ほぼ連続したタイミングだ。
しかし誰もが、
「何故そんなことになったのか」
理解することができない。
一台の机と朝田が床に転がっている・・・。
鮎川は既に避難して無事。
付け加えるとすれば、
前の席の男子生徒がとばっちりで背中と肩を打った・・・。
そう、
「誰ひとり」という表現は適切とは言えまい。
鮎川と加藤恵子にはそれが予想でき・・・、
目の前でそれを見たエリナは、
何がどうなったか確実に理解していた・・・。
そして当の実行犯、
斐山優一は冷たいグレーの目で、
床にみっともなく転がっている朝田を、
椅子に座ったまま見下ろしていたのだ。
「・・・邪魔だ、デブ・・・。」
何をされたのか、
今でもわからない朝田だが、
自分をこんな地べたに寝そべらしたのは、
間違いなく、
このグレーの髪の少年であることだけははっきりとしている。
自分より二まわりも小さなこんなチビに・・・!
朝田は溶鉱炉のように、
顔を真っ赤に染めて立ち上がった!!
いや、タイトル間違えた・・・。
災難は前の席の男の子だ。