第5話
「・・・いくつか理由はあるけどね、
ま、確かに『取引』ってのは口実さ・・・。
まずは、あたしの手元に、こんな人形を置いときたくないのさ・・・、
あんたも女なら判ってくれるかい?
コレを作ったやつは親切のつもりかもしれないが、
余計なお世話さ・・・、
どうせあたしはこの腐った身体からは離れられない・・・、
あたしがこの人形に入れれば、
また意味は変わってくるんだろうけどねぇ・・・。
・・・かといってコイツはあたしの分身みたいなもんだし、
そうなると処分するのもねぇ、
じゃあ、どうしようねぇ?
・・・て時にアンタがいたのさ・・・、
アンタみたいな可愛い子だったら、
模造品とはいえ、
あたしの昔の身体を任せてもいいかなってね・・・。
それにアンタはあたしの身体を綺麗と言ってくれた。
・・・こんな理由じゃ不満かい?」
マリーは静かに首を振った、
もう口を開くこともできないようだ・・・、
だが、マリーは既に霊化し始めているせいなのか、
フラウ・ガウデンの心が判るような気がした。
フラウ・ガウデンはその外見の醜さとは反対に、
心は普通の女性のままなのだ・・・。
もしかすると、
この人形になりたかったのは、
誰よりもこの森の魔女であったのかもしれない。
・・・既にマリーはこの人形に同化する覚悟はできていた。
もはや問答はただの形式に過ぎない。
フラウ・ガウデンは一言だけ、
静かに声を発した。
「いいかい・・・?」
マリーはうなずく。
枯れ木の男は不思議そうに首を傾けていた。
フラウ・ガウデンは、
マリーの身体を抱きながら、
彼女の身体を人形の顔に近づける。
そしておもむろに自分の腐った腕を、
マリーの口の中に潜り込ませたのである。
どういう種類の魔法なのだろうか、
その部分を中心に煙状の気体が発生していく。
肉眼でその過程を捉えることはできないが、
恐らく「いのち」が老婆の腐った身体に取り込まれているのだろう。
そしてもう一方の手で彼女の首根っこを掴み、
マリーの身体を人形の上に覆いかぶさせた。
刹那のタイミングなのかもしれない。
フラウ・ガウデンはマリーの身体から、
残った全ての生命を抜き去り、
急いで腕を彼女の口から外すと、
その場はマリーの死体と人形が、
唇を重ねる形となっていた・・・。
・・・術そのものには大して時間は掛からなかったようだ。
だが、今やマリーは・・・、
いや、かつてマリーと呼ばれた少女は、
人形の中で自分の心が、
どんどん他の何かに変わっていく、という感覚を受け止めるので精一杯で、
新しい身体を動かすどころか、
周りがどうなっているのかも認知できる状態ではなくなっていた。
人形の眼球が不規則な動きを繰り返す。
体温を感じるはずはないのに、
身体が熱く焼けそうだ・・・。
激しいフラッシュの閃光が、
途切れることなく視界を襲う・・・。
幾つもの大きな鐘を、
いっぺんに鳴らしたかのような轟音が耳をつんざく・・・。
「・・・おい、ジジイ!
・・・エックハルト! ちょっと手伝いな!」
マリーの生命力を吸ったフラウ・ガウデンは、
恐ろしいミイラの化け物から、
気味の悪い老婆に若返って(?)いた。
黄金色の瞳を除けば、
今なら人間社会に紛れ込んでも違和感はないだろう。
彼女は、
マリーの意識が人形になじむまでに、特製の衣服を着せたいようだ。
「服を着せるのか?
裸がいい。
裸がみたい。
隠し事が有ると人間、大きくなれないぞ。」
「・・・もう一つの理由、
このスケベジジイが悪戯すんだよ、
・・・見えもしないくせに。
黙って手伝いな!
そっちの手、持って!
もうこの人形はあたしじゃないよ!
マリーっていうお嬢さんがこの人形の宿主だよ、
レディにはしたない格好はさせちゃあいけない。」
・・・薄いレースのキャミソール、
薔薇の刺繍の黒いドレス、
ドレスと同じ素材の肩の膨らんだボレロ、
そしてフラウ・ガウデンが、
人形の背中に白いコルセットの紐を締める頃には、
人形の眼球は落ち着いた動きをするようになっていた。
「・・・どうだい?
あたしの声が判るかい?
身体は動かせるかい・・・?」
膝までの粗い網目のタイツを履かせながら、
フラウ・ガウデンは横目でマリーに話しかけた。
マリーは、ゆっくりと・・・
指を・・・ 首を・・・ 腕を動かし・・・
そして自分の両手を不思議そうに見詰めながら、
ゆっくりと上体を起こした・・・。
術は成功だ・・・。
古の魔法使いによって作られた「人形」は、
マリーという少女の魂を注がれて、
今ここに、新しい「生命」として誕生したのである。
人形の唇は、
薄く隙間が開いてはいるが、
固い無機物の素材なので動くわけでもない。
それでも声は出るようだ。
どうゆう魔法なんだろう?
「・・・心は楽です、
でも・・・身体がすごく・・・
抑えの利かない力が湧きあがって来て・・・
今にも 勝手に動き出してしまいそう・・・。」
それを聞いて、
フラウ・ガウデンはニタリと笑った。
「うまくいったようだね?
その力はアンタの恨みや憎しみ、悲しみさ・・・。
それらがある限りアンタは動き続ける。
それからね、
今、アンタに着せた衣装にも魔法がかかっている。
その人形もドレスも・・・
どんなに壊れたり破れたりしても、
アンタの蓄えている情念によって再生する。
・・・逆に言えば、
アンタの心が弱いときは、アンタは何もできないからね、
よぉーく覚えておきな!」
マリーはヒールのある靴を履き、完全に立ち上がる。
そしてマリーは完全に理解した、
フラウ・ガウデンが語った言葉の数々を。
マリーにはもはや迷いもなく、
内から湧き上がる衝動によって、
次に自分が為すべき行動を認知するようになっていた。
彼女がキョロキョロ左右を見回すと、
フラウ・ガウデンはそれを見越したかのように、
暖炉のある部屋まで戻って、マリーに声を掛けた。
「こっちだよ、外への出口は。
もうじき夜が明ける・・・、
あたしらや森のヴィルダーヤークト、
ナハトイェーガー共は、
夜の森以外では存在できないけどね、
その人形のカラダは別扱いだ。
・・・さぁ、おいき。 」
マリーはその新しい身体を確かめるかのように、
ギクシャクしながら歩き出し、戸口の外へ出た。
もう、
あの恐ろしいまでの風も吹いていない。
外には、
夜明けが近づいてるせいか、活動が沈静化した悪霊達がいた。
骨だけになった馬や、
死体の兵隊達、首のない男もいる。
彼らは、
その場で座り込んでいたり足踏みをしたりするだけの、
おとなしい存在になっていた。
人形のマリーが傍を通っても、彼らから見れば同類なのだろう、
何の興味も示さない。
マリーは途中で後ろを振り返った。
フラウ・ガウデンと枯れ木の男がこちらを見送っている。
既にマリーは、
人であった時の心を失い始めていた・・・。
かろうじて、手を一、二回振ると、
すぐに森の出口へ身体を向け、
獣のような素早さでそこから走り去っていった・・・。
・・・あたりは薄ぼんやりとしてきた・・・。
朝霧ではない・・・、
夜明けが近づくにつれ、
彼らの存在そのものが希薄になってゆく。
走り去るマリーを見送っていた彼らだったが、
枯れ木の男・・・
エックハルトが先に口を開いた。
「・・・フラウ・ガウデン、
お嬢さんを騙したか・・・?」
森の魔女フラウ・ガウデンは微動だにせず答える。
「・・・騙す?
そんなつもりはないよ、
・・・いぃやぁ、
やっぱりそうかもしれないのかねぇ?
あの子を人形にしてしまう事への後ろめたさ・・・、
それがあったから、
あえて『取引』なんて言っちまったのかもねぇ、
・・・あたしは間違ってたと思うかい?」
「オレ、判らない・・・、
でも、闇の世界の者が、また一人増えた・・・、
そして、あの人形、生きている・・・
生きているから、食べ物が必要、
あの人形の食べ物は・・・。」
・・・しばらくたってからのフラウ・ガウデンの口振りは、
まるで後悔をも感じさせるようなものだった。
「・・・そうだね、
下手をすると、ずーっと、
他人の怨念や悲しみも吸い取ってまで動き続ける・・・。
恐ろしい事だよねぇ・・・。」
そして彼女は最後に祈りの声をあげる・・・。
「・・・主よ、
万物の生みの王にして、
支配する者ヴォーダンよ・・・、
あの子の魂に安らぎを・・・、
罪深き我らには、
寛大なる死を賜り給え・・・。」
・・・そう言って、
はっきり何時と言うこともなく、
朝の森に、
彼らの姿はゆっくりと溶け込んで消えていってしまった・・・。
次回、第3章は最終回!