第二十三話 仕切り直し
彼女たちは一目散に階段を駆け下りる。
万全の状態であったなら、
このまま、ヤツにトドメを刺したいところなのだが、
武器が三角定規では致命傷も与えられず、
なにより絵美里を落ち着かせないと・・・。
幸い、ヤツは追ってこない。
二人は息を切らせながら一階まで降りると、
そのまま麻衣の先導で廊下を走り出した。
「あっ・・・麻衣ちゃん、保健室にスティーブが・・・!」
「保健室? ならこっち!」
明かりがついたままの、職員室の隣に保健室はあった。
いつの間にやら、その保健室にも明かりがついている・・・。
麻里は、頭上の「保健室」の表示を確認すると、扉の隙間から小声で叫ぶ。
「・・・スティーブ? いる?」
反応がない・・・。
麻衣と視線を合わせた後、部屋の扉を開ける・・・。
明るい。
だが、どこを見渡しても誰もいない・・・。
隅のベッドには誰かが寝ていた形跡がある・・・。
ほんのりと暖かい。
スティーブは、この部屋から出て行ってしまったのだろうか?
・・・一方、3階の廊下では、
いまだ裸の男が血だまりの中で泣きじゃくっていた。
麻里の定規は正確に鼻骨を粉砕し、
一時的にヤギ声の男を行動不能に陥れていた。
「いらいよぉぉ・・・!
ママァ! ンママぁあああ!
・・・ごんなにぃ、
ごんなにメリーざんを大好ぎなのにぃぃ、
の゛ぉじでぇぇぇ!?
・・・ヒック・・・ヒック
そうだね、ママ・・・、
僕をあいじでるがらなんだね?
だがら、僕を殺したんだ・・・
みんなで僕を食べたんだ・・・、
パパもママも家族みんなで僕を・・・!」
男は、そう言いながら、
自らの右手に埋め込まれた鉤状の金属物を天井にかざす・・・。
「・・・ぼーでんとぅっくあんあっくす・・・
りじーぼーでんとぅっくあんあっくす・・・ママァ・・・。」
麻衣たちは保健室でカラダを休ませていた・・・。
スティーブもいないなら慌ててもしょうがない。
それに、ヤギ声の男にもかなりのダメージを与えたはず・・・。
いま、彼女たちにはようやくゆとりが生まれ始めていた。
麻里は、心の中で絵美里に気を遣う。
”・・・どう? もう落ち着いた?
エミリー・・・。”
”ご、・・・ごめんなさいマリー、
まさか、あんなヤツだなんて・・・。”
”私も迂闊だったわ、
でも、また出くわしたら・・・
エミリー、平常心を保っていられる?”
”・・・うん・・・、きっと、いえ、今度こそ!
いつまでも昔のあたしじゃないわ!”
折角生まれ変わっても、
かつてのトラウマを抱え続けては何の意味もない。
強くならなくちゃ・・・!
麻衣にしたって絵美里の様子は心配だ。
「絵美里ちゃん・・・だいじょぶ?」
実を言うと、
麻衣もショッキングなものを見て動揺しているのだが、
絵美里のほうが大変そうなので、
幾分冷静さを取り戻していた。
心の中では「ううううう」と呻いているけども。
一方、麻里は一度ため息をつく・・・。
「エミリーは落ち着いたわ・・・、
考えてみれば、
人形メリーの頃は感情が麻痺してたから、
あんなものが現われても気にならなかったけど、
心が戻った今じゃ、そうはいかないものね・・・。」
ところが彼女のその言い方に、麻衣はピクリと何か引っかかったようだ。
無言で麻里を見詰める・・・。
何か言いたいことでもあるのだろうか?
「麻衣ちゃん?」
「・・・ねぇ、麻里ちゃん、
『麻痺』してたのはお人形さんだったメリーのころだけ?
今は!?」
「・・・えっ?」
麻衣ちゃん、何を言い出すの・・・?
「麻衣ちゃん?
・・・あの、ほら、
私は男の人のあんな状態になったの見るの、別に初めてじゃ・・・」
「そぉぉぉじゃなくてぇぇ!
・・・さっきよ!
一歩間違えばあたしの目の前で、
グサリってやられるとこだったんだよ?
どおして、そんなに落ち着いていられるの?
怖くないの!?」
怖い?
今更なにを・・・?
今まで大勢の人間を殺してきた自分に、
命の危険なんて何の意味がある?
「麻衣ちゃん・・・、私は・・・。」
「いつまで麻里ちゃんは復讐者のつもり?
いつまで闘い続けるの!?
なんでママは麻里ちゃんたちにカラダを預けたと思ってるの!?」
その時、麻里は、
保健室に備え付けてある壁の鏡に自分の姿を見つけた・・・。
頬に一筋の赤い跡がある・・・。
「あ、ご、ごめんなさい、麻衣ちゃん、
あなたのお母さんの顔に傷を・・・。」
「違う!!
そんなことじゃないの!!
麻里ちゃんや絵美里ちゃんのすることは戦う事じゃないでしょ!?
どうして当たり前みたいに武器を握ってるのよ!?
レッスルお爺ちゃんがそれを望んでいたとでも言うの!?」
ついつい傷の話をしてしまったが、
麻里にも麻衣の言いたいことは分っていた・・・。
麻衣の言い分は筋が通っている、
そんなことは分りきっている。
・・・でも、麻里たちにしてみれば、
今更、安穏と暮らすなんて虫が良すぎるとしか思えないのだ。
若い女性として幸せに暮らす?
それも中途半端にだ。
学校にもいけない、友達も作れない、
ましてや、百合子のカラダを使って、
恋愛なんてするわけにもいかない。
それでも自分たちは、
今の暮らしだけでも満足すべきどころか、
なんとか伊藤たちに、少しでも恩を返さないと、
自分たちの立つ瀬がないのである・・・。
・・・今や、
麻衣も、麻里も絵美里も・・・幼い子供ではなく、
一人の人格を持った人間として、暮らし続けているのだ。
もっとも本来、互いの関係の中で、
矛盾や衝突が起きるのが当たり前だと言われればそうなのかもしれない。
・・・それでも・・・。
思わず感情を荒げてしまったが、
麻衣が本来、怒りたいのは麻里に対してではない。
改めて、今までの出来事を整理し始めて、
あの「少年」が企んでいることに対して、
ムカムカと怒りがこみ上げている自分に気づき始めたのだ。
せっかく普通の生活を送っている自分たちに対して、
いったい何をさせようというの!?
何様なのよ!? 絶対に許せない!!
「・・・麻衣ちゃん、あたしたちは・・・」
なんとか、麻衣には自分たちの気持ちもわかってもらいたい・・・。
麻里はうろたえながら、
麻衣に自分の言い分を聞いて欲しくて声をかけたが・・・。
「あ・・・ごめんなさい、
麻里ちゃん・・・言いすぎた・・・。」
先に麻衣の方が頭を下げてしまった。
麻衣だって実はわかっているのである、
彼女たちの本当の気持ちなど・・・。
彼女たちがいかに伊藤たちに気を遣って暮らしているのか・・・。
さっきだって、
自分の命より百合子のカラダを気にして・・・。
だから余計に、
麻衣は言わずにおれなかっただけなのだ。
「それよりさ・・・?」
麻衣は申し訳なさそうに話を切り替えた。
麻里の方も、
本音を話してしまえば、麻衣はきっとまた怒るであろうことは想像に難くなかった。
ここは別の話題に移ったほうがきっといいのだろう・・・。
「それより?」
「うん、これからどうしよう?
・・・警察には・・・、」
と、いいかけて、
保健室の電話で外部との連絡を試みるが、
やはり無駄な行為だった・・・。
通信行為は全て封じられている。
「麻里ちゃんには戦うなって言ったけど・・・。」
「麻衣ちゃん、
あなたの気持ちはわかったわ・・・、
でもこの状況じゃ・・・。」
「やっぱり、あのトレーナー着た人の言うとおりにしなきゃいけないのかぁ・・・。」
麻衣は心底、悔しいようだ。
・・・あんまり場の空気は変わってないか・・・。
麻里はちょっと気を利かせたつもりで、
自分のほうでも話題を変えてみることにした。
「それにしても、こんな事になるんだったら、
エミリーにもうちょっと、
馴れさせておくべきだったかしらね?」
最初なんの事か分らなかった麻衣だが、
二・三秒、間を置いてから、
麻里のトンデモ発言に目を丸くする。
「そ・・・それって、だ、だだ、誰の・・・!?」
「ああ、そうかぁ、
パパさんのってわけにもいかないかぁ。」
「きゃああああ!
やめてやめて、想像したくなぁい!」
頭を抱えて首をブンブン振り始める麻衣。
「・・・? でも、麻衣ちゃん、
子供の頃とかお風呂で見たことない?」
「忘れたよぉ、そんな昔の事ぉ!
第一、『あんな』状態のものなんて・・・
て、ああああああ、
麻里ちゃん、なんてこと言わせるのぉっ!?」
次回、
騎士団の日浦義純が、少し前に何をしていたかが明らかに。
そしてあの「姉弟」のその後を。